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どすこいあそばせ! エレガント力士・エレガント山!  作者: 当年サトル
天空の覇者ッ!! 航空相撲の挑戦ッ!! でゴワシますわ
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十三ッ!

 背後から聞こえてきたのは、


 ブシャアッ──


 という、音であった。


 ゼニブシャアッ──


 という、金銭欲にまみれた音ではなかった。


 そこに、違和感があった。


 なので、星降はとっさに振り向いた。


 キラァァァ──ァァ──ァァ──ァ──


 非常灯の赤い光の下、無数の細かい粒子が、エレベーターの四角い入り口の向こうで、疾風のように、右から左へ駆け抜けていった。


 それは不思議なくらい、清らかに輝いて見えた。


 まだ幼い頃、まだ生きていた人たちと一緒に、どこかの山奥のキャンプ場で見た、夜空一面に広がる天の川。不意にきらめき、どこかへ消えた流れ星──


 なぜか、その記憶がふとよみがえって、星降は一瞬我を忘れ、息を呑んだ。


「──はァジョシ???」


 あどけない幼女の頃に戻っていた星降の表情は、しかし、一瞬でまた目の前の現在に引き戻され、怪訝なしかめっ面に変わった。


 粒子が飛び去った後の、隠しエレベーターの入口付近──星降のほんの数メートル先に、全身が影のように真っ黒で、目だけがギラリと赤く光った力士が、こちらに張り手の構えを向けていたのだ。その黒力士が、急にうなずいた。


 いや──うなずいたのではない。


 黒力士の首がパキリと折れ、頭部が身体の前方に落下した。床に当たった頭部は砂の塊のようにパサリと砕け散り、次いで首から下もボロリボロリと崩れ去った。


「これなんなんジョシ──」


「こいつは初号衆。梅悪部屋の刺客だそうだ──」


 通路の右手から静かに現れた巨大な人影が、砂のような黒力士の残骸を見下ろしてから、星降へ向き直った。


 その顔には見覚えがあった──


「あ、こないだ負けてた顔だけ無駄にいいデブだジョシ」


 名前は覚えていなかった──


「超能侍だ」


 苦笑しながら巨体が名乗った。  


 そういえばそんな名前だった、と星降は思い出した。つい最近、両国ビッグバトルドームでヘルマシーン乃海と戦った力士。星降は彼にそれなりの金を賭け、そして負けるところを現地で見ていたばかりだ。だが今まで忘れていた。大穴狙いを台無しにされた力士の名前など、悲怨(ひえん)を通り越して覇怨(はおん)くらいには腹が立つのでいちいち覚えていたくはなかったのだった。


 それに、負けた奴、弱い奴のことをいちいち詳しく覚えておくことに脳ミソの容量を使うなど無駄の極みである、というのが、暗黒デス相撲時代の暗黒一般常識であった。


「突っ立っていないで奥に詰めてくれ。俺も乗る。ボーッとしてると今みたいに殺されかけるぞ」


 超能侍は片方の掌を星降に向かって差し出し、下から上にひらひら振って促した。もう片方には茶色の紙袋を抱えている。庶民でも白米が気軽に買えた旧時代に見たことのある、米袋ほどの大きさがある。


「殺──」


 足元が崩れるような緊張が突如込み上げてきた。


 一緒にエレベーターに乗る──


 つまり逃げ場のない密室で、自分よりもはるかに体格(ガタイ)の大きい男と二人きりになるということ──


 星降が超能侍を無駄に顔のいいデブなどと余裕で無礼(ナメ)嘲笑(わら)っていられたのは、両国ビッグバトルドームの観客として、土俵(リング)を遠くから見下ろす立場だったからである。


 間近に立つ超能侍。よくよく見れば──


 巨大だ。


 星降の主観で縦には星降の二倍は大きいように見え、客観で横には星降の三倍、大きい。


 そして、その大きさの正体は、


 筋肉だ──


 間近に立ったことで、一体の生物として、直感的に理解できる──


 極限の鍛練の末にのみ身に纏うことを許される、超人的な筋肉が全身を膨れ上がらせている! 力士の太い肉体は、大部分が超絶的な筋肉でできているのだ! その超迫力、本来ならば「デブ」などというたった一言で無礼嘲笑(なめわら)って済ませる余地などない!


 桁違いだ──


 身体の中の “強さ” の埋蔵量が桁違いなのだ──!


 通常の人類とは──


 力士に狩られる側の生物なのだ──ッ!


 力士と遭遇したのはこれが初めてではない。暗黒デス相撲時代とは街中を暗黒デス力士が我が物顔にのし歩く時代であるし、今日も食堂で元力士の老人と、その弟子に会ったばかりだ。だが、暗黒デス力士と迂闊に接近したがる暗黒デス一般人などという者はおらず、食堂で出会った二人はあくまで元力士と修行中の力士にすぎず──今、目の前にいるレベルの強者と至近距離で対峙するのは星降にとって初の経験であった。


 そうして初めて思い知る──


 横綱! それは旧時代相撲の最高峰! そのクラスの現役強者のみが持つ圧倒的相撲力の波動は、常人との間に絶望的なまでの相撲格差を厳然と発生させている! 常人から見て天上の存在! 彼らは雲の上で四股を踏んでいる!


 相対的に他の力士に劣って見えようが、絶対的に、超ヤバイ級生物! ティラノサウルスがドラゴンに負けたからといって、常人がティラノサウルスと戦えば勝てる道理はない!


 星降は一人の生物として、その事実を原始本能的にわからされたのだ──!


 そんな格上超生物を──星降は、至近距離で無礼(なめ)てしまったのだ──!


 機嫌を損ねたらたやすくこちらを殺せるであろう相手をだ──!


 だが──ッ!


 超能侍は、床に溜まった砂のような黒力士の残骸に向け、紙袋を持っていない方の掌を垂直に立て、目をつむり、神妙に一礼した!


 倒した相手を悼んでいるのだ──旧世代における相撲道の礼儀だ!


 ぽた


 超能侍は黒力士の残骸を踏まないように注意しながらエレベーターに歩み寄ってきた。その足取りが、体幹の発達した力士にしてはおかしなことに、微妙にふらついていた。警報音にまぎれて聞き取りづらいが、おそらく呼吸音が乱れている。


「オッサン──死にかけジョシ?」


 ぽた


 超能侍は浴衣に似た、黄金色の力士用患者服を着込んでいる。その襟元や袖、裾から少し覗かせている身体が包帯だらけであることに気付いて、星降は尋ねた。


「ふん、ちょっと急いで走ってきただけだ。こっちにも初号衆が見えたものでな」


 超能侍は不敵に笑ってみせたようだが、顔はしかめ気味で、しんどそうな様子を隠しきれていない。


 ヘルマシーン乃海にヘルマシーンマシンガンで撃たれた傷は、力士といえども厳しいものがあるのだろう──星降はそう判断した。


 星降は何歩か後ずさった。恐怖や嫌悪からではない。エレベーターは力士が何人も乗ることを想定しているためか、都心で同じ広さの部屋に住もうとすればかなりの家賃を取られるであろうというくらいのサイズだったが、だからといって入口に立っていたのでは邪魔になるからである。


 ぽた


 星降は改めて値踏みするように超能侍を見た。


 天井の方をチラッと見てから星降の方を向いた視線にも、


 ドアの横のパネルを操作するためくるりと身を返して無造作に向けてきた背中にも、


 超能侍からは邪気というものが一切感じられなかった。


 ぽた ぽた


「初号衆──」


 閉まるドアの向こうの、黒い残骸を見ながら星降は呟いた。


「生物兵器──のようなものらしいな。医者が言っていた。あまり詳しい説明を聞いてる暇もなかったが」


 言いながら星降の方を振り向いた超能侍の視線は、星降の目を見ていない。


 ぽた ぽた ぽた


「ふーんジョシ──」


 ぽた ぽたぽたぽた


「どうやって殺したジョシ?」


 ぽたぽた ぽたぽたぽたぽた


 星降は何歩か横にずれて、超能侍の前方を開けた。


 ぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽた


「こうだ」


 ブシャァッッ──


 超能侍は紙袋に手を突っ込み、さっきまで星降が立っていた場所へ向かって、中のものを思い切り投げつけた!


「ドスコ・イモゲェェ──ッッ!?!?!?」


 エレベーターの天井の隙間から泥のようにしたたり落ち、さっきまで星降の背後だった場所で、3Dプリンターのように身体を形成していた黒い力士が、粉状のものを浴びた途端、甲高い奇声を上げて苦しみ、身体のあちこちがボコボコと泡立ち、弾け飛び、砂のように崩れ落ちた!


「何も言わなくてもどいてくれたな。助かる」


 黒力士の死骸に向かって一礼してから超能侍が言った。


「うぉぅっと──後ろでしつこくぽたぽた言われたらさすがに気付くジョシ」


 足元にこぼれてきた黒い砂状の死骸を嫌そうにピョンと跳んで避けながら星降が言った。


「で、その粉なんジョシ? ヤバいクスリ?」


 本当にヤバいとは思っていない声色だった。


 超能侍の方へ向き直ってみると、右目に「正」、左目に「義」とでも書いてあるかのような、厳つくも澄んだ視線を星降に向けていた。超能侍の背後のドアは既に閉まり、エレベーターは下降を始め、どこにも逃げ場はなくなっていたが、そのことに対して、もう星降は不安を覚えていなかった。


「これか──塩だ」


「塩」


 超能侍が袋の中からすくい上げ、またサラサラと袋の中へこぼしてみせた粉は、確かに旧時代にはどこの家庭にもあったような、当時は何の変哲もなくありふれていた、塩に見えた。


現代(いま)となっては入手に苦労するがな。この病院には大量の備蓄があるようだ。贅沢なものだ」


「うわーもったいねージョシ」


 環境汚染が進んだこの暗黒デス相撲時代、海水から純粋な塩を作るのは困難となっており、塩の価格は暴騰し、暗黒デス転売屋の商材となり、料理などに消費できるのは暗黒デスセレブに限られていた。星降のような下級国民は、塩のような味がする気がしないでもないあやしい物質を塩の代わりに使うのが常であった。


 さっき通路の向こうでブシャァッと飛んでいたものも、暗黒デスナースを助けるために投げていた塩だったのか──


 その光景を想像すると、星降の口はポカン、というよりパカン、と開いた。


「あ──ひょっとしてオッサンが両国バトルドームでなんか投げてた粉、あれ塩だったジョシ──?」


 塩だということは超能侍自身が言っていたはずなのだが、まさか、という先入観から、あの時の星降は塩だと理解できなかったのだ。


「そうだ。伝統的な相撲の風習だ」


「うぇぇージョシ、昔の力士、頭おかしいジョシ」


 星降の血の気が引いた。暗黒デス時代っ子の感覚では、それは宝石をばらまいて捨てるに等しい。


「何もおかしくはないぞ。古来より塩は邪悪や不吉を祓い清めるといわれてきた。科学的に解釈すれば、殺菌効果があるからだろうともいわれているようだがな。だから──」


 超能侍は黒力士の残骸に視線を落とした。


()()()()()()にも効く」


「これに? 塩が? ──そういや、そもそもコレってなんなんジョシ?」


「暗黒デスタピオカ」


「え」


「あのようなものに入れられた暗黒物質──それを食ってしまった者の成れの果て──だということらしい。女子ヶ崎といったな──お主も一歩間違えばこうなっていたかもしれんのだぞ」


 超能侍の声に、咎めるような厳しさが少しこもった。


「マジかジョシ──えっ、暗黒デスタピオカで病院送りってそういう──」


「うん? その時のことを覚えていないのか?」


「うんジョシ──」


 声に不安を滲ませ始めた星降に、超能侍は厳しさを抜いた声で語った。


「だが、そこにたまたまいた──エレガント山が、病院まで運んで救ってくれたのだ。ちゃんと人を救える者は強さと優しさがすごすぎてすごい。おまけに奴は横綱級のエレガントだ。ヒーローとはああでなければな。また会ったら礼を言うことだ」


 そう言って笑う超能侍の顔を見て、なぜ懐かしさか寂しさに似た感情がかすかに湧いたのか、星降にはわからなかった。


 いや──そうだろうかジョシ──


 見覚えがあるジョシ──


 端正な顔、チョンマゲ頭、それに金色の浴衣──


 似ている──


 金色の和服にチョンマゲ頭という扮装でラテン調の曲を歌っていた歌手に似ているのだ! 旧時代の動画サイトで評価が高かった! 今ではすっかり暗黒デス相撲協会に洗脳されて暗黒デス相撲協会を讃える暗黒デスプロパガンダ歌手となってしまい、暗黒デス動画サイトで今観ることができる動画は『暗黒ドスコイサンバ』シリーズのみとなってしまったが──確かに旧時代バージョンは懐かしい姿だ──!


 そのせいであろうジョシ──と、星降は自分を納得させた。


 エレベーターの中に警報音は鳴っておらず、内部の照明もやわらかい印象の昼光色で、星降はいくらか緊張が解けた。


 それが裏目に出ることとなる──


 エレベーターがどこかのフロアに到着するまでにしては少し長い気もする時間に、超能侍は、


 ベッドごとどこかへ運ばれている途中で意識を取り戻し、


 体調万全とはいえないが根性で立ち上がり、


 初号衆を操る梅悪部屋の襲撃が予想されるため退避の途中であることを医師に聞かされ、


「逃げる者と守護(まも)る者なら俺は守護る方を選ぶ」と迎撃に加わることを志願し、


「ならこれを持っていくゼニーシャ。適当にそのへん歩いて初号衆と出くわしたら退治して、塩がなくなりそうなら撤退に専念するゼニーシャ」と医師から塩袋を渡され、


 それ以上のことはよくわからんが、俺は雰囲気で敵がいそうなところを歩いている──


 といった事情を簡潔に語った。背景の事情を開示することで星降を安心させるためだろう。


「──ッ──」


 だがその間、星降は下を向いて震えていた──


 幼い頃に観た動画のように、超能侍がサンバに合わせて歌い踊るところを想像して、吹き出しそうになってしまったのだ──!


 普段ならそんなに面白くも感じないかもしれないが、急に緊張が解けたせいか、星降は過剰なほどにおかしくて笑いたくてたまらない衝動に激しく襲われた──!


 旧時代の記憶がよみがえったせいか、「今はさすがに笑うところではない」という旧時代的な思いやりの心がふとよみがえって自重したのだが、それがかえって星降を苦しめることとなった──


 なぜならば、広く知られていることだが、人類とは、「絶対に笑ってはいけない」という状況下でこそ、衝動的に笑いがこみ上げてきてしまうものだからだ!


 思いやりとは、優しさとは、人を苦しみから救うためのものであるはずだ──だが、時にこうして優しさが人を苦境に陥れるとはなんという理不尽! なんという皮肉な運命であろうか! 心ある者ならば嘆かずにはいられまい──!


「──ッッック──」


 そのうち、つい、声が漏れてしまった。


 聞きようによっては、今まで心細さを押さえつけていた少女がついにこらえきれなくなった、むせび泣きの声とも取れるだろう──


「不安か──そうだろうな。だが、俺が──この塩があれば大丈夫だ」


「うぅッ、ぅグゥ──ッ!」


 可能な限り優しく発したのであろう超能侍の声が、両腕を大きく広げてリズミカルに熱く激しくステップを踏む超能侍のイメージと重なり、大きな声が出てしまった。


 受け取りようによっては、嗚咽であると思えるだろう──!


 もうだめだジョシ──


 見ていないから──


 相手を見ていないから、かえって脳内でふざけたイメージがふくれ上がってしまうのだジョシ──!


 星降は意を決して、口元を手で押さえながら顔を上げた。必死で笑いをこらえすぎたせいで、とうとう涙まで溢れてきて、にやついた顔の上をツゥ──とこぼれ落ちた。


 見ようによっては、恐怖で泣きながらも相手を信頼して気丈に笑ってみせたようにも受け取れるであろう──!


 だがやっぱり、実際に超能侍の姿を見てもだめだった。照れたように後ろを向いてしまった超能侍に、星降も背を向け、両手で顔を覆って、声を押さえつけてヒクヒクヒクヒクと大笑いした──!


「──もうすぐ着くらしい」


 無言で扉の横の操作パネルを見ていた超能侍が振り向いた。星降もひとしきり笑い尽くしたので、まだ少しにやつきながらも、落ち着いて超能侍の方を見ることができた。笑いすぎて涙までどばどば流した後のその顔は、受け取りようによっては、心細さに泣きはらしたものの健気にも微笑みを取り戻した、潤んだ瞳の美少女の姿にも見えるであろう。


「医者から渡されたものだが──」


 妙に優しげな表情になった超能侍が、懐から、黒字に赤い力士髑髏が描かれたカードを取り出した。


「病院の中でもかなりのお偉いさんが使うカードキーらしい。このエレベーターはこのカードでしか動かせないようだ。かなり地下まで運ばれたようだが、かなりのお偉いさんが使うものならかなり安全な脱出ルートかもしれないな」


 この隠しエレベーターは、超能侍が来なければ起動できず、逃げ場にはならなかったということだ。


 判断の甘さを運の良さでカバーできたにすぎなかったのかジョシ──


 みぞおちが凍りつく気分が今さらこみ上げてきたが、超能侍が星降をなんとか安心させようとしているのが感じ取れたので、星降は自然とほころんだ表情になった。


 このオッサンがいればなんとかなりそうな気がするジョシ──


 そう思った。


 まもなくエレベーターはガコン、と止まり、プシュー、と開き始めた。


 そこに違和感があった。


 ガコン、プシュー、という音──


 ゼニガコン、ゼニプシュー、という、この病院にありがちな金銭欲の音ではなかったのだ。


 なぜならば──


「うぐぅッ──!?」


 扉が開くと、その理由は、即座に、直感的に、理解できた──


 ヒィィ──ィィン── ヒィィ──ィィン──


 ヒィィ──ィィン── ヒィィ──ィィン──


 どこに端があるのかわからない、巨大な広間が、見渡す限り続いている。天井も高い。旧時代のお台場で見た巨大なロボットの像を、縦に三台並べたところで余裕がありそうなくらい高い。そのだだっ広い空間に、大型トラックが数台並んで通れそうな間隔を空けて、サイズの様々な、がっちりと四角い、装飾の一切ないビルのような建造物が無数に生えている。床も壁も、おそらく金属製のものだが、上の階で見たような、虚飾に満ちた黄金色ではなく、鈍い光沢を放っている。それらはトンネル内部のようなオレンジ色の照明に照らされ、異界か冥界のような妖しい雰囲気を醸し出している。


 ヒィィ──ィィン── ヒィィ──ィィン──


 ヒィィ──ィィン── ヒィィ──ィィン──


 その空間に、機械音とも、呻き声とも、研ぎ澄まされた殺気ともつかない、不穏な轟きが絶えず鳴り続けている──


 金銭欲──


 そのような生ぬるい人間的欲望は、この地下空間には存在しない。


 だから、ゼニガコン、ゼニプシュー、などとは鳴らなかったのだ。


 ここにあるものが、なんらかの欲望だとすれば──


 それは、常人が、触れてはいけないものなのだろう。


「──安全も何も」


 エレベーターから出て、周囲を見回していた超能侍が、ため息をついた。


「こんなところを通るべきではないな──エレガント山の奴なら平然とスキップもできるだろうが──」


 超能侍は振り向いて、エレベーターの入口で固まっている星降に声をかけた。


「戻るか」


「どこへ?」


 星降は目を見開いて外に飛び出した。


 超能侍の目が鋭い輝きを放ち、魔獣めいた戦意を全身にみなぎらせた。


 答えた声が、男のものだったからだ──!


 ズリュゥ──ッ──


「ぬぅんッッ!!!」


 エレベーターの天井から降り注ぐ黒い液体! 新手の初号衆か! 超能侍は大量の塩を豪快に投げつけた!


 が──


 ジュゥゥワァァ──


 焦げるような音を立て、煙は上がったものの、崩れ落ちることもなく、液体は平然と人の形に変化した!


「なん──だと──」


「初号衆のように意思もへったくれもほったくれもないザコならともかく、オレらクラスの者が塩をくらったところで、根性出せばすぐに身体を再構築できるんだよ──とはいえ」


 黒い人型の液体がモーフィングのように、みるみるうちに黒いスーツを着た金髪の男の姿へ変化した。黒い液体だった痕跡が完璧にどこにも見当たらない、どこをどう見ても何の変哲もない、一見ありふれた暗黒デスホスト風の暗黒デスチンピラだった。おそるべき擬態能力!


「それなりに痛ぇもんは痛ぇんだよ。出会い頭にいきなりひでぇことしやがって──旧式の力士(デブ)はまともな挨拶できねぇのかブバッ」


 ブシャァッッ、と、正確に顔面をめがけて、超能侍はもうひとかたまりの塩を叩きつけた。


「まともだぞ。汚らわしいモノは塩で清めるのが力士の伝統的作法だ。知らんのか? 覚えて帰れ」


「てめェ──」


「あ、コイツ──」


 塩を浴びて、一瞬グチャッと元の黒い液体に戻りかけ、また根性で人間の形になった顔に、星降は見覚えがあった。


「暗黒デスタピオカを売りつけてきた、暗黒デス売人ジョシ──」


「うん、そうだよ、お嬢さん」


 いかにもチンピラめいた表情が、いかにも「一見怖そうだけど穏和で気さくな人」といった雰囲気の、快活な笑顔に変わった。少女たちをだますための暗黒デス営業スマイルだ──!


「ブッ殺したと思ったのに、あんな状態から生きてるとはねぇ」


 長身をさらにふんぞり返らせ、星降を見下しながら売人は冷酷に言った。表情を朗らかに装ったままなのが、星降の背骨に冷気を走らせた。


「ま、それならそれで、我々 “神人類(シンじんるい)” の仲間入りってわけだよ。どうだ? お前も梅悪部屋構成員にならないか?」


 今度はポケットに両手を突っ込み、上半身をグイッと折り曲げ、しかめたようにニヤつきながらも眼が笑っていない顔を突き出し、視線の高さを星降に合わせながら、売人は男子小学生が友達をサッカーに誘うような明るく快活な口調で、星降を暗黒デスヤクザの道に誘った。


「ううぇジョシ」


 あまりにも邪悪すぎる表情──数メートルは離れて立っていたが、その顔面がたった数十センチだけ近くなったことで生じた圧に耐えきれず、星降はイヤそうに後ずさって超能侍の陰に隠れた。


「神人類──とは?」


 問いながら、油断なく塩の袋に手を入れ、超能侍は一歩間合いを詰めた。


「あ? 知らねぇのか? 邪神だよ、ジャ・シ・ン」


「ジャシンジョシ──?」


 売人の小馬鹿にした口調に対し、何言ってんだコイツ、といったような口調で星降はつぶやいた。


 超能侍が重々しく口を開く。


「相撲は古来より神に捧げられるものだが──」


「暗黒デス相撲は邪神に見せるモノってワケよ」


 口調も表情も完全に邪悪に変えて、売人が語る。


「神とかいうゴミが本当にいるかは置いといて、邪神は──」


 一瞬の溜め──


()()()()


 売人は、ドン!! と効果音が出そうな邪悪なキメ顔でそう言った。


「世界中のあちこちで見つかってる “邪神のかけら” をなァ、人間に食わせると、逆に人間が内側から “喰われ” ちめェんだよ。ウケるだろ? でもなァ、たまァ~に、邪神のかけらを逆に “喰う” ことができて、邪神のチカラ身に付けた邪神人間(マン)になれるヤツがいる。それが神人類だァ」


「その “邪神のかけら”を、ドリンクに入れたものが

暗黒デスタピオカ──だな」


「すごーい! かしこーい! その通りだヨ!」


 売人はわざとらしく拍手して、超能侍を愚弄してみせた。


「そんな──そんなの聞いたことないジョシ──暗黒デスタピオカは、力士と同じような力を与えてくれて、肌はプルプル髪はツヤツヤになって、血管の老化を防いで、悪玉菌を一掃し成績はぐんぐん上がり視力は回復、金運向上、これでキミも底辺脱出だ──っていう、プロテインかなんかのようなものだって噂だったジョシ──」


「そりゃそうだよ、余計なことを言いふらそうとした子も “転校” してもらって、暗タピ飲ませてあげてるからねェ──」


 ニタリ顔の売人の口調には、万引きを自慢する旧時代の不良中学生のような、悪事をひけらかして威圧する気負いは一切なかった。


 鍋物のアクを取って捨てる作業について説明する旧時代の料理番組と同じテンションだった。


 星降が不安げに超能侍を見ると、紙袋を持っていない方の手が握り拳になって、小刻みに震えていた。


「そうか──それで?」


「あァ、一人で暗タピを意地汚く二本も飲んで人間の形に戻れる奴はSSレアでな。悪党仲間(ファミリー)になるか実験動物(モルちゃん)になるかは置いといて、梅悪部屋に連れていく必要がある。それでだ、そこのガキ以外でこの話を聞いちまった奴は──」


 ドン!! と効果音が出そうな邪悪なキメ顔で、


「おウチにゃ帰さねェ」


 そう言った。


「そうか、それで?」


「あァ?」


 超能侍の口調は、売人の殺害予告には心底から産毛一本も動いていない、実に平然としたものだった。


「邪神の力を宿した人間を貴様らが神人類と呼ぶことだけは初耳だったが、それ以外の話は既に医者から聞いている。その医者は邪神について他に新しい情報を欲しがっていてな。何かないのか? どうなんだ? それ以上は知らん下っ端にすぎんのか?」


「ハッ、メイドのみやげを欲張るヤツぁ地獄に落ちッぞ?」


「知らんのだな──下っ端か。ならよかった」


「あァ? 意味不明だな脳ミソうんこかテメェ」


「下っ端なら更正の機会もあるだろう。暗黒デスヤクザから足を洗う気はないか?」


「やっぱ脳ミソうんこだな、暗黒デスヤクザが今さら暗黒デス不良に戻れるわけねェだろ? 殺しをやめろったァ、死ねって言われてんのと同じだぜ? つまりテメェは人殺しの悪い子ちゃんだ」


「そうか──」


「悪い子は、それと悪くない子は、ブッ殺してベッ殺してボッ殺す、それがオレのやり方だァ。テメェみてぇな悪い子は──」


 売人の身体が、モーフィングめいて、黒くぬらぬらした悪魔のような、翼の生えた異形へと変化し──


「地獄に落ちブヘェッッッ」


 ブシャァッッ──と音を立てて飛ぶ塩の直撃を受け、ジュワワワと煮立つようにあぶくを沸かせた!


「何が邪神だ間抜け」


 ブシャァッッ!!


 ジュワァァァッッ!!


「ぐぼゲェッッ──」


「清めの塩を痛がるような身体にわざわざなりおって──」


 ブシャァッッ!!


 ジュワァァァッッ!!


「まがッッんゴッッッ」


「何がッッ!!! 神人類だッッ!!! このへっぽこチンピラがァァァッッ!!!」


 ブシャブシャブシャジュワブシャシャシャジュジュワジュワシャジュシャジュシャジュジュワ──


「」


 売人に口を開かせる暇もなく、わんこそばのごとく次々と高速で投げつけられる塩、塩、塩ッ! 売人の身体は再生する端から、痛みに身をよじる間もなくまた塩に破壊される! 相手に一切何もさせない一方的な塩の拷問だ! 文字通りの塩対応とはこのことだろう!


「む──使いすぎたな」


 中身が半分ほどになった紙袋を、超能侍は床へ無造作に置いた。扉が開いたままのエレベーターの入口あたりで、立ったままジュワジュワと煙を上げている売人の、すぐ目の前まで近付く。


「へ──へへェ──」


 塩を止めてからたった数秒で、ボコボコとむごたらしく泡立っていた状態から回復した顔面で、売人はニタァーリと笑ってみせた。


「まァな──いずれ塩が尽きれば、てめェの有利なんざこうして吹き飛んでたってワケよ」


 そう言ううちに売人の身体は、既に全身が再生してしまっていた。


「何を言ってる? 吹き飛ぶモノが違うぞ」


「あァ?」


 売人は鉤爪状になった指をピクッと動かした。その鋭さは常人の首くらいならたやすく斬り落としてしまうであろうことが、離れて見守る素人の星降の目にも明らかだった。その必殺の間合いに、超能侍は自ら入ってしまっている!


 が──


「知らんのか? 力士が塩を撒くのは取組の前だ」


 超能侍は右手を頭上に掲げてみせた。


「いい感じに身体が温まった──」


 超能侍の手はキラッと光って見えた──


 それは──


 塩だ!


 激しく塩を投げ続けたことで手が汗ばみ、肌に塩がくっついているのだ!


「なぁ──相撲しようや──」


 ドスの利いた声で言いながら、超能侍はゆっくりと手を下ろした。


 その間、なぜか売人は何もしなかった──


 いや──


 何もできないのだ!


 超能侍に不意討ちを仕掛ける隙がないのだ!


 下手に動けば、その瞬間に隙を突かれて逆にやられる──


 そんな高度な戦いに、売人は既に巻き込まれていたのだ!


 バトル素人の星降の目にもわかる、空気が陽炎のように歪んで見えるほどの凄まじい気迫が二人の周囲に発生していた!


 まさに嵐の前の静けさとでもいったような、早撃ち勝負に望んだガンマンのごとく、両者とも動かない、いや迂闊に動けない数瞬の時が流れ──


「フハハハハハハハハハハハハハハハハァァァァッッッッッ!!!!!」


 轟いたのは超能侍の声だ!!


 これは笑い声ではない──


 渾身の力を込めた、岩をも砕く必殺の張り手!!


 それがマシンガンのごとき超高速で、何度も何度も繰り出された!!


 その一発一発ごとに放たれる気迫が切れ目なく連なり、文字に起こせば一見笑い声ともとれる怒号となったのだ!!


 顔面に、胴に、腕に、脚に──


 売人の全身に絶え間なく降り注ぐ張り手、張り手、張り手!! しかもその掌は、清めの塩をたっぷりとまとっている!!


 それを喰らった売人の身体は──


 跡形もなく消滅した──!!


 売人の邪神ボディは、まず塩によって崩され強度を失い、そこをすかさず張り手の衝撃波で粉々に破壊されたのだ!


 いや──


 張り手の届かなかった、両足首から下だけは残っていた。超能侍はそれらを拾い上げると垂直に放り上げ、


「フンンンッッッ!!!」


 張り手一発でまとめて完全消滅させた──ッ!!


 ふうぅ──


 超能侍は息を整え、目をつぶり、合掌した。


「地獄に落ちろ、とは言わん──」


 入口あたりに立っていた売人が消滅したので、エレベーターの扉が、プシューと閉まった。


 合掌を解いた超能侍は、


「地獄か、極楽か──行きたい場所は自分で選べ」


 ドン!! と音がしそうな決め顔でそう言った──!


「これが──」


 星降はうめいた。


「これが相撲──ジョシ──!」


 塩が持つ清めの力と、凄まじい張り手を繰り出す鍛え上げた肉体の力──そして、先日の敗北から立ち直り、今日新たな白星を掴みとる心の力──!!


 それらをより合わせ、世界を牛耳る暗黒デス相撲、その背後にあるという邪神の力を打ち砕く──


 それが正義力士(ジャスティスモウトリ)なのだ──ッッッ!!!


「やったジョシ! すごいジョシ!」


 星降にはもう数日前のような、旧時代相撲への軽蔑はなくなっていた。


「──ぁ、」


 だから気付いた、ちょっとしたことがあった。


 なぜ塩は、


 ゼニブシャァッ──


 ではなく、


 ブシャァッッ──


 という音で飛んだのか。


 おそらく──


 塩が持つ清めの力は、瘴気にも似た金銭欲が淀む銭十字病院の中にあってもなお、


 歪んだ空気を切り裂いて、気高く、真っ直ぐ、飛んで行くものだからだ──


 本来あるべき相撲とは、そういうものなのだ──ッ!

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