七ッ!
「んじゃまあ、アタイシャはそんなにヒマでもないんでここらで失礼するゼニーシャ。アンタハンらはこの面会室でしばらくゆったりするのもいいけど、本音としちゃあここはなるべく開けておいてもらった方がありがたいシャね。つうことで──」
ジェン子がモニターの映像を消し、黄金色のリモコンを無造作に白衣のポケットへ滑り込ませると、エレガント山の麗しい眉がぴくりと動いた。
次の瞬間、ポケットに入れていたはずのジェン子の手は、前方に突き出されていた。常人の目には、まるで途中の動作が何秒か消される編集が施された映像のごとく、突然ポーズが変わったように見えたであろう。そして、
「クハッ──!」
和厳親方は短く息を吐き、冷や汗をタラリと流し、両腕を顔の前で交差させていた。その両手が一枚ずつ、板状のものを指に挟んでいる。黒い力士髑髏が印刷された、銀色のカードだ!
「何の──つもりじゃ?」
和厳親方の声は鋭い警戒心に満ちていた。このカードの手触りはおそらく金属製。ジェン子はそれを、常人の目には何が起こったのか観測も理解もできないであろう超速度で、手裏剣のように、わずか数メートル先の和厳親方の顔面めがけて突如投げよこしたのだ! 人に当たれば切れたり刺さったりすること必至! まともな人間ではありえない危険行為! 普通の人間が相手ならば命が危険! ものすごく危険!
だが、その不意打ちの動作を、元横綱である和厳親方の眼は的確に捉え、刃のごとく迫りくるカードを正確に指でつまんで止めたのだ! いわば真剣白カード取り! かつて相撲の頂点に立った者ならではの超護身術であった!
その和厳親方の肩の辺りで、虹色の光の粒が、キャラリィン、と弾けて消えた。エレガント山が咄嗟に出しかけた薔薇のバリアーが、しかし和厳親方の防御動作の速さと正確さならば不要であると瞬時に判断され、エレガント粒子に戻されたのだ。
「そのカードは、この病院内限定の施設利用許可証──わが病院に銭をたんまり支払ってくれたエレガント山ちゃんのお連れ様ということで発行するゼニーシャ。権限レベルは低めの設定だから立ち入れない場所も多いけど、レストランやジャグジー、宿泊室あたりは問題なく無料で利用できるゼニーシャ。何のつもりって、そりゃ、それらの場所へさっさと行ってほしいってことゼニーシャ。リモコンは外部の者には絶対触らせないとはいえ、ここは一応院内の映像情報を閲覧できる場所ってことなわけでねぇ」
「ふん、何がジャグジーじゃい。下手すりゃ霊安室送りじゃったぞ」
「そこまでするつもりはないシャ。医者は無駄な殺しはしないシャ。ただ、あわよくば怪我して入院して医療費を落としていってほしいだけゼニーシャ。人を無駄に殺すより、治して生かせば儲かるのが医者ゼニーシャ! シャーッシャッシャッシャッ!」
「銭の亡者じゃのう──」
高笑いするジェン子に、和厳親方は呆れて呟いた。
「亡者で結構、医者は患者を生者にさえすればよいのでゼニーシャ。治療には決して手を抜かないことが、アンタハンらお客さんから銭をたんまりいただく大義名分っシャ」
「そっスか──」
怪物肉片映像に腰を抜かしていた龍角がようやく、ヌッ、と立ち上がった。そして、ジェン子の方を向いたまま、やや思い詰めたような顔で、数秒間黙っていた。
「何シャ?」
「…………変に疑ってスンマセンっシタ」
龍角は、バッ、と頭を下げた。
「超能侍先輩の手術に手を抜いたように言ってスマンス。お金にきたない医者でもスジを通すところは通すんなら、そこ疑ったのは悪かったっス」
「あー、えーよえーよゼニーシャ。あの異様な回復力の子と一緒に見せたらそう思うのも普通シャ」
ぴらぴらと手を振って軽く流したジェン子に、龍角はほぅっ、と息をついて表情を和らげた。その様子を眺めるエレガント山が、ふっ、とエレガントなスマイルを浮かべた。
「律儀よのう──それでよいぞ龍角。ろくでもない相手にこそ、負い目を抱えた心で向かい合ってはいかんものじゃ」
「言ってくれるっシャねぇ、アンタハンこそその言いぐさに負い目感じたらどうゼニーシャ」
「ふん──ともあれ、超能侍を救ってくれたことには感謝致す」
「ご尽力かたじけのうゴワシますわ」
「へっへっへっ、まぁお仕事っシャから──アンタハンらも気に入らない金持ちなど周りにいたら、じゃんじゃかボコして病院送りプリーズゼニーシャ。今後ともウチをご贔屓にゼニーシャ。シャーッシャッシャッシャ」
頭を下げる和巌親方と、華麗にターンして一礼するエレガント山に、揉み手をしながら物騒なことを言ってから、ジェン子は壁のセンサーに軽く手をかざして掌紋を読み取らせ、入口のロックを解除した。ゼニプシュー、と、銭十字病院特有の意地汚い音を立てて開いた自動ドアからスタスタと早足で歩み去るジェン子に続き、エレガント山たちも面会室を出る。
自動ドアが再びゼニプシュー、と閉まり、ロックされた時には、床も壁も天井も黄金色の廊下のはるか向こうで、ジェン子はもう曲がり角の先へ去っていくところだった。そのずっと手前──自動ドアの数メートル先に、浅葱色の人影が佇んでいた。面会室の入口を見張っていた警備力士だ。
「ごきげんよう、お守りいただきありがとうゴワシますわ」
「ゴッツァン……」
くるりと舞ってカーテシーを決めたエレガント山に、力士はわずかに頭を下げ、短く無愛想で簡易な力士式挨拶を返し、仁王立ちの姿勢に戻り、無言で周囲へ警戒の視線を向けた。万一にもスパイに話術で懐柔され機密を聞き出されることのないよう、どのような立場の者が労ってきても冷淡に振る舞う、マニュアル通りの対応である。
が──
「警備担当のお方──」
しばらく歩いて距離を取ってから、エレガント山は口を開いた。
「先ほどの龍角様と同じお顔をしておいででゴワシましたわね」
「そうッスか──」
龍角はウーム、と唸った。
「俺──わりと外国人っぽい顔してるってことッスね」
「違うわい」
和厳親方はエレガント山の意図を正しく察していた。
「あの男──何か言いたげだったということじゃな」
「ええ──何かしら、胸につかえていらっしゃることがおありゴワシますようでしたわ」
「人生はそれぞれじゃ──何か悩みでもあるのかもしれんが、全く無関係のワシらがもし聞き出せたところで役立つかはわからんわい」
「いえ──それが、全く無関係ということもゴワシませんのよ」
「どういう──ことじゃ?」
エレガント山は若干小声で語った。
「あのお方の気配──数日前に感じたものと同じでゴワシますの。救急車で超能侍様が搬送された夜、ワッタクシ達の頭上、救急車の屋根の上にいらした警備力士の方が、おそらくあのお方なのでゴワシますわ」
「! あの気配の主、あの者じゃったか──!」
「えっそんな人いたんスか」
「とはいえ──やはりそれもただの仕事じゃろう」
元横綱の域にはまだまだ達していない龍角を差し置いて話は続いた。
「あの救急車──セキュリティは暗黒デスセレブ向け仕様で、確かに盗聴器などはゴワシませんでしたわね。ですが、何らかの手段で、内部の会話をお聞きになることが可能でゴワシませば──」
「あの車内での会話──」
「俺が前に超能侍先輩に助けてもらって、超能侍先輩はスゴイって話っスね」
「そこではないと思いゴワシますわ。可能性がゴワシますとすればもっと後──ワッタクシが戦うべき相手について──」
「! それは──」
あの夜に感じた戦慄を思い出し、和厳親方と龍角が唾を飲み込んだ。
「お勤めの只中のあの方から、今すぐには無理にゴワシましょうが、いずれ適切な機にお話を伺うべきでゴワシましょう。それまでは──」
エレガント山が麗しく広げた両手に、エレガント粒子の七色のきらめきが発生した。
「ワッタクシ、ここで少々調べものをしていこうと思いゴワシますの」
エレガント粒子のきらめきが、次第に見事な花を付けた薔薇の茎の形を取ってゆき、エレガント山は両腕を頭上高く伸ばし、合わせて二本の薔薇を掲げ、その場でくるりくるりとエレガントに回転した。