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どすこいあそばせ! エレガント力士・エレガント山!  作者: 当年サトル
天空の覇者ッ!! 航空相撲の挑戦ッ!! でゴワシますわ
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十二ッ!

 ゼニヴィーン── ゼニヴィーン──


 なんとおぞましい光景であろうか──


 深夜の病院。


 平常であれば、廊下に、天井に、黒い霧のような暗闇がたちこめる時間帯。


 ただでさえ常人の心に原始的恐怖を誘う状況である──


 そこに、ものものしくも金銭欲にまみれた浅ましい警報音が断続的に鳴り響いているのだ──


 ただし、今は完全な暗闇ではない。


 壁といい天井といい黄金色に彩られている成金趣味空間のそこかしこに配置された、赤い警告灯の回転する光が、暗がりをなぎ払い、ギラリギラリと乱反射している。


 ただの暗闇よりもなお本能に恐怖と焦燥を駆り立てる、自然の摂理に反する光景だ。


 その赤と金の輝きの合間、ところどころ浮かんでいる白と緑の光は、避難経路を示す、走る人間を描いたピクトグラム──それもただの人間ではない。


 金貨が大量に詰まった風呂敷包みを背負って走る人間の姿だ! こんなところにも金銭欲! 隙あらば金銭欲! 息を吐くように金銭欲! これが暗黒デス相撲時代の一般的な光景なのだ! 心ある者ならば嘆きながら避難することだろう! ただ、嘆き界の名人も、非常事態においては嘆くことよりもまず周囲の状況に気を配り、自分の身を守ることを優先させてほしい──と警告している! 嘆きすぎて注意がおろそかになってはいけないのだ!


 だが──


 そのような警告ならば、今の女子ヶ崎星降には無用であったろう。


 忌々しそうに唇を結びながら、視線は油断なく周囲に走らせている。赤と黄金のぎらついた成金色の光など、全く意に介していない。そんな景色にいちいち嘆くことはない。


 慣れているのだ──この暗黒デス相撲時代の光景に。


「くそッ、なんなんジョシ──」


 警報音の下でも万が一誰にも聴かれることがないよう、小声で愚痴をこぼした。


 病室でうとうとしていたところ、星降は突然の警報に叩き起こされた。しかし、しばらく待っても、アナウンスも、職員による誘導もないため、何が起こったのかもわからないまま、仕方なく院内をさまよっているのだ。しかし、広大な院内のどこをどう歩いているのか見当がつかない上、これまでに誰とも遭遇していない。


 裸足のまま病室を出てきた星降は、警報音の下でも万が一足音を立てないよう、早足で、しかし慎重に廊下を歩いているが、それは今の状況に恐怖しているからではない。むしろ、警報に叩き起こされたせいなのか、もやもやとした怒りがわだかまっていた。


 その怒りを隅に追いやり、思考を切り換えた。


 廊下の向こうに広い空間がある。向かって右側の壁が少し先で曲がり角のように途切れているが、左側の壁はさらにもう少し先の、突き当たりの壁まで続いている。曲がり角というより、右方向に広がっている部屋の入口という印象だ。


 なぜ警報が鳴っているかもわからない状況である。そのまま入っていくわけにはいかない。


 星降は立ち止まり、前方左側の壁を見た。銭十字病院は、そこかしこが金色にテカテカと輝く暗黒デス成金様式を特徴としている。その壁を鏡代わりにして、右手側の向こうに何ものかがいないかを見たのだ。何かしら動くものの姿などは映っていないと確信すると、部屋入口の手前まで素早く歩み寄り、念のため陰から少し顔を出し、その先にやはり何もいないのを確認する。


 まだ幼い頃に自然と身に付けた警戒動作だった。


 慣れているのだ。


 生命を脅かすものが襲ってくる可能性のある状況に。


 そして──


 確認した結果は予想とは異なっていた。


 部屋ではなかった。大型トラックが三台ほどすれ違えそうな、広大な通路になっていたのだ。百メートル以上先で突き当たり、左右の端から細い通路が伸びたT字路のようになっているらしい。途中の壁には左右ともに、力士がふたり同時にくぐるにしても大袈裟なサイズの扉がいくつも並んでいて、黒い相撲書体で「三号保管庫」「搬入出口」などと書き込まれているのが見えた。


 構造や道順をよく覚えていない院内をさまよううちに、入院患者には用のないはずのエリアに迷い込んでしまったらしい。


「──ッ!?」


 星降はビクッと身構えた。今、広い通路の向かって右側の壁際に立っている格好だが、その右手側の壁、たった数メートル先に、先ほど通ってきたのと同じ幅くらいの通路が開いていることに気付いたのだ。


 慎重に覗き込んでひとまず安堵する。通路には何も置かれていない。まっすぐ伸びて見通しがよく、何者もいないのが一目瞭然だ。扉は一切ない。通路は何十メートルか先で左に折れていて、その向こうから白い光が洩れている。その中にうごめく影などもない。ここに何かが潜んでいることはないだろう。


 ──というより、何もいないからこそ、こうして覗き込めたのだ。


 この中に何かよからぬものがいたならば、広大な通路の遠い向こう側に気を取られていた星降をたやすく近距離から不意討ちできていただろう。これはたまたま幸運に助けられただけの大失態といえる。この暗黒時代において、こういうミスの積み重ねは命取りとなりかねないのだ。


 冷や汗を浮かべながら、星降は改めて広大な通路の向こう側を見た。


 その時。


 遠い向こう側の突き当たりの壁、向かって左側寄りに、緑と白の光が見える。左側の通路が非常口であることを示すピクトグラムだろう。その下を、右から左へ、人影が走っていった。黄金色にギラギラ輝く看護服に黒い防毒マスクという、院内で何度も見かけたユニフォーム。暗黒デス成金ナースだ。


「ドスコ・イ!」


 暗黒デス成金ナースの姿が左の通路の中に隠れた直後、甲高い声があたりに反響し、ナースの後を追って、右側の通路から黒い影が飛び出した。


 四足獣のような姿勢。広い通路の端から端を瞬時に横切った。人にしては速すぎる。暗黒デス成金ナースが走る速度ごときで振り切れるとは思えない。


 影が飛び込んだ左の通路から、ブシャアッ、と、何かが飛び散るのが見えた。


 血か、肉片か──


 この距離では判別できないが、いずれにせよ知ったことではない。


「チッ、ジョシ──」


 星降は小声で舌打ちした。

 

 悲鳴など出ない。かといって、声が出ないほどすくみ上がりもしていない。


 ああいう光景は幼い頃に見飽きた。


 今ここでするべきことはただひとつ──逃走だ。


 星降はすかさず右の通路の中へ駆け出した。


 あの四つん這いの野獣に似た低い姿勢、常人ではありえない超速度──この時代に見たことのない者はいない。暗黒デス力士の暗黒デスぶちかましに違いあるまい。牛三頭くらいまとめて吹き飛ばしてしまえる威力がある。それをまともに喰らった常人がどんな末路を迎えてしまうか、否応なしに見せつけられてきたのが暗黒デス相撲時代の民衆であった。星降も例外ではない。


 非常警報の理由が暗黒デス力士の襲撃ならば、非常に納得がいく。


 銭十字病院は暗黒デス相撲協会に逆らう正義力士(ジャスティスモウトリ)をひそかに支援し、暗黒デス力士を負傷させ、治療費をふんだくりボロ儲けすることを企んだ──というのが、食堂で聴こえてきた噂である。しかし計画がバレ、銭十字病院は正義力士を売り渡すことで難を逃れようとしたが、暗黒デス相撲協会は激王虎噴怒丸(げきおうこふんぬまる)悲怨(ひえん)を通り越して覇怨(はおん)、ぶっ殺たにえんで棺桶丸水産、くらい怒って刺客を差し向けた──とは充分に考えられる事態だ。


 だとすれば、死者が何人出るか──いや、何人が生存できるだろうか、と言った方がいい──そのくらいの事態だ──ッ!


 ならば──こんな病院(ところ)にはいられない。脱出するしか、あるまい。


 走る星降の表情は険しい。


 だが、恐怖や絶望に引きつっているわけではない。


 暗黒デス力士の襲撃──それは、「悪意を持つ災害」としか言いようのないもののはずである。特定の人物を殺すため追いかける力士とは、特定の人物を追いかける竜巻、特定の人物を狙って降り注ぐ火山弾、特定の人物の行く先々でピンポイントに発生する巨大地震──そのようなものに匹敵する。


 常人にとってはあまりにもすごみがすごすぎてすごい脅威である。そんなものに巻き込まれて無事生還できるものを常人とは呼べまい──!


 にもかかわらず、星降は暗黒デス力士の脅威におびえ、すくみ、おしっこちびるようなことはなく、通路前方に差し込んでいる白い光を冷静に見据えていた。


 その冷静さが、揺らいだ。


「これは──ジョシ──」


 星降が白い光をまっすぐ目指したのは、理由なき反射的行動ではない。


 階段かもしれない。暗黒デス足立区の暗黒デススラム団地などとは異なり、暗黒デスセレブが利用する建物なら、安全のため階段に常夜灯が設置されている。あれはその光なのではないだろうか──そう考えてのことだった。


 だが、その光の出どころとは──


 自販機!


 曲がり角の先は三メートルも行かないうちに行き止まりになっており、自販機が、袋小路の幅いっぱいにぴったりとはまっていた! この通路は逃走経路として大ハズレだったのだ!


「くッジョシ──」


 通路の途中に扉はなく、置かれている物もなく、見通しがよい──つまり、隠れる場所はなく、星降の姿が丸見えだということだ。あの暗黒デス力士が来る前に、急いで引き返すしか──


 いや──


 星降はふと直感的な違和感を覚え、自販機を上から下まで見回した。


 商品サンプルの写真が横三列に並び、それらの下にボタンが付いているタイプの自販機だ。白い筐体はかなりの高さがあり、常人の腕では最上部までは届かないだろうが、そのあたりにはさすがにサンプルもボタンもなく、旧時代の昭和っぽい雰囲気があるレトロな書体の赤い文字で、“スラウド製薬” という聞いたことのないメーカーのロゴが書かれている。


 商品サンプルは大半がドリンク剤だ。しかし、「赤マムシ」「青マムシ」「黄マムシ」「緑マムシ」「桃マムシ」などと銘打たれたビン入り強壮剤が並んでいる中に、ひとつだけ「うがい薬」があり、その下のボタンにだけ、品切れを示すランプが点灯している。


 下部の商品取り出し口の横には、旧時代の児童向けアニメのようなコミカルな絵柄の、タヌキのマスコットキャラクターが描かれている。ロードローラーの下から紙のようにペラペラになって出てくるという、滑稽ではあるが、なぜそんなシチュエーションを選んで描いたのかわからないイラストだ。


「──!」


 これらが示すものは──


「たぁッジョシッ!」


 ゼニピッ!


 ゼニゴゥン──


 ゼニプシャー!


「そういうことかジョシ──!」


 チョコミントアイスを侮辱した同級生に目潰しをくらわせる時のような勢いで、星降が親指でうがい薬のボタンを突くと、金銭欲にまみれた音を立てながら、自販機が左にスライドして壁に開いた溝の中へ収納され、自販機の奥に隠されていたエレベーターの扉が開いた。


 そう──これは、自販機に偽装した隠し扉!


 そして!


 「スラウド」製薬の「う」が「い」薬──すなわち「スライド」!!


 「平たく」なっている「タヌキ」──すなわち「開く」!!


 これらは隠し扉の存在を示す、巧妙な暗号だったのだ!!


 架空の社名と不可解なイラストに込められた、一定の知力と観察力を持つ者にのみ伝わるメッセージ──それを女子ヶ崎星降は見事に解き明かしてみせたのだ──ッ!


「甘く見られたものジョシね──あたしは幼稚園の頃、町内なぞなぞ大会で6位になった程度の能力があるジョシ」


 暗号を仕掛けた者の挑戦を退けた優越感で、星降はニタァーリと得意顔になりながらエレベーターの中へ踏みいった。


 そしてふと真顔になり、一瞬足が止まった。


 いや──


 勝ってなど──いない。


 旧時代、なぞなぞトーナメントバトル大会が開催され、名だたるなぞなぞの猛者たちが集い、熱い激戦を繰り広げた思い出の町内。


 東京都北区──


 あの故郷はもう──存在しない。


 旧時代の終わりの第一歩として、暗黒デス力士に蹂躙され、瓦礫と血の廃墟となったあの町を泣き叫びながら脱出した、あの日から──


 ずっと、逃げたままだ。


 成長はした。


 逃げながら、泣かなくなった。


 強くなったわけではない。


 逃げることに、慣れただけだ。


 強くは──ならなかった。


 チョコミントアイスを愚弄する不逞同級生を制裁するためにメリケンサックを振りかざすくらいの力は身に付いた。だが、そんなものは暗黒デス力士の前では仔猫の威嚇に等しいだろう。しょせん暗黒デス一般人など、暗黒デス力士が気まぐれで振るう圧倒的暴力の前には、たやすく引きちぎられる紙屑程度のものでしかないのだ。


 だから、今でも──


 逃げ続けている。


 …………………………それの何が悪い。


 逃げて何が悪い。


 何も悪くない。


 ふと湧き上がった感情に対して、そう言い聞かせるまでの時間は、星降の主観では何十分にも感じられたが、実際には二秒にも満たなかったであろう。


 だが、それは、緊急時において、周囲への警戒が途切れる時間にしては、致命的ともいえる長さだった。


 ヌッ──


 エレベーターに入りかけた星降の背後に、ぬるりぬるりと音もなく床をすべってきた黒い液体が、一瞬にして屈強な力士の姿に固まり、張り手の構えを取った。


 暗黒デス力士の張り手には重火器のごとき威力があり、牛一頭をやすやすと粉々にしてしまうことは、この暗黒時代には当たり前すぎる常識だ。


 ブシャアッ──


 次の瞬間、辺りに飛び散ったものは、警告灯の下では、赤くきらきらと輝いて見えた。

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