アリエラ
「嘘……」
目の前でなすすべもなく崩れ去っていく帝国軍を見てアリエラは呆然としていた。頼みの綱であったバルクの軍勢も敵軍の本陣に突入したはいいものの、そこから行方不明になった。
そこからは帝国軍は一方的な竜の攻撃を受けて次第に押されていき、夕日が落ちると同時に撤退を開始した。バルクが帰ってくる様子はないし、帝国軍は夜のうちに退却する準備を整えている。
そして大将軍ロドリゲスは撤退の手はずを整えて本陣に戻って来るなり、呆然としているアリエラを見て悪態をついた。
「くそ、元はと言えば竜国を攻めるように言ったのも、巫女を討つために戦力を集中させようと言ったのも全てお前だ」
「そ、そんな」
彼の言葉にアリエラは愕然とする。彼女にとって、まるで屋根に登った瞬間梯子を外されるようなものであった。
「こんな災害だらけの国を征服したところで何にもならない。この上は主要都市の物資と金品だけ略奪して引き上げるしかないな」
「そ、それだけはやめてください!」
アリエラは必死で懇願する。帝国軍に寝返ったアリエラが、帝国軍に見捨てられたらどうなるのかはだれの目にも明らかである。
が、ロドリゲスはそんなアリエラを冷たい目で見降ろす。
「それなら我が軍にこんな呪われた国にずっと滞在しろと言うのか? すでに災害と今回の戦いで多数の犠牲が出ているんだ。この上は奪える物だけ奪って帰るしかない」
そもそも一方的に侵略してきたのは帝国の方ではないか、勝手に侵略してきて被害が出たからといって文句を言うのは筋違いではないか、と言おうとしたアリエラではあるがそんなことを言っても事態は好転しないと言葉を飲み込む。それにそれを言うなら勝手に侵略して来た帝国軍にほいほいと寝返ったアリエラも悪いということになる。
「……そういうことなら私はさっさと王都に帰らせていただきます」
「勝手にしろ」
もはやロドリゲスにとってアリエラは利用価値もなかった。
帝国軍を脱したアリエラは慣れぬ馬を飛ばして王都を目指す。確かに帝国軍は敗れたが、王都にいる者たちは帝国軍が国にまで帰ろうとしていることは知らないはずで、王都に戻ってくると思うだろう。ということはしばらくは王都の者たちはアリエラの言うことを聞くだろう。それに王都にはわずかではあるがバルクの家臣が留守に残っているはずだ。
そう考えたアリエラは急ぎ王都に戻る。
約半月ぶりに戻って来た王都はすっかり活気を失っていた。元々バルクの暴政で人々の活力がそがれていたところに帝国軍が侵略し、さらに相次ぐ地震や建物の崩落で建物までぼろぼろになっていた。
アリエラはそれらには目もくれずに教会に戻った。
が、久しぶりに戻って来た教会は様子がおかしかった。以前はアリエラの敬意を持っている者しか配置していなかったはずなのに、アリエラがやってくると居並ぶ神官たちはアリエラを冷たい目で見つめる。その中にはアリエラが追放したり投獄したりした者も混ざっていた。
その中から一人の若い女性がアリエラの前に進み出る。
「帝国に国を売り渡した挙句、帝国軍が負けるなり尻尾を巻いて逃げ帰ってくるとは恥知らずな」
「あなたは……エメラルダ!?」
アリエラも詳しくは覚えてないが確か大司教グレゴリオの娘だったはず。アリエラが聖女になった日は何かに文句をつけてきて、グレゴリオを投獄した後にも抗議に来たが、うるさいので王都から追放していたはずだ。その彼女が一体なぜここに、とアリエラは幽霊でも見たかのように驚く。
そんな彼女はアリエラを見ると冷笑を浮かべた。
「もっとも、そのまま逃げずに戻ってきたところだけは評価するけど」
すると周囲にいた神官たちがいつの間にかアリエラを取り囲むように立っている。皆アリエラが追放したり、力づくで黙らせてきたりした者たちだ。彼らの目にはアリエラに対する恨みが籠っていた。
せっかく逆らう者を皆追い出したのにまたやり直さなければならないのか、とアリエラは心の中で悪態をつく。
「くそ! ベント、ベントは!?」
ベントはバルクの家来であり、王都にいた時はアリエラに忠実に従って逆らう者たちを捕えたり追い出したりしていた。
彼は留守中何をやっていたのだろう。教会がこんな状態になるまで放っておくなんて。
すると、エメラルダは意味ありげに笑って言う。
「ベント? ああ、あの男ね」
そう言って彼女は手を叩く。
すると神殿の奥の部屋から縄でぐるぐる巻きに縛られたベントが引きずり出されてきた。
「ベント!? そんな……」
「聖女様、申し訳ありません」
愕然とするアリエラに対して、ベントは自らの不甲斐なさを詫びる。
それを見てアリエラは知らぬ間に万策尽きていたことを悟った。
するとエメラルダは真剣な顔つきに戻って言う。
「ここまで国が乱れた上は竜国頭を下げてシンシア様に帰ってきていただき、神様の怒りを鎮めてもらうほかないわ。アリエラ、あなたは王子バルクと結託して国を乱し、神の怒りを買った。その罪は万死に値するけど、今すぐ投降するなら裁判ぐらいにはかけてあげる」
結局、最後まで自分はシンシアの影に過ぎなかったのか。どうせ裁判にかけられようと極刑は決まっているし、何よりシンシアなんかに裁判に掛けられるのはご免だった。
「誰がお前たちの裁きなど受けるか! ファイアボール!」
窮したアリエラは火球を放ち、神殿内で炸裂させる。轟音とともに爆風が吹き荒れ、傷んでいた神殿の天井が崩落した。目の前に粉塵が舞い上がり、視界が遮られる。
「な、何をする!?」
「うわああああ!?」
途端に神殿内に神官たちの悲鳴がこだまする。
その隙にアリエラは逃げ出した。
「もはや権力を取り戻すことが不可能な以上、せめてシンシアに、シンシアにだけは一矢報いてやらなければ!」
もはやアリエラに残っていたのはそんな復讐の念だけだった。




