28.「リム」
いきなりゴスロリさん呼ばわりされたことに、呆気にとられる少女。
二人の間の認識の齟齬が、何とも言えない微妙な空気を生み出していた。
見れば少女の足は、振り上げられた姿勢のまま固まってしまっている。どうにも引っ込みがつかないまま、少女は渋々といった様子でその足を下ろし、ようやく涼透と話をする姿勢を見せた。
「なによそのゴスロリさんって。人を変なあだ名で呼ばないでくれるかしら?」
「ああすみません、名前がわからなかったものですから」
「……は? あなた、それ本気で言ってるの?」
「え? まあそりゃ初対面ですし」
二人の会話は、依然として噛み合わないままである。少女は顔を伏せ、何かを考えこんでいる様子だった。
(私の名を知らない……? あれ、じゃあ待って、もしや私早とちりをしてしまったのでは?)
次第に、少女の頬に冷や汗が流れ出てくる。しかし、素性が知れない相手なのに間違いはないと被りを振り、少女は涼透に向き直った。
「……良いわ、少しだけ攻撃はやめて、話を聞いてあげる。けれど、もし嘘でもつこうものなら、容赦なく蹴り飛ばすから覚悟しておくように」
「よーし、そうこなくては」
脅しをかける少女と、まったく怯んでいる様子のない涼透。目の前の相手に対し、少女は何とも言えないやりにくさを感じていた。
何と言うか、敵意や闘争心のようなものが一切感じられない。こちからから攻撃を仕掛けたというのに、それを意に介した様子のない涼透が、少女には不思議でならなかった。
*
さて、ようやく話を聞いてくれる姿勢を見せてくれたはいいものの、何から話すべきか。
目の前のゴスロリさんから感じる敵意は、あの女や呪いのそれとはまるで違う。単純な、それでいて純粋な、自己防衛のための敵意。
今まで憎しみやら怒りやら悪意やらに苛まれ続けてきたせいか、そんな敵意すら可愛いものに感じられてしまう。
だからこそ、いきなり攻撃を仕掛けられても余裕があったというわけである。
「そもそも、あなたは何者……って、それは聞いても無駄か。……じゃあもう一度だけ確認するけど、私のことはそれ以前に見たことはない……のよね?」
「うん? まあ、そりゃな
「そう……」
それっきり、ゴスロリさんは再び押し黙ってしまった。顔を伏せているためその表情は見えず、何を考えているのかさっぱりである。
「おーい、ゴスロリさーん?」
「……」
「あのー?」
返事はない、ただのゴスロリさんのようだ。こちらから懸命に話題を振ってみてもうんともすんとも言ってくれないので、完全に空ぶってしまっている。
ここまで無視を決め込まれると、いささか物悲しさすら感じてしまう。そろそろ泣くよ、俺?
「その……」
「ん?」
さてどうしたものかと考えあぐねていたところ、不意にゴスロリさんが顔を上げた。その表情には先ほどまでの敵意はなく、どこかしょんぼりとした表情を浮かべていた。
「……ごめんなさい。私、てっきりいつもの手合いだと思ってしまったから……」
「いつもの手合い? ……そういや、その手の人間とか言ってたな」
会話をする傍らで、ゴスロリさんと出会った時のことを思い返す。確かあの時、ゴスロリさんはどこかで見たことがあるという言葉に反応していた。
「ゴスロリさんにどんな事情があるのかは知らないけど、あんまり気にするなよ。ほれこの通り、俺もピンピンしてるし」
「……許して、くれるの? 出会い頭に、あんな失礼を働いたのに?」
「まあ、いきなり声を掛けた俺も悪かったしな。今回はお互い様ということで」
手をひらひらと振って、身体になんの不調もないことをゴスロリさんにアピールする。それを見て少し元気が出たのか、ゴスロリさんの口元には薄く笑みが浮かんでいた。
(ふう、これでひとまず一安心……あれ?)
そういえば変な場所で目が覚めたのと、ゴスロリさんに遭遇したことですっかり忘れてしまっていたが、元々俺は死にかけの身体だったはず。
それが今ではすこぶる調子がいい。ということは、俺の身体を蝕んでいた呪いはどこかに消え去ったのだろうか?
「ところで、一つ訂正なさい」
「ん?」
そう思考に耽っていると、不意にゴスロリさんから声を掛けられた。ひとまず思考を断ち切り、俺はゴスロリさんに向き直る。
「さっきからゴスロリさんゴスロリさんだなんて呼んでいるけれど、私はそんな奇天烈な名前じゃないわ。私の名前はリムよ、これからは呼び方を改めるように」
「ああ、そういうことか。すみません、ゴスリムさん」
「ぶちのめすわよ」
しまった、つい呼び方が混じってしまった。
臨戦態勢に入るリムを前に、俺は慌てて謝罪する。ゴスロリさん、もといリムはその謝罪を心からのものと理解してくれたようで、俺の狼藉を軽く流してくれた。なんとも器の大きい方である。
「私、基本的に人の顔って覚えないんだけど、あなたの事は覚えてあげるわ。感謝しなさい」
そう言って、リムはこちらを興味深そうに観察してくる。全身を舐め回すように眺めてくるその視線に、どことなくくすぐったさを覚えた。
「そんなことを急に言われても……。というか何気に酷いな」
「だって、大体の奴は取るに足らない存在だもの。覚えるだけ損よ、損」
ひらひらと手を振り、嫌悪感を込めてリムは言う。その手の人間とか手合いとか言っていたし、リムにとって気に喰わない存在の方が多いのだろう。
まあ、リムについてはひとまず置いておき、この場所について尋ねてみることにした。今はどんな小さなことでもいいから、とにかく情報が欲しいところだ。
「なあリム、この場所について何か知ってるか?」
「うん? ああ、あなたはここに来たばかりなのね。いいわ、さっきの詫びもあるし、私の知っている限りは教えてあげる」
リムは、一人納得したようにそう呟いた。どうやらリムは、ここについてある程度は知っているらしい。
「……あ、その前に。ここに来たばかりってことだけど、自分の名前はわかるかしら? まあ名前と言っても、あくまで便宜上の――」
「ああ、そういや名乗ってなかったな。俺は四谷涼透、四谷ちゃんとでも好きに呼んでくれ」
「ふうん、四谷涼透ね。……へ? それってもしかして、あなたの本名?」
「ん? そりゃこんな状況で偽名なんて使わないけど」
「えっと、あれ? なんかおかしいわ」
こちらの言葉を聞くや否や、リムはまるで面食らったかのようにたどたどしい態度になった。何か食い違いでもあったのかと、俺は首を傾げるばかりである。
「もう少し確認するけど、あなた、ここに来るまでの記憶とかある?」
「え? そりゃまあ、唐突に記憶喪失になったりはしないけど……。必要なら、生い立ちから今に至るまでの経緯を一時間ほどでプレゼンするぜ?」
「いやあなたの人生のプレゼンはいらないわよ。……しかし、奇妙なこともあるものね。過去の記憶を持ったまま、ここに来るなんて」
「そんなに珍しいことなのか?」
「珍しいなんてものじゃないわ。そんなの、普通はあり得ないのよ」
「あり得ない? そりゃまたどうしてだ?」
リムのその断定的な物言いに、こちらの疑問は尽きぬばかりだった。それほどまでに、この場所は特殊なのだろうか。
やがて頭の中で考えが纏まったのか、リムが重い口を開いた。
「――いいわ、勿体ぶらずに教えてあげる。ここは境界世界、生前の記憶を失って、それでもなお現世に未練を持った死者の集う、泡沫の世界よ」
「は?」
どうやら、期せずして俺はあの世に来ていたらしい。