五ッ!
未確認飛行相撲体(UFSO:unidentified flying sumo object)暗黒デスお台場に出現──
UFSOによるものと思われる爆発が発生したもよう──
張り手かぶちかましか、いかなる相撲技による被害なのか詳細は一切不明──
推定相撲力は暗黒デス大関クラス以上──
警備力士各員は警戒を厳にせよ──
20世紀前半頃の戦闘機パイロットが着けていたようなゴーグルを模したサイバーディスプレイが、文字情報と音声で、警備本部からの不確実な情報を混乱した様子で次々と伝えてきた。
未確認飛行相撲体──
そのキーワードに彫りの深い顔をしかめた男は、長い黒髪と浅葱色のマントをなびかせ、手近な階段を駆け上り、踊り場の壁にはめ込まれた二メートル四方ほどのガラス窓を開け放った。そして、一瞬唇を歪めて躊躇した後、窓の外──高さ300メートル近い銭十字病院ビルの最上階近く──へと身を投げ出した。
突然の自殺!?
いや──
そうではない──
ッバサァッ──
マントが風を受け、猛禽の羽根のごとく広がり──
──飛んでいる。
マントの下の、純白のマワシのみを身に着けた浅黒くたくましい身体が、両腕を大きく広げ両脚を軽く曲げた、鳥を模したポーズをとっている。
その体勢のまま、数メートルだけ重力に従い落下したと思いきや、重力に逆らい上昇に転じた! そして弾丸のごとき速度へ加速しながら、さらに300メートル以上──病院屋上の巨大黄金招き猫を越える高さまで昇りつつ前方へ進み、つまり斜め上空へと高速で飛翔している!
このような動き──普通ならば人間にできるはずがない!
だが──可能なのだ!
そう──力士ならば!
優れた力士が体内で極限まで練り上げた相撲力はやがて人体の容量を超え、余剰相撲エネルギーとして体外へ噴出する。普通ならば空中に発散されて消滅するだけの相撲エネルギーは、しかし、人智を超えた修行で培われる人智を超えた根性によって、人智を超えた超物理エネルギーへと変換・制御が可能となることがあるのだ。
その超相撲エネルギーを反重力波へ変換し、鳥のごとく自在に空を飛び空中戦を繰り広げる相撲──
そう、これこそが、古くから言い伝えられる空の神技、体得した者は世界にも稀な幻の相撲──航空相撲!
このマントの男は、伝説の航空相撲の使い手、航空力士なのだ!
航空相撲の使い手であること自体が、常人ならば道半ばで発狂や再起不能、最悪死亡もありうる過酷な修行に耐えた証! この男──まぎれもなく猛者!
が──
その、猛者であるはずの男が、緊張に顔をこわばらせた。
なぜならば──
迫ってくる。
赤い──円盤だ。
それなりに距離はあるが、闘争力を研ぎ澄ませた力士ならではの、肉食獣や猛禽めいた眼力にはくっきりとわかる。直径15~20メートルほどの、赤い円盤状の物体。厚さは1メートルほどであろうか。それが虹色の光の粒子を放出しながら、ジェット機のごとき高速で飛来し、一気に距離を詰めてくる! 鳥か!? ドローンか!? いや、このようなものは生物にも機械にもありえない! UFO(unidentified flying object)──未確認飛行物体だ!
いや──その呼称も正確ではない!
なぜならば!
空中でピタリと静止し身構える航空力士に急接近し、そのディテールをあらわにした飛行物体は──
薔薇だ! 薔薇の花の塊なのだ! 円盤状に固まった無数の薔薇の花が、虹色の光の粒子をきらきらと放っているのだ!
そして! 薔薇の円盤の上では!
白いドレスをまとった美しい少女が、たおやかに、くるりくるりと、プリマドンナのごとく回転しているのだ!
なんという不可解なまでのエレガント! これは未確認飛行物体などではない──
UFE(unidentified flying elegant)──未確認飛行エレガントと呼ぶべきものなのだ!
「ぬうッ! これは──UFEッ!!」
呻いた航空力士は、その人智を超えたエレガントに圧倒され、釘付けにされた眼球を奮い立たせるように、眉間に皺を寄せ、眼光に気迫を込める!
すると、まやかしが解けるがごとく、たおやかに舞う少女の姿が薄れ、その場に現れた真の姿──たおやかに舞う白いドレスの巨体が見えた!
噂のエレガント力士──エレガント山! そしてこの薔薇の円盤は、両国バトルドームで目撃された噂のエレガント奥義! エレガントの力で薔薇の雲を生み出しエレガントに飛行する“薔薇斗雲”!
エレガント山は薔薇の上でエレガントに舞うことで、ただでさえエレガントな薔薇へ更なるエレガントを加え、エレガント力による飛行速度を高めているのだ! そして!
優雅に回転しながら頭上へ優雅に掲げられたその両腕の指が、優雅な手つきで何かを両側からしなやかに挟み込んでいる!
小さな黒い板──カードだ! 暗黒デスセレブフリーパスだ! その持ち主ならば銭十字病院への入場資格がある! 航空力士は荒ぶる鷹のような構えを解き、スウッと横滑りに移動し、エレガント山の進路を空けた!
すれ違いざま優雅に一礼するエレガント山を乗せた薔薇斗雲は、春風のごとく暖かく澄みきった花の香りを残し、高速で通りすぎ、銭十字病院ビルの周りにきらきらと虹色の螺旋を描きながら、救急搬送口へと降下していった。
その一部始終を空から見下ろすと、薔薇斗雲にはエレガント山以外にも乗せられたものがあるとわかった。
赤いものと黒いもの──
ひとつは血まみれの人間、おそらくは力士。
もうひとつは──
黒い、大まかなシルエットだけはヒトに似た、得体の知れないモノだ。
航空力士は黒いものを見るなり、脊髄が氷に変化したかのような、猛烈に不吉な感覚を本能的に覚えた。
あれを──病院に入れていいのか──?
──いい。
病院に雇われたしがない一警備力士、何の権限もない身で判断することではない。
そうだ、任務に徹することが存在価値なのだ。
だから、
先ほどエレガント山と相まみえた時、
莫大なエレガント力、
その下に秘められた想像を絶する相撲力、
それに対して何もしなかったのは、正しいのだ。
「…………ッ」
航空力士はかすかに顔を歪めた。
安堵している。
戦わず済んだことを安堵している。
何もしなかったのではないできなかったのだ
敵じゃなくてよかったなじゃあ敵だったらどうしていたんだ
己の内から湧いて出る灰色の気持ちに蓋をするように、航空力士は眉間に寄った皺を戻し、表情を殺し、紙飛行機のような緩慢さで宙を滑り、病院ビルの窓へ戻っていった。