35.「再会の約束」
核を砕かれたことによって、その巨体を維持することが出来なくなってしまったのか、ナイトメア・ドラゴンの身体が音を立てて崩壊を始めた。
『GAAAAAAAAAAAAAAAAAaaaaaaaaaaa!!!!!!!』
だが、ナイトメア・ドラゴンの叫びはまだ続く。それは最期の足掻きか、それとも断末魔の叫びか。どちらにせよ、その大音声の叫びを間近で受けてしまい、俺の身体は遥か後方まで吹き飛ばされる。
受け身一つとれぬまま地面に叩きつけられ、一瞬意識が飛びそうになった。
限界以上に身体を酷使し、文字通り精魂尽き果てた俺には、もう立ち上がる気力も体力もない。全部すっからかんである。
「いっつつ……。あんの野郎、最期の最期まで足掻きやがって……いやほんとめっちゃいてえ」
猛攻を仕掛けていた時はアドレナリンやら気合やら意地やらで痛みをどうにか誤魔化していたが、こうして戦いが終わったとなると、無理をし続けてきた反動が容赦なく襲い掛かって来る。なまじ意識だけははっきりしている分、その苦しみは半端ではなかった。
そんな苦しみに人知れず悶えていると、俺のすぐそばまで誰かの足音が響いて来るのに気が付いた。痛みを訴える体を何とか動かし、上半身だけを起き上がらせてその足音の主を見上げてみれば、その足音の正体はリムだとわかった。
「お疲れ様、四谷。あのおっかない龍も、遂に消え去ったわ。……あなたの意地が勝ったのよ」
「そっか。ま、俺一人じゃ間違いなく死んでただろうけどな」
「でしょうね。ふふん、完璧で可愛らしい私に感謝なさい。そうね、貸し一億っていったところかしら?」
「桁がとんでもなく跳ね上がってんぞ。……でも、ありがとな、リム」
「……ええ、どういたしまして」
リムも隣に腰を下ろし、共に同じ景色を眺める。戦いの舞台となった荒野は、その激戦の爪痕を至る所に残していた。
「いやー、それにしてもあんな奴によく勝てたもんだ。弱点様様だな」
「そうね。まあ、その弱点を突くのも全然楽じゃなかったわけだけど。私もあなたも、すっかりボロボロだし」
「まったくだ。お前なんか、いろいろと見えそうになってるしな」
「見えそう?」
リムの着ているフリルのあしらわれた漆黒のドレスは、今や虫食いのように穴だらけになっており、肌の露出が著しくなっている。本当に、辛うじて最低限の部分を隠しているといった状態だった。
そのことにようやく気が付いたようで、リムの頬がほのかに赤く染まる。
「……エッチ。あ~あ嫌だわ、やっぱり男ってのはケダモノね。許可もなく私の滑らかな肢体を舐め回すように見るなんて、万死に値する狼藉よ」
「はっはっは。安心しろよ、お前なんぞに欲情なんかしねえから」
「それはそれでなんかムカつくわね。こんなに可愛くて健気な美少女を捕まえておいて、何たる塩対応。ぶっころ案件にもほどがあるわ。ほら、この愛嬌溢れる顔立ちに、上品さと気高さを兼ね備えた艶めく銀の髪。誰もが羨むような滑らかな白い肌に、万人をも魅了する魅惑的なこのスタイル。どれをとっても、一級品だという自負があるのだけれど?」
肌を露出している状態を恥ずかしがっていたのが一変し、自らの肢体を見せつけるようにリムは蠱惑的なポーズを取った。さすが自称完璧究極美少女なだけあって、自己肯定に余念がない。
「いくら顔やスタイルが良くても、性格が最悪じゃなあ。百回くらい生まれ変わったら考えてもいいけど」
「今の私全否定!?」
「あと俺の方が可愛いし」
「なんで可愛さで張り合って来るの!? せめてもっと別のところで勝負しなさいよ!」
「いやだって、相手の土俵に立って完膚なきまでに叩き潰すのが、一番相手の心を折りやすいからさ」
「……私が言うのもなんだけど、あなたも大概捻くれた性格してるわよね。逆に感心するわ」
「はは、案外似た者同士なのかもな、俺達」
その後も他愛のない会話をしばらく続けていたところで、どこからか薄く光が放たれていることに気が付いた。呪いのそれとは違った、暖かな白い光。
はて、この光は一体どこから――。
「……ねえ四谷、あなたなんか消えかかってない?」
「へ? うわマジだ! 手めっちゃ透けてる!」
――俺からでした。なんということでしょう。
*
リムに指摘されたことで、涼透も自身の身体の異変にようやく気が付いたようで、驚きのあまり素っ頓狂な声を上げてしまっていた。
よくよく見れば、透けているのは手だけではない。体全体から光の粒子が溢れだし、その粒子の量に比例するようにして、涼透の身体も徐々に透明度を増していた。
「呪いの大元を倒したから、この世界から解放されてる……てことでいいのかしら? 見れば、周りの風景もなんだかひび割れているし」
「なるほどなあ。……てことは、もう別れの時か」
リムの言葉の通り、先ほどまで荒野が広がっていた景色が、外側から音もなく崩れ去っている。完全にこの世界が消え去るのも、もう時間の問題だろう。
「……そう、お別れ、ね。なんだか寂しいような、名残惜しいような、不思議な気分だわ。あなたの存在が、強烈過ぎたからかしら?」
「そんなに強烈だったか? 俺としちゃ、お前の方がよっぽど強烈だったけどな」
「それはそうでしょう。私という究極至高の存在を、忘れられるわけにはいかないもの。……だから、現世に帰っても、私のことを記憶の片隅にでも覚えておいてね」
「ああ。お前みたいな奇天烈極まりない破天荒娘なんて、忘れたくても忘れられねえしな」
「そ。ふふ、それを聞いて安心したわ。本当はもう少し話をしたいけれど、もうそんな時間もないみたいね」
「そうみたいだな、残念だ」
リムはその口元に柔らかな笑みを浮かべ、気丈に微笑んだ。悲しい別れはしたくない、奇跡のような出会いによって出来た友達を、最後は笑って見送りたい。
胸に宿る哀愁の想いを必死に押し留めながら、リムは笑顔を作り続けていた。……涼透とは、もう二度と会えないとわかり切っているから。
本来、生者と死者が交わり合うことなどありえないことだ。ましてやその奇跡を二度も望むなど、虫が良すぎるにもほどがある。
――だからこそ、リムは笑う。最後の別れを、一切の憂いのない晴れやかなものにするために。
「だから、長話はまた今度にしようぜ!」
「……え?」
しかし、涼透はそんなリムに対してにっと笑みを浮かべ、あっけらかんとそう言い放った。また今度と、そう、確かに。
涼透は、リムとの再会を一片も疑っていなかった。その事実が、リムの顔から偽りの笑みをはぎ取り、素の表情を引き出す。
「お前とは、まだまだ話したいことも盛りだくさんだしな。どれくらい先になるかはわからねえけど、その時を楽しみにしてるぜ」
「本当に、あなたは……どこまでも、変わった人ね。……うん、私も楽しみにしてる」
――だから。
「だから、――また会いましょう、四谷!」
「ああ。――またな、リム!」
――さようならは、言わない。
呪いの世界で出会った二人は最後に握手を交わし、心からの笑顔で再開を約束した。
やがて、涼透の姿は光とともに完全に消え去っていく。その光の粒を、リムは最後の最後まで愛おしそうに眺めていた。
*
「行っちゃった、か」
涼透の姿が完全に消え去ったことを確認したリムは、すっとその場に立ち上がり、汚れを払い落す。
思い返せば、これまでずっと驚きの連続だった。
自分の姿を視認できる生きた少年がいたかと思えば、すぐに得体の知れない世界で再開する。
そして共に行動し、果ては共闘までするだなどと、果たして誰が想像できただろうか。
「まさか、この私に友達が出来るなんてね。今まで絶望せずに生きてきてよかったわ。……まあ死んでるけれど」
崩壊する世界を歩く、少女の足取りは軽い。そしてその表情は、まるで憑き物が落ちたかのように晴れやかだった。
「ふふん、次会った時は、再会を祝してほっぺにちゅーでもしてやろうかしら。慌てふためく四谷の顔が目に浮かぶようだわ」
フフフフフと、リムの口元から邪悪めいた笑い声が漏れる。再会した際にはどうしてやろうかと妄想を膨らませていたが、不意にピタリとその足取りが止まった。
「……あれ? そういえば私、どうやってここから出ればいいのかしら?」
その後、リムがなんやかんやあって崩壊する呪いの世界から脱出できたのは、また別の話。
*
ちゅんちゅんと、小鳥のさえずる声が聞こえる。窓の外から差し込む柔らかな陽光が優しく頬を撫で、朝の訪れを教えてくれた。
その陽光に導かれるようにして、俺はゆっくりと目を覚ます。上半身を起こし、眠気を覚ますように目をこすった。
「……え、っと。俺は、確か……」
そして微睡んだ意識のままで周囲を見渡し、そこが洞窟や荒野などではなく、あるどこかの部屋の中なのだと気が付いた。はて、ここは一体……。
(ああ。そういや、温泉宿に来てたんだっけか。なんだか記憶があいまいだな)
正直なところ、俺は温泉宿に来るまでの経緯をほとんど覚えていなかった。呪いによる激痛が走る中、気合と空元気で無理やり体を動かしていたからな。
だが、今はもう痛みも吐き気もなく、いたって正常であり健康そのもの。身体のどこを見渡しても、その身を蝕んでいた黒い模様はなく、呪いはすっかり解けたようだ。
俺が身体の無事を確かめていると、不意に部屋の扉がガチャリと開く。そして、開いた扉の隙間から、ローネが室内を伺うようにひょこりと顔を出した。
呪いの世界で激闘を演じていたせいか、やけにローネの姿が懐かしく感じてしまう。そして同時に、ようやく生還できたという実感が湧いてきた。
――ローネと目がバッチリ合う。安心させるためにも、呪いはもう解けたことを教えてやらなければ。
「ようローネ。心配かけたみたいだけど、もうすっかりこの――」
「涼透ぉぉぉぉーっっっう!!」
「げふぁあ!?」
俺が何かを言うより早く、ローネが飛び掛かってきた。勢いのままに、感情に任せるようにして。
涙を滲ませながら、ローネは嗚咽を漏らし、しゃくりあげる。
……それだけ、俺のことを心配してくれていたのだろう。出来るところなら、その涙をぬぐうために、いつものような軽口の一つでも叩いてやりたいところだが――。
――今の俺には、それが出来なかった。
「よかったぁ……って死んでるぅぅぅーーーっっっ!?」
ローネの直撃を受け、気絶してしまったから。流石、怪力娘――ガクッ。