02 アルフィオ
「トリアーニャ姫、失礼します」
「アルフィオ様……」
ロンサール公爵家との婚約を断った次の日、公爵子息のアルフィオがお見舞いに来てくれた。
目の下にうっすらとクマができており、少し影のある美少年になっている。
(んん~これはこれで可愛いけど、体調が悪いのかしら?無理してこなくてもいいのに)
ベッドの脇の椅子に座り、視線を上下にさまよわせ、意を決したように口を開いた。
「私との婚約をお断りされたと聞きました」
「あっはい。そうです」
「なぜですか?」
先ほどまでの落ち着かない様子から一転、まっすぐにトリアーニャを見つめている。
「なぜって、アルフィオ様はわたくしのことはお嫌いでしょう?そんな女と婚約なんて嫌でしょう」
トリアーニャはきょとんとした顔で答えた。
アルフィオは真っ青な顔になって立ち上がった。
「そ、そんなことはありません、トリアーニャ姫を嫌うだなんて……」
「まあまあお気遣い下さらなくても大丈夫ですわ。わたくし我儘姫ですもの。周りからどう思われてるかだいたいわかりますわ」
ほんとになんでもないというようにころころとトリアーニャは笑う。
「貴女はっ、あの時、我儘なフリをして私を庇ったのでしょう?貴女が聖樹から離れるように言った直後に矢が飛んできました」
「うーん、それは偶然ですわ。わたくし魔力もありませんし、魔術も使えませんもの。ならず者を察知することなんてできませんわ」
「……でも、貴方は傷を負った……治らない傷……」
「それはアルフィオ様のせいではありませんわ。あのならず者のせいですわ。アルフィオ様が責任を感じることは一切ありませんわ」
「私は貴女の人生の支えになりたいのです」
「お断りしますわ。わたくしの人生はわたくし自身で支えねばならぬもの。アルフィオ様は今回の不幸な事故のことはお忘れになってご自分の成したいことをなさいませ」
「……っ」
「お願い、わたくしのことなどお忘れになって。貴方様は自由ですのよ」
「……わかり、ました……」
これでアルフィオが傷の責任をとってトリアーニャの婚約者になることはないだろう。
9歳の少年に、1人の女性の人生を背負わせるなんてなんてひどいシナリオだ。
彼の人生はこれからだというのに。
(これでざまぁのフラグを1本へし折ってやったわ)
推しとの縁はこれで終わりだなあと思うと少し胸が痛んだ。
時々兄たちからアルフィオの話を聞かせてもらうことは許してもらいたい。
「アルフィオ!」
「……エミリアーノ殿下」
トリアーニャの見舞いを終え、廊下に出ると第一王子のエミリアーノがアルフィオを待っていた。
「……殿下、私は姫様に振られたようです……」
「アルフィオ、トリアーニャは君のことを思ってあえて……」
「お気遣いありがとうございます。小さい姫様が常に私の後を追いかけてきてくれていて……それにうぬぼれていたようです」
アルフィオは第一王子であるエミリアーノと同じ年ということで、王子の側近になるべく共に教育されていた。
3歳年下のトリアーニャはアルフィオを気にいったらしく付きまとっていた。
アルフィオたちの勉学の邪魔になると侍女たちがトリアーニャを別室に連れて行くのに毎日苦戦していた。
だからトリアーニャがアルフィオとの婚約を断るなんて誰も思っていなかった。
「トリアーニャは君になんと?」
「姫様のことは忘れて私の好きにするように、と」
「で、アルフィオはトリアーニャの言うことを素直に聞くんだ?」
アルフィオはエミリアーノの言葉にはっとした。
トリアーニャの言う通りにする必要はないのだと気づいた。
「しかし、私は姫様に嫌われてしまったようです」
アルフィオはトリアーニャのことが好きだったわけではない。
むしろ、まとわりついてくるトリアーニャが少々うざったいくらいであった。
それなのに婚約を断られて落ち込んでいる自分がいる。
「とりあえずアルフィオの好きなようにすればいいよ。王宮には今まで通り勉強しにくるんだろう?」
「はい、そのつもりです」
「私やデュオニージと一緒に勉強しながらアルフィオのやりたいことを探そう。今はなにがしたい?」
なにがしたいか?今のアルフィオには1つしかなかった。
「姫様の足を治したいです……」
「じゃあ、医学と魔術かな?魔術が発達してる隣国ターンレスに行くのもいいかもしれないね」
「……はい!」
アルフィオに目標ができた。
「医学と魔術を学んで姫様の足を治します。数年後、隣国へ留学します」
「うん、応援するよ」
「姫様の足を治せるようになるまで姫様には会いません!」
「……えええ~トリアーニャの思惑と逆になっているような?」
真面目なアルフィオはトリアーニャ断ちを宣言した。
* * * * *
矢傷を受けて1か月。
常時だるい体ではあるが、さほど熱も上がらず快適にすごしている。
壁に寄りかかったり他人の手を借りてではあるが、立ち上がることはできる。
歩くのは左足がうまく動かず難しいが、医師の立ち合いの元、立ち上がり歩く練習をしている。
足の筋肉を落とさないために重要な練習だ。
「可愛いトリアーニャよ~今日もがんばっておるな~~」
親馬鹿が時速100kmほど加速した父王が毎日この立つ練習を見に来る。
「お医者様方に見てもらっております。ご心配なく。お父様こそお仕事でお疲れではないのですか?」
「くぅ……なんと優しい姫か。幼い身に有り余る苦痛を受けながら他者への慈愛を忘れぬとは……やはり姫の姿を借りた天使が舞い降りてきてるのではないか……」
父王の思考にありえない妄想が加わりそろそろ手に負えなくなってきた。
ちらりと侍女たちを見ると涙をにじませうんうんと頷いている。
「陛下のおっしゃる通り。姫様は我慢強くお体の回復に努めていらっしゃいます」
「まったく我儘もおっしゃらず……あの小さなお体にどれほどの苦痛が……ううっ」
記憶が戻ってから我儘をやめ、人の言うことを聞き、侍女や医師たちの言うこともよく聞いている。
前とのギャップが大きいせいか、周りの人間はトリアーニャを神々しいなにかのように見ている。
「頑張っているトリアーニャになにかご褒美をやろう。なにがいいかな~~」
「毎日そうおっしゃいますが、わたくしはみなに支えていただいているだけで十分です」
「姫様……っ」
「なんといじらしい」
またしても侍女たちを泣かしてしまった。
さすがにこれ以上父王の申し出を断るのも悪い気がしてきたので1つお願いをすることにした。
「それでは、お父様、絵を描く道具が欲しいのです」
「絵?」
「絵を描きたいのです」
「すぐに用意させよう!」
前世では絵を描くのが趣味だった。
薄い本も作っていた。
そしてこの世界では絵のついた本がなかった。
(マンガはともかくせめて絵本くらいは欲しいのよね)
座って絵を描くくらいなら足に負担がかからないから大丈夫だろう。
いずれ絵本が作れれば嬉しい。
王族としての仕事はきっとできない。せめて勉強はちゃんとやって、趣味として絵は続けさせてほしい。
そう思い『我儘姫』の名を返上するように謙虚に勉学と絵に向き合い続けた。
毎日、数時間は聖樹の前で絵を描くようになった。
聖樹とトリアーニャを守るように、数人の侍女と10人ほどの騎士が常に付いていた。
トリアーニャは絵に夢中になると時間を忘れるようになった。
だから気づかなかった。
気づかれぬようにそっとトリアーニャを見ているアルフィオに。
アルフィオはただトリアーニャを見守っていた。
「アルフィオ、私と一緒ならトリアーニャの傍に行けると思うのだが?」
「エミリアーノ殿下、それは結構です。私は姫様と関わらないよう約束しましたので」
「トリアーニャが一方的に言っただけだから気にしなくていいのに」
「私も姫様の足が治るまで会わないと決めました。お元気な様子を目にできるだけで十分です」
「ああもう、じれったいなあ」
「殿下、私は3年後には隣国へ参ります」
「そうか、決めたか」
「はい。必ず姫様の足を治す方法を見つけてきます」
「わかった。でも無理はしなくていいからな。トリアーニャが言ったようにアルフィオの人生はアルフィオのものだ。トリアーニャにとらわれなくていいのだから」
「はい」
3年後、アルフィオは隣国ターンレスへ留学した。
トリアーニャはアルフィオを見送ることもできなかった。