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どすこいあそばせ! エレガント力士・エレガント山!  作者: 当年サトル
天空の覇者ッ!! 航空相撲の挑戦ッ!! でゴワシますわ
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八ッ!

「セレブッ!!」「セレブッ!!」


 シュパァンッ!!


「セレブッ!!」「セレブッ!!」


 シュパァンッ!!


 一人の掛け声に複数が応え、次いで空を切る音。それが幾度も続いていた。


 一人の指導者と、間隔を開けて隊列を組んだ十数人の生徒が向かい合って、両手に持った札束で交互に空を薙ぎ払う動作を繰り返しているのだ。


 そう、これは──札束ビンタの指導! 暗黒デスセレブ達の、武術訓練なのだ!


 上空から見て十字型をしている銭十字病院施設は、重要設備が集中する中央のメインタワーに四つのビルが連結された構造をしている。そのうちの一棟は、カジノ、巨大室内プール、超高級ショッピングモール等、入院患者やその身内以外にも暗黒デスセレブ達を出入りさせ、大金を落とさせるための商業設備が集中するレクリエーションエリアとなっていた。


 そのフロアのいくつかにおいて、暗黒デスセレブ向けの各種暗黒デスカルチャースクールが開かれており、そのうちのひとつが、この「暗黒デスセレ武道場」なのだった。


 道場の構造は、古来より空手や柔道などの指導に用いられてきたのと同じような、伝統的なものである。


 だが──空手や柔道など、伝統的な武術を修めてきた者ならば、一目見て驚きに目を剥くであろう。


 ここは、旧時代の感覚で見れば、異常な道場と言う他なかった。余談ではあるが、意図せずして異"常“と道“場"で韻を踏んでいた。


 その異常ぶりとは──


 まず、壁、床、畳──それらすべてが純金色にギラギラと輝いていた。金箔や金粉なのか、それとも純金の板か──いずれにしても、旧時代の伝統的な感覚では、武道の鍛練には似合わぬ虚飾というほかなかった。


 それだけではない──


 さらに目を引くのは、指導者の後ろ──


 畳張りの床よりも一段高い壇──床の間がしつらえられている。普通ならば神酒が備えられたり、日本刀が飾られたりしているところだろう。そう、伝統的な道場であれば。


 だが、そこにあるのは──


 異様な──神。


 両足をだらしなく前に投げ出して座り、それぞれに札束を持った両手を掲げ、ニヤニヤといやらしく笑みを浮かべる裸の赤ん坊──そんな異様な姿を象った、高さ二メートルほどの黄金像。


 これが、神なのだ──!


 大金を見せびらかして悦に入る、浅ましい欲望と傲慢! 暗黒デスセレブの歪んだ精神性を存分に表す邪なる神──近頃暗黒デスセレブの間で流行る、銭を崇める邪悪な新興宗教の神「ゼニケン様」なのだ! そんなものが、道場の守り神として奉られているのだ!


 さらに──


 ゼニケン様像の少し上、壁に掛けられた筆文字の額縁!


 普通の道場ならば、例えば「一意専心」「不撓不屈」などといった、武道の心構えを示すありがたい言葉が記されているだろう──


 だが!


 この道場に掛けられた額縁の文字は──「拝金主義」の四文字ッ!


 暗黒デスセレ武道においては、こんな言葉がありがたいものとして飾られているのだ! なんたる堕落、なんたる退廃であろうか! 精神の荒廃というほかあるまい!


 さらに──


 額縁の上の壁、普通の道場ならば神棚が祀られているであろう場所──


 獣の首が──生えている。


 黒山羊の首だ!


 富豪の屋敷の壁に取り付けられているような獣の剥製! 暗黒デスセレブには神棚に頭を垂れる精神などなく、代わりに権勢の象徴を飾るのみ! 虚飾である金色の壁に、虚飾である獣の剥製! 虚飾オン虚飾! 虚飾の二乗! 黒山羊の首であることが、西洋の悪魔崇拝儀式・サバトを思わせる退廃的雰囲気を醸し出してもいる! これはまさにろくでもない道場であるということが一目でわかろうというものだ!


 さらに!


 黒山羊の首の上に目を向けると──


 ──それ以上は特に何もないのでこの話は終わる。


 ともあれ、そのような道場の中で、背中に金色の文字で「セレブ」と書かれた暗黒色の道着に身を包んだ者達が、


「金を拝んで、貧乏人(かちく)を見下して──」「セレブ!!」


「オール・ウィー・ニード・イズ・銭!! アンド!!」「セレブ!!」


 などと精神的に荒廃した掛け声を叫びながら、札束で人を殴る動作を繰り返しているのだ!


 心ある武術家ならば、何からどう嘆けばよいものか、嘆きどころが多すぎて途方に暮れるに違いあるまい! それほどまでの退廃的腐敗空間であった!


 だが、この空間の退廃的雰囲気は、唐突に破られることとなった!


「浴びたいシャワーは!! 銭!!」「セレッ──?」


 暗黒デスセレブたちの素振り動作が、困惑にピタリと止まった。


 なぜならば──


「こ、これは──ッ!」


「チャ、チャイコフスキー『くるみ割り人形』より!! 『花のワルツ』ッッ!?」


 そう、突如! ギラギラと欲望の色に輝く暗黒デス道場の中に、不釣り合いに優雅なクラシック音楽が流れ出したのだ! それも、館内放送のスピーカーから流れてきたのではない!


「あ、頭に直接響いてくるようでセレブ!」


「テ、テレパシーとでもいうのかセレブ! なんと奇怪セレブ!」


「う、うわぁーッ! ネモフィラ! アリッサム! クレマチス!」


「は、は、花ーッ!? 春の花でセレブーッ!?」


 出どころ不明の怪クラシック音! そして、室内だというのに足元に突如咲いた花々! 空間の突発的エレガント化である! これは超常エレガント現象! 高濃度エレガントのしわざ!


 その原因とは、もちろん──


「ごきげんよう、どすこいあそばせ」


 道場入口の引き戸がスゥッと開き、鈴を転がすような声!


 しずしずと入ってきた白いドレスの美少女が優雅に一礼し、


「お忙しいところへ突然の訪問、御無礼つかまつりゴワシますわ。ほんのひとときでゴワシますので、少々お邪魔いたしてもよろしゅうゴワシますかしら?」


 呆気に取られ固まっている門下生達の向こうで、指導者がぎこちなく無言でうなずいたのを見てとって、少女は再び一礼し、質量が存在しない精霊のように、軽やかな足運びで舞い始めた。


 プリマドンナのごとく麗しく、しなやかに、ターン・ステップ・ジャンプ! ターン・ステップ・ジャンプ!


 茫然と見ていることしかできない暗黒デスセレブ達の間を、春風のごとく、花の香りを漂わせながら、するりするりと通り抜け、道場の中央へ躍り出た!


 そして!


 ババッ! と、両手に一本ずつ持った薔薇の花を高々と掲げ、その場でくるりくるりと優雅な回転を始めた!


 やがて薔薇の花ははらりはらりと散り、空中できらりきらりと七色の光の粒子へと変化し消えていく!


「ふむぅん──」


 残った茎も美少女の手の中で光の粒子となって消滅し、美少女は指導者の方向へ目を向けた。


「なんだというのだね、お嬢さんよ──」


 十代か二十代の若手からなる門下生たちを前に、威厳と余裕を取りつくろってはいるものの、壮年の指導者は焦りを覚えていた。


 道場入口の扉は、一見木製の引き戸に金箔を貼ったような外見をしているが、実際は厳重なロックがかかった自動ドアである。それを、部屋の主である指導者の認証を得ず強制的に開けられる相手とは、この銭十字病院施設においてかなり上位の権限を有するということ! 何者だ! 何者なのだ!


「一応おうかがいゴワシますが、“それ"は本物でゴワシますのかしら?」


「テメェー! 先生に何らかのイチャモンをぶっこいてんのかセレブーッ!」


「先生は我らに強さをくれた! 本場のセレ武道教えてくれた!」


「ガキ娘がッ! 調子に乗ってると潰すでセレブーッ!」


 ポカーンと固まっていた暗黒デス門下生たちは、退廃的な場をエレガントに乱した訪問者に対する怒りをようやく沸き上がらせ、十数人がかりで美少女を取り囲んだ。


「いえ、そういうお話ではゴワシませんのですけれど」


「ではどういう話でセレブッ!」


「それは──」


 パシィィィンッ──


「うるせレブ! 口答えするなセレブッ!」


 正面の暗黒デス門下生と会話している美少女の後頭部を、背後から札束が思い切り打った! 精神的に荒廃した暗黒デスセレブならではの卑劣な奇襲! 残虐! まさに残虐行為!


「ギャハッ! ざまぁみレブ!」


「グフフフフセレブ──」


「フヘヘヘヘセレブ──」


「ヒャアァー! もう我慢できんセレブゥゥーッッ!!!」


 かよわい美少女に暴力が振るわれる残虐な光景! それが暗黒デスセレブ達の下劣な欲望を刺激した! 興奮に震えた暗黒デスセレブ達はいやらしい笑みを浮かべながら美少女に殺到! 手に持った札束を、入れ替わり立ち替わり、キャヒキャヒと恍惚の高笑いを叫びながら、次々と美少女に叩きつけた! 


 ピシィィィン! パシィィィン! ペシィィィン!


 札束が鈍器となって、容赦なく少女の肌を打ちすえる音が、絶え間なく鳴り響く! 心ある者ならば直視に耐えない、あまりにも残虐で下品な光景であった!


 しかし!


「まるで──春の野原でゴワシますわね。木漏れ日の下、柔らかな風そよぐ中、リスや小鳥と戯れるような──」


「ハッ、ヒッ、セレブ!?」


「セレ武道の真髄、札束ビンタが効いてないセレブッ!?」


 数分間の暴虐の後、体力を消耗し尽くしてへたり込んだ暗黒デスセレブ達は、無傷の姿で両手を広げ、穏やかに微笑み佇む美少女に、息を切らしながら驚愕し戦慄した!


「御無礼とは存じ上げゴワシますが──このお遊戯、どのくらいお稽古代をお納めゴワシておりますの?」


「ま、毎月五万デスドルだセレブ──」


「旧時代のお金で約五百万円といったところでゴワシますわね。暗黒デスセレブ様がたにとっては大した出費でもないのでゴワシましょうが──」


 リンチの輪の外でずっと腕を組み佇んでいた指導者を、やや険しさのこもった視線で美少女は見据えた。


「お代に見合った内容とおっしゃるのでゴワシますかしら?」


「ふん、ウソやインチキの類ではないぞ。基礎動作の反復練習を何年もかけてじっくりやらせておるだけだ」


「基礎は大事でゴワシますわね。しかしながら、いつまでも基礎の段階で足踏みをなさらせ、そこが到達点であるかのようにお考え違いをなさらせるようでは──」


「考え違いなどではない。屋敷のメイドなど一般人をいじめるためならそれで十分。こやつらが必要とするのはその程度の力だ。本格的暴力が必要ならば銭で力士を雇えば済むのだからな」


「そうだそうだセレブ!」


「過ぎた力は我々自身の命を縮めるでセレブ!」


「我々の身を案じ、過酷な負荷をかけることなく、我々の力をほどよい感じに引き出してくれたのが先生でセレブ!」


「素振りの数だけ強くなれた気がしたでセレブ!」


 自らを過信するあまり、自分が騙されたとか、自分が弱いなどと信じたくはない門下生たちの都合良い解釈に、指導者はニタァーリと笑った。


「それに実際、さっきの袋叩きで十分ズタボロになるはずだ。お前がただの小娘であるならば。──何者だ」


「あら、これはまことに御無礼でゴワシましたわね。名乗りもせぬまま長居ゴワシてしまいまして。では改めゴワシまして──」


 美少女がその場でくるりくるり、ギュルンギュルンと目にも止まらぬ高速回転を始め、やがて回転速度が次第に収まり、姿がはっきり見えるようになると、身長二メートルの、ドレス姿の巨漢に変化していた。


「エレガント山でゴワシますわ。どすこいあそばせ!」


「げぇぇーッ! エレガント力士! 縮めてげレガント力士!」


「こ、こんなところにエレガント!」


「神出鬼没の藪からエレガント!」


 シュタァァァァンッ! と華麗なカーテシーを決めたのは、噂のエレガント力士! ただの小娘と思って見下していた暗黒デスセレブ達は、正体を現した巨漢力士の偉容に胆を潰し目を剥いた!


「い、今まで抑えていた相撲力を解放することで、エレガントな少女の姿からエレガント力士へ変貌したというわけか──そのエレガント力士がここへ来たということは──銭目当てで用心棒を志願するタマでもあるまい。であるならば、エレガント道場破りだなッ!」


「いえ、そういうわけでは──」


「どういうわけでも構わぬ。俺は貴様をこのまま帰せば、弟子をコケにされて何もしなかった腰抜けという評判になってしまう。ならば噂のエレガント力士である貴様を討ち取って名を上げるのが唯一の道というものだ」


 指導者の身体から紫色の暗黒デスセレブオーラが立ち上った。暗黒デスセレブの力を鍛え上げた証! 弟子たちには大金だけ取っていい加減な指導をしていても、当人は己に厳しく鍛錬を課してきたのだ! 他者を育てる責任感はなく、自分さえ強くなればよいという傲慢! これが暗黒デスセレ武道の精神なのだ!


「すげぇー! やっぱ先生は凄みがすごすぎてすごいでセレブ!」


「やっちゃってくださいセレブーッ!」


弟子たちが囃し立てる中、指導者は両手の札束をシュバッと構え直す! 殴れば人を殺せる残虐の力が込められている、と素人でも明らかにわかる、力強さと精緻を備えた、恐るべき達人の動作だ!


 ふうっ、と、争いを哀しむかのように、エレガント山が息をついた。


 次に息を吸って呼吸を整える隙を、指導者は与えなかった。


「カネェェェーイッッ!!!」


 パキィィィィン──


 一瞬にして間合いを詰め、たくましい腕を鋼の鞭のようにしならせ、銭欲が剥き出しとなった邪悪な気合の声を吐きながら、弾丸のごとき速度で、札束をエレガント山の顔面へ叩きつけた!


 その威力、たとえるならば戦艦の主砲! 常人ならば頭部が跡形もなく粉々になるだろう!


 さしものエレガント山も、衝撃に耐えきれずくるくると身体を回転させられ吹き飛ばされる!


 ──と、弟子たちの誰もが確信した。


 だが! エレガント山の力は、彼らの理解をはるかに超えていた!


「のぶぇおぇおぇ──ッッッ!!!」


 ギャドォォォォ────ン!!!


「え──セレブ」


「は──セレブ」


 その場の誰もが──吹き飛ばされた指導者自身も──何が起こったのか把握できなかった。


 ただ一人、エレガント山だけが──


 札束を叩き込まれた瞬間、エレガントに身体を回転させて衝突の威力をエレガントに散らし、その回転の勢いをエレガントに込めたエレガント張り手を指導者の胴体へエレガントに返した、と正確に理解していた。


 指導者はとてつもない速度で、ゼニケン様像が置かれた方の壁へ飛び、叩きつけられ──てはいなかった。いつの間にか壁一面を覆い尽くした薔薇の花がクッションとなって、指導者の身体を優しく受け止めている! ズルリ、と薔薇の壁から落ちた指導者を、今度は床に生えていた花々が、ファサッと受け止めた。


「いにしえの聖者いわく、右の頬を打たれたら、エレガントを差し出しなさい──それこそがエレガント相撲の真髄。武の道の学びの一助となれば幸いにゴワシます。お手合わせ、かたじけのうゴワシましたわ」


 エレガント山が優雅に一礼すると、壁と床の花々は七色の光の粒子へと変化し、消失した。


「“本物"ならば、こうもあっさりとエレガントに染まりはしないでゴワシましょうね──皆さま、お騒がせしてまことに申し訳ゴワシませんでしたわ。それでは、ごきげんよう」


 薔薇の壁の跡を見やって、エレガント山は優雅な回転からのカーテシーを決め、花園を駆けるがごとき優雅なスキップで道場を退出した。その姿を呆然と見送ってから、暗黒デスセレブ達はふと床の間の方を見て、魂の底が抜けるような絶望的驚愕を味わった。


「うげぇーッセレブッッ!?!?!?」


「どしぇーッセレブッッ!?!?!?」


 口々に叫んだのも無理はない。


 なんと──


 札束を見せびらかしニタニタ笑う下品なポーズであったゼニケン様像が、プリマドンナのように華麗に舞いながら穏やかな微笑みを浮かべる、エレガントな姿に変化している! これではもはやゼニケン様ではない──エレガントケン様だ!


 それだけではない! 「拝金主義」の額縁が、「歩姿如百合花」と、エレガントな文字へ変化している! さらに上へ目を向ければ、黒山羊の剥製が薔薇の花をくわえている! 実にエレガント!


 エレガント山が花々の形で発した高濃度エレガントが物質に作用し、分子をエレガントな形へ組み換えたのだ! 物理学でいうところの、分子結合エレガント化現象である!


「げぇぇーッッ、これほどまでのエレガントは悪党であるボクの心をいたたまれなくさせるでセレブッ!!!」


「いきすぎたエレガントは怪奇現象と区別がつかないセレブ!!! こわいセレブ!!!」


「こんなエレガントな場所にいられるかセレブ!!! 帰らせてもらうセレブ!!!」


「先生も結局エレガントには勝てなかったよセレブ!!! もういいよ、この道場やめるセレブ!!!」


 口々に悲鳴を上げ、両腕を高く伸ばしたお手上げのポーズで、ドタドタと道場を出ていく暗黒デスセレブ達の背中に、指導者は倒れたまま、「月謝ぁぁぁ──飯の種がぁぁぁ──」と絶望の呻きを洩らした。


 そして──


 しばらくの後、エレガント山は、薄暗い地下通路を優雅にスキップしていた。病院関係者の中でもトップクラスの地位の者にしか所在を知らされていない地下フロア行きの隠しエレベーターを発見し、トップクラスの地位の者にしか起動できないところを、暗黒デスセレブフリーパスの権限で利用したのだ。


 通路は大型トラックが数台並んで通れそうなほど広く、天井は高い。床も壁も、鈍い色の堅牢な合金製で、地上階とは違い、どこもかしこも金色に輝く虚飾は施されていない。トンネル内部のようなオレンジ色の照明が、異界か冥界のような妖しい雰囲気を醸し出している。見渡せる範囲に人影らしきものはないが──


 ヒィィ──ィィン── ヒィィ──ィィン──


 機械音とも、呻き声とも、研ぎ澄まされた殺気ともつかない、不穏な轟きが、いくつもある分かれ道の向こうからかすかに流れてきていた。


 エレガント山は両手に薔薇を持ち、分かれ道に差し掛かるたび、足を止め、くるりくるりと優雅に回転してから、進む道を決め、再びスキップで進んでいった。 それを何度か繰り返した後、エレガント山はひとつの扉の前にたどり着いた。


 ヒィィ──ィィン── ヒィィ──ィィン──


 機械音とも殺気ともつかない轟きが、いっそう強くなる。


 一辺は五メートルほどもあるだろうか。壁に埋め込まれた、正方形の、スライド式と思われる、見るからに堅牢な赤い扉。


 白い文字で、“Object Class; M-Y" と書かれている。


 エレガント山は扉の横のカードリーダーに、暗黒デスセレブフリーパスをかざした。反応は一切ない。


「無駄ドク──」


 カツーン、カツーン、と、近付いてくる足音と共に、しわがれた男の声が響いた。


「Monosugoi-Yabai級の危険存在収容室へ入るには、それこそ最高クラス幹部の承認がいるドク。ジェン子様発行のカードとはいえ、部外者が単独で開けられるものではないドク」


 背後から声をかけたのは、ひょろりとした長身、長い白髪の、紫色の高級スーツの上から白衣を着込み、防毒マスクをかぶった老人であった。


 エレガント山は優雅なターンで振り返り、「どすこいあそばせ」とカーテシーを決めた。


「私はこのフロアの管理責任者、マド浜ドク太郎でドク。エレガント山くんだね、君のことはジェン子様から簡単に伺ってはいるドク──しかし、どうやってここまで来たのだね」


美薔薇探査法(エレガントダウジング)でゴワシますわ」


 エレガント山はエレガントな動作で、二本の薔薇を頭上で交差させた。


「ほうドク、ダウジングとな」


 ダウジング──オカルトめいた地中探査法の一種である。直角に曲がった針金を両手に持ち、身体の前で平行に構えながら歩いていると、やがてひとりでに左右へスッと開く。その動きは、地磁気かはたまた龍脈か、地下から発せられる何らかのパワーに反応したものであり、針金が開いた地点を掘り進めると、鉱脈や水脈、あるいは遺跡、財宝などが見つかる──と伝えられている。


「あんなものは手の筋肉が無意識に動いた結果にすぎず、地面とは深く掘れば必ず何かが埋まっておって当たり前ドク──という見方もできるドクがな」


「えぇ──しかし、エレガント力を用いたならば信頼性は高くゴワシますわよ。それに──」


 エレガント山が赤い扉へ薔薇を近付けると、薔薇は手の中で勢いよく左右へヒュバッと傾き、花びらがはらりと散り、きらきらと光の粒子へ戻った。


「あえてはかなく、壊れやすく造ることで──エレガント力に拮抗し、花の形の維持の妨げとなる、強力な反エレガント的存在を特定しやすくなるのでゴワシますわ。もっとも、散ることを前提に可憐な花の姿を与えるのは、炭坑でカナリヤを犠牲にするような罪深さを覚えもいたしてゴワシますが」


「その反応を地道にたどればやがてここに至る、というわけドクな」


「ええ──ある部屋の黄金像を、まさかと疑うこともゴワシましたが、あれは偶然、この収容室の真上にあっただけでゴワシましたわね」


「最近流行りのゼニケン様のことか? ハッ、あれはインチキ業者が小遣い稼ぎにしている空想上の存在、ただのおもちゃドク。もし本物がそんなところにいたらジェン子様がすぐさま見つけて、ものすごい反応をするだろうドクな」


 ドク太郎は防毒マスクの下でニタァーリと笑った。


「本物の── “やつら" がいたらな」


「冷静に考えればそうでゴワシますわね」


 エレガント山の表情が憂いを帯びた。


「ま、 “あれら" のこととなれば君がそうそう冷静でいられんのは、ジェン子様から伺った断片的な話からもわかるドク。で、どうするのだ?」


「 “かけら" は所在を確認しておきたく存じゴワシますし、あわよくば滅ぼせる時に滅ぼしておきたくもゴワシますわね。ここには他にゴワシませんの?」


「ないない。他の区画にもないぞ。こんな収容区画、暗黒デス高級国民向け病棟の地下には置いとけんわドク。様々な規定を屁理屈でかわした結果、ようやくレクリエーションエリアの地下に置いとけるのでドク。当院敷地内にこんなものがあるという事実自体、イメージ低下による収入減を避けるため、なるべく隠しておきたいところなのドクがね──」


「他言はいたしませんわ」


「そのことなんだが、少々困ったことになったドクね──」


 ドク太郎は白衣の内ポケットから筒状に丸められた極薄端末を取り出した。黒く光沢のある紙のような端末の端をつまみ、軽く振ると、スルスルッと広がりピンと張り、全面に映像が映し出される。大きさも厚さも、裁判所から出てくる人が持っている、「無罪」などと書かれたあの紙程度だ。エレガント山が見やすいよう、両手で持って前に突き出す。


「これは──!」


 エレガント山は麗しい眉をひそめた。


「この収容室の中のものは、このような外部持ち出し可能な機器には絶対に表示できない機密レベルとなっておるドク。しかしホレ、こうして一般回線に流出してしまっとるドクな」


 画面の中には、面会室のモニターで見た、薄暗い部屋の水槽──あの黒い怪物の残骸が映し出されていた。


「ま、これが数十秒間映っとるだけで、ここであると特定できる情報は何もないドクがね。面白いことに──」


「!!!」


 ドク太郎は端末をトントン叩いて画面を切り替え、ニュース動画を映し出した。エレガント山の涼やかな目が見開かれた。


「流出元をたどると、この二人に貸与されたIDカードに突き当たるドク。これはついさっきの映像ドク。罪状については情報操作しておるドクがな」


 高級レストランとおぼしき風景。銭十字病院の高級食堂だ。「力士、無銭飲食の疑い」とテロップが出ている。監視カメラの、斜め上から見下ろす視点で、二人の人物が警備力士達に取り囲まれ、両手を上げている様子が映し出されている。


 その人物とは──和厳親方と龍角! 二人が警備力士達に連行されていく様子に、キョロキョロとうろたえている人物が、画面端に映っている。エレガント山が助けた少女──女子ヶ崎星降だ。


「あのお二方──あの部屋で映像をコピーできる機器などお持ちではゴワシませんでしたし、ジェン子様のお目をかいくぐってそのようなことがおできになる隙もゴワシませんでしたわよ」


「しかしのう、実際に、ジェン子様が渡したカードによって、その時間帯に、流出させられたと記録にあるドクな。記録にあるのだから仕方あるまいドク」


 エレガント山は数秒間考え込んだ。


「罠──でゴワシますわね」


「そうドクそうドク。察しが早くて助かるドク。ナイス理解!」


ドーックックックッ、と、親指を立てたドク太郎の高笑いが、薄暗い地下通路にこだました。

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