星の光。
「スタンゲイブって、あの?」
「あの、以外に他に思いつかないのだが」
「……まあね」
「どうするつもりだ」
「どうもなにも……黙ってる訳にはいかないでしょ」
机の上に広げられたものを見下ろして、向かい合ったふたりは同時にため息を吐き出した。
御前試合を翌日に控え、出場者を引き連れて砦に戻るアンディカの目の前に、ひとりの少年が興奮気味に駆け寄ってきた。
試合を観戦したと、少年はひとしきりアンディカに嬉しそうに話した後、あなたは強い、鷹の紋を持つ強い人に渡すように言われたと、封書を差し出した。
アンディカは中身を確認しようと封を開け、まず目に入ったものに、少年に仔細を聞こうと顔を上げたが、その時には少年はどこかに走り去った後だった。
手分けして周囲を探したが、少年を見つけられない。
そもそもこの手紙の差出人に頼まれ、使いに出されただけなのは、容易に想像できた。
見つけたところで有益な情報は期待できないだろう。
先ずはこの件を取り仕切っているハルに、と説明をしつつ、手紙を見せてのこの状況だった。
「面倒だなぁ……大騒ぎになるよコレ」
「そもそも砦内だけで済む話でも無いだろう」
「んー……陛下にご報告しないと、だね」
「ローハンを呼ぼう」
「……だね、そうしてよ。僕は先に総長の部屋に行ってる」
「わかった」
真っ直ぐな姿勢でさっさとローハンを探しに行くアンディカの背中を見送った。
手紙を折りたたみ、丁寧に封筒の中にしまうと、ハルはぎゅっと目を閉じる。
どれだけ総長がアメリのことを想っているのかは分かっている。つもりだ。
ならこの手紙でどれほど取り乱し、どんな行動を取るのか。それはひとつも見当がつかない。
「うーん……ふたりが来るまで部屋の前で待ってようかな……」
周囲に人が多ければ多いほど、あの人は『総長』であろうとするだろう。
自分の小狡さに苦笑いしながら、それでもハルはあえてゆっくりと、砦内の通路を総長の部屋に向かって歩いた。
封筒の中には手紙と、また別のものが入っている。
「……間違いない?」
「間違えようがない」
「うん……てことは、ここから先はアメリは誘拐された、って事で動くからね」
「…………ああ」
「分かってるね? 僕らに任せて、口出しも手出しもナシだよ? 指揮は僕が。アンディカには補佐に回ってもらうから」
「了承した」
固い表情でアンディカは重々しく頷く。
それほど広くない部屋で、クロノとハル、アンディカが小さな卓を囲んでいた。
少し離れた壁際にローハンが立っている。
身近な人物が事件に巻き込まれた場合、正常な判断ができない上に、私怨による復讐もあり得るので、その件に関わることは出来ない。
自分たちで取り決めた定めごとに、クロノはやり場のない苛立ちを持て余す。
ぎりと奥歯を噛み締めるだけのクロノに、再度ハルは強い口調で分かっているかと念を押した。
クロノは返事とも取れない唸りを吐き捨てる。
「それ、いいかな……僕に預けてもらって……陛下にも見ていただかないと……」
手の中のものに口付けを落とすと、せめて自分の目の前では、この場だけでも、誰にも触れられることがないように、クロノは自分の手で封筒の中に仕舞った。
「ローハンは足取りを追ってくれるかな?」
「……はい、わかりました」
「待て、それは……」
「なに? 早速 口出し? 総長が僕の立場でも同じ指示を出すと思うけど。それでもと思ってたけど、やり方も経過も知らせない方がいいのかな」
「……任せて下さい、総長。絶対に気取られるようなヘマはしません」
「気持ちはわかるよ…………なんて生温いことは言わないよ。あんたは今ジタバタ動いちゃいけないし、動揺してるのも見せちゃいけない人だ。部下に任せて踏ん反りかえっててくれなきゃ……アメリがここにいれば同じこと言うと思うけど?」
「………………ああ」
「僕らが居なくなった後なら好きに暴れなよ。ただしこの部屋の中だけでね」
気遣わしげなアンディカとローハン、いつになく強気な姿勢のハルはクロノの部屋を辞した。
しばらく通路を進むと、急激に肩から力を抜いたハルが立ち止まって振り返る。
「……てことで、これから陛下のとこに行こうと思うんだけど、ローハン取り次いでくれる?」
「ええ……はい。では一緒に」
「うん、お願い。アンディカは砦に居て。何かあったら対応よろしく」
「任せておけ」
日が暮れてもなお明るい街を背に、ハルとローハンは馬で駆け出す。
陛下は町から少し離れた領主邸に滞在している。
そこまで遅い時間でもないが、かと言って喜んで迎え入れてもらえる時間でもない。
騎士ふたりの突然の訪問にも関わらず、ローハンの取り次ぎもあってか、割とあっさりと陛下の滞在している部屋まで通された。
これまでの成り行きを説明し、数刻前に渡された手紙を陛下の前に差し出した。
話を聞きながら陛下は封筒の中身を検めて、手紙だけを取り出す。
「……騎士団長夫人をお預かりします。追い手は不要。こちらで追跡者ありと判断した場合、夫人の体を少しずつお返しする。
虚言ではない証として、こちらを同封する。
要求は次の知らせにて……」
ふんと鼻を鳴らすと、手紙を放り投げるようにして、陛下は長椅子の背もたれに体重を預け、足を組み替えた。
卓の上の手紙に目線を送ったあと、向かい側のハルを視界の中心に置いた。
「……で? これはラフィの髪で間違いないのか?」
細い紐で結わえられたひと束の髪の毛は封筒の中に入ったまま。
陛下もさすがに触れることはしなかった。
それを許されるのはただひとりしかいない。
陛下がクロノを慮っていることに、ハルは新鮮な驚きを持った。
「……ええ、はい。総長が間違いないと」
「まぁ別人でこの髪色を探す方が難儀か……だが、あれがそう簡単に自分を攫わせる真似をするか」
「考えなくもないですが、方法はいくらでもありますし」
「そう簡単に自分の髪を切らせるか」
「……そうされる状況かと思われます」
「まあな……しかしこれだけじゃどうもな。ラフィ自身が目当てじゃないことだけしか分からんな」
「陛下が悪いですよ」
「うわ、なに急に」
背後に直立していた宰相閣下が声を低くして言い放つ。
「あれだけ目立てば、良からぬことを考える者も出てきます」
「まあねー。うちのわんちゃん可愛いからね?」
ねー? とにこにこ笑いながら、陛下はハルの後ろに立っているローハンに首を傾げてみせた。
「……笑いごとでは済みませんよ陛下……」
弓術の試合で決勝戦まで進み、隣国の民にも、王族や貴族にも、騎士団長夫人は躍進ぶりを示した。
宰相ムスタファの言も然り。
今回の件はその最たるものだ。
手紙の差し出し人は、隣国王の実子。
第二王子の署名がされていた。
「言いたいことは分かるが、要求は別にある。ラフィを手籠めにするのが目的でも無いだろう」
さらに声を低くしてムスタファが答える。
「……そうではないとも言い切れません」
「あー……まぁ、そうね」
「とにかく早急に王陛下にお目通りをして、事実確認をしなくては」
「うん、よし……今から行くか!」
「……退屈してたんですね?」
「あ、バレた」
交わされる会話に、ハルとローハンは堅く目を閉じる。
自分たちの長と変わらないしわを眉間に刻んだ。
さらに同じようなしわを寄せると、隣国王は卓に両手をついて勢いよく頭を下げた。
「申し訳ないことをした! ……ぁんの、クソ馬鹿息子!!」
「いやいや……頭を上げて。……もしかして、何か知ってるのか?」
同じように隣国の領主邸に滞在している王陛下を訪ねて行った。
一国の宰相閣下と国王陛下が、騎士をぞろぞろと引き連れて直々のお出ましなので、簡単に帰されるはずもない。
こちらも時間に関わらず、迎え入れられる。
通された部屋は狭くはないはずなのに、国王とそれを警護する軍人、ハルたち騎士と侍従とで少々窮屈に感じる。
よく晴れた日の大海原のような人だ。
隣国の王は闊達そうな見た目と、見た目通りの言動をとる人だとハルはそう感じた。
また種類は違うが度量が広く明朗な雰囲気。
我が王と似ているから、これまでの友好関係も当然かと納得する。
「……いや、すまんが何も知らない。だがあいつならやり兼ねん」
「はは……信用無いなスタン王子」
「あのバカタレめ……何が目的なんだ」
「まだ分からんな……とりあえずこっちに任せてもらっていいか?」
「構わん……捕らえた後も、煮るなり焼くなり好きにしてくれ」
「いやまあ、さすがにそれは無いだろ」
「何故どいつもこいつもあの抜け作を甘やかすんだ!」
「王子だからな」
「俺の血が流れているのかと思うと腹が煮える!」
「まあまあ……抑えて。王子の独断だと確認できた。こちらとしても今の段階でこれ以上はない。よし……飲もう!! な?!……あ、お前らもう下がっていいよ」
ひらひらと手を振られて、そのままほとんどが部屋の外に出された。
気不味い顔を見合わせて、ハルとローハンはそれじゃあと屋敷を後にすることになる。
王軍の長から力添えを申し出られたが、丁重に断りをした。ついでに静観して欲しいと釘をさす。
追っ手を掛けられるのは困る。
アメリを切り刻まれて少しずつ返されでもしたら、総長ひとりで隣国相手に戦を起こしかねない。
「……何かしら話を引き出すのは陛下に任せるしかないですね」
「そうね……ていうか、普通に飲みたいだけに見えたけどね」
「ああ……まあそれも無くは無いでしょうけど」
馬に跨って、ハルとローハンはそれでも急ぐことなく砦に戻る道を行く。
「ローハン、スタンゲイブ王子の顔 知ってる?」
「はい。存じ上げています」
「うん。じゃあ今晩中にもこっそり出てもらえる?」
「ええ、了解です……良さそうなのを何人か見繕って」
「よろしくね」
「では早速、お先に失礼します」
「うん、ありがと」
へにょりとした笑顔に、にっこりと笑い返す。
ローハンはすぐに夜の闇の中に消えた。
馬の足音が遠ざかる音だけが残る。
ハルは肺の中の空気を全部吐き出して、そのままの勢いで空を見上げた。
針で突いたような小さな粒々に、アメリの無事を祈って、ゆっくりと目を閉じる。