26.「呪いと共に」
(……ん? 意識を失ってたのか……)
どういうわけか、両手の感覚がない。というか全身が物凄く痛い、何が起きれば俺の身体はこんなに悲惨なことになるんだ。
視線を上げてみれば、裕とローネ、そしてミネの姿が見える。更に奥を見てみれば、なにやら壁のようなものまで見える。
おそらく、あれがレーヌの町なのだろう。どうやら俺が意識を失っている間に、もうすぐそこまで辿り着いていたらしい。
……なら、こんなところで寝ているわけにはいかない。せめてゆっくり腰を落ち着けられるところまでは、この足で歩かなければ。
――あいつらの、重荷になるわけにはいかないからな。
*
「いた! 涼透と裕君だ!」
「早く合流しよう」
魔物を撃破してからというものの、道中で合流してから、ローネとミネはずっと草原を走り続けていた。
そして、レーヌの町の外壁にもたれかかる様にして座っている裕と涼透を発見する。その顔色や様子からは、二人がどれだけ切羽詰まっているのかが見て取れた。
「二人とも、大丈夫!?」
「ああ、ローネにミネ……。うん、まあなんとか、ね。でも、結構しんどいや……」
顔だけを上げて、裕はローネとミネに答える。体力も魔力も使い果たし、返事をするのもやっとという様子である。
「……ごめんね。本当は休ませてあげたいところだけど、涼透の呪いのこともある以上、ゆっくりとはしていられない。……あと少しだけ、歩けるかい?」
「……うん、頑張るよ」
ここにいれば、いつまた魔物に襲われるともわからない。ミネからの問いかけに、裕は小さく肯定を示した。
「よし、じゃあ行こう!」
激戦の疲れなど一切感じさせる様子もなく、ローネは元気よく声を上げる。そしてレーヌの町へきびきびと歩いていこうとするのを、ある声が呼び止めた。
「あ、ちょっと待った。町に入るには、こいつがないとダメなんだろ?」
「ん? ああ、そういえばそうだった。すっかり忘れていたよ」
「それは? ……プレート?」
ローネは、その銀製のプレートのようなものをまじまじと見た。名刺ほどの大きさのそれは首から下げられるように紐が付けられており、何やら文字が刻まれている。
「まあ、通行許可証みたいなものだよ。これがないと、この辺りの町には入れないからね」
「へぇー、それは知らなかったなあ。じゃあそれがあれば、町の中に入れるんだね!」
「そういうわけだ。あとローネ、耳が出てるからフード被り直しとけ」
「あっ、うっかりしてた……。よいしょっと」
ただひたすらに走ることに集中するあまり、フードについてを失念していたらしいローネは、いそいそとフードを深く被り直した。
せっかく町まで急いできたというのに、魔族のようだからと追い返されては本末転倒である。
「ふーっ、危なかったー。気が付いていなかったよ、ありが――あれ?」
安堵の息を漏らし、注意をしてくれたことに礼を言おうとしたところで、ローネはある違和感を覚えた。はて、今の一連の流れの一体どこに違和感があったのやら。
ミネからの注意? いや、それともどこか違うような……。
「「……うーん?」」
その違和感は裕にもあったようで、二人して首を傾げている。しかし、やはりどんなに思い返してみても、別段おかしいところなど何もないような……。
疑念の余地も湧かないくらいの、本当に何気ない会話だったはず。得体の知れない第三者がいたわけでも、ツリーヌの時のように木や石が唐突に喋りだしたわけでもない。
だとしたら、一体何が……。裕は混乱している頭を一度整理させるべく、周囲を見渡した。
まず自分がいて、次にローネがいる。そしてその横にミネが佇んでおり、その隣に涼透が立っていて。
やはり、何もおかしいところは――。
――あった。
「「って涼透!?」」
「涼透ですけど」
あまりに自然過ぎて全然気づかなかったが、ようやく二人は先ほどまで気を失っていたはずの涼透がその足で立っており、あまつさえ普通に会話していることに気が付いた。呪いを受けた箇所は未だ黒く変色しているものの、苦しんでいるような素振りは見られない。
「……驚いた。いったいいつ意識が戻ったんだ?」
「ついさっきな。いやあ起きてみれば腕は動かねえわ全身はいてえわで散々だったぜ」
「の、呪いは大丈夫なの!?」
「まあちっとも大丈夫じゃねえけど、いつまでも背負われているわけにもいかないからな。さ、早いとこ町に入っちまおうぜ」
「う、うん……」
軽い調子で受け答えをする涼透に、思わずローネと裕は顔を見合わせる。ラファリの言っていた地獄のような苦しみというのは、あくまでも誇張表現に過ぎなかったのだろうか。
通行許可証を首から下げ、涼透は町への入り口である門を潜った。その後に続くようにして、裕とローネ、そしてミネも門を潜る。
町の守衛は涼透が首から下げる通行許可証を検めると、快く町への滞在を許可してくれた。
「ここがレーヌの町か。夕暮れ時でも、人で溢れ返ってるんだな」
「そうだね」
涼透達は、レーヌの町の商店街にあたる道を歩いていた。右を見ても、左を見ても活気に満ちている。
「で、こっからどうすればいいんだ?」
「ひとまず、この町の名所である温泉宿に行こうか。あそこなら、ひとます落ち着けるはずだ」
「温泉宿か……そういやそんなこと言ってたな。早くこの呪いとやらをなんとかして、湯船に肩まで浸かりたいもんだぜ」
「……そうだね」
世間話もそこそこに、涼透達は宿を目指した。呪いの刻限ももう近い、事態は一刻の猶予だってないだろう。
それからほどなくして、涼透達は町一番の温泉宿へようやく辿り着いた。本当ならその壮観に感嘆の息の一つでも漏らしたいところだが、あいにくそんな場合ではない。
転がり込むように宿に入り込み、ローネはカウンターにいる受付嬢に駆け寄って――。
「おばちゃんっ! 部屋二つ! 至急!」
と、金貨の入った袋を乱雑にカウンターへと叩きつけた。なにが起こったのかわからず面食らっていた様子の宿の受付嬢だったが、ハッと我に返ったようで、
「私はおばちゃんじゃねえッ!!」
とブチギレた。そのあまりの剣幕と鬼気迫るといった表情に、ローネは小さく「ひっ」と悲鳴を漏らしたのは別の話。
*
「お待たせいたしました。こちらの二部屋が、お客様のお部屋となっております。食堂、温泉のご利用はお客様の好きな時間にどうぞ。では、何かありましたら受付へ」
先ほどの受付嬢は態度を一変させ、見事な営業スマイルを浮かべながら部屋の説明を行っていた。しかしローネはびくびくと震え、俺の影に身を潜めている。
ひとしきりの説明を終えた後、受付嬢は俺に部屋の鍵を手渡し、踵を返して立ち去っていった。流石はプロフェッショナル、業務と私情の切り替えはお手の物のようだ。
……振り向き様にちらりと見えた横顔は、ギラリとローネを睨みつけていたけれど。
ローネは顔色が蒼白になりながら、「すみませんすみませんっ」と、受付嬢の姿が見えなくなるまで平謝りを続けていた。よほどあの激高がトラウマとなったらしい。
「よし、じゃああっちの部屋に入ろうか」
そう言って、ミネは二つある部屋のうち、角部屋の方を指示した。ミネの指示に従うように俺達は部屋の中に入り、備え付けられているテーブルに着く。
「ふーっ、やっとたどり着いたねー。私もうヘロヘロだよー」
「僕も……」
椅子に座るや否や、裕とローネはぐたーっと体勢を崩した。張り詰めていた緊張の糸が緩んだこともあり、疲れがどっと押し寄せてきたのだろう。もちろん俺もその一人である。
「で、だ。涼透、湯船にではなくあの世に肩まで浸かっている感想はどうだい?」
「はっ、無論最悪だな。もっとこう、受験前の学生なんだから労わってほしいもんだぜ」
「……」
ミネからの軽口に、俺はいつものような笑みを浮かべ、同じように軽口を返す。……たぶん、ミネにはバレているのだろう。
「……ここまで、お疲れ様。君も疲れただろうし、今はベッドでゆっくり休みなよ」
「ああ、そうさせてもらうよ。じゃ、一足先に」
そう言ってから席を立ち上がり、俺は備え付けのベッドへ向かって歩いていく。その手足に纏わりつく黒色の模様がなければ、誰も俺が呪いに冒されていることなど気づきもしないだろう。
……表情には、出ていないはずだ。少なくとも、ローネや裕にはバレていない。
(……ふう、やっと休める……か)
なんとかベッドまで辿り着くことが出来た俺は、布団を肩まで被り、あふれ出てくる睡魔に身を任せ、ゆっくりと目を閉じた。
耐え難い頭痛や、身悶えするほどの吐き気もする。黒色が纏わりついた部分を中心として、体が内側から焼け焦がされていくかのような、尋常ではない痛みもある。
許されるなら、激情のままに叫び、暴れ、何も考えないでいたい。けれど歯を食いしばり、俺は己を蝕む呪いと対峙する道を選んだ。
町に入る直前で何とか意識を取り戻してから、ここに来るまでの道中、何度意識を失いかけたことか。
安息を求める体に鞭を飛ばし、しかし顔には気丈な笑みを張り付けて、普段と全く変わらぬ風を装いながら、足を進める。
なぜそうまでして、呪いに耐えていたのか。それは、至って単純である。
――俺は絶対に、生きることを諦めないから。
あのまま意識を失っていれば、俺の命は既になかっただろう。だからこそ自身の血潮を奮い立たせ、激痛に耐え抜きながら意識を掴み取った。
俺は日向汰のように、並ぶ者がいないほど腕っぷしが強いわけではない。謎の身体能力を得たとはいえ、これはズルのようなものだ、決して俺の力だと誇れはしない。
けれど、こと精神力という点においてならば、俺は誰にも引けを取らない自信がある。たとえどんな逆境に立たされようとも、生きることを決して諦めはしない。
裕が、ローネが、ミネが繋ぎ止めてくれたこの命、簡単に手放してなるものか。
何が地獄のような苦しみだ、ふざけやがれ。
(こんな呪いに、むざむざやられてたまるかよ)
俺の勘でしかないが、おそらくこの呪いには、最終段階のようなものがある。
そして、それはきっと、今までのように外部からの助けは借りられないだろう。呪いを実際に受けている本人だからこそ、わかる。
――さあて、ここからが正念場だ。
*
――呪いが、鳴動する。
今まで鳴りを静めていたのが嘘のように、少年の身体を中心として、呪いの嵐が吹き荒れる。
驚愕の表情を浮かべるミネ達をよそに、渦巻く呪いは留まることを知らない。
時は満ちた、機は熟した。己に危害を加えた者を、呪いは決して許しはしない。
無駄に粘らず、さっさと死んでしまえばよかったものを。しかし奴は死ななかった。
腹立たしい。憎い。殺したい。憎悪の念が、嵐と共に渦巻く。
地獄を見せてやらなければ。希望など決して与えはしない、くれてやるのはあまりに巨大な絶望だけだ。
呪いは誘う。憎き標的を、己の世界へと。
――絶望への扉は、開かれた。
*
「涼透!」
呪いの嵐の力は凄まじく、裕達は近づくことすらままならなかった。
ミネの力ならば、確かにあの嵐を消し飛ばすことは出来るだろう。しかし、それは嵐の中心にいる涼透も共に、である。
そんなことをしてしまえば、元の木阿弥。だからこそ裕達は、その嵐を手をこまねいて見ていることしか出来なかった。
……やがて、嵐は収束する。そして、音もなく消え去った。
「――ッ!?」
――涼透の姿も、共に。