帝国軍の誤算
ロドリゲス将軍率いる帝国軍三万は王都を出発した。一部の王国貴族が日和見を決め込んだり、相次ぐ災害など多少の誤算はあったものの、三万という大兵力の一部が犠牲になったに過ぎない。魔物の被害で傷ついている竜国を滅ぼすのは造作もないと思われた。
だが、行軍中のロドリゲスの元に、どうやら竜たちの間に潜入させていた魔術師のサマルが行方不明になったらしいという知らせが届く。
それを聞いたロドリゲスは眉をひそめた。もしサマルが失敗したのであれば竜たちの恨みを買っている恐れがある。竜が怒っているとなると竜国を攻めるのはやめた方がいいかもしれない。
「竜国の竜たちが我ら帝国軍に牙を剥くということはあるのだろうか?」
ロドリゲスは念のためアリエラに尋ねる。
すると彼女は自信満々に首を横に振った。
「いえ、そんなことはありえません。過去にも竜たちは魔物を襲うことはあっても、人を襲った例はありません」
「そうか、それなら問題ないか」
アリエラの言葉にロドリゲスは安堵する。
実際、アリエラは竜の巫女を目指していた過去があるため、竜国の事情には詳しかった。言っていることもあながち間違いではないが、今回ばかりは例外であった。
その話題になったところでアリエラは前々から考えていたことを口に出す。
「あの、将軍閣下。一つお願いがあります」
「何だ?」
「もし竜国を征服することが出来れば私を後任の竜の巫女にしていただけないでしょうか」
「何? そなたはネクスタ王国の聖女を続けるのではないのか?」
国が滅びたからといって聖女がいらなくなる訳ではない。ロドリゲスは今でも神が怒っているところに、アリエラを聖女から外せば更なる怒りが降り注ぐのではないかと恐れていた。もっとも、実際は逆なのだが。
一方のアリエラからすれば聖女というのはもはや呪いに近いの役職であった。自分が聖女の座にいても神が怒りを鎮めることはない以上、さっさと訣別したかった。
「帝国軍に降伏した私がネクスタ王国の聖女を務めたままでは人々は納得しません」
「まあそれもそうか。考えておこう」
軍事には詳しいロドリゲスもその辺の事情については詳しくないので、適当に頷く。
そんなことはありつつも、帝国軍はネクスタ王国・エルドラン王国の国境付近に広がっている平原に到着した。
が、そこで帝国兵たちは遠方で休んでいる何体もの竜を目撃する。
「何だこれは!?」
「敵軍には竜がいるのか!?」
それを見た兵士たちは恐怖する。人間同士の戦いであれば負けるつもりのない帝国軍でも、相手が竜であれば話は別だ。
そしてすぐにその喧噪は本陣まで伝わってくる。それを聞いたロドリゲスは最初困惑した。
「竜が出てくるはずはない。何かの見間違いか、敵の策略だろう。すぐに斥候を送れ」
「いえ、きちんと確認しましたが間違いありません。あれは本物の竜です」
「何だと」
部下の報告にロドリゲスの表情が変わる。
そして傍らにいるアリエラをギロリと睨みつけた。
「おい、一体どういうことだ!」
「嘘……」
とはいえ、それを聞いたアリエラも絶句することしか出来なかった。
彼女の知識からすると竜が出てくるなどありえないことだ。
「そんな、竜たちが人間同士の争いに参戦するなんて、ありえない!」
「ありえないも何も今目の前にはその竜たちがいるんだ! 竜の戦力は分からないが、これでは勝てるかどうかは全く分からない。くそ、竜が出てくる可能性があれば事前に対策が打てたかもしれなかったものを!」
ロドリゲスが吐き捨てるように言うと、アリエラはびくりと肩を震わせる。王国が健在だった時と違い、ロドリゲスが怒ればアリエラを庶民に戻すことも首を刎ねることも思いのままである。
そんなロドリゲスに対して結果として嘘の内容を伝えることになってしまい、アリエラは後悔した。
が、彼女は懸命に頭を働かせてすぐに解決策を考える。
「だ、大丈夫です。竜が一時的に敵に味方していても、竜の巫女さえ殺してしまえばすぐに人間に愛想を尽かすでしょう」
すでに竜が人間同士の争いに介入するというイレギュラーが起こっている以上もはや本当にそうなるのかは分からなかったが、アリエラは失点を取り返すために必死であった。
それにどさくさに紛れてシンシアだけは始末したい、という彼女自身の欲望も叶う。
が、ロドリゲスは疑問の表情を浮かべる。
「それなら敵も巫女周辺の防御を固めているだろう。竜の攻撃をかいくぐりながら巫女を倒すなどということが出来るのか?」
「それでしたらこの俺にお任せください」
そう言って名乗り出たのはバルクだった。
彼にとってもシンシアは憎い相手である。それに、今のバルクは国全体を敵に回したため、帝国を除けば味方はアリエラしかいなかった。そのアリエラをここで失う訳にはいかない、という思いもあった。
逆にここで竜の巫女を殺せば、バルクの手柄は計り知れないものになる。そうなれば今後の自分たちの待遇も良くなるだろう。
そんなバルクの思いを感じ取ったアリエラは彼に感謝する。
「ありがとうございます、殿下」
「そういうことであればせいぜいさっさと巫女を殺すが良い」
ロドリゲスとしても国境付近まで兵を進めておきながら、竜に怖気づいて一戦もせずに引き返すなどということは出来ない。もしそんな噂が伝われば、今は帝国に従っている王国貴族たちも一斉に帝国を侮るだろう。それに、シンシアをどうにかすれば王国で起こっている災厄も止まる、と彼は今でも信じていた。
こうして帝国軍は動揺を抱えながらも戦いを挑まなければならなくなったのである。




