03 絵本と花
「姫様、ご休憩のお時間です」
「もう少し………ここがもう少しで完成するから」
「いけません先ほども同じことをおっしゃいました。お医者様に叱っていただかないといけなくなりますよ」
「はぁーい」
矢傷を受けてから7年がたった。トリアーニャは13歳になっていた。
左足の傷は深く、太腿は全体的に紫色に変色したままだが、健やかに王宮の隅で暮らしていた。
今日のように天気の良い日は聖樹の前にキャンバスを広げ、絵を描く。
特に好む題材はメイドや騎士など、王宮で働く人々だ。
王宮の日常を切り取った絵は人気があり、描き上げるとすぐに買い手が付く。
肖像画などのオーダーも入っているが、あくまで日常の風景を切り取りたいと丁重に断っている。
『姫様は日々を支える下々の者に目を向けてくださる』と、この国での王女の人気はストップ高となっている。
(前世のオタクとしてはメイドや騎士ってひっじょーーーーに萌えな題材なのよね)
トリアーニャとしてはそんなオタク思考全開で萌えの赴くままに筆を動かしているだけなのだが。
「さあ、姫様、お茶とサンドウィッチですわ」
「ありがとう。絵を描くとお腹がすくの。うれしいわ。みんなも一緒に食べましょう」
自分付きの侍女や騎士たちもお茶に誘う。
本来ならば許されない行為だが、社交せず友人もいないトリアーニャのささやかな我儘として国王夫妻が『絵を描いている最中の休憩ならば』と許可した。
そうでもしないとトリアーニャが絵に夢中になりすぎて休憩をとらないからである。
「姫様、ロンサール公爵閣下がお見えです」
「まあ、何かしら?すぐに参ります」
「姫君に動いていただくなどとんでもない」
侍女たちとささやかなお茶会の最中にロンサール公爵が訪ねてきた。
あのアルフィオの父である。親子そろって水色の爽やかな髪の色をしている。
(髪の色の通り、水系の魔術が得意なのよね)
侍女たちがロンサール公爵のために改めてテーブルをセッティングしてくれる。
「まあ、公爵様、いかがなさいましたの?」
「突然申し訳ありません。どうしてもすぐに姫君にご覧いただきたいと思いまして」
公爵が手に持っていたのは3種類の絵本。
前世の記憶が戻ってから作りたいと思っていた絵本が出来上がったのだ。
「まあ!公爵素晴らしいわ!!」
「姫君は絵のみならず話づくりの才能までおありとは驚きました」
前世の超有名作家様には申し訳ないけれど、自分が読みたかった3つを本にさせてもらった。
(異世界から著作権料を払う方法がなくてごめんなさい!)
「こちらの絵本ですが、『サラサ・アズール』名義となっており、姫君の本名ではないのですが、本当によろしいので?」
「ええ。わたくしは絵の方は自分の名前を出しておりますが、絵本はもっと市井に広まってほしいので、あえて名を隠したいと思いまして」
「私としましては姫君の才能を隠すようで残念なのですが、仕方ありますまい」
「わたくしにかかる予算を使って教会や孤児院、学校に絵本を配っていただけるかしら?」
「姫君!」
「わたくしは夜会などにも出ませんからドレスや宝石にお金をかけていませんわ。そのかわり本や教育にお金をかけていただきたいの」
「……っ、わかりましたっ、私が責任をもって姫君のご意志の通りにっふぐっ」
……父王の友人でもあるロンサール公爵も最近涙もろいようだ。
(友人って似る者なのですかねー?)
と侍女たちに目を向けると侍女たちと護衛騎士たちまで目が真っ赤になっていた。
(この国の人たち、涙もろすぎやしませんかね?)
「……失礼、姫君の御前で取り乱しました」
「アッハイ」
「我が息子が隣国へ留学してから4年が経ちました。それなりに魔術の腕も上がったようです」
「まあ、それは素晴らしいですわね!」
アルフィオは上の兄・第一王子エミリアーノと同い年なので16歳だ。
ヒロインの聖樹の乙女と攻略対象たちは王国学院で出会う。
第一王子エミリアーノと公爵子息アルフィオが学院3年生の春に聖なる力に目覚めて中途入学してくるのだ。
「お帰りになるご予定はおありですの?」
「少なくともあと2年は帰ってこない予定です」
ヒロイン登場時にアルフィオが学院にいるかどうか、微妙なところだ。
(そもそも聖樹に呪いがかかってないので、ヒロインに乙女の力が目覚めるかもわからないわね)
絵を描くのに夢中になっていてゲームのことをすっかり忘れていた。いやほんとに忘れていた。
聖樹に呪いがかかっていないので王国は平和そのものだからだ。
聖樹のおかげで農作物も毎年よく育っているし、国の結界も機能していて魔物も入ってこない。
各国とのお付き合いも順調で、戦争がないので騎士たちも危ない目に遭わない。
流行り病などもなく、人口も増えている。
これがゲームの中だと、聖樹の呪いのせいで国全体が不幸に見舞われていた。
(すべてがゲームと正反対の状況なのよね)
「魔術大国への留学で得る物は多いでしょう。ご子息のさらなるご活躍に期待しておりますわ」
「姫君のお言葉にアルフィオもさぞ喜ぶことでしょう。ありがとうございます」
あの時、婚約を断って本当に良かった。
アルフィオは自分の道を見つけて選んで進んでいるのだ。
(きっと素晴らしい魔術師になるわね)
ゲームの中でもとても優秀な水魔法の使い手だった。
魔法大国への留学でさらなる飛躍を遂げるだろう。
ほとんど会うこともなく、兄たちや公爵から話を聞くだけになってしまったがアルフィオへの思いは続いている。
トリアーニャ自身は恋ではなく『推し』を応援する気持ちであると認識している。
(ふっふふ、あの可愛らしかったアルフィオ様も前世のゲームでのような美しく凛々しいそしてどこか冷たい雰囲気を漂わせながらも時折見せる素の表情に色気が搭載される魔性の推しになるのね……ああ、こっそり物陰から見守らせていただきたい)
トリアーニャが長々としたポエムもどきを脳内で垂れ流していると、手元の絵本3冊が淡く光りだした。
「えっ?なにこれ?」
「姫君?」
ロンサール公爵がトリアーニャを庇うように光りだした絵本を取り上げ、騎士や侍女たちも姫を守るために駆け寄ってくる。
3冊の絵本は公爵の手を逃れ、宙に浮き、そのまま聖樹の中に取り込まれた。
聖樹が光り、虹色に輝く8枚の花弁を持った花が3つ咲いた。
咲いた花は、ぽとりぽとりと3つともトリアーニャの手の中に落ちてきた。
「な、なにこれーーー!!」
王や聖樹教会の神父立ち合いの元、聖樹の周辺を探してみたが、他に花は見つからなかった。
「聖樹が花をつける話は、伝承の中にも時折出てきますが……」
「なぜ花をつけるのか、その条件などはわかってはおりません」
「姫様のお作りになったご本が聖樹のお気に召したのではないでしょうか?」
聖樹が本を取り込み花を咲かせたという荒唐無稽な話だが、トリアーニャをはじめ、ロンサール公爵やその場にいた騎士や侍女たちも目撃しているので教会関係者も信じざるを得なかった。
花は1つは聖樹教会に、1つは王家に、残り1つはトリアーニャがもらった。
トリアーニャはとんでもないと思ったが、聖樹教会の神父に
『姫様の手元に落ちてきたということは姫様に持っていて欲しいとの聖樹のご意志と思われます』
と言われては断れなかった。
『聖樹が気に入った本』として絵本は爆発的に売れ、国内のみならず他国でも翻訳され出版された。