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31.「切り替わるエリア」

 周囲に残る炎の残滓もやがて燃え尽き、絶望によって生み出されたというナイトメアは、跡形も残さずに消え去った。


「ふう、終わったか」

「なかなかやるじゃない、ヨツヤ。ちょっとだけ見直したわ。ほんのちょっとだけ、だけど」

「そりゃどーも」


 汗をぬぐい一息つく俺に、リムはパチパチと賛辞の拍手を送ってくる。結局最期の最期まで、リムは傍観者のままだった。まったく、手伝いはしなくてもいいけど、応援の一つくらいは欲しいものである。


 その後、俺達の間に会話はなく、ただひたすらに洞窟の奥へと足を進めていた。永遠に続くかに思われた洞窟だったが、割とすぐにその終わりが見えてくる。


「……階段?」


 遠目からは行き止まりのように見えたが、近くで見ると、地面をくり抜くようにして階段が形成されていることに気が付いた。階段は今いる場所から遥か下に螺旋状に続いており、暗闇のせいでその先がどうなっているかは判別がつかない。


「ここしか進める場所はなさそうだし、下りるしかないわね」

「そうだな。暗いし、足を滑らせたりするなよ」

「はっ、誰にものを言ってるのかしら。この私がそんなへま――わっきゃぁっ!?」

「言わんこっちゃない」


 階段に向かって、華麗に足を踏み出すリム。が、俺の懸念通り足を踏み外し、遥か下へと転がり落ちていった。

 ため息をつき、派手に音を立てて転がっていったリムを追う。あいつの二の轍を踏まないよう、一歩ずつ慎重に階段を下りていった。


「……?」


 確かに階段を下りているはずなのに、まるで上っているかのような、というよりも宙を漂っているような、奇妙な感覚を覚えた。そして、そのまま階段を下っていると――。


 ――パッと、まるでテレビのチャンネルが切り替わるように、周囲の景色が何の前触れもなくがらりと一変した。


「は?」


 突然のことに、理解がすぐには追いつかない。それでもなんとか状況を確認しようと、俺は未だ混乱に囚われている思考を切り替えて、辺りを見渡した。

 そして、辺りの様相が定かとなる。ここは先ほどの洞窟とは違い、雲一つない青空がどこまでも広がっている大自然の中だった。


 辺りは湖に囲まれており、俺はその中心の浮島の上に立っている。足元を見てみれば、目を回して倒れているリムの姿があった。


「おーい」

「……きゅぅ」


 呼びかけてみるが、反応はない。どうやら完全に気を失っているようだ。

 このまま寝かしておくわけにもいかないし、さてどうしたものか。

 ひとまず俺はその場に屈みこみ、眠り姫の頬をぺちぺちとたたいてやった。


「リムちゃーん、朝ですよー」

「……ハッ!? 完璧美少女リムちゃんを称える世界はいずこにっ!?」

「ねえよそんな世界。どんだけ愉快な夢見てんだお前は」

「ああヨツヤ、おはよう。……一応確認するけど、私が寝ている間に変な事とかしていないでしょうね?」

「もちろん。俺は歳上にしか興味ありませんので」

「へえ、意外ね。具体的にはどれくらい離れているのががタイプなの?」

「うーん、一千歳くらいかなあ」

「いや特殊性癖過ぎない!?」


 よし、いい反応だ。もうすっかり意識を取り戻したらしい。ちなみに年上好きというのはただの冗談である。


 自分に都合のよさすぎる夢の世界から戻ってきたリムは、体を起こし周囲をきょろきょろと見渡した。そして、遅まきながらに今の状況に気が付いたようで、すっかり目を丸くしていた。


「ここは……さっきの洞窟じゃないわね。ヨツヤがここまで運んでくれたの?」

「いや、階段を下りてたら唐突に景色が切り替わったんだ。下りてたはずなのに地上にいるし、階段も消えてるし、さっきから変な事続きだぜ」

「なるほど……まさに異常事態ってところね」

「異常事態、か。そういえば確かにそうだな、今まで異常事態ばっかり遭遇してきてたから、すっかり感覚が麻痺してたぜ」

「え? これまでも今の状況に匹敵する出来事があったの?」

「ああ、まあいろいろな。なんならこれまでの経緯を簡潔にまとめた、一時間ほどのプレゼンでもしてやろうか?」

「……お願いするわ」


 そして、実に一時間七分に及ぶプレゼンが始まった。リム曰く、とんでもなくわかりやすかったとのこと。これは星五レビュー待ったなしである。


「はーっ、なるほどねぇ……。なんと言うか、あなたも随分数奇な出来事に遭ってるのね。流石に同情するわ」

「ははは、まあそういう性分なんでな」

「もう受け入れているのね……。でも、だからこそなのかしら? 今この状況においても、平静を失わずにいられるのは」

「かもな。やっぱ何事も経験してみるもんだ」

「よくもまあ、そんな呑気でいられるわね。……まったく、あなたみたいな人間、やっぱり初めてよ」

「まあ、俺みたいな奴なんて、この世にそうはいないだろうしな。知ってる限りでも、あと二人くらいしかいないぜ」

「むしろ二人もいるの!?」


 俺達は浮島の中央に座り、しばらく談笑を続けていた。今の状況について知りたいことは山積みだが、慌てるばかりでは小さなことを見落としてしまうかもしれない。


 こういった特異な状況の中でこそ、冷静さと言うのは大切なものだ。それにここが死後の世界だというならば、精神を強く持っていなければあっという間に引きずり込まれてしまうかもしれないしな。


 だからこそ、俺達は他愛のない話をする。……まあ、ただ単にリムと世間話がしたかったというのも、少なからずあるけど。


 そうして話し込んでいたある時、陽の光に照らされて明るかった周囲が、突然影に覆われた。何事かと思い頭上を見上げると、そこには何やら雨雲のようなものが見える。


「あら、雨雲? こんな場所でも、雨が降ることもあるのね」

「げ、遮蔽物も何もないし、ここじゃ雨を防ぐ手立てなんて――」


 雨雲の密度からして、霧雨のような雨ではないことは確かだろう。ずぶぬれになるのは勘弁願いたい。

 しかし、よくよく見てみれば、雲の形が安定していないことに気が付いた。

 確かに雲の形が安定しないこと自体は普通のことだが、その変形する速度がどこか異様だったのだ。それはまるで、雨雲自体が蠢いているように……。


「――ッ!?」


 そこまで思考が追い付いた時、俺は弾かれるようにして、リムの手を引いてその場から駆け出した。初めは突然のことでリムも戸惑っている様子だったが、やがて雨雲の正体に気が付いたようで、同じく言葉を失っている。


 ――その雨雲は、いや雨雲だと思っていたものは、夥しい数のナイトメアの群れだったから。


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