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32.「四谷涼透<グロウアップ>」

 二人の間に戦慄が走る。空に在るのは、圧倒的な数の暴力。

 一体だけなら、ナイトメアは涼透でも難なく倒せる相手だ。だが、それはあくまでも一対一での話である。


 覆りようのない戦力差を涼透はいち早く理解し、その場からの逃走を選択した。リムの手を引き、爆撃のように降り注いでくるナイトメアの群れをギリギリで躱しながら、ひたすらに走り続ける。


「ああくそっ、次から次へと厄介なっ!」

「あなたって、そういう星の下に生まれてるのね。ある意味尊敬すら覚えるわ」

「まったくだ! 今まで苦労の連続だったよ!」


 中でも今回はぶっちぎりだけどな、と涼透は心の中で毒づく。言葉遣いこそ乱暴になっているが、冷静さは失っていない。

 浮島から浮島へ。袋小路に誘われないよう、涼透は退路の取捨選択を常に行っていた。この浮島の上には遮蔽物が何もないため、身を隠せるような場所はない。


 つまり、涼透達が今取れる選択肢は、あの群れに立ち向かうか逃げ続けるか、その二択のみだ。しかし窮地において力を発揮する日向汰ならいざ知らず、涼透があの群れに立ち向かったところで、すぐに力尽きてしまうのは目に見えている。


 だからこそ、涼透は足を止めなかった。逃げ続けながら、それでいて頭をフル回転させ、この窮地の中に活路を見出そうとする。


「ッ!」


 しかし、ナイトメア達もただ追うばかりではない。空から追い撃つ本隊とは別に、機動力の高い別動隊が先回りして涼透達の退路を塞いだ。


 ここで足止めを食らえば、後方を飛んでいる本隊に追いつかれるのは時間の問題である。涼透は呼吸を整え、前方を陣取るナイトメア達を突破すべく、気合の雄叫びと共に駆け出した。


「まず一体!」


 木刀による横薙ぎの一閃が、今まさに飛び掛かろうとした目前のナイトメアの横腹を捉え、湖に叩き落とす。

 しかし、それを見計らったかのように、左右から二体のナイトメアが涼透を挟撃する。爆炎と共に二体のナイトメアは加速し、その命を刈り取らんとけたたましい叫びを上げた。


「なんの!」


 だが、涼透は体を後方に倒し、回転するように後ろに飛び退くことで、その猛攻を回避する。対象が突然視界から消えたナイトメア達は突然のことに進路を変えられず、勢いよくその巨体をぶつけ合った。


 炎が爆ぜる音と共に、二体のナイトメアは消滅する。

 これで涼透は確信した。このナイトメア達は、力はあっても知能は低いと。連携などあったものではなく、ただがむしゃらに突撃し、暴力を撒き散らすのみ。


 しかし、だからといって決して油断をしていいわけではない。ナイトメアに知能こそないが、同時に痛覚も恐怖もない。だからこそ、自分が捨て駒になることなど顧みない。


(そのあたりは、魔物と変わらねえな……!)


 余計な戦闘をせず一直線に集中突破することで、なんとか別動隊をやり過ごし、涼透達はようやく湖のエリアから抜け出すことに成功した。


 湖のエリアの次は、岩肌が剥き出しとなっている、荒野のようなエリア。洞窟から湖にエリアが切り替わったときのように、今回もまたエリアの切り替わりは唐突だった。


 しかし、エリアが変わってもナイトメア達の猛撃が止むことはない。足場が確保できたことで先ほどよりかは幾分戦いやすくなったが、依然として涼透達の状況は不利のままである。


「……ち、またか」

「ほんっと、しつこいわね。でもあいつ、他の個体と違ってなんだか色が赤いような……?」


 息を切らし始めた涼透の前に、一体のナイトメアが立ちはだかった。リムの言葉通り、そのナイトメアは他の個体とは違って、体がより赤色に近い紫をしている。

 また、その体躯も他の個体と違って一回りほど大きい。気を引き締め、涼透が迎撃の構えを取ろうとしたところで――。


「――ッ!?」


 ――突然、涼透の体が崩れ落ちた。


 何が起こったのか理解が及ばないまま、涼透は片膝をついてしまう。

 木刀を地面に突き立てることでどうにか倒れることだけは回避したが、なぜか呼吸が整わない。


 まるで体力を使い果たしてしまったかのように、疲労と倦怠感が身体を支配していた。


(……何を……された……!?)


 意識が朧げになる中、涼透は歯を食いしばって目をこじ開け、赤いナイトメア――紅蓮のナイトメアを見据えた。唐突に体力がなくなったことと、目の前の存在が無関係であるはずはない。


 木刀を握る手に力を籠め、涼透は残った体力を振り絞って立ち上がる。息も絶え絶えなその姿を、リムは心配そうに見つめていた。


「あなた、大丈夫なの……?」

「……ハッ、あたり前だろ」


 そんなリムに対して、涼透はそう笑ってのける。これくらい、なんてことはないと。

 だが、血の気を失った顔に、額に滲む汗。そして肩で息をするその姿は、とても見ていられるものではなかった。


 ――それでも、涼透は行く。虚勢を張って、偽りの笑みを張り付けて。己の意地を、貫き通すために。


「かかって来いやぁっ!!」


 涼透は紅蓮のナイトメアの前に立ち、自らを鼓舞するように声を張り上げる。その涼透の雄叫びに呼応するかのように、紅蓮のナイトメアも咆哮を上げた。

 一人と一体は、荒野の上で対峙する。洞窟での戦いの時とは違い、今度は涼透から仕掛けた。……もう涼透には、相手の攻撃を待つ余裕がなかったからだ。


 気合の叫びと共に、涼透は荒野を駆ける。勢いのままに木刀を紅蓮のナイトメアの頭部めがけて振り下ろし、一撃必殺を狙った。


 ――だが。


「あぐッ!?」


 体力を著しく失った涼透の攻撃は、やはり軽かった。紅蓮のナイトメアはがら空きとなっている涼透の腹部を、紫焔の尾で穿つ。

 まともに防御も出来ず、涼透は衝撃を殺せないままに地面を転がった。口から血を吐き、肺が圧迫されたかのような息苦しさに苛まれる。


 体中はズタボロになり、体力だって残り僅か。木刀を握ることすらままならなくなりつつあるその姿は、誰の眼にも弱々しく映る。


 ――それでも、少年は立ち上がる。一度で無理なら、二度でも三度でも、相手が倒れるまで何度でも。


 既に連戦に次ぐ連戦で傷だらけの体を酷使し、涼透は紅蓮のナイトメアからの追撃を防いだ。爆炎を迸らせる凶爪に木刀を滑り込ませ、弾き飛ばす。

 まだ涼透に抗戦の意思が残っていると見るや、紅蓮のナイトメアは涼透に対する攻撃の手を止め、後退した。


 あと一撃浴びせれば倒れそうな相手を前に、後退を選んだ紅蓮のナイトメア。その行動の真意を図りかね、涼透が様子を伺うために手を止めた、その時――。


 ――突如として、紅蓮のナイトメアの身体から赤紫色の光が放たれた。

 

 その瞬間、涼透は理解する。己の体力が消えたのは――否、奪われたのは、あの光によるものなのだと。

 それは、名付けるなら『エナジードレイン』とでも呼ぶべきだろうか。他者から強引に体力を奪い己のものとする、まさに強奪の光。


 避ける間もなくその赤紫の光を全身に浴び、涼透は自身の体から体力が抜け落ちていく感覚を覚えた。

 強い脱力感に襲われ、視界がぐらつく。全身から力が抜けていき、立っていることすらままならなくなってしまう。


(くっそ、そんなんありかよ……!)


 接近戦しか出来ない涼透にとって、エナジードレインはまさに反則技。ああしてずっと距離を取ったままエナジードレインをされ続けられれば、涼透に打つ手はない。


 木刀を投げ飛ばすという手段もあるにはあるが、しかしそれが出来るのは一度限り。

 しかも体力のほぼすべてを失っている今、投擲力にも期待は出来ない。少なくとも。紅蓮のナイトメアを一撃で仕留められる威力には到底及ばないだろう。


(まさに、万事休す、か)


 もはや、紅蓮のナイトメアの輪郭すらぼやけてしまう。ほんの少しでも気を緩めてしまえば、即座に倒れ込んでしまいそうなほどに、涼透は消耗しきっていた。

 これほどの逆境はいつぶりだろうか。今にも消えそうな意識の片隅で、涼透はぼんやりとそんなことを考えていた。


 クリーチャーと戦った時や、魔物と戦った時。そして、呪いをその身に受け、生死の境を彷徨っていた時。渦巻きに飲み込まれてからというものの、涼透は逆境続きである。

 それらすべてを、涼透は底なしの意地と揺るがぬ気合だけで乗り越えてきた。右も左もわからないような世界の中を、全力で生き抜いてきた。


 ――何のために? そんなもの、最初から決まっている。


(生きて、家に帰るためだ!)


 生きるために、何をするべきか。それは、他ならぬ涼透自身が良く知っている。

 最後の最後まであきらめないこと、そして、自分を含めたすべてを利用すること。それが、生きるために必要な事である。


 思い返せばこの呪いの世界に来てから――いや、渦巻きに飲み込まれてから、涼透は自分の力だけしか使っていなかった。しかもそれは、誰かから借りただけのモノ。これでは遅かれ早かれ、今と同じ状況になるのは目に見えている。


 ――すべてを、使え。


 今この状況にある、すべてを。目の前にいる存在を、打破するために。

 しかし、リムの力は借りられない。彼女は傍観者であり、見届け人に過ぎないから。


 それに、今ここで彼女の力を借りてしまえば、今掴めそうな何かを失ってしまうような気がする。漠然とした、それでいて確かに掴めそうな、何かを。


 ――極限まで、精神を集中させる。


 涼透には日向汰やローネのような、人智を越えた身体能力はない。裕やミネのように、奇跡のような癒しも、圧倒的な魔術も扱うことは出来ない。


 そんな彼が、唯一持ち合わせるモノ。すなわち、意地と気合。


 誰にも揺るがすことの出来ない、その不屈の精神力こそ涼透特有の個性であり真骨頂。そんな彼だからこそ、為し得る技がある。

 出来る、という確証があるわけではない。それでも、やって見せなければ。


 日向汰が、己の境遇を糧とし、夥しい戦歴の果てに強靭な肉体を作り上げたように。

 裕が、己を奮い立たせ、誰かのために癒しの奇跡を為したように。


 ――涼透自身もまた、己にしかない何かを掴み取らなければならない。この逆境を、乗り越えるために。


 無意識のうちに自身の左腕を紅蓮のナイトメアに向けて構え、己の全てをぶつけるように、涼透は叫び声を上げた。


「――調子に、乗んなァッッ!!!」


 その叫びに呼応するように、涼透の左手が赤紫の光を放つ。

 誰の記憶にも新しい、その赤紫色の光。それはまさに、紅蓮のナイトメアが涼透に向けて放った光と、まったく同じモノだった。


 その光を浴びた途端に紅蓮のナイトメアの動きが鈍くなり、逆に涼透は体の痛みが引いていく感覚と、少しばかり疲労が癒えたような充足感を覚える。


 ――エナジードレイン。涼透はつい先ほど受けたばかりのそれを、そっくりそのまま返して見せたのだ。

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