36.「数奇な運命はまた巡る」
「ふーっ、こっちに帰ってきて早々に意識を手放す羽目になるとは……。危うく呪いの世界にとんぼ返りするところだったぜ」
「ご、ごめんね?」
首元を押さえ、衝突された際のダメージが残っていないかを確認する。その傍らで、先ほど勢い余って涼透を気絶させたローネは、バツの悪そうに顔を伏せていた。
「なに、無事だったんだし気にするな。それよりもローネ、そのバスケットは?」
「あ、忘れてた。涼透が帰ってきたら一緒に食べようと思って、食堂から貰ってきたんだ~」
「貰ってきた?」
ローネは落としたバスケットにパタパタと駆け寄り、両手に抱えて持ってくる。バスケットの中には焼き立ての香ばしいパンがぎゅうぎゅうに詰まっており、その香りはしばらく何も口にしていなかった俺の食欲を否応なしに掻き立てた。
「お、こりゃ旨そうだな。一個貰っていいか?」
「もっちろん! 一緒に食べよ!」
俺達はベッドに腰掛け、並んでパンを頬張った。じんわりとした甘みが口内に広がり、すっかり空腹となった腹と食欲を満たしてくれる。やっぱり生とは素晴らしい。
「涼透、もう呪いは大丈夫なの?」
「ん? ああ、御覧の通りばっちりだ。心配かけて悪かったな」
「ううん、いいんだよ! 涼透が元気なら、それでね!」
そう言って、ローネはにーっと満面の笑みを向けてくる。お返しとばかりに、俺も満面の笑みを返してやった。……なんだこの絵面。
その後しばらくの間は黙々とパンを食べ進め、気が付いたころにはバスケットは既に空になっていた。もうちょっと食いたかったけど、残念だ。
「さて、と。パンも食い終わっちまったな。このバスケット、戻しに行った方がいいのか?」
「……う、うん。そうだね」
「ん? どうしたよ」
珍しく、ローネに元気がない。不思議に思ってローネを見てみれば、もじもじとしきりに指を動かし、何かを言い淀んでいる様子だった。
「……」
顔は俯いており、その表情は伺えない。そんな時間がしばらくたったある時、ローネは意を決したように顔を上げ、こちらに向き直った。
「……ごめんね。私のせいで、涼透に辛い思いをさせて……。私が、もっとちゃんとしていれば、こんなことには……」
「ローネ……」
そういえば、俺が呪いを受けたのはローネを庇ったからだったか。激痛のせいであの時の記憶はあまりないが、それでも無我夢中だったのは覚えている。
ずっと、ローネはそれを気に病んでいたのだろう。俺がこうして生きて帰ってきたからいいものの、もし死んでいたとしたら、ローネは俺の死をずっと背負って生きていくことになる。
ローネの顔をよく見てみれば、頬が若干やつれているのが見える。それに、肌にもいつものような張りがなく、色合いもくすんでいた。
自己犠牲なんて言うのは、体のいい言い訳だ。死んだ本人は満足かもしれないが、助けられた者は、一生そいつの死を背負うことになる。言ってしまえば、生きている奴にただ責任を押し付けているだけに過ぎない。
あの時も、俺はローネの代わりに死ぬつもりは微塵もなかった。
それでもローネを庇ったのは、これは驕りでも誇張でもなく、もしあの時呪いを受けたのが俺ではなくローネだったとしたら、間違いなくローネは死んでいたからだ。あの呪いはそれほどまでに強力で、無慈悲だった。
だから、俺が勝手にやったことで、ローネが気に病む必要はない。……そう、言葉にするのは簡単だ。
――しかし。
(気にするな……っていう方が無理な話か)
気にするに決まっている。もし俺が逆の立場だったとしたら、一生引きずってしまう自信があるからな。安易な言葉は、余計にローネを傷つけるだけだ。
軽口一つ叩くことも憚られるような、重苦しい空気が部屋の中に満ちる。まっすぐに俺を見つめるその翡翠色の大きな瞳には、不安と怯えが見え隠れしていた。
こういう時、なんと言ってやるのが正しいのだろうか。酸いも甘いも噛み分けた、人生経験豊富な中年とかであれば、気の利いた言葉の一つでも出てくるのかもしれないが、あいにくここにいるのは青春真っ盛りの中学三年生である。
言葉を飾るなんて、そんな器用な真似は出来ない。なら、今俺が思っていることを、率直に伝えるだけだ。
一度息を吐き、俺もローネに向き直る。その翡翠色の大きな瞳をまっすぐ見据え、言葉を紡いだ。
「正直、あのラファリって奴は何枚も上手だった。俺も、あいつの真意に気付けたのは偶然だったしな」
「……でも」
「だから、お互い様だ。誰かが悪いんじゃなく、全員が悪い」
「お互い、様……?」
「そう、お互い様。それにローネだって、呪いを受けた俺のことを守ってくれてただろ? ありがとな、助かったぜ」
「そんな、お礼を言うのはこっちの方だよ。あの時助けてくれて、ありがとう。……あ、これももしかして、お互い様?」
「イエス、お互い様。じゃ、過ぎたことについてはこれでお終い、それでいいだろ?」
「うん! えへへ、やっぱり涼透は涼透だね!」
「そりゃもちろん」
ローネの顔にも笑顔が戻り、重苦しかった空気が一変して和気あいあいとしたものとなる。うんうん、やはりローネはこうでなくては。
「……あ、そういや俺が呪いの世界に誘われてから、どのくらいの時間が経ったんだ?」
「え? んーっと、確か三日間くらいだよ」
「三日!? そんなに経ってたのか」
体感では数時間ほどしか経っていなかったが、まさかそんなに経っていたとは。あの世界とこちらの世界とでは、時間の進み方が違ったのだろうか。なんとも摩訶不思議である。
「ミネや裕はどうしてるんだ?」
「あー、ミネと裕君なら今は町に出かけてるよ。情報を集めるためだーっていってね」
「情報? クリーチャーのか?」
「うん。でも、涼透が戻ってきた時に誰もいないのは寂しいだろうなって思って、私はずっと残ってたんだー」
どうせ情報収集じゃ役に立たないしねー、とローネははにかむ。なんだこの猫娘、可愛すぎか。
「よーっし、涼透も無事に戻ってきたことだし、ミネ達のところに行こっ?」
「おう。町の案内は頼むぜ」
「うん、まっかせて! さー、しゅっぱーっつ!」
ローネに手を引かれながら、俺は部屋を出る。呪いに散々苦しめられた分、町の観光を思いっきり楽しんでやろうと、密かに決意を固めた。
*
温泉宿を出てしばらく、俺とローネは町の中を散歩していた。現在ミネと裕がどこにいるかはわからないため、あいつらの捜索を兼ねての遊覧散歩といったところだ。
「うん! あ、あそこのお店寄っていこうよ!」
「おう。……ってまた飲食店かよ!」
これで連続四店目。ミネ達がいないとは限らないが、どう考えても人探しなどではなく、ただの飲食店巡りとなっていた。大食いにもほどがある。
「ふんふふ~んっ」
とはいえ、こんなに楽しそうにしている猫娘にそんなことを言うのは野暮というもの。喉から出かけた言葉を飲み込み、俺はローネにどこまでも着いていく姿勢を取った。まあ、俺も美味いものは食いたいですし。
その後しばらくローネの飲食店巡りは続いたが、(ローネがお勧めしてた喫茶ローランにも立ち寄った)無限に続くかに思われたそれは、ミネから預かっていた巾着袋が空になることによって図らずも終わりを迎えることとなる。
有り金が尽きたことを悟ったローネの表情は、この世のどんな言葉に語りつくせないほどの絶望に染まっていた。その負の感情は、おそらくあの呪いすら越えている。
「と、とりあえずミネ達を探そうぜ」
「うん……」
未だ絶望の表情はぬぐえぬまま、しかしこのまま立ち尽くしているわけにもいかないため、俺とローネは飲食店巡りからミネ達の捜索へと目的を変える。
「この町で情報を集めるとしたら、どこなんだ?」
「えっと……さかな?」
「……魚? 魚市場とかか?」
魚と情報、この二つに果たしてなんの結びつきが。
もしやこの町は漁業が盛んなのではと思考を巡らせていると、ローネは違う違うと首を振った。
「ううん。確か、お酒が出てくるところだって」
「ああ、酒場か」
「おお、それそれ! よくわかったね!」
「いやなんで酒場と魚を聞き間違えるんだよ。さしか合ってねえぞ」
「えへへ、私ってお酒飲めないから、つい聞き流しちゃって」
「お前な……」
照れくさそうに頬をかくローネに呆れつつ、俺達はこの町で一番大きいという酒場へと向かった。ミネ達が情報を集めているというならば、情報の集まるところを当たっていけば見つけられるはず。
無事酒場の前に辿り着き、酒場の窓から軽く中の様子を伺ってみた。さすが酒場というべきか、まだ昼間だというのに、かなりの賑わいを見せている。
筋骨隆々の大男に、ぶつぶつとうわごとを呟く老人。賭けに興じる女性もいれば、酒を盛大に呷る青年もいる。確かにこれなら、いろんな情報が集まりそうだ。
酒場の中の様子を見ながら、同時に裕とミネの姿がないかも確認する。そして、カウンター席にその姿があるのを確認したところで、ローネと共に酒場に入った。
「ミネ、裕君! やっと見つけたーっ!」
「ん?」
ミネ達の姿を見つけたローネは、一人と一匹のいるところまでパタパタと駆け寄った。後に続いて、俺もミネ達の元へと歩いていく。
「よう、三日ぶり……なんだってな。元気してたか?」
「涼透! よかった……。本当に、よかった! 無事に、帰ってきたんだね!」
「おう、御覧の通りな。ぶっちゃけめっちゃ死にかけたけど、まあなんとかなったぜ」
「そ、そうなんだ……。いろいろと話したいこともあるけど……、まずは町を出るのが先かな。ここじゃ、何かと不自由だしね」
「不自由? ……ああ、そういうことか」
裕の言葉に初めは疑問を覚えたが、フードを深く被っているローネや、ぷるぷると震えた様子で沈黙を貫くミネを見て、その言葉の意味にようやく辿り着いた。
ローネとミネは町の中ではただの人間と猫の振りをしなくてはならないため、何かと人目に付くこの場所ではおちおち話もままならない。
というわけで俺達は酒場を後にし、入った時と同じ門から町の外へ出た。そして、ある程度レーヌの町から離れたところで、ようやく足を止める。
「ふう、やっと話が出来るよ。ずっと無言でいるのも、もうそろそろ限界だったし」
「私も―。フードを被りっぱなしだと、音が聞こえ辛くてやんなっちゃうよ」
ローネとミネは、町の中とは打って変わって足かせが取れたように生き生きとしていた。やはり不自由を強制されるのは、精神的な疲弊が溜まってしまうようだ。
しばらくは解放の喜びに浸っていたミネだったが、コホンと咳ばらいを一つし、話を切り出した。いつになく、神妙な顔つきで。
「さて、いいタイミングで戻ってきたね。この町での情報は粗方集め終えたから、涼透が戻ってきたタイミングで出発しようと思ってたところだったんだ」
「そうなの?」
「ああ。クリーチャーについてと、涼透達について。この二つは別々に解決していこうと思ってたけれど、もしかするとそうもいかないかもしれない」
「……どういうことだ?」
ミネは一度間を置き、頭の中を整理するように息を吐く。そして、町で得た情報を話し始めた。
「涼透達がこちらに来るきっかけとなったという渦巻きは、おそらく時空転移に類する魔術だ。そして、この町の中にも似たようなものを見たという人がいてね」
「似たようなものを……?」
「そう。そしてその渦巻きから出てきた人物というのが、あの時のクリーチャーの特徴と似た人物らしい。まったく、運命というのはどこまでも捻くれてるもんだ」
ミネは嘆息する。どうやら俺達の行く旅路は、一筋縄ではいかないらしい。
「まあつまり、あんまりのんびりしていられる暇はないってわけだ。涼透さえ良ければ、すぐにでもこの町を発ちたいんだけど」
「ああ、わかった。もうちょっと町の観光とかしてみたかったけど、それどころじゃなさそうだしな」
「そう言ってくれて助かるよ。よし、じゃあ出発しようか」
「おー!」
クリーチャーについて、渦巻きについて。
まだまだ先の見えぬ旅路だが、終着点に向かって、確実に歩みを進められている。この先に待ち受けている運命がどんなものであろうと、この歩みを止めることは決してない。
ミネの先導の元、俺達はまた新たな旅路へ足を踏み出した。
*
――ところで、誰か忘れていないだろうか。
「ん、んん……」
――涼透達とは別の場所で目覚めた、ある少年のことを。
「ん……、どこだ、ここは?」
――数奇な運命はまた巡る。少年達の織り成す冒険は、まだまだ波乱に満ちていた。




