一ッ!
薄暗がりの中を、白い人影が歩いていた。
ぬめるように黒い壁や床に、赤や紫の照明がところどころ埋め込まれた、退廃的で怪しげな空間の中。
それでも、毅然と、優雅に、穏やかな陽が射し込む庭園をそぞろ歩くかのような気品と共に進むその姿は。
白いドレスに身を包んだ、貴婦人──いや、少女であろうか。見る人がいれば、そう見えたに違いない。
だが、見る者はいない。白い人影が先ほどから、何kmも歩き続けてきた黒と赤と紫の通路は、行けども行けども誰とも出会わない。
「なるほどね──」
十字路の交点で立ち止まり、人影は軽く息をついた。時々現れる分かれ道を、歩数を数えながら、右、右、右、と進み、一度通ったはずの地点へ戻った結果としては、本来ならば目の前にはT字路の突き当たりがあるはずなのだ。
「スタッフ一人見当たらないはずだわ。侵入者用のトラップ……ただの迷路ではなく、おそらくは──」
人影はしばし頬に手を当て小首を傾げたが、
「さて、どう破ったものかしら」
そう言い放つ眼差しに、不安や曇りは一切なかった。
それと同じ頃──
横綱・超能侍の気迫は万全であった。
広大なドームの、控室から試合場までの薄暗く長い通路を埋め尽くすように、全身から闘志が立ちこめていた。
その2メートル近い長身に分厚い筋肉を纏った威容が歩を進める様を、少し後ろから、険しさと不安さが見つめていた。
「勝て……る……でしょうか」
「愚問じゃの。水を差しなさんな」
「へ、へい……ッ」
超能侍の付き人・龍角の弱気を、和厳親方が静かに制した。老い、痩せ、枯れてなお、現役時代の鋭さをかすかに漂わせる紋付袴の元横綱に、熊のような体格の龍角は怯まされた。
「勝てるかどうか、ではないのじゃ。勝たねば──」
「相撲は、終わる」
超能侍が振り向きもせず和厳親方の言葉を継ぎ、さらに重みを込めて絞り出した。
「その時は──龍角よ」
「へいッ」
「逃げるか、死ぬか──考えておけ」
「……ッ!」
横綱が背負う覚悟の大きさに龍角が絶句して以後、しばらく無言で進んだ三人を、やがて死地の喧騒が包んだ。