六ッ!
「グォォーォ!! オーォォー!!」
「ヌァァーァーァーァー!!! なぜじゃあーァーッッ!!! どぉーしてじゃあァァァーッッッ!!!!!」
銭十字病院の面会室に、全身の血を吐き出すような、龍角、そして和巌親方の慟哭が轟音となって荒れ狂った。
取的とはいえ熊のごとき巨体を誇る力士、そして老いたとはいえ元横綱、二人の超パワーが絞り出す絶叫! 心ある者ならば病院内で普通出してよい声とは思うまい!
だが、ここは暗黒デスセレブが利用する超高級病院。過剰なまでに華美な家具が設置された、壁も床も天井も純金色の面会室には完璧な防音が施されており、たとえここで大爆発が起こったところで、中の様子を盗み聞きしようとする者がいたとしても物音を聞き取ることはできないだろう。日頃ろくでもない密談ばかりしている暗黒デスセレブの生態に配慮した設備なのである。ゆえに、爆音めいた二人の絶叫が轟いたところで病人の迷惑にはならないのだ!
それに、二人の面会相手──超能侍は、この面会室にはいない。隔離された感染症患者等とリモートで会話するための、壁面の大型スクリーン。その画面の向こう。
壁も、床も、天井も、ベッドも、バイタルモニターも、点滴スタンドも、ありとあらゆるものが純金色の部屋。かつて権勢を誇った豊臣秀吉が造ったという黄金の茶室を思わせる、いかにも暗黒デスセレブ達の権力を誇示するかのような、黄金の集中治療室!
そこに超能侍は、地肌がどこにも見えないほど全身至るところに金糸の包帯を巻かれ、黄金色の生命維持装置から伸びた黄金の管をあちこちに挿され、黄金の酸素マスクを着けられた、ゴージャスにむごたらしい姿を横たえていた。
ゼニピッ…… ゼニピッ……
面会室の音声はミュートされており向こうには伝わっていないが、集中治療室の音声はこちらに伝えられている。暗黒デスセレブ病院ならではの、いちいち金銭欲むき出しな音を出す黄金バイタルモニターは、超能侍の心臓の鼓動の弱々しさを示していた。
そのようなものを見せられて、とても面会室の超高級ソファーになど座っていられない和巌親方と龍角は、壁面のモニターに向かって立ち尽くし、ただ嘆きに声を嗄らすのみであった。
「超能侍様の御容態はいかがゴワシますのかしら?」
和巌親方と龍角がまともに会話できる状態ではないので、代わりにエレガント山が、手術を担当した銭十字ジェン子に尋ねた。
「まあぼちぼちゼニーシャ。普通の力士なら命を30個くらい持ってたところで一撃で残機全部溶けて即死するレベルのダメージを、根性でギリギリかろうじてこの世に引っ掛かってる感じゼニーシャ。なんで生きてるんだかよくわからないけど、ま、それだけになぜか生き延びるかもしれないゼニーシャ」
「いつ頃回復するかは保証の限りではない──ということでよろしいのでゴワシますかしら?」
「そうね──経験上、力士というのはすごい根性で予想より早く回復することもあるけど、この場合いつ回復するか、というよりいつ逝くかわからない、と言った方がいい状態だしゼニーシャ」
「そう──」
エレガント山は、両手で胸の前に持ったバスケットへ視線を落とした。中にはシルクのハンカチーフを掛けられた林檎がひとつ。作物売りの少女から譲り受けたものだ。
「超能侍様へのよいお見舞いになると心躍らせたものでゴワシますが──御回復なさる頃には鮮度が落ちて召し上がるには適さないかもしれないでゴワシますわね」
「顎の損傷はさほど深刻ではなかったから、回復すれば林檎を噛むのに支障はないはずでゼニーシャ」
「それは幸いでゴワシますわ。ところで──もうお一方、あの黒いお嬢様はいかがでゴワシますの?」
「“黒い”お嬢様なら──もういないでゼニーシャ」
哀しげに眉をひそめたエレガント山を尻目に、ジェン子は悠々と白衣のポケットから黄金色のリモコンを取り出し、別の壁面モニターを点灯させた。
ベッドも点滴も、あらゆるものが黄金色の病室。そこに黒く怪物化した少女はいなかった。金糸の病衣を着せられ、穏やかに寝息を立てる、まだあどけない寝顔の、見るからに普通の人間である少女が横たわっている。
「肉体を浸食していた暗黒物質は除去できたゼニーシャ」
「そう──それは何よりでゴワシますわ」
「ただ──体内の暗黒物質のうち、いくつかの小さな塊が動脈や神経と完全に融合してしまっていて、無理に摘出すれば生命に関わるのでやむなく放置せざるを得なかったゼニーシャ。それが今後どう影響するかは予断を許さないゼニーシャ」
「見た目は完璧に元通りのようでゴワシますわね──まるでお怪我などなさらなかったかのように」
そう──
少女の寝顔は、穏やかすぎるのだ。
友人に罵声を浴びせたり、反チョコミント主義者の抹殺を決意したり、鼻の穴に太いストローを差し込んだりしている時には生意気そうに歪みもしていた顔は、静かに眠ってさえいれば子供っぽい面影を残した美少女であった。
その可憐な顔に、すり傷ひとつ付いていない、
包帯などはどこにも巻かれていない。
暗黒物質に全身を侵された上に五体をずたずたにされていた惨状の数時間後だとは常人には理解しようもない、劇的すぎるビフォーアフターであった。
「それは──」
「インチキッスね!?」
何か言いかけたジェン子を、涙目の龍角が声を震わせて遮った。
「本当はその子みたいに謎技術で完璧に治せるくせにッ!! 超能侍先輩にはケチって手ぇ抜いたんッスね!? ずるい!! インチキ!! エコヒイキ!!」
「人聞きが悪いゼニーシャ。治療費をいただいておきながら手術に手を抜く動機はこちとら皆無ゼニーシャ。どちらも同時に全力でやった結果がコレゼニーシャ。ホレ」
「!?!?!?」
ジェン子が黄金リモコンを操作すると、画面の中の少女の顔に突如、生々しく赤い傷が、無数に浮かび上がった!
「その子に何をしたッ!?」
龍角の後ろからモニターを覗き込んだ和厳親方が鋭く問いただした。
「何も。というかコレは過去の映像、手術直後の様子を表示しているゼニーシャ。落ち着いてもうしばらく見てみるゼニーシャ」
いかなる手術を施されたのだろうか、顔のいたるところに傷口を固定するための透明な医療用テープが貼られている。その下に見える、縦横に刻まれた傷がむごたらしい。和厳親方は眉をひそめた。その映像が表示されて二分間ほど経った頃、龍角は哀しげに歪んだ顔をジェン子へ向けた。
「いつまでこんなひどいの俺らに見せてるんスかッ!?」
「そうじゃ、見とるところで変わり映えもせんが──」
「いえ──変化はゴワシましてよ」
「気付いたのはエレガント山ちゃんだけゼニーシャね──では早送りするゼニーシャ」
「あぁーッ!? こッ、これはーッッ!?!?」
和厳親方と龍角は驚愕の叫びを上げた。
時間経過を早めてみると、よくわかる──
あどけない少女の可憐な顔面、首筋、病衣の襟元からわずかに見える胸元。そこへ深々と、無数に、刻まれていた赤い溝のような傷。
それらが──ゆっくり、じわじわと、赤みを失い、本来の肌の色へ近付いている! そして、しばらくの後──薄いピンクの細い糸のようになった、最後の一本が、肌にまぎれて完全に見えなくなった。
これは──
「ゆっくりと、傷が──消えていっていたのか──ハッ、そうか!! これは──前にも見たことがあるわい──」
「わかったッス!! 気付かないうちに画面が変わっていく!! これは──アハ体験とかいうクイズだったんッスね!!」
「そうじゃ!! 些細な変化を見逃さない観察力は力士にとっても重要なものッ!! 考えてみれば、ここ銭十字病院は暗黒デス相撲協会の重要施設ッ!! ワシらは暗黒デス相撲協会の脅威たりえるか、抜き打ちで試されておったのかーッッ!!!」
「俺、このザマではきっと失格ッス!! もっと稽古に励まにゃならんッス!!」
「違うそうじゃないゼニーシャ、そうじゃないゼニーシャ」
熱く激しく勘違いで叫ぶ和厳親方と龍角に向け、ジェン子は掌をぶんぶん振って否定の意を表した。
「女子ヶ崎星降──この娘っ子の身体は、超能侍ちゃんに匹敵する大ダメージを受けていたゼニーシャ。主に破壊されたのは暗黒物質でできたボディの方で、中にところどころ埋まっていた元の肉体パーツの、無事だった部分を切り取って繋ぎ合わせることには成功したゼニーシャ。とはいえ力士ならぬ普通の人間のこと、もう一度まともに動くかどうか──いや、明日まで生きていられるかどうかも微妙な状態だったゼニーシャ。ところが──」
「力士をお上回りになる速度で御回復なさった──ということでゴワシますわね?」
「左様ゼニーシャ。除去しきれなかった暗黒物質の影響ゼニーシャね。女子高生力士というわけでもなかった普通の人間が、ともすれば力士を上回る能力を得る──」
「何やら面妖な話じゃのう──」
「よからぬ事態でゴワシますわ。その力を与えた暗黒物質とは、おそらく──」
「まあ十中八九 “あれ” ゼニーシャね」
ジェン子はリモコン操作で画面を切り替えた。薄暗い部屋が映っている。カメラは円筒形の水槽を画面中央にとらえている。
その中に満たされた透明な液体の中に、黒くぬらぬらとした肉の紐をより合わせたようなヒト型の生物──だったモノの、ずたずたに切り裂かれた残骸が、細切れになって漂っていた。女子ヶ崎星降──暗黒デスタピオカの太いストローを鼻の穴に突っ込んで怪物化した少女から切り離されたものだ。その肉片の中に、頭部だったモノもあった。ギョロリと丸い大きな黄色い眼は、生きていた頃にもまして不気味! 液体の流れによるものか、水槽の中でゆったりと回る怪物の生首は、振り返ってカメラ越しに面会室の面々を睨みつけたようにも見えた。
「ひゲごンわぴゃゲェェェェーーーッッッ!?!?!?」
たまげて腰を抜かした龍角の絶叫が轟いた。
面会室の防音設備は爆発音すらシャットアウトするはずであり、実際常人ならば扉の前にいたところで何も聴こえなかったであろうが、
扉の脇に立っていた警備力士は、ぴくりと反応し、浅葱色のマントをかすかに揺らした。