01.「渦より始まる物語り」
耳を澄ませば、聞こえてくるのは自然の音色。
木々のざわめきや小鳥のさえずりなどなど。普段では気にも止めないであろうその音色が、今ではそこかしこから聞こえていた。
そして、見渡す限りは大自然。透き通るような青空の下では、広大な草原がどこまでも広がっていた。
そして、そんな草原の上で寝っ転がる少年たちが二人。
片方は洗濯したての半袖の制服を着用しており、もう片方は長袖の上から学ランを羽織っており、両腕が出るように袖をまくっている。
二人の少年のうち、夏服の少年――四谷涼透は、誰に言うでもなく呟いた。
「どうしてこうなった」
その言葉は青空に吸い込まれ、答えの代わりにただ涼風が吹くのみだった。
*
それは、俺達が学校からの帰り道を歩いていた時のこと。
今は夏休みだったが、進路指導なる名目の登校日のため、俺と隣を歩く唯一無二の悪友である新上日向汰は、渋々といった様子で登校し、正午にようやく解放されたというわけである。
「ふー、やっと終わったか。かったりいよな、進路指導なんてよ」
「まあ、高校受験も近いんだし、割り切らないとな」
「そうだけどよ。……あ、そうだ涼透。せっかく正午で終わったんだし、昼飯でも食いに行こうぜ」
「飯? 別にいいけど……。誘ったからには奢ってくれるんだろうな、日向汰訓よ?」
「ああ、もちろんいいぜ? お冷くらいならな!」
「ただじゃねえか」
そんな他愛のない話をしながら、俺達は帰路につく。
それからしばらくして、閑静な住宅街を歩いているうちに、徐々に奇妙な違和感を覚え始めた。
そんな違和感を確かめるために、俺は口を開く。
「なあ、なんか静かすぎじゃないか? いくら人通りが少ない住宅街っていっても、さすがに誰ともすれ違わない、なんの物音もしないなんておかしいだろ」
「お前も気づいてたか」
「不自然すぎるからな。で、大抵こういう時は――」
俺の言葉を遮るかのように、閑静な住宅街に突如として異変が起こる。
まるで嵐のような突風が巻き起こり、俺は咄嗟に両腕を目の前で交差させた。
逆に日向汰は仁王立ちのまま、微動だにしていない。これから起こることを見極めるかのように、ただ立っていた。
それからしばらくして、突風が吹き止む。恐る恐るといった様子で両腕を戻すと、目の前にはまるで渦巻のような、異質な何かが在った。
そして、その渦巻は急速に拡大し、俺達の体は渦巻から発生している吸引力によって、何の抵抗も出来ずに宙に浮かび上がった。
「やっぱりこうなるよな!」
「はっはっは、これからどうなるのか、ワクワクするな!」
「しねえよ!?」
そのまま、渦巻の中へと吸い込まれていく。これから先に何が待ち受けているのか、日向汰はワクワクしている一方、俺は戦々恐々としながら、そのまま意識を失った。
*
そんなこんなあり、俺達はどこともしれない大草原の上に誘われたというわけである。
未だここがどういった場所なのか、自分達がどんな状況に置かれているのかはさっぱり掴めないが、ひとまずは歩くしかない。渦巻に吸い込まれた時に落としてしまったのか、手荷物一つだって持ち合わせていない中、俺達は晴天の下を当てもなく歩いていた。
「お、川だ」
草原の中を移動し始め、ほどなくして大きな川にたどり着いた。川の水は清く澄んでおり、川底にある丸石やゆらゆらと泳ぐ川魚の姿がくっきりと見える。
「丁度喉が渇いてたとこだったんだよな。この水は……よっしゃ、普通に飲めそうだ」
日向汰は川岸に屈みこみ、手に掬った水を一気に飲み干した。あの様子を見るに、この川の水は飲んでも大丈夫そうだ。
「ふー、生き返るぜ。涼透も飲んどけよ」
「ああ、そうする」
日向汰に続くように、俺も川水を手に掬って口に含む。そのまま一息に飲み干してみれば、乾いた体に新鮮な水が染み入っていくようで、俺はどこか清々しい気持ちになった。
水分を補給し、一息ついたところで、俺達は川の向こう側を眺めてみた。
相変わらず何もない草原しか見えないが、せっかくならあちら側に行ってみようということで、俺達はズボンの裾をまくり、靴下と靴を脱いで裸足になったところで、川を横切るようにざぶざぶと渡った。
川は思ったより浅く、一番深いところでも水位は膝上ほどまでしかない。ちょっと水が冷たいくらいで特に何事もなく、俺達は無事川を渡り切ることが出来た。
川を渡り切った先で靴を履き直している途中、ふと前方に奇妙な物体が見えた。
俺達から見て五メートルほど離れた場所にいるそれは白い体をしており、大まかに見てサッカーボールくらいの大きさのように見える。
まるでゼリーのような質感のその物体は、意思を持っているかのように、ひとりでに動いていた。
「……なんだあれ。生物、なのか?」
どう見ても、風に押されて動いているようには思えない。しかし、あんな得体の知れない生物なんていうのは、今までの人生で見たことも聞いたこともなかった。強いて言うなら、ゲームの中で似たようなものを見たことがあるくらいだが、あくまでもそれはゲームの中での話だ。
俺達が注意深くその白い生物の動向を観察していると、その生物もこちらの存在に気が付いたのか、くるりと体を反転させ、こちらを向いた。
そして、その生物は突如として急加速し、その身体全体を勢いよく跳ねさせて、こちらに向かって目にも留まらぬ速さで疾駆した。空を切るような音が、耳に届く。
「って、あっぶな!?」
一拍遅れて、俺はその突進をギリギリのところで躱すことが出来た。あんな速度の体当たりをまともに受けてしまえば、軽い怪我では済まないだろう。
急な攻撃を仕掛けてきたその白い生物は、勢い余ったのか俺の遥か後方まで勢いそのままに飛んでいき、激しい音と共に木の幹にぶつかることで、ようやく静止した。……よくよく見てみると、その生物がぶつかった部分が思いっきりへこんでいる。樹齢何百年とあるであろう大樹すらその有様だ、もしあれが俺にぶつかっていたらと考えると、思わず身震いがしてしまう。
……マジで良く躱せたな、俺。
「はは、まさかいきなり襲い掛かって来るとはな。涼透、お前なんかあいつの恨みを買うようなことでもやったのか」
「してねえよ。あんな奴初対面に決まってんだろ」
「……ほほう。ということは、お前は初対面の奴に唐突に襲われる性質の持ち主ってことか。はっはっは、面白え才能だな!」
「面白くねえわ。いらねえよそんなすこぶる損だらけなもん」
俺達は警戒を緩めぬまま、先ほどからピクリとも動かない青い生物に近づいてみる。
だが、いくら近づいてみても、白い生物からの反応が返ってくることはなかった。どうやら、思いきり木にぶつかった衝撃で気を失ってしまったようだ。
捨て身の一撃だったからこそ、あの威力だった……ということだろうか。だが日向汰にも言った通り、そんな攻撃を仕掛けられる謂れはない。むしろそんな謂れがあるのは、今俺の横にいるこの悪友くらいのものだろう。
「見たところ、思いっきり伸びてるみたいだけど……どうするよこいつ」
「そうだな。目が覚めて、また襲い掛かられても面倒だし……よっしゃ!」
そう言って、日向汰は伸びてる白い生物から少し距離を取り、助走をつけて思いっきり蹴っ飛ばした。
……は? 蹴っ飛ばしちゃったの!?
気を失っている白い生物は成す術もないまま、青空の彼方へと吹っ飛ばされていく。まるでボールを扱うかのようなその情け容赦の欠片もない仕打ちに、俺は唖然とするばかりだった。
「うわあ……、相変わらず容赦ってもんがねえな。あいつだって一応は生き物だろうに」
「挑まれたからには、全力を以て迎え撃つってのが礼儀ってもんだ。それこそ、相手がどんな奴だろうとな!」
「その戦闘脳も昔から変わんねえな」
にっと笑みを浮かべて、独自の持論を話す日向汰。そんな悪友を前に、俺は改めてその強さを垣間見たような気がする。
あの青い生物を青空の彼方まで蹴り飛ばすほどの人間離れした身体能力も、こと戦闘に関する姿勢や考えも、おおよそ普通の人間が持ち合わせている物ではないし、得体の知れない渦にすら恐れることなく突っ込んでいくその向こう見ずな性格も、ただ好奇心旺盛だからという理由だけで片付けられるものではない。普通の人間が日向汰を忌避するのも、まあわからなくもない話だ。
……まあ、そんな奴と友達をやっている時点で、俺も普通とは程遠いわけだが。
「しっかし、何だったんだろうなあの珍妙な生物は。なんか蹴った感じ、動くゼリーみてえな奴だったけど」
「謎の渦巻きといい謎の生物といい、今日は謎尽くしだな」
俺は、先ほど突撃してきた生物を振り返る。
あれから向けられていたの確かに敵意だったが、決して悪意ではないように感じられた。むしろどこか、怒りや義憤に駆られてのものだったような……。
恨みを買うようなことをした覚えはない以上、もしかするとあの生物は、俺個人に対してではなく、人間という対象として突撃を仕掛けてきたのかもしれない。
己の身すら顧みない、まさしく全身全霊の一撃。あの生物に意思があったのかどうかは定かではないが、もし意思があったとするなら、果たしてどれほどの覚悟があってあの突撃を仕掛けてきたのだろうか。
(無事だといいな、あいつ)
あの生物について思考を巡らせ、しかし今考えても答えなんて出るわけがないと思い直し、俺達はまた足を進め始めた。もし奇妙な縁があったなら、また遭遇する可能性もあるかもしれない。
――見ず知らずの大地での旅路は、まだまだ始まったばかりだ。




