41.「話を聞かない妖精さん」
一人と一匹は山の麓を抜け、ある森の中を進んでいた。日向汰とライミーとでは歩く速度がかなり差があるため、今は日向汰がライミーを肩の上にのせて歩いている形となっている。
「地図によると、この森を突っ切った先にアジトはあるみたいだけど……」
「ぷるぷる」
日向汰は手元の地図に目を落とす。男に描かせた地図にはでかでかと森と書かれてあるだけで、具体的な森の抜け方は記されていなかった。
(あの野郎次会ったら叩きのめしてやる)
そんな誓いを、日向汰は胸の奥底に立てる。その僅かな殺気を感じたのか、ライミーはぶるりと体を震わせた。
森の中は目印になるようなものはなく、ただ同じような景色が続くばかり。一直線に進んでいるとはいえ、こうも単調な景色が続くとなると、方角も見失いそうになってしまう。
「ライミー、お前方角とかわかるか?」
「ぷる?」
「ああ、その様子だとダメっぽいな」
やはりと言うべきか、ライミーも疑問の声を漏らすばかり。迷ってしまわないよう気を付けながら、一人と一匹は森の深くへ足を進めた。
*
「……なんか、森の様子がおかしくねえか?」
「ぷる……」
日向汰は森の様子に、ある疑問を覚えた。というのも、先ほどから森のあちらこちらで破壊の跡が見受けられるのだ。木々が抉れていたり、地面が焼け焦げていたり、大岩に何かがめり込んだ跡があったり……。
そんな、不審な破壊跡が森の至る所に散在していた。この破壊跡は自然に出来たものではなく、どちらかと言えば人為的に引き起こされたもののように、日向汰には見えた。
もしかすると、この破壊跡の正体はまだ近くにいるかもしれない。日向汰は警戒を強めながら、しかし好奇心も忘れずに森の中を進んだ。
森の奥に進むにつれて、破壊跡はどんどん多く、大きくなっていく。そして、一際大きなクレーターの中心に、少女はいた。
背丈はおそらく子供ほど。金の長髪は所々はねっ毛が目立ち、水色の羽衣をその身に纏っている。靴や靴下の類は履いておらず、その手にはステッキのようなものが握られていた。
そして何より目を引くのが、背中から伸びる一対の美しい羽。その少女は、薄暗い森の中で太陽の光を浴びて、一際異彩な存在感を放っていた。
「あいつ、こんなところで何してんだ?」
見れば少女の傍らには、気を失っているのか、倒れ伏している男達がいる。
男達の風貌は、どことなく先ほど襲ってきた盗賊達と似ている。少女はあの男達と一悶着あり、返り討ちにしたのだろうか。
もう少し近くで様子を見ようと、日向汰は一歩前進する。しかし運の悪いことに小枝を踏み抜いてしまい、パキリという乾いた音を周囲に響かせてしまった。
「……誰?」
流石にこの状況で隠れてるわけにもいかず、日向汰は観念して少女の元へと姿を見せた。
突如現れた日向汰に少女は訝しんでいる様子だったが、日向汰の肩にライミーがいるとわかった途端、その表情が氷のように冷たいものとなる。
「ああそう、あんたもこいつらの仲間ってわけね。しかも、そんな小さな魔族にまで手を出して……。やっぱり痛い目に遭わないとわからないってわけ?」
「おいおい待てお嬢ちゃんよ、俺は別にそいつらの仲間じゃ」
「問答無用! 懺悔はあの世ですることねっ!」
「話聞かねえなこいつ!?」
その少女はもはや弁解の言葉など聞く気はないようで、問答無用で日向汰に襲い掛かってきた。
日向汰は咄嗟にライミーを放り、少女の振るう一撃を受ける。その華奢な細腕のどこにそんな力があるのか、鈍器のように振るわれたステッキは、ともすれば日向汰と同等の力が込められていた。
日向汰と少女の衝突により、地面には小規模のクレーターが出来上がる。生み出された衝撃は木々を揺らし、地を抉った。
ライミーは衝撃の余波で吹っ飛ばされないよう、なんとか大樹に捕まっている。その後も二人が衝突するたびに衝撃が迸り、緑豊かな森は一変して破壊跡溢れる荒野と化していた。
「ふうん、なかなかやるじゃない。あたしの全力についてこれたのは、人間ではあんたが初めてよ!」
「そいつはどうもっ!」
誤解を解きたい日向汰とは反対に、少女の攻めには容赦がない。日向汰は致命打を貰わないよう立ち回りつつ、なんとか会話を試みる。
「なあ、だからさっきから言ってるように、俺は盗賊共の仲間なんかじゃねえって!」
「ハッ、口では何とも言えるわよ! それに、あんたの面ってどう見ても悪人のそれじゃない!」
「誰が悪人面だこの野郎! 言って良いことと悪いことってもんを知りやがれ!」
「あたしは野郎じゃなくて妖精よこのボケナス!」
「そうかそりゃ悪かったな妖精さんよ!」
もはやただの口喧嘩になりつつある二人の争いは、しかし徐々に熾烈さを増していった。ステッキと拳が幾度となくぶつかり、火花を撒き散らす。
現時点で、互いの力は互角。このままでは埒が明かないと、少女は日向汰から一度距離を取った。
「ええい、じれったいわね! これならどう!」
そう言って、少女――もとい妖精は、先ほどまで鈍器のように振るっていたステッキを天に掲げる。そして、ステッキの先から黄色い閃光が迸り、触れた枝葉を容赦なく焼き焦がしていく。
「くたばれぇぇぇぇっっっ!」
そして妖精は、ステッキを日向汰へと振りぬいた。それに呼応するように、迅雷が日向汰めがけて一直線に地を駆ける。
――『雷光』。雷を操り、触れるもの全てを焼き焦がす、妖精の魔法の一つ。当然、そんなとんでもないものを生身で受ければ、のっぴきならないことになるのは間違いない。
「面白れぇっ!」
しかし、そんな雷光を前にしても、日向汰は怯え一つすら見せなかった。まったく何一つとして面白い状況ではないが、危機が間近に迫っている本人は何やら興奮している様子。
真性のドMか、はたまた頭のねじのふっとんだ狂人か、あるいはただのバカか。
――否、そのどれでもない。このくらい打ち破って見せるという、少年の確固たる意志がそこにはあった。
そして、雷光と少年が遂にぶつかり合う。轟音が辺りに響き渡り、白光が爆ぜ散った。ライミーは今も、爆風に飛ばされないよう大樹にしがみつくのに精いっぱいといった様子で、戦いの成り行きを見守っている。
……やがて光は収束し、巻きあがった砂塵も晴れていく。そして、迅雷と少年の激突の結果が次第に露わとなった。
「ぷ、ぷる……」
そこには、草木一つない焼け野原が広がっていた。一面には雷光によって焼けこげた跡があるばかりで、他には何もない。ただ、その跡の中心に、全身から煙を出しながらも、しかしその足で大地に立っている日向汰の姿があった。
「嘘……」
まさか耐えられると思っていなかったのか、妖精は思わずステッキを落としてしまう。未だプスプスと煙を出しながら、しかし日向汰は首を鳴らし、余裕の笑みを浮かべていた。
「クックック、少しは効いたぜ」
どこの悪役だお前は。
「……ちぃ! なら、完全に消滅するまで、何度でも叩き込むまでよ! 絶対に倒してやるんだから!」
こっちはこっちで主人公みたいになっている。ただ、これ以上両者が激戦を繰り広げてしまえば、最悪森そのものが消滅しかねない。
ライミーは意を決し、二人の間に割って入った。拳と拳がぶつかる寸前で、二人は慌てて急ブレーキをかける。
「ライミーっ!?」
「危ないから下がってなさい、巻き込まれるわよ!」
驚くのは日向汰、嗜めるのは妖精。しかしライミーは一歩も退かず、妖精に体全体を使って訴えかけた。
妖精に日向汰の言葉は届かない。盗賊の仲間だと決めつけているから。
けれど、ライミーの言葉なら? 他ならぬ魔族の言葉なら、きっと妖精も耳を傾けてくれるはず。
なにより、自分を助けようとしてくれている人達が、勘違いをしたまま争いを続けるのは見ていられない。
ライミーはここ一番というところで、なけなしの勇気を振り絞った。
「どきなさい、スライミーッ!」
「ぷ、ぷるっ!」
「え、勘違い? 何が?」
「ぷるっ、ぷるっ!」
必死に訴えかけるライミーを無視できず、妖精は渋々といった様子で拳を下ろした。ライミーの話に耳を傾けていた妖精は、時に憤り、時に悲しみ、そして……。
「えっと、それ、ほんと……?」
「ぷる! (特別意訳 ほんと)」
「え、じゃ、じゃあ……」
油の差していないブリキ人形のように、ギギギとぎこちない動きで妖精は日向汰を振り返った。さっきまでの気迫はどこへやら、顔色がとんでもなく蒼白になっている。
そして、妖精はふわふわと日向汰の前まで赴き――。
「すみませんっでしたぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!!!!」
――と、男勝りな謝罪を見せた。文句のつけようもない、美しく素晴らしい謝罪である。
「お、おう……。まあ、顔を上げろよ妖精さん」
「いいえっ! この事態は、ろくに確認もせず突っ走ったあたしに全ての責任があるわ! この責任は、あたしの首を持ってっ!」
「いらんわ馬鹿め」
「あいたっ!?」
未だ顔を上げない妖精の頭をゲシッと叩き、無理やり顔を上げさせる。翠色の瞳はうるうると涙ぐんでおり、少しでも気を抜けば号泣してしまいそうだった。
また頭を地面に埋める勢いで下げる妖精を宥めながら、日向汰とライミーは妖精が落ち着くのを待った。




