砦の町。
この国と境を接する南東側は、長い海岸線を持つ『海の国』だ。
大きく突き出た半島がふたつ。
太く長い両腕で海を囲おうとしているように、地図ではそう見える。
それ故に小国でありながらも、他の海辺の国よりも長い海岸線があり、漁業と海運業が盛んな国でもあった。
この国の境から南下すれば、一番近い海なら馬で二日も走れば到着できる。
それほどにも小さな国であったが、近隣の大国と肩を並べられるほど、経済的にも軍事的にも権力を有していた。
海の向こう側からの物資を一手に引き受け、こちらの大陸に広めていく。
海運業がこの海の国を支えていた。
もちろん海軍もそれ相応に強堅であった。そもそも起こりを辿れば海賊であったとかなかったとかいう噂も真しやかに話される。
そんな南側にある「海の国」とは前王の時代から友好関係にあった。
一度も戦をしたことはなく、お互い難事があれば手を差し伸べあって、共に発展してきたといっても過言ではない。
国の境には形ばかりの砦があったが、非常に近い位置関係。
我が国と隣国の砦の間に人が集い、いつのまにかひとつながりになって大きな町になっていた。
町の真ん中の国境はあってないようなもの。
大勢が行き来し、内陸のものと海からのものが一度に揃う豊かな場所だった。
町に活気があって人も多ければ何かと騒ぎが起きもするが、我が国の騎士と海の国の軍人とで協力する場面も多い。
仕事を奪い合ったり貶め合ったりすることもなく、こちらもかなり良好な関係といえた。
数年に一度は両国合同で演習をする。
といっても近隣の国とも、特にこれといって悪い関係でもないので、他国の脅威に対する必要もない。
なので何をしているかといえば、要するに腕試し。明らかにお遊びの要素の方が高い『試合』だった。
どの辺りでそのお遊び要素が判るかといえば、勝ち上がり形式で行われる試合。誰でも観戦できるよう、会場は解放されているのもひと役買っている。
勝ち上がった者たちの試合は、各国の貴族や王族が観戦する。
勝負ごとなので賭けの対象になりもするが、民の楽しみであるからと、黙認されている状態だった。
なんなら貴族や王族も賭けを楽しんでいるので、大々的に禁止される訳がない。
試合は一対一で戦略を競う大変に静かなものから、大勢で素手でやり合うような大変に賑やかなものまで多種多様な競技がある。
『演習』の期間中は、町のどこかに競技場が設けられ、双方の国以外からも観戦客は訪れて、町はいつもの何倍にも人口が膨れ上がる。
『演習』で白金の騎士たちの参加は当然のこと。
騎士たちがこのお祭り騒ぎを逃す訳はないし、それをおめおめと見逃す我が王でもなかった。
「面白かったぞ、ラフィ!」
「やぁー……負けちゃいましたー」
王族たちの居る観覧席に呼ばれたアメリは、我が王の前で頭を垂れる。
騎士のように片膝を突いて、苦笑いで顔を上げた。
試合の後に急に呼び出されて、防具も手袋も取る暇がなかったので、濃紺の騎士服によく似た衣装もそのままだった。
「お前、ワザと手を抜かなかったか?」
「まさか! ウチの大隊長を舐めないで下さいよ!」
アメリは弓術の試合に参戦していた。
参戦者を数えれば何百人といた最初の試合から順当に勝ち上がってきたものの、最後の最後で第四隊の大隊長エイドリクと当たり、気持ちよく負けた。
「まぁ、よくやったとほめてやる。ほれほれ、ここに座れ」
「やですよ。私、総長の試合を見に行きたいんです」
「なに、どうせ勝ち上がってこの場に来るんだから、ここで待ってれば良いじゃないか」
「えー……じっと待ってなんていられないですよぅ……」
アメリはぷくりと頬を膨らませる。
陛下は長椅子で、まだしつこく自分の隣をぽんぽんと叩いていたが、後ろに控えた宰相閣下にぴしゃりと怒られてアメリと同じような不貞腐れた顔になった。
そもそも騎士でもないアメリは、試合を見て、みんなを応援する気しかなかった。
総長夫人として、夫の試合を見守ろうと、それなりに周囲の貴族や王族とそつなく会話をし、大人しく隅っこに座っているつもりだった。
にも関わらず、我が王の、面白そうだから行ってこいの一言で今回の参戦が決まった。
もちろん王族たちのいる、この会場までは勝ち上がるようにとの命令込みで放り出された。
それなりに楽しい余興になったはずだ。
見目麗しい騎士団長夫人のまさかの活躍は、この『演習』に於いて大きな爪痕を残したのは間違いない。
「いやいや、もうこの際だから、あちこちの予選を見に行ってやろうかって」
「なんだ、お前だけズルいぞ」
「陛下、椅子に縛り付けてさしあげましょうか?」
「是非そうしてもらって下さい、陛下……ではこれで。御前、失礼いたします」
もう立派に役割は果たせたとアメリは考えて、後は自由にさせてくれと想いを込めて挨拶を済ませる。
王族たちからかかる言葉に、にこにこと笑って丁寧にお礼を返しながら、時間をかけて何とか観覧席を後にした。
勢いよく階段を駆け下りたところで、階下にはハルが待っていた。
「さあ、行くよアメリ」
「うん、行こう!」
どの試合も元々から不参戦を決めていたので、ハルはいつものアメリのお守り役に徹していた。
王騎士に随行して、開幕と閉幕に行われる、陛下の行進に参加するだけで、期間中はアメリと行動を同じくする予定であった。
騎士団長夫人の思わぬ試合出場と、もうなんか大人しくしている意味も分からなくなったアメリに賛同して、剣術の予選会場に急ぐ。
王族や貴族の前での剣術の試合は最終日、二日後だ。今はまだ予選の最中。出場者がやっと半分ほどになった頃だとハルは移動しながら話す。
前回の演習でクロノはアンディカに敗れ、そのアンディカも海軍の隊長に負けてしまった。
話を聞いた時はアンディカが負けることがあるのかと驚いたけど、上には上がいるものだというのはアメリ自身、身を以て知っている。
負けて悔しい気持ちも分かる。
普段と同じように過ごしているつもりで、いつもと違うぴりぴりした雰囲気のクロノの邪魔にならないようにと決めていた。
だからこそ大人しくしていようと思っていたのだが、アメリに応援されれば元気が出るに決まってる、とハルに言われて単純に話に乗った。
会場を一歩離れれば、町はお祭りの日のように賑やかだった。
あちこちに露店が並び、馬や馬車は規制されているので、人が通りに溢れんばかりにいる。
祭りの内容が内容だけに“嬉しい楽しい”ではなく“血が騒ぐ”ような、活気のある空気で満ちていた。
その中を騎士服をばっちり決めたハルと、ばっちり騎士服に似た服を着ているアメリが一緒に歩いていれば、そこまで苦労せずに人混みを抜けられる。
帯剣はしていても城内と同じようにすぐに抜けないように金具を取り付けていた。
両国の取り決めに従っている騎士姿。すぐに見た目で分かるので、道も行きやすい。
試合を見たと言う人に時々アメリは声をかけられ、結果を聞かれたが、そこはハルがすかさず間に割って入り、相手をする。
最後の数試合までは、一般の民も観戦できるが、あとは御前試合になるので、誰が優勝したのか、町にいる人々が知るのは翌日以降の発表からだった。
アメリには言葉を発さないようにと釘をさし、ハルはにこにこと笑って、相手には明日の発表をお楽しみにと先を急ぐ。
「だめだよアメリ。軽く話しちゃ」
「そうだね……ごめん」
「まあ確かに変な決まりだけど、大金が動いてるからね……何があるか分からないし」
「はい。気を付けます」
「うんうん。いい子だねぇアメリは……なにか食べる?」
「食べる!」
露店から漂ってくる良い匂い。
アメリが気を取られているのに気が付いて、ハルはどうぞと片腕を広げる。
あっちの露店やこっちの露店に寄りつつ、食べ歩いているうちに剣術の会場に到着した。
「あーあー……やだやだ……むさ苦しー……」
ハルはうんざりした表情で吐き出す。
確かに立派な体格の男たちがあちこち歩き回っているし、熱気も活気もちょっとおかしく感じるほどあった。
出場者も観客も、特に分けられてはいない。簡素に作られた観客席側にも、明らかに参戦者が混ざっている。
ハルもアメリも出入り口で剣を預けた。
もちろん観客席側にいる人は誰も剣を帯びていないが、参戦者は雰囲気でなんとなく見分けが付く。
「アメリ、こっちだよ」
周りをきょろきょろしていたアメリの手を取ると、ハルは人混みの中を抜けて、観客席を奥へと進んだ。
よく見えるように段差をつけて作られた観客席の裏側の通路を行き、突き当たりの席の切れ目から、表に回る。
「あれー? 奥方様もう終わったんですか?」
「ローハン! あ、みんなもいる!」
「いつもこの辺りに陣取るんだよ。出番待ちや終わった後にみんなここに来るんだ」
「ふぅん、そうなんだね」
「あれ。大隊長が勝ったんですか?」
「……私が勝てるわけないでしょ、何言ってんのローハン」
「あー。まぁ、どっちが勝っても良いように、どっちにも賭けたんですけどね」
「え……もうそれ、賭けじゃないよね」
「いやいや、奥方様と大隊長以外には賭けてないので」
「あぁ……儲かった?」
「おかげさまで」
「後で美味しいもの」
「ご馳走しましょう」
「やったー!」
両腕を上げて喜んでいると、後ろからぐいと腰を抱かれる。
「終わったのか?」
「クロノ!」
べしべしと腕を叩いて、ゆるまってから後ろを振り返る。
「エイドリクよりも先に来たな……」
クロノはくくと喉を鳴らしながら、朝ぶりに見た妻の頬を撫で回す。
ぺしとその手を叩き落として、アメリは自分の腰に両手を置いた。
優勝者は王族や貴族への挨拶回りで忙しくなる。すぐには解放してもらえないのをクロノは知っていて、そのことを言っていた。
「……ていうか、みんな。私かエイちゃんおじちゃんの二択なわけじゃないんだけど」
「いや、二択だろう」
「だよ?」
「ですね」
ううんと唸って、アメリはどっかりと客席に座る。
腕があると認められて、信用してもらえるのは嬉しい。けれど、あの場に居た誰が一番になってもおかしくなかった。
騎士たちだけではなく、隣国の軍人たちも、腕に差はなかった。エイドリクが僅かに抜き出ていただけの話で、何か他の要因が変わればその差は覆せる程だった。エイドリク自身さえそう感じていたはずだ。
「だって……みんな強かったんだけど!」
「……そうだろうな」
すぐ側に腰掛けると、クロノはふわふわしていたアメリの髪を耳にかけたり、そのままついでに耳飾りを触ったり忙しそうにしていた。
むうと怒った顔で、アメリはクロノを睨む。
その顔に穏やかに笑い返して、ついでにアメリの頬を撫でる。
「……御前に出る者は、みな強い。どんな差で勝敗が決まるのかは、誰にも分からない。そう言いたいんだろう?」
「みんな勝ちたかったの!」
「……そうだな。敗れた者に失礼だった」
「でしょ?」
「そうだ……すまない」
「……僕が見てた限りじゃ、アメリかエイドリクで決まり。まったく心配いらない感じだったけどね」
「ハル?!」
にやりと笑ってわざとらしく肩をすくめると、じゃあねと観客席を後にした。
あちこちうろうろして、かわいいお友達を作りに行くと言っていた。そもそものハルの目的は、応援でも試合観戦でもない。
「……クロノの試合は?」
「さっき終わった」
「ええっ?! あーもう! もっと急げば良かった!!」
「まだもう少し後にも試合はあるぞ?」
「……だって見れるだけ見たかったのに」
「この後を見てくれ」
「いっぱい見せてね」
「……善処しよう」