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どすこいあそばせ! エレガント力士・エレガント山!  作者: 当年サトル
天空の覇者ッ!! 航空相撲の挑戦ッ!! でゴワシますわ
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十五ッ!

 ゼニギュオアァァァァァァ──ァァ──ァァ──


 銭十字病院名物、心ある人を嘆かせることに定評のある金銭欲混じりの音──


 その爆音が反響し四方八方から襲い来る悪夢めいた環境の中、航空力士は立ちすくんで──


 いや、浮かびすくんでいた。


 そして「ウムムゥ──」と唸った。


 まただ──


 さっきもだ──


 本来は精悍な顔を情けなさそうにしかめたのは、


 自分自身に対してだ──


 何分前、何分間のことだろうか。


 虐殺のため銭十字病院へ侵入していった悪魔力士たちを素通しした後、航空力士はしばらく空中に身動きひとつせず浮かびすくんでいた。


 しばらく経った後にユルリと振り返り、そして、


 矢のような速度で──


 すなわち、


 航空力士の基準から見ればのろのろと歩くに等しい速度で──


 銭十字病院の内部へと飛んでいったのだ。


 そして──


 病院ビルの中腹あたりに空いている、直径5メートルはあろうかという円形の横穴。通風孔だ。少し奥に進めば、施設中心部を上下に貫く、直径10メートルほどの縦穴に行き当たる。壁面に大小多数の横穴が空いていて、病院内の各部に通じている。


 奴らはそこから侵入した。


 背中を向けたままだったので入る瞬間を見てはいない。だが、彼らの飛行が起こした風の流れが、警備力士のところまではっきりと届いていた。重力に逆らい宙を飛んで戦う航空力士にとって、風は、空気の流れとは、通常力士以上に身近で、鋭敏に感じ取れるものなのだ。その鋭敏さが、突風のごとき超高速で相撲技を繰り出し合う航空力士に瞬時の判断力を与える。それこそが航空力士の強さの源なのだ。


 言いかえれば、航空力士の戦いにおいて、空気の流れに鈍感でいては、瞬く間もなく死あるのみなのだ──


 ゼニギャラギャラガガガガガ──ァァ──!


 その鋭敏な感覚を激しく殴りつけるかのように、金銭欲爆音が黄金色の通風孔内に轟いていた。


 入口となる横穴から見て、縦穴内の10メートルほど上と、下の、二箇所に──


 井桁型の支柱が張り巡らされ、巨大な装置を支えている。辺縁がミリコンマ単位で壁面スレスレの位置を回転している、黄金色の巨大なスクリューだ。


 力士ならではの優れた動体視力をもってしても見切るのは困難な超高速で回転している。それが五枚ずつ連なり、侵入者を拒んでいるのだ。支柱の隙間は巨体の力士でも余裕ですり抜けられるほどだが、超高速回転の刃が五体満足で通行することを許してはくれない。通り抜けるまでの間に全身をくまなく斬り刻まれ、肉片どころか粉々の塵と化すであろう──


 そう、これは、送風機と侵入者絶対殺害装置を兼ねた黄金地獄風車!


 なんと恐ろしい、悪魔的、地獄的、暗黒的、鬼畜的、最悪的なマシーンであることか!


 頭上に殺戮マシーン! 足下に殺戮マシーン! 上を見ても下を見ても殺戮マシーン! 殺戮マシーンと殺戮マシーンに挟まれた驚異のダブル殺戮マシーン空間! それら死の権化たちが、吼え狂うような金銭欲の轟音を、ダブルで縦穴の中に反響させる! 縦穴の中心まで飛び進んだ警備力士は、そんな嵐のごとき死の予兆と金銭欲の爆音の中で静止しているのだ! 特濃の恐怖と狂気が満ちる異常空気! 常人ならばコンマ何秒おしっこちびらずにいられることか心もとない! この際、常人ならばそもそも空中に静止できないことは考慮しないものとする!


 だが、警備力士はその殺戮マシーン金銭欲爆音空間において、取り乱すことなく、静止──文字通り、静かに止まっていた。


 ざっと見たところ、互い違いに重なり合うスクリューには、数秒に一度、ほんのわずかな一瞬だけ、人智を越えた超高速で飛べば突破できる程度の隙間ができるようだ。ただ、その隙間は常識的な体格の力士が超精密に飛んで、ようやく無事に通れる程度の狭いものだ。巨体を誇る悪魔力士たちの体格で可能だろうか?


 だが奴らの姿は既にここにはなく、またこうして装置が破壊もされていないからには、どうにかして通り抜けたに違いないのだ。


 どうにかとは、一体どうしたのか──


 やったというのか──何らかの何かを──


 不審がる警備力士の視界の端に、何かが見えた。


 黒い液体だ──


 殺人装置の少し上あたり、黄金の壁面に、黒い液状のものが不自然にへばりつき、不自然にウニョウニョと蠢き、液体の自由落下にしては不自然な意図を感じる速度で壁面を伝い下りていく。

 

「そういうことですかい──」


 警備力士は察した。


 奴らは身体を液状に変化できるのだろう。そうして身体を薄く伸ばし、スクリューと壁面のごくわずかな隙間を通れば、何の苦労もなく殺人装置を突破できるのだ。あの黒い液は、薄さが足りずにうっかりスクリューに触れて跳ね飛ばされてしまった身体の一部といったところだろう。


 普通に飛んで移動するよりは時間のかかる手段だ。少しは足留めになっているということか──


 今から追うのも無駄ではないかもしれない──


 警備力士の目にかすかな光が灯り、


 そしてまた曇った。


『人は──鳥になれる──』


 いつか聞いた言葉だ。


 不意に、過去の記憶がよみがえった。


『よいかムガよ──』


 ムガ──警備力士の名。


 その名で呼ばれていたのは、もう昔のことだ。


 警備力士のような、人前に出て興行試合を行わない裏方力士が、固有の四股名(コードネーム)を持たず、無味乾燥な暗黒力士番号で呼ばれるのはよくあることだ。


『人は翼を持たぬ──』


 語りかけていたのは、茜色のマントに身を包んだ老人。警備力士ムガの師匠だった。長い髪と髭は既に真っ白で、生え際はかなり後退していたが、浅黒い身体の逞しさと、眼光の鋭さはいまだ衰えきってはいなかった。


『それは生まれもった理不尽なさだめなのである』


 あの時の、あの場所は──


 草もまばらな、荒涼とした岩山の尾根。ムガと老師は二人きりで、向かい合って立っていた。夜明け前の頃だった。


 ムガの生まれた一族は、人目を避けるように、ユーラシア大陸中央部あたりの険しい山脈の奥地を転々と渡り歩く少数民族だった。


『飛べぬとは、その分弱いということ』


 老師が見上げた空の先に、フクロウが飛んでいた。鋭い足の爪が野ウサギをがっちりと掴んでいた。


『飛べぬものは、飛べるものより不利となる。それが自然というもの』


 そこで、記憶の中の情景が、唐突に切り替わった。


『だが──いつまでも自然のままでどうする』


 夜。大きな街の倉庫だった。老師は常人ならば残像すら捉えられないような速度で、拳銃を構えた屈強な男たちを、張り手で吹き飛ばし、腕を掴んでひねって関節を砕き、次々と無力化していった。叩き伏せられた男たちは、臓器密売目的で誘拐を繰り返していた極悪組織の者たちであった。倉庫の隅で、大きな袋をかぶせられた子供たちをかばいながら、ムガは老師の奮戦を誇らしく思った。


『自然のさだめに挑んでこそ、人は人なのだ』


 ムガの一族は古来より航空相撲を継承する勇者の一族だった。凄まじい戦力となる航空相撲がどこかひとつの勢力に所属、あるいは航空相撲一族が征服に乗り出すことで、世界が航空相撲によって支配される暗黒相撲時代が到来してしまうことをおそれ、世俗と距離を保って暮らしていた。しかし極端に孤立するあまり、世俗を全く無関心のものとして冷淡に扱ったり、物質的に貧しくなりすぎるのは精神的な荒廃につながるため、時おり街に下りては悪党退治を引き受け、いくばくかの謝礼を受け取っていた。航空力士見習いとして修行の日々を送る少年期のムガは、その老師の仕事についていき、実戦を学んでいたものだった。


『ムガよ、さあ飛べ。飛んで、力を示すのだ』


 記憶の中の景色は、再び夜明け前の岩山に切り替わった。あの山は、一族の聖地とされる場所だった。一通りの修行に耐え抜き、一人前の青年と認められたムガは、修行の仕上げとして、新たな航空力士と認定されるための試練を受けるところだった。ムガは試練の正装をしていた。


 その正装とは──全裸! 試練には何も持たず、己の肉体のみで挑むのが見習い卒業の条件なのだ!


 老師に促された全裸のムガは、明るくなり始めた方の空に背を向け、高い岩山の狭間の峡谷へ視線を落とした。いまだ明けきらない夜の闇に沈み、眼では底が見えない。


 ムガは呼吸を整え、全身の相撲力を高め、反重力波に変換し、スゥッと宙へ浮かび上がり、クルッと身をひるがえし、ゴゥッと頭から暗闇の谷底へ突進した。


「ヌグゥッ──」


 減速しなければあと数秒で地面に衝突するだろうというところで、斜め上空から、何かが拳銃の弾くらいの速度で飛んできたのを、ムガは身体をひねってかろうじてかわした。


 この聖なる谷の中で戦ってこい──


 それが最終試練の内容だった。


 その相手が来たのだと、直感で理解できた。


「ウラァッ──」


 謎の何かへ向かって、ムガは獣の咆哮めいた声を浴びせた。まだ見習いとはいえ航空力士の一喝、ヒグマ程度の普通の獣ならこれで逃げていったものだが、試練の相手がこれで退くことなど期待はしていなかった。暗闇の中で相手の正体を掴むためだ。


 航空力士ならではの鋭敏な感覚で、空気の流れ、それに音の反響を合わせれば、目で見るよりもむしろ正確に相手の姿を把握できるのだ。


 その姿とは──


 鋭いクチバシ、胴には羽毛、頭頂にはトサカ、菱形の凧に似たヒレが付いた尻尾、コウモリに似た翼──


 鳥──いや、こんな鳥は現代にはいないはず──


 これは──


 5メートルほどの翼長を持つ、翼竜!


 プテラノドンが有名な、翼竜!


 太古の昔に滅んだはずの、翼竜!


 だがユーラシア大陸の奥地で、その一種が実は生きていたのだ! ユーラシアコンガマトーと呼ばれる未確認生物だ!


 攻撃をかわされたユーラシアコンガマトーは、そのまま地面に激突するかと思いきや、慣性を無視したV字軌道で急上昇! 上昇しながら、常人ならば何をしているのかすら理解できない超速度でギュルルルルと回転している! 突然ピタリと静止し、ムガへ向き直り、まっすぐムガへ再突撃! 通常の物理法則ではありえない異常すぎる挙動! だが未確認生物とは、本来ならば絶滅するはずだったところを根性で生き残ってきた種族! その人智を越えた根性で物理法則をねじ曲げ、人智を越えた超常現象を起こしても何ひとつ不思議はないのだ! くれぐれも、未確認生物を見かける機会があっても、なめてかかることは避けていただきたい!


 だが──


「ウォォォーォォーォォ──ッッ!!!」


 気合! 叫び! 立ち向かう!


 人智を越えた根性で超常現象を起こすのは航空力士も同じことなのだ!


 鋭いクチバシを弾丸の速度で突き刺そうと突進してきたユーラシアコンガマトーを、まるで空中に見えない大地があるかのごとく、どっしりと立ち、まっすぐ待ち構える!


 ドギャァァァッッッ──


 凄まじい衝撃と共に、クチバシがムガの腹を直撃! 常人ならば──どころか、牛でさえ真っ二つになって弾け飛ぶ超威力! こみ上げる不快感! 薄れかける意識! 衝撃が臓器を、脳を、重く揺さぶったのだ! しかしムガの意志は気絶寸前で踏みとどまる! 修行の日々が培ったすごい根性だ! そして相撲力を限界まで高め、腹筋にものすごく力を込めた! ゆえに無傷! 相撲の力はすごすぎてすごいのだ!


「ヌォォ──リャァァァ──!!!」


 ズッドゴォォォォォ──


 丸太のごとき筋肉を誇るユーラシアコンガマトーの首に、ムガはガシッッと腕を絡ませ、振り向きながら地面へ放り投げた! 空中で慣性をねじ曲げ体勢を立て直そうとするよりも、投げの速度が上回り、ユーラシアコンガマトーは谷底へ叩きつけられた!


 致命傷を負ってはいない──が、ムガの方が生物として格上と認めたユーラシアコンガマトーは、腹を見せ横たわり、尻尾を振って戦意喪失! 航空相撲の大技、スカイハイ・スーパー・うっちゃりでムガの勝利! 胸の前で両手を組む、一族式の礼をユーラシアコンガマトーに捧げ、ムガは揚々と谷から飛び去った! 試練修了!


 谷の暗闇を抜けたところで、頭上から不意に何かがバサリとかけられた。


「よくやったな」


 いつの間にか目の前に浮かんでいた老師がニッと笑いかけた。ムガは着せられたものをつまみ上げて見た──


 一族の間で一人前の航空力士を示す証となるマント! 個人ごとに特有の色が与えられる──ムガのものは浅葱色だ! 


 全裸の上にマント──これこそが一族の正装! 老師も茜色のマントの下は全裸! 現代社会の感覚ではコンプライアンス違反に見える光景だろうが、航空相撲一族の戦士にとってはまさに人生の絶頂と言える誇らしい瞬間! それがマント授与なのだ!


「ッラァァァ──!!!」


 山脈の向こうからいよいよ姿を現した朝日に、ムガは歓喜の雄叫びをぶつけた。


『ムガよ──お前はもう立派な鳥人だ』


 ピギャァース── ピギャァース──


「聖地の主も祝福しておる」


 ほんの少し前まで谷底でのびていたはずのユーラシアコンガマトーが、上空へ飛び出し、ムガと師匠の周りを遠巻きにゆったりと回りながら、敵意のない声で鳴いていた。ムガはユーラシアコンガマトーを殺すつもりはなかったが、かといって手加減もしなかった。にもかかわらず、ダメージなどなかったかのように悠々と飛んでいた。


 ムガはユーラシアコンガマトーの強さに、畏怖と、全力をぶつけ合った同士ならではの敬意を抱いた。


 そこで記憶は再び突然切り替わり、


 とある街の倉庫──


 ムガは銃弾を見切ってかわしながら、人身売買組織の悪漢たちの中へ飛び込み、次々と投げ飛ばし、急所を打ち、関節をひねり、瞬く間に無力化した。マントの下は全裸だが、航空力士の動きとは、常人ごときに自らの急所を見られてしまう程度の速度ではない。かなり激しく立ち回ったことを感じさせないくらい穏やかに、浅葱色のマントは、転がる悪党の中に佇むムガの身体を覆い尽くしていた。


 とはいえ異民族へ失礼のないよう、何かがはみ出したりしていないか確認してから振り返ると、大きな袋の中から助け出された若い女性たちの前に、老師が立ち、満足そうにムガを見ていた。戦いに一切手出しはせず、初仕事の見届け人として同行したのだ。


 一人前の航空力士となったムガは、悪党退治を立派にこなしたのだった。


 だが──


『だがな──』


 また記憶の風景は切り替わり、


 あの日──


 悪党退治に向かった現場は、明らかに異様だった。


 闇夜の底で、たたずむ倉庫だ──


 倉庫に悪党がたむろし、売り飛ばされる人が閉じ込められているのは、嘆かわしいことだが、よくあることである。


 だが、この倉庫は──


 ばかでかい! 幅も奥行きも1000メートルは超えている! 高さも100メートルはある! 黒い! 真っ黒に塗られ、あちこちから銀色のトゲトゲが生えている! おそらく特に意味はないトゲトゲだ! なんと異様な建築様式であることか! 不気味! 異様なのは外観だけではない! 音だ! 空気の流れに敏感な航空力士の耳にも、中の様子が一切伝わってこない! 何もない、誰もいない場所だから──ではない! 普通なら全く空っぽの建物の中でも空気は常に動いており、中に何もないことを伝えてくるものだ──だが! この倉庫は一切完全無音! 中に何もないのではない──中に何かあるのかどうかすらわからない完全な無音! 過剰なまでの完全超防音設備なのだ! 仮想敵を常人以外のものに設定してある超秘密施設なのだ! このような異様な倉庫──ただの人を閉じ込めるなどという平凡な目的で造られたものではあるまい──いったい何が待ち受けているというのか──!?


 そして──搬入口であろう巨大な扉に、見慣れない文字が赤でデカデカと書かれている! 漢字だ──古い書体で「暗黒」と書かれている── 隣に立つ老師がそう解説した。


 今回は──老師はただ見守るため同行したのではなかった。


 ムガ一人では──


 老師一人でも──


 無理な仕事かもしれない──


 そういう判断だった。


 若く気力体力に溢れ、才能も優れたムガは、航空力士となってからわずか一年で、一族最強クラスの戦士として尊敬を得ていた。それで慢心することもなかったが、一人では無理だと言われることには、全く不服がないとはいえなかった。


 だが、老師の表情に滲む、地獄へ向かう覚悟のようなものを見ては、黙って気を引き締めるしかなかった。


 ヒョウッ、と老師が息を吸い込み、ヒラッと、こともなげに掌を前方に突き出すと、竜巻のごとく高圧の暴風が前方にほとばしり、巨大な金属の扉をむしりとり、空中高く巻き上げ、刃のような真空で粉々に斬り刻んだ。


 ムガは目を見開いた。大気と共に生きる航空力士、その達人ならではの超真空張り手──ムガがこの境地に至れるとしたらいつのことか見当もつかなかった。


 その老師が恐れる相手とは──


 本当にこんな所にいるものなのか、情報の信憑性を疑ってしまうほどの、闇世界の超大物であるという──


 そして──


 超防音の扉が失われた謎の暗黒倉庫の中からは、正体のわからない、数々の叫びのようなものたちが、一斉に飛び出してきた──!


 悪寒を振り払うように身震いしたムガは、老師と並んで巨大暗黒倉庫へ足を踏み入れた。


 キョエ──


 ピギォ──


 メゴゴンガ──


 叫び──というよりは、弱々しい鳴き声が、あまりにも大量に──あちこちから響いている──!


 目が慣れるよりも格段に早く、音の反響を感じ取って、倉庫内の様子を把握する──


 袋だ──


 巨大な倉庫のあちこちに、直径数メートルから数十メートルほどの巨大な袋がいくつも転がされている! 今までに遭遇した悪の組織は、常識的なサイズの袋に、売り飛ばすための人間を入れ、常識的なサイズの倉庫に隠していた──しかし、これほど非常識なサイズの袋に入れられ、非常識なサイズの倉庫に隠されているものとは、一体なんなのか──!? 非常識に巨大なものを非常識に巨大な袋に入れる組織とは、やはり非常識に巨大な悪の組織なのだろうか──!?


 その相手は、すぐに判明した──


 非常識に巨大な──


 一人の男──


 その姿が、暗闇の中に感じ取れた──


「ドスゥ──コホォ──イ──」


 呼吸音──「ドスコイ」が混じった、相撲訛りの呼吸音だ! すると音の主は──力士!


 その力士の身長が──約50メートル!


 50メートルの力士が、入口から500メートルほど奥にいる!


 グチャァリ── グチャァリ──


 何かを喰っている音だ!


 ドスゴクリ──


 ドスゴフゥ──


「ドスコイ」が混じった力士訛りの音で何かを飲み込み、息を吐き、直径数メートルの大きな袋を足元から掴み取った!


 ドスクルリ──


 老師とムガに振り返る!


「おぉーう──これはこれは、お行儀の悪いところを見られたでゴワスなァ──」


 わざわざドスを利かせたような口調ではない──にもかかわらず、地獄の魔王と対峙したかのような戦慄を抱かせてくる声! すなわち地獄ボイス!


 ドスコズゥン── ドスコズゥン──


 力士訛りの足音を立て、ヌッタリと歩いてくる!


 左手に提げた袋の中の何かが、ジタバタと動いている!


 音だけでなく、暗闇に慣れてきた目でも姿を判別できる距離まで来た!


 日本力士の装束だろうか──ムガは詳しくなかったが、キモノ風の黒い衣装に、白い髑髏の紋章が描かれている! 頭部には黒い兜! 真っ黒な仮面の奥で、目と口が、地獄の業火のごとく赤くギラギラと光っている! 紫色の禍々しいオーラが全身から立ちのぼっている!


 見るからに異様な雰囲気! おそらくまともな人間ではないのだろうと一目で直感できる!


「────」


 隣に立つ老師が、無言のまま、スゥ──と舞うような動作で戦闘の構えに入った。迫りくるものの異様な威圧感に呆気に取られかけていたムガもすかさずそれに(なら)った。体内の相撲力を練り上げ、いつでも高速飛行に移れる体勢だ。


「恥ずかしながらのう──」


 日本力士であるからには日本語だろうか、異様な巨大力士が発していたのはムガが習ったこともない異国の言語だったが、意味は理解できた。身体の周囲にまとった気迫が、言葉に込めて放たれた意図を直感的に察知し、また空気の振動を変質させ、自分に馴染んだ形に音を変換することで、異民族であろうと意志疎通を成立させるのは、バトルの達人にはたびたびあることなのだ。


 異様な巨大力士は袋に右手を突っ込んで、中のものをゴソリと取り出した──


 ピギャァース──


「!!!」


 ムガは集中を乱しかけた。


 黒い羽毛、鋭いクチバシ、赤いトサカ、コウモリに似た翼──


 巨大異様力士が異様に巨大な手で鷲掴みにしているのは──ユーラシアコンガマトー! 修行の仕上げとして戦ったのと同一個体であると、ムガは確信した! 相撲で戦った者同士ならではの、絆めいた直感だ!


「つまみ食いをしておったのよ──」


 仮面の奥の赤い口がニタァーリと歪み笑った。


「つまみぐ──!?」


「ここには、ここらへんで捕らえた未確認生物を集めとるのでゴワス──なにせこやつらは強い生物──洗脳や改造を施して生物兵器にすると便利でゴワスゆえな──だがのう──もっとすばらしい利用方法があってのう──それは──」


 ニッタァァ──リ!!!


 鷲掴みにしたユーラシアコンガマトーを顔の高さまで持ち上げ、巨大異様力士は赤い目と口をさらに禍々しく歪め笑った!


「喰うとウマァイ! のでゴワァ──ス──ゥ!!!」


「喰う──だと──!!!?」


 あの大自然の猛者、ユーラシアコンガマトーを──


 そんな──おやつ感覚で──まさか──


 ムガは動揺した。


「弱肉強食──という言葉があるが──ワシははなはだ疑問でのう──」


 巨大異様力士は、手の中でもがくユーラシアコンガマトーをニタァァと眺めながら言った。


「強い者が──弱い肉を喰ってどうする」


「!?──」


「ワシはのう──弱い肉ばっか喰っとると自分も弱くなる──そんな気がするでゴワスのよォ──弱肉強食とは──それ以上強くなるのを諦め、格下をなぶることに満足した軟弱者が好む、腑抜けた言葉に過ぎぬと思うのでゴワス──ゆえに──」


 ギュウウ──ウウ──、と巨大異様力士が手に力を込め、ピギャッ、とユーラシアコンガマトーが苦悶の声を上げた。


「強い者は──強い者を喰らい、喰らい、喰らァい、更に強くなる──ゥッ! それぞすなわち、強肉超食でゴワァ──ス──ゥ!」


「くゥ──ッ!」


 未確認生物を虐待・殺戮し、悪事利用も企んでおいて、なんと身勝手な言い分! 巨大異様力士の言いたい放題! これは悪! こやつ悪! 明らかに悪! 倒すべき、悪! わざわざ耳を傾ける必要もない──!


 とは──思うものの──


 隙がない──ッ!


 ムガが──老師ですら──黙ってじっと聞いていたのは、仕掛けるタイミングが掴めないからだ! 現状どう攻めたところで、あの巨腕のカウンターで一撃死──そのような結末を本能的に予感させる圧倒的絶対強者オーラを放っているのだ!


「それで──あんなものを喰ろうたというのか──噂は聞いておるぞ──」


 老師の全身に込められた相撲力は、常人ならば萎縮のあまり心臓まで止まりかねないくらい怒気の圧を放っていた。


「暗黒デス相撲協会会長ッ! 悪ノ華(あくのはな)親方よ──ッ!」


「悪ノ華親方──あれが──」


 当時世界中で暗躍を始め、裏の世界で話題騒然だった暗黒デス相撲協会のボス! 本当にここへ来ていたとは! ムガも名前だけは知っていたが、ここまで異様な存在だったとは想像が足りなかった!


「おうおうそうじゃそうじゃァ── “あれ” を喰ろうたおかげでワシはこの通りよ──」


 “あれ” ──とは──?


「ピギャアアアア──ッッッ!!!!!!」


 一瞬訝しんだムガを、不意に叩きつけるような轟音! 砕け散る黒い仮面! 悪ノ華の頭部を直撃している光線──いや、細く絞られた竜巻! 圧縮された空気の塊が超高速で打ちつける、戦車砲めいた破壊の暴風! 出どころは──悪ノ華の顔面に向け首をねじったユーラシアコンガマトーの口! 空の猛者ならではの、大気を操る必殺の奥の手! ムガとの戦いでは使わなかった力、自分を殺そうとする敵意に対する本能的な反抗、殺す気全開の超攻撃技! 悪ノ華の注意が老師へ向いた瞬間を絶好の機とした奇襲!


 今だ──


 これをさらに好機と、瞬時に攻撃へ移ろうとするムガ!


 だがさらに速く、いつ移動したのかムガにも捉えきれない神速で、老師は宙へ舞い上がり、悪ノ華の目前まで迫っており、


 ビュォォォ──ギュァァァ──


 掌からほとばしる苛烈な真空竜巻が、悪ノ華の頭部をさらに直撃!


 ッバァァァォァン──


 ふたつの竜巻の超エネルギーがぶつかり合い、超破裂! 超凄まじい超衝撃を超撒き散らす! ムガはたまらず防御の姿勢を取り、袋の中の未確認生物たちは驚愕に鳴きわめいた!


 衝撃が収まった時──


「うぉ──おォォ──ッッ!!!」


 ムガの反応はまともな言葉にならなかった。 


 ダブル超竜巻が直撃した、悪ノ華の頭部は──


 ない──


 首から上が、完全に吹き飛んでしまったのだ! なんという超威力! これが老師の航空相撲── ムガは畏怖の念を抱いた。


 それに──


「ピ──ギャゥゥ──」


 悪ノ華の手の中で、ユーラシアコンガマトーはぐったりとうなだれ、口から大量の血を吐き、弱々しい鳴き声を洩らした。


 ダブル竜巻を受けた悪ノ華は、頭部が吹き飛ばされる最期の瞬間、ユーラシアコンガマトーの胴体を握り潰したのだ──


 避けようのない、報復による死。隙がないとは、そういうことなのだ──


 それでも、ユーラシアコンガマトーは、何もせず喰われたり、老師が救ってくれるのを待つよりは、生命と引き換えに、老師の攻撃のチャンスを生み出すことを選んだのだ──


 異国の言葉を気迫で理解したムガは、ユーラシアコンガマトーの弱々しい末期の鳴き声から、苦しみ死にゆく身でありながら後悔など一切ない、生命と引き換えに巨悪を倒した誇りを強烈に感じ取った──!


 人間の戦士にもまれであろう、偉大なる勇者の精神!


 大自然の猛者の最期に、ムガは畏敬の念を抱いた──


 ッパァァァァァン──


 ゴッ──


「ァ──?」


 何か、破裂するような、音──


 ムガは理解できなかった。


 今空中に浮かんでいるはずの老師がいない。


 頭部を砕かれ、力なく垂れているべき悪ノ華の左腕が、いつの間にか横へピンと伸びている。


 老師がいたあたりに漂っている、赤い霧のようなものはなんだ──


 何か 落ちてきた ものは なんだろう


 歯車に油が足りないカラクリ人形のような動作で床に目を向けると、


 目が合って、


 その虚ろさに、叫んだ。


 ゾニョリ──ゾニョリ──


 悪ノ華の、吹き飛んだ首の断面から、蠢く黒い触手が無数に伸びてきて、絡まり合い、固まって、つるりと丸い人の頭部の形になった。赤い目と口がグパァッと開く。後頭部から生えた一本の太い触手が、頭頂部でズロリズロリと蠢いている──日本力士のチョンマゲを模したおぞましい何かだ!


 まるで──悪魔の顔──


 悪ノ華の頭部が──再生したのだ──


 まともな人間にできることでは──ない──


 そう──悪魔だ──


 こいつは──悪魔力士──ッッッ!!!


「びっくりさせてくれたのう──ありがたい──ありがたい──面白かったでゴワァスゥ──」


「ピッ──」


 かろうじて消え残っていた命に、断末魔の暇はなかった。口元まで無造作に運ばれたユーラシアコンガマトーは、赤く光る口の中に鋭く並んだ黒い牙で、あっさりと首を噛みちぎられた。悪ノ華は何度か噛んだ後、残りの身体も口へ放り込み、ズチャリズチャリと噛み砕き、呑み下し、ニッタァァ──と笑った。


「ハァァ──強いヤツの肉、まっことウンメェ──でゴワァス──」


 その時──


 地獄が見えた──


 絶望的なまでの暗闇──


 いや、明るい──


 どこまでも広がる暗闇の底で、業火がどこまでも燃え広がり、巨大な獣や恐竜が無数に焼かれ苦しんでいる──ムガは上空に浮かび、そのむごたらしい光景を見下ろしている──


 そこへ、おぞましい威圧感──


 命じられたかのように、身体が見上げざるを得ない──


 髑髏だ──!


 さらなる上空に、惑星のごとき超巨大な髑髏が浮かび、ガガガガガガ──と嘲笑うように顎を開閉している! 髑髏には髪が生えており、日本力士の髪型を形作っている!


 天が落ちてきたかのように、その髑髏がムガへ向かって、大口を開けて急接近してくる!


 髑髏のあまりの巨大さゆえに、視界はすぐに髑髏の口でいっぱいになる!


 髑髏の口の中は──


 何もない──


 暗闇──


 ドグシャァリ──


 あらゆるものが噛み潰され、あらゆるものの絶叫が、ムガの魂を押し潰した──


 そこで現実に引き戻された。


 今見たものは、一瞬の幻影──


 うまいものを喰った快感が視覚的なイメージとなり、テレパシー的に他人へ伝わる美食高揚(グルメエキサイト)幻影(イリュージョン)現象(フェノメノン)! あらゆるものを残虐相撲で支配しようとする暗黒デス力士の歪んだ精神性が、そのようなおぞましい幻影を見せたのだ!


 全てを支配し、生殺与奪を強引に握り、全てを喰らい尽くす圧倒的な暴力、無限の強欲!


 ムガが強者と認め合ったユーラシアコンガマトーは──


 この巨大暗黒デス力士にとって──


 この星の無数のエサのひとつにすぎない──ということなのだ──ッ!


 なぜだ──


 なぜ──


 敬意を払うべき強者と認めた者たちが──


 なぜこんな最期を迎えねばならないのだ──


「ワ──ワ──」


 その思いは言葉にならなかった。


「のう──」


「ァ──」


 悪ノ華が巨体をかがめ、震えるムガを覗きこんだ。


「獅子はウサギを殺すにも、全力を尽くすという──」


「ァヒァ」


 喰われる──恐怖に息を呑んだ。が──


「しかしのう──獅子もさすがにミジンコは狩らんと思うのでゴワス」


「ミジ──」


「腑抜けとるのう──つまらんのう──こんな力の差さえなければおヌシごときでも楽しめたかもしれんでゴワスが──」


 悪ノ華はヌッタリと振り向き、ムガに完全に背を向け、未確認生物入りの袋をあれこれと物色し始めた。何の警戒もしていない。


 ナメている── 敵ではないとナメている──


 が──そのことに怒る気力はなかった。


 敵意がないのなら──逃げられる。


 何を考える余裕もなく、身体が勝手にペタペタと、外へ向かって脚を動かしていた。


「ハァーァでゴワス。老師はともかく、弟子は心底つまらんかったのう──」


 空気に対する鋭敏な感覚が、悪ノ華のぼやきをムガに伝えてきた。


「こんなにつまらん思いをするなら──邪神など喰らうべきでなかったかもしれんでゴワスのう──」


 侮蔑を悔しがる心など働かない。


 邪神──


 ただそのキーワードだけが、ムガの意識にこびりついた。


『ムガよ──お前はもう立派な鳥人だ』


『だがな──』


 いつか聞いた老師の言葉を思い出しながら、ムガはペタペタヨタヨタと、闇夜の中を走った。


『たった一度の挫折、屈辱、敗北が、猛禽をただのヒヨコに変えることもあるのだ──』


 そうだ──ヒヨコだ──


 自ら飛んで戦う気概と自信を砕かれたがゆえに、ヨチヨチと走り去る姿は、ヒヨコそのものではないか──


 それでもなお、


 一族の戦士のみんな──


 誰か──たすけて──


 あいつを、やっつけて──


 気概を折られ、他人を頼りきる弱さに陥りながらも、悪を倒すべし、という使命感までは完全に失われたわけではなかった。航空力士としてはのろのろとした、だが常人から見れば充分に怪物級アスリートや伝説のニンジャとしか思えない速度で、山奥の集落へ向けて走った。


 が──


「ワ──ワァ──」


 空が──赤い。


 夜明けにはまだ少し早い──はずだ──


 しかし──なぜならば──


 燃えている──


 一族が今季の住み処と決め、大型のテント式住居をいくつも設置した高原が──


 焼かれている──


 誰だ──何者のしわざだ──


 などとは問うまでもない、一目瞭然の悪夢的光景であった──


 銀色。


 銀色の飛行物体が、空を埋め尽くしている。


 円筒のような巨大な銀色──表面のあちこちに赤やら青やら、様々な色の光がまたたいている。


 その周囲を取り囲む、円筒に比べるとはるかに小型の、帽子(ハット)のような形の物体──


 UFOだ! 数十年前から世界の各地で目撃報告があった未確認飛行物体──葉巻型母艦、そしてアダムスキー型円盤と呼ばれているものたちだ!


 そのUFOの群れに向かって、炎の中から、三人の人影が舞い上がるのが見えた! いずれもムガのよく見知った一族の戦士たち、中でも上位の超実力者だ! UFOの群れに向かって、一斉に超真空竜巻を放つ! だが! UFOの群れは、瞬間移動としか見えないほどの、慣性を無視した超加速で散開! あっさりと回避してしまう! そして瞬時に三人の頭上を取り──まばゆい紫色の光線を幾筋も発射! 三人の航空力士たちは光線の超熱量によって肉片のひとつも残すことなく瞬時に蒸発! 地面に到達した光線は大爆発を起こし、高原を新たな炎に包み込む!


 純粋に破壊と殺戮のためだけに生み出された異星超技術──スーパー殺人光線だ! このようなものを造った悪の宇宙人とも、暗黒デス相撲協会は手を結んでいたのだ! 宇宙と相撲の超悪質コラボ! 老師が会長討伐に向かったことを察知し、報復に刺客を差し向けたのだ! なんという極悪組織であろうか! おそるべし! おそるべし暗黒デス相撲協会!


「ァワ──ァ──」


 言葉にならなかった──


 航空力士の鋭敏な感覚をもってしても、泣き声ひとつ、弱々しい瀕死の呼吸音ひとつ、聞こえてこない。


 音の反響によって、いくつもの、人の形をしたものが、ただ横たわり、指一本すら動かしていないのが

──わかる──


 頼る心すら──折れた。


「ァ──ハハ──」


 そうすると逆に、清々しく澄み渡る心地が全身に立ち上り、震えが止まり、気負うことなく、再び空中へスウッと浮き上がることができた。


 そして──


 飛んだ!


 仲間たちを焼き尽くした悪のUFO軍団が浮かぶ空──


 その逆の方角へ! 全速力で! 捕まらないように! 関わらないように!


「ハ──ハハ──」


 飛べるじゃないか──


 戦うためでなく──


 逃げるためなら──


 ムガは超高速で飛び去りながら笑った。


 笑いながら──


 涙が溢れていた──

 

 ──


 あれから──


 何をしてきたのだったか──


 生きるため──いや、ただ死なないために。


 悪党同士の争いに、用心棒として手を貸してきた。


 悪の命令に従い、悪を倒す。


 相手が悪でさえあれば、叩きのめしても、心の奥底がうずかない。


 正義の心に従うのでなければ、


 あの日折れた心を──直視せずに済む──


 そうしていつしか、悪の業界最大手である、暗黒デス相撲協会に雇われる身となった。一族の正装である全裸マントをやめ、日本力士のユニフォームであるマワシを装着し、マワシマント男となることも無感情に受け入れた。高確率で暗黒デス力士と戦うことになる超級危険度のため避ける者が多い、協会の内輪揉め鎮圧任務などをよく引き請けた。


 幸い──というのか、あの日心を折られたUFO軍団と戦うこともなかった。


 そういう前線へしょっちゅう身を投じていれば──


 暗黒デス相撲協会に今も苦しめられている人々のことは、考えずに済んだのだ── そう、今までは──


 ポコテン!


「──?」


 突然の音と衝撃に、ムガは面食らった。


 これまでムガが歩んできた挫折の道は長いものだったが、通風孔の中で思い出すのに要した時間は数秒だった。


 そのたった数秒間に、何かが接近し、ムガの後頭部を打ったのだ。


 ただ──その衝撃は、セミの頭突きと比べてどちらの威力が上であろうかという、子供のパンチにも及ばないもので、衝突の前と後でムガに何の影響も及ぼさず、あまりに危険度がなさすぎて本能的な危機察知に引っかかりもしなかった。だから、銃弾程度の速度なら背後からの不意打ちでも避けられるほどの力を持つムガが、うかうかと接触を許したのだ。


「クケーケケェ! ワチの一撃をくらって死なねーとはなかなかやるでチャチン!」


「なんだコレは──」


 訝しげ──というよりは呆れ気味のムガの前方に、それはヒョコッと降りてきた。


 黒くぬらぬらした肌、コウモリのような羽根、赤く光る目と口──


 悪魔力士だ── 悪魔力士の特徴だ──


 部分だけ見れば。


 全体のフォルムは──全く違う!


 頭が大きく手足が短い、全てのパーツが丸っこい、マスコットのような寸詰まり体型! 背中の羽根は子供の掌ほど小さく頼りない! 身長は30センチほどか! およそ強さというものを微塵も感じさせない、情けない姿をしている! これが殴ってきたのだ! ノーダメージも納得だ!


「コレとは失礼でチャチン」


 ドスを利かせたつもりであろう声も、女児のように甲高く迫力皆無! 存在感の全てが全身全霊で情けなさを放っている!!


「ワチは邪神の力を持つ力士から落っこちた、身体の一部が独立して動く的なあれでチャチン! どうだ邪神の力はすごいだろチャチン! チサマもびびっておしっこちびれチャチン!」


「邪神か──」


 ガッッ!


「ぐえーチャチン」


 力士でも正確に見切れる者はまれであろうという速度で、ムガは悪魔力士の分身を掴んだ。硬さに欠けるモンニャリとした触感までもが情けない。


 語尾も本当は「ジャシン」と言いたいのだろうが、あまりに小さな分身ゆえに、邪神要素がパワー不足で、精神に影響を与え語尾を決定付ける “語尾エネルギー” も希薄なため「チャチン」になってしまうのだろう。


 哀れな生き物だ──


 あの時の悪ノ華も、ムガをそう思ったのだろうか──


 弱き者──


 憎き邪神の分身──握り潰してやろうかとも思っていたのだが、奇妙な親近感を覚えた。


「どこが邪神だ。弱いヤツだな」


「ウルチェー!」


 手の中でジタバタともがく力は、力士どころか一般人の握力さえ振り切れるものかどうかあやしかった。


「なぜ向かってきた」


「チサマなんとなく本能的に敵っぽいチャチン。ならばブッコロ一択チャチン」


「そうではない──」


 なぜか表情が険しくなるのが、自分でもわかった。


「なぜ──その程度の力で──勝てると思い込んだ」


「ひぃチャチン!?」


 ムガの手の中で分身はすくみ上がったが、それでもなお、悪びれずに続けた。


「そ、そりゃよォ──ワチが悪だからよ」


「悪?」


「悪ってのはよォ、ワガママなモンなんだよ──ヤれるかどうかじゃねェ、ヤりてぇからヤるんだよォ──勝てると思うも何もねーよチャチン」


「────」


 無言で、ムガは目を見開いた。


 親近感を抱いたのは──間違っている。そう思った。


 なぜならば──


 あの時、あの日、ムガができなかったことを──


 こいつは、やってのけたからだ──


 手を緩めた。


 分身は急いで抜け出し、ケホケホと甲高く咳き込んだ。落ち着くと、ムガが真剣な眼差しで見つめていることに気付き、「ピェッ!?」と鳴いた。


「教えてくれ──名はなんという」


「ハァァ???」


「俺は暗黒力士番号THX1145──いや──俺の名はムガだ。貴様は?」


「な、なんなんだよ!? 名前なんかねーよ! ワチは生まれたばっかりだし、どうせこの後は──本体と合流して、吸収されて──消えるだけでチャチン」


「そうか──」


 ムガは、考えた──


「ではチャチ丸と呼ぼう」


 語尾が「チャチン」で、丸っこいからである──


 考えた時間は0.7秒程度だった──


「なんかひどいネーミングのような気がするぜチャチン」


「ならば自分で決めてみろ。その名を尊重する」


「意味もねーのにめんどくせー、イヤチャチン」


「ならチャチ丸でいいな」


「勝手にせぇでチャチン」


「ではチャチ丸よ──弱いと言ったことを、撤回する。すまなかった」


「ハァァ!? 素直すぎてクソおぞましいチャチン! ひょっとして頭のヘンなトコにクリティカったチャチン!?」


 面食らうチャチ丸に真剣な視線を送り続けたムガは、「うわぁ……」といった表情を返されたが、意に介さなかった。


「さて──」


 ムガは、足の下の殺人送風機を見下ろした。


 上下の殺人送風機のうち、最初に見かけた液化状態のチャチ丸が、向かおうとしていた方だ。


 数秒に一度、ほんのわずかな瞬間だけ、超高速で超正確に飛べたならば、ギリギリ無傷で通れる隙間が空く──


 見た瞬間が、ちょうどその時だった。


 なので、ムガは、相撲力を高め、己の身体を加速し、飛び込んだ。


「──ふん」


 あっけない結果だった。


 ムガは、超高速で、超正確に飛んだので、超無傷で反対側へ通れた。


 できるかどうか、ではない──


 やりたいから、やるのだ──


 か──


「ホンガァァ──!! テメ──ェ──ッ!! ひょっとしてワチの本体を殺しに行く気だなチャチン──ンッ!!!」


 チャチ丸が叫びながら、液状化した身体でズリズリと壁面を這い下りてくる。


 ムガは両手の人差し指と中指を立て、両腕を互い違いに回して天と地を指す儀式めいた動作を、チャチ丸に向けて行い、通風孔の奥へと降下した。


 ────


 ヒィィ──ィィン── ヒィィ──ィィン──


 数百メートル──だろうか。


 航空力士の滑空速度ではあっという間の距離を潜っただけで、振動ともオーラともつかない、得体の知れないおぞましい響きが漏れてくる。


 怪物の鳴き声にも聞こえるが、未確認生物の意志を理解できたムガにも、意図らしきものは読み取れない。何か機械の駆動音なのだろうか──ともあれ──


 通常の任務でこのような深部に立ち入ることはなかったが、こんな近くに、こんな禍々しい空間があったというのか──


 あの殺人送風機は、ひょっとして、この神経を蝕むような怪音を地下へ押し返すためのものなのか──


 ムガは顔を歪めた。


 行きたくはないが──


 行かせたくもない──


 殺人送風機の下側に出たムガは、縦穴の奥底の方から、常人ならば聞こえないであろうかすかな怪音を、航空力士ならではの鋭敏な感覚で察知した。


 そして思い至った。


 悪魔力士は、病院内で殺戮をするために来たのだと言っていたが──


 あのバイオヤクザの悪魔力士などという、悪いもの同士を掛け合わせた地獄のような悪人が、別系統組織の手先であるムガに、本当の目的を正直に教えるものだろうか?


 ヤツは──この穴の奥にある、何か得体の知れないもののところへ向かったのではないだろうか?


 この考えは、ひょっとしたら、殺戮の現場から逃げ、戦いを避け、無関係の場所を一応調べていたということにしたい怠惰、逃避、欺瞞の類なのかもしれない──それは否定できない。


 だが根拠がないわけではない。


 航空力士の鋭敏な感覚をもってしても、少なくとも地上の施設からは、殺された者の断末魔など、聞こえてはこないのだ──


 あちらこちらから聞こえてくるのは──


 魔物の──断末魔!


 恐怖の悲鳴らしきものも時おり響いてはいるようだが、間もなく決まって流れるのは、人ならざるものであろう苦悶の叫びだ──!


 悪魔力士どもが次々と、別の力士に倒されているのだろうか──?


 いや──


 もう何もしなくてよかったのかもしれない、という甘い安堵はすぐに吹き飛んでしまった。


 ぃゃ──


 ぁぁぁ──


 得体の知れない響きにまぎれて、縦穴の奥の奥からかすかに感じ取れるのは──


 少女のものであろう、悲鳴だ──!


 なぜそんなところに少女がいるのか──


 どうでもいい疑問だった。


 ムガは、ただ──あの日、炎に呑まれ、もう動かなくなっていた──村人たちの顔を思い出すと、弾丸がぬるく思える速度で、縦穴の向こうへ飛び込んでいった。


 やがて縦穴は突き当たり、いくつかの横穴に分かれ、それぞれが更に更に、縦へ横へと枝分かれしていく、複雑怪奇な立体迷宮と化していた。闇雲に進んでいては、無関係の空間に出たり、地上へ戻されたりもしただろう。その中を、かすかな少女の声の残響を頼りに、ムガは目的地へのルートを正確に飛んでいった。


 そして──


 バギャォォォン──


 ヒィィ──ィィン── ヒィィ──ィィン──


 通風孔の出口を塞ぐ頑丈な格子へ頭から飛び込み、張り手で強引に吹き飛ばすと、夕闇のような灯りの下、黒く無機質な建物が並び、得体の知れない唸りに包まれた、悪夢的な巨大空間に出た。


 ムガは面食らった。


 この空間の不気味さに──ではない──


 もぬょ


 ぷのぽて


 もぱっちょ


 ぽるたん


 ぺんてぽん


 ──


 聴こえてくる音が──何の音だか理解不能だったからだ──!


 わからん──わからんが──行ってみるしかあるまい!


 ムガは音へ向かって飛ぶ!


 そしてやっぱり面食らう!


 ぬぬねの


 めめたん


 もぷっぷ


 ぽひ


 ぬるゅん


 ──


 悪魔力士だ──巨体の悪魔力士が、小柄な少女に向かって、残虐にも張り手を次々と繰り出している!


 繰り出しているのだが!


 なんだこれは──!


 少女は服装からみて入院患者であろうが──明らかに異様! 青緑色に焦げ茶色の斑点が混じった、二本の巨大な触手のようなものが、少女の頭部から生えている! 髪が変化したものだ! 超高速で左右交互に繰り出される悪魔力士の激しい張り手に、柔らかい触手は超高速で反応し、片っ端から柔らかく受け止め、何とも緊張感のない音を発しているのだ──!


「──???」


 一目ではわけがわからない光景! ムガはとりあえず悪魔力士の後方、間合いの外へ降り立つ!


 だがこの二人にしてみればムガの登場こそ予想外! 突如出現謎力士! 敵か味方か! ムガの動向が均衡を崩し、戦いの行方を決めることは明白なのだ! 二人は激しい張り手と防御を続けたまま驚愕の声を上げる!


「この気配ッ! テメェはさっきのテメェー!? 何しに来やがったバサ!?」


「なんだァ新手の敵かジャコミンジョンシト!? くぅッこいつはヤベェの晴明(せいめい)でジャコミンジョンシト!!!」


「ジャコミンジョンシト──!????」


 ムガも驚愕した──無理もない! 語尾に「ジャコミンジョンシト」を付ける少女など前代未聞であるからだ! 朝は「おはようジャコミンジョンシト」! 昼は「こんにちはジャコミンジョンシト」! 夜は「こんばんはジャコミンジョンシト」! それは一体どんなものだというのか!? 古代の伝説に出てくるスフィンクスに問われたとして、正解できる者がいるだろうか!?


 だが!


 その時、ムガは閃いた!


 この悪魔力士からは、かつて見た暗黒デス相撲協会会長と同じものを感じる──すなわちおそらく邪神の力! ならば、それと対等に渡り合う力とは──


 同じく、邪神──!


 邪神ならば、髪を触手のようなものに変化させるなどという胡乱な現象を起こしても不思議はない!


 この少女は、邪神の力を宿している──!


 すると仲間割れか!?


 いや──


 頭部の触手の動きからは歴戦の力士のごとき強大な相撲力に満ち溢れている──しかし! 本体であるはずの少女が、まるで相撲の素人! ファイティングポーズの真似事をしているが、まるで構えがなっていない! 素人同士の殴り合いしか経験したことのない者だと、力士レベルの者には丸わかりだ! 普通なら暗黒デス力士を相手にすればなすすべもなく殺されるはずのところを、触手に救ってもらっている形だ!


 が──


 意志が、溢れている──


 少女の目には、表情には! ただ守られ、怯え、頼りきるだけの者には宿るはずのない──戦い、切り抜け、生き延びようとする者の意志が──みずみずしく輝いている! その意志が青緑色のオーラとなって、少女の全身を取り巻いている! それこそが、触手に力を与えているに違いないのだ!


 このオーラの色とは──


「チョコミント──なのか──」


 直感した!


 ジャコミンジョンシトとは──邪神チョコミント女子! 邪神とチョコミントの力が、女子に宿っているという意味なのだ! ムガは理解した!


 ──────


 邪神チョコミント女子であると理解はしたが、邪神チョコミント女子とはどういうことなのか意味がわからなかった!


「チョコミントとは──何だ!」


 わからないので訊いてみた!


「正義ジャコミンジョンシト!」


 少女は迷いなく即答!


「正義──チョコミントは──正義──」


 偏った思想ではある──


 だが──


 チョコミントを正義と信じる心が、強大な暗黒デス力士にも立ち向かう意志となり、邪神の力を正しく制御し、少女を戦士たらしめているに違いないのだ!


 その意志は──


 ムガがあの日、途中で投げ出してしまったものだ──


「そうか──」


 ムガはニマリと笑った。


 眼は笑っていなかった。


「俺は──悪だ」


 そう──


 かつて正義から逃げ、正義から目を反らした己が、今さら悪と戦おうなどとは──ただの偽善! 思い上がり!


 ならば──


 そのような己を悪と認め、偽善という不道徳を、ぬけぬけとやってしまえばよいのだ──!  


「うわぁコイツやっぱ敵じゃんかジャコミンジョンシト!」


「クケーケケェ! テメェーもお楽しみに来たってことかバサ!」


 少女の焦り! 悪魔力士の安堵!


 それらを──裏切った!


「楽しいか?」


「あ? バサ???」


 スウッ──


 バチィィィィィィン──


 ムガは音もなく、一瞬のうちに、悪魔力士の隣に移動し、掌を横に突き出した。


 腕全体に小型の竜巻のごとき空気の奔流をまとい、その破壊的回転力を加えた超威力の張り手──航空力士に伝わる技・風龍突きだ!


 横から突然超威力! 胴体をグシャリとへこませ、悪魔力士はたまらず吹き飛ぶ!


 スゥッ──


 パギャァァァァンッッッ!!!


「グフゥゥッッ!!!?」


 ムガは航空力士ならではの超速度で、悪魔力士が吹っ飛ばされる方向へ先回りし、逆方向へまたも風龍突き! 吹っ飛ぶ! またも先回り! 風龍突き! 吹っ飛ぶ! 先回り! 風龍突き! 吹っ飛ぶ! 先回り! 風龍突き! 吹っ飛ぶ! 先回り! 風龍突き! 吹! 先! 風! 吹! 先! 風!


 まるで一人でラリーの応酬を続ける超次元テニス! 悪魔力士に体勢を整える暇を与えず、わずか3秒にも満たない間に99回繰り返す!


 そして100回目の打撃は──


 ッドォォォォォォォ────


「ぐぉぉなんなんジャコミンジョンシト!?!?!?」


 突如激しい衝撃波! とっさにチョコミント色の触手がドーム状の壁に変形し、対応しきれていないバトル素人の本体を守った!


「奥義──雷龍けたぐり!!!」


 衝撃の余韻が吹き荒れる中、ムガはおごそかに言い放った!


 ほんの一瞬のうちに数十メートル上空へ超速度で飛び上がり、さらに一瞬よりも短いコンマ瞬のうちに、超速度をさらに超越した超ハイパーすごくてすごすぎるものすごい速度で降下し標的に超絶超超超威力の蹴りをくらわせる、航空相撲の超大技だ!


「お楽しみ──と言ったな。貴様はこれが楽しいのか? 俺は楽しくはないぞ」


 周囲を探るように見回しながらムガは言った。


 航空力士ならではの莫大な相撲力を込めた蹴りを超絶速度で浴びせられた結果、悪魔力士の身体は無数の黒い破片となって、四方八方に飛び散ってしまい、どこに話しかければいいのかわからないのだ。


 ズルヌリトペチョ──


「うへぇジャコミンジョンシト」


 ドーム状の防御を解いた触手の表面から黒くぬめった肉片が目の前の床に滑り落ち、本体の少女は顔をしかめた。


「ク──ケケケェ──ウソつケケェ──楽しいんだろ? 弱いヤツを好き放題なぶりものにできるってのバワブゥッ」


「えいやジャコミンジョンシトッ」


 目の前の肉片が頭部の形に再生して喋りだしたのを、チョコミント触手がパァンと叩き潰した!


 よい胆力だ──


 眩しいものだ──


 ムガは敬意を込めた視線を少女へ送り、自然と笑みが浮かんだ──


「げぇっさっき悪とか言ったヤツがニヤつきながらこっち見てるでジャコミンジョンシト! おそらく次はお前だ的なやつでジャコミンジョンシト! ブッチャケ=アリエン級の一難去ってまた一難案件でジャコミンジョンシト!」


 張り詰めた戦闘体勢を油断なく続ける触手。張り手の構えがかなりものすごい相撲圧を放っている──それに比べて本体のファイティングポーズが、なんともつくづく素人の喧嘩レベルである──


 が──


「いや──娘よ。貴様とは戦わぬ──貴様の正義(チョコミント)は俺には眩しすぎて触る気になれん──水清ければ魚が飛び降りる──だったか──どうだったか──つまりそういうことだ」


「なんかしらんけど正義と書いてチョコミントと読んでる──チョコミントが正義だと理解(わか)ってる──思想的に正しい──つまり悪だけど悪ってほど悪くはないということかジャコミンジョンシト──?」


 困惑する少女に向かい、ムガは両腕を回し天地を指した。その唐突にして敵意を一切感じさせない動作が、余計に少女を困惑させ、チョコミント触手の相撲圧を緩めさせた。


「えっなにそれうわぁジャコミンジョンシト」


「あぁ──これは我が一族に伝わる感謝のしるしだ」


 感謝──


 この少女は──


 ムガに大事なことを気付かせてくれたのだ──


「は? 感謝て──助けてもらったのこっちじゃね? って気がするけどジャコミンジョンシト──あ──ありがとジャコミンジョンシト」


 邪神の力すら制御する正義(チョコミント)の影響であろうか──この暗黒デス時代には珍しいと思えるほどの律儀な返礼──しかし警戒心は強く感じられる。考えてもみれば、いきなり現れて素性も明かさず悪とだけ名乗っていてはただひたすらに不審なだけの怪人物なのである──正義(チョコミント)に報いるためにも、素性は明かすべきとムガは思った──


「悪の命令に従っただけだ。俺はムガ──暗黒デス力士だ。この悪の病院・銭十字病院を警備するため悪に従い侵入者を排除しているのだ」


「あーなるほど内輪揉め的なやつねジャコミンジョンシト」


「そうだ。ゆえに入院患者は守護(まも)らせてもらうということだ。貴様が退院するまでの安全には力を尽くそう」


「貴様て──あー、こっちも名前教えた方がいいやつジャコミンジョンシト?」


「患者は個人情報を警備力士に伝えなくてよい権利がある。嫌ならこちらからは仮の四股名(コードネーム)で呼ぶ。そうだな──邪神チョコミント女子──略してジャミ子と読めるな──ジャミ子と呼ぼうか」


 ムガはわずか0.6秒でコードネームを考案してみせた!


「あー星降(せいる)! 星降! アタシ星降だからジャコミンジョンシト!」


「そうか──星降か」


 少女──星降は慌て気味に名乗りながらも、まばゆいチョコミント色の相撲オーラを放っている。


 今はただの素人でも、いずれ研鑽の末に、一人前の女力士となれる器だ──そう確信させるものがあった。


 そうなのだ──


 雛鳥は──


 いずれ空高く羽ばたくのだ──


 ならば──


 たった一度の敗北で、心折れ、ヒヨコと化した者であれ──


 もう一度、鳥人へと成長し直せばよいのだ──!


 星降!


 そう気付かせてくれた者の名を、ムガは心に深く刻んだ──!

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