三ッ!
ざわドスコイ…… ざわドスコイ……
超高濃度な相撲力源の急接近によって、待合室の空気は取組直前の相撲場のような緊張感に包まれた。
ゼニンボーブリッジの先、黄金色の壁に囲まれた人工島に建つ黄金色の高層ビル──銭十字病院。
世界最先端の医療設備や資材を莫大な暗黒デスセレブマネーにあかせてかき集め、利用者である暗黒デスセレブに向け、超高級リゾートホテル並みの個室はもちろんのこと、超高級カジノ、超高級レストラン、超高級スパ、超高級会員制地下コロシアム、等々の設備を取り揃えた超高級巨大病院である。
入場ゲートを入ってすぐ先にある、150メートル四方ほどの待合室は、壁も天井も全ての面が純金の色に輝いており、天井には巨大シャンデリアが生え、床には赤い絨毯が敷き詰められ、病院というよりダンスホールの趣であった。こういうところにも隙あらば虚飾をねじ込むのが暗黒デスセレブにありがちな精神性なのだ。
十数名程度の暗黒デスセレブが、上半身黒スーツに下半身黒マワシの警備力士を数人ずつ引き連れ、その虚飾黄金空間をまばらに埋めていた。
「こないだ闇オークションで手に入れた奴隷力士は順調に育っているでセレブ。高効率トレーニングメニューで必殺技をいくつも覚えさせたでセレブ」
「それは何よりでセレブ。小生の手持ち力士と今度地下コロシアムで勝負させるでセレブ。楽しみセレブ」
中には本当に体調が悪いのか、壁際の超高級ソファーへしんどそうに沈み込んでいる者もいるが、大半の暗黒デスセレブはこの銭十字病院を社交の場として利用するついでに定期的なメディカルチェックを受ける者であり、他愛のない、そして人権意識もない立ち話を楽しんでいた。
その、まったり穏やかに不穏当な空気が突如──
ドスゴゴゴゴゴ──
と、揺れたのだ──!
その場にいた暗黒デスセレブ達は、孔雀がキャビア鉄砲を喰らったような、庶民ならば「鳩が豆鉄砲を喰らったような」と表現されるであろう、怪訝な顔をした。
だが、警備力士達はすぐに真相を悟った──
これは強敵、それもかなり強い力士が放つ、ただならぬ「氣」が大気を揺るがせる音である、と──!
強敵相手に死線を潜り抜けた経験が何度かある者には解説するまでもないことではあるが、優れた力を持つ戦士が放つ威圧感とは、しばしば「ゴゴゴゴゴ」といったような音として感じられる。
その戦士が力士であった場合、「ゴゴゴゴゴ」に「ドスコイ」が加わることで、「ドスゴゴゴゴゴ」という音になるのだ。
すなわち──
とてつもない力を持つ力士が、接近している──ッ!
ざわドスコイ…… ざわドスコイ……
警備力士達の動揺に、力士ならではの「ドスコイ」が混ざり、独特な音として待合室の空気をざわめかせたのだった──!
そして──
「ご歓談のところ失礼いたしますわ。どすこいあそばせ」
待合室の入口、純金色の自動ドアが左右に開き、ただならぬ相撲力を放ちながらも、くるりくるりと優雅に回転し、スカートをつまんで優雅な一礼を決めてみせたのは、噂の力士──エレガント山!
「ぬう、こんなところにエレガント……!」
「神出鬼没の藪からエレガント……!」
近頃話題の人物の登場に、緊迫の高まった警備力士たちが一斉にうめく中を、一人の暗黒デスセレブが、傲慢を身ぶりで表すような足取りで、つかつかとエレガント山に寄っていった。
「ほほう、いい身体をしているねぇ。君、小生の手持ち力士に入らないかセレブ?」
「抜け駆けスカウトはずるいですぞセレブ」
緑の超高級スーツの男の後ろから、赤い超高級スーツの男が制止した。二人とも30歳そこそこといったところであろう、比較的若手の暗黒デスセレブだ。
「残念ですがご遠慮ゴワシますわ。所属部屋でしたらもう決まってゴワシますもの」
一礼して横をすり抜けようとするエレガント山を、暗黒デスセレブ赤・緑は素早い横移動で遮った。学生時代に反復横跳びが得意だったタイプなのだろう。
「小生は超高級レストランから取り寄せた超高級奴隷エサをチャンコとして毎食与えるでセレブ」
「なんならボクは超高級奴隷エサに加えて超高級スポーツジムを稽古場として提供するし、超高級ホテルを奴隷寮として提供するでセレブ」
「なるほど……奴隷とはいえ庶民よりよっぽど良い暮らしができそうな身分でゴワシますわね」
「そうであろうセレブ、そうであろうセレブ」
「ですが──体と技をいくら満たしたところで、心をおろそかにするようでは良い力士は育たないでゴワシますわよ」
決然と言い放ったエレガント山の目には──
二人の暗黒デスセレブに対する、心底からの哀しみを滲ませた、憐れみの意がこもっていた。
「……は? セレブ」
「我々を……ひょっとして、馬鹿にしたセレブ?」
エレガント山の発した言葉は、暗黒デス社会到来以前には、ごくありふれていた一般論にすぎなかった。優しさや人情が嘲笑されて久しいこの暗黒デス時代においては、暗黒デスセレブにとっては普通ならば鼻で笑っておしまいの、負け犬弱者が負け惜しみで口にするような、カビの生えた綺麗事にすぎないはずだった。だが、先人のいわく、目は口ほどにものを言う──
下に見ていたはずのエレガント山に、雲に乗って地獄を見下ろす仏のような、上からどころのレベルではない目線を向けられたことで、暗黒デスセレブ赤・緑のプライドはいたく傷ついたのだ!
「ここへの立ち入りを許されたからとて、しょせん庶民上がりでセレブ! 超☆格差社会の現実をわからせてやるセレブ!」
「こやつを討ち取った者には暗黒デス港区超高級住宅街の土地付き一戸建てを与えるですぞセレブ!」
「さあやるでセレブ!」
興奮した暗黒デスセレブ赤・緑の命令に、彼らが連れてきた警備力士は困惑して顔を見合わせたが、次の瞬間にはエレガント山の周囲を取り囲み戦闘体制に入った。
彼らは私兵として雇用された力士であり、暗黒デス大相撲に出場して賞金を稼ぐプロ暗黒デス力士ではないが、暗黒デスセレブが親衛隊に採用するだけあって、出場していればおそらく暗黒デス大関昇進もありうる実力者たちだ。数的にも有利。この場で勝利を納め、富と栄誉を得るという夢を見たところで、分不相応だと笑う者は、不人情が服を着ているような暗黒デスセレブたちの中にさえ少ないだろう。
だが──
「お静かにお願いゴワシますわ」
「モガッッ!?!?!?」
「ゴモッッ!?!?!?」
エレガント山が静かに両手を広げると、急激に高められ溢れ出たエレガント力が、真っ赤な花を咲かせる薔薇の蔓の形をとって、周囲の真っ赤な絨毯から無数に生え、取り囲む警備力士達と暗黒デスセレブ赤・緑に絡み付き、締め上げ、身動きを取れなくさせたのだ!
「お忘れゴワシかもしれませんが、病院には病人の方々がいらっしゃるものでゴワシますことよ」
エレガント山が優雅に指し示した先には、超高級ソファーに沈み込む、顔色の悪い暗黒デスセレブ老人の姿があった。
「ゴガ、オンモゴ……!」
「ゴゲゲッゲ! ンゴー!」
暗黒デスセレブ赤・緑は何か言いたげであったが、開いた口の中にはエレガントな大輪の薔薇が咲き、舌の動きを妨げ、悔し紛れの罵声を張り上げさせなかった。赤のスーツと緑のスーツ、二人の姿は蔦の緑と花の赤の中で見事に調和し、薔薇が描くアートめいた艶やかな風景の一部と化していた。
「まったく……見事なエレガントおしおきでゼニーシャ」
待合室の壁、診察棟に繋がる自動ドアが開き、他の暗黒デスセレブや警備力士達が緊張しながら事態を見守る中を、一人の若い女性が長い黒髪をなびかせ、手を叩き賞賛の意を表しながら、エレガント山へ悠々と歩み寄っていった。
「見事すぎて不愉快でゼニーシャ。うまいこと乱闘にでも発展して怪我人が大勢出てくれれば、治療費がウチの儲けになったゼニーシャ」
不人情の極みである。心ある者ならば、これが医療関係者の口から出る言葉とは思えまい。だが、彼女は、見事なプロポーションの身体を包むレザースーツの上から白衣を羽織り、不敵な美貌を防毒マスクで隠している。それはまぎれもなく──暗黒デス女医の典型的な服装!
彼女こそ、凄腕の医師にして、銭十字病院の若き後継者候補──銭十字ジェン子なのだ!
「どうせこやつらを好き放題ぽてくり回したところでエレガント山ちゃんの懐は痛まないゼニーシャ」
「懐は痛まなくても、懐の奥──心が痛むでゴワシますわ」
「銭より心が大事だなどと、アタイシャにはさっぱり理解できないことを言う──ま、アタイシャとは正反対だからこそアンタハンは面白いゼニーシャ」
銭十字ジェン子は、一に銭、二に銭、三、四がなくて五に銭、空きがもったいないから三、四も銭で埋めたい──とでもいったような心性を持つ人物であった。「ゼニーシャ」の「ゼニ」とはすなわち「銭」であり、そのような性根の欲深さが語尾となって表れているのだ。なんという浅ましさであろうか! 心ある者ならば嘆かずにはいられまい──!
「人同士わかりあえるのが一番でゴワシますわよ。ところで──」
「ああ用件か、ウチに担ぎ込まれた超能侍とヘルマシーン乃海の面会でゼニーシャ? 超能侍は予定よりも早く完全回復して今朝早くに出ていった。アンタハンは行き違いになったというわけゼニーシャ」
「ご尽力ありがたくゴワシますわ」
「稼ぎのため怪我人は出てほしくとも、治療にわざと手を抜いて入院を長引かせて儲けるようでは、医者としては恥ずかしいことゼニーシャ」
金には意地汚い銭十字ジェン子は、しかしながら、医療に対しては真摯な態度を示した。「ゼニーシャ」の「ーシャ」とはすなわち「医者」であり、金に汚い一方で医療には高潔であることを表している語尾なのだ。汚と潔の二面性! 闇と光の同居! 悪人もただ汚いだけで終わるものではないのかもしれない。先ほど嘆いた心ある者も、そこに一筋の希望を見出だし、これにはニッコリするかもしれないだろう! しないかもしれないだろう!
「ヘルマシーン乃海様はいかがでゴワシますかしら?」
「完全にバラしてメンテ中につき面会は無理ゼニーシャ。非生体部品が総取っ替え状態で、特注部品がメーカーから届くのにもうしばらくかかるから、面会可能になったらこちらから連絡するゼニーシャ」
「ええ、よろしくお願いゴワシますわ。お忙しいところありがたくゴワシます。それではごきげんよう」
エレガント山はその場の全員に向けて一礼し、妖精のような華麗な回転を加えつつのジャンプできびすを返して、待合室の入口をくぐって、自動ドアが閉じるまでの間、優雅にスキップを踏む後ろ姿を見せていた。
しばらくして、暗黒デスセレブ赤・緑たちを縛っていた薔薇の姿が薄れ、きらきらと煌めくエレガント粒子へと還元し、拘束が解けた者たちは一斉にトテンと尻餅をついた。
ややあって、暗黒デスセレブ赤・緑の顔が屈辱に歪み、茹で上がった蛸のような赤に染まった。憤然と立ち上がり、二人揃ってツカツカと早足で一点を目指す。
「おいこら貴様ジジイ謝れセレブ!」
「貴様のせいで我々の面子は潰れ放題ですぞセレブ!」
逆恨み! そして、ソファーに沈み込む体調の悪そうな老人に対しての八つ当たり! どこをとっても隙のない、三下的挙動の二段構えだ!
性根の腐った小物とはいえ若めの男二人の剣幕、常人ならば人によってはおしっこちびりかねないだろう!
だが──
「なんじゃ──面子は潰し放題だから、もっと潰してほしいということかのう──」
気だるげな声の老人が、懐から無造作に札束を取り出すと、辺りが一瞬眩しい光に包まれ、詰め寄っていた暗黒デスセレブ赤・緑の身動きがピタリと止まった。
「ヒイッセレブ!?」
「何事でセレブ!?」
恐怖と驚愕に見開かれた目の前で、老人の札束から紙幣がバサバサと飛び上がり、空中で巨大な人の手の形に固まった。
「『銭人』能力を知らんのか。まぁわからんならわからんでええキン」
暗黒デスセレブ赤・緑──いや、違う! 赤と緑だったスーツは、いつの間にか眩しい黄金色に輝いている! 純金だ──スーツが純金の塊に変化し、身動きを取れなくさせているのだ!
そう、暗黒デスセレブ赤・緑は暗黒デスセレブ・金に変化した!
「媚びよりも喧嘩の方が売られてナンボか面白い。それもお主らが己の分をわからぬ無知ゆえの、少し楽しい買い物じゃキン」
老人はソファーからヨッコラセ、と立ち上がると、傍らに立てていた純金の杖を、病人ではありえない力でヒョイと振りかぶり、フェンシング選手もかくやというスピードで、元・暗黒デスセレブ赤だった暗黒デスセレブ・金の頭部を突いた。
元・赤の金の顔面が、怒りによる顔色の変化などとは明らかに違う、鮮やかな深紅に染まった──
「──ほぉん、優しいこっちゃキン」
老人は顔をクシャッと歪めて笑った。
暗黒デスセレブ・元赤の金の眼前数センチの空中に深紅の薔薇の花が浮かび、黄金の杖の先端はそこで止まっていた。
顔面は攻撃から守られたのだ。いまだ消え残り、元赤の金の周囲にまとわりついて、再び薔薇へと具現化した、エレガント粒子によって──!
「実際に殺す気はなかったが──造り主が立ち去った後も自動で人を守るとは健気で面白い花じゃキン。記念に持ち帰るとしようキン」
空中に浮かぶ紙幣の手が、元赤の金の目の前の薔薇をつまみ上げると、薔薇は一瞬まばゆい光を放ち、純金の塊と化した。しかし、次の瞬間にはキラキラと煌めくエレガント粒子へ戻り、再び霧消してしまった。
「あらら、通常の物質ではないからか──ちとガッカリじゃキン」
「アッアッアッなんなのなのなのセレブ……!」
「もうやだこわいセレブ……!」
チョロロロロ──
次々と起こる不可解な出来事に、元赤・緑だった暗黒デスセレブ・金たちの、純金に固まったズボンの裾から、液体が流れ出た。
常人ならおしっこちびるであろう異常事態に、実際おしっこをちびってしまったのだ!
「アララばっちいのう──他のソファーへ移るキン」
すたすた歩く老人の後ろに、ずっと無言で直立不動のままソファーの両脇に控えていた警備力士達が付き従った。空中で手の形になっていた紙幣も、するすると分解して宙を飛び、老人の懐へと戻っていった。
「しかし何だ、ワシも病気などではなく、ゆうべの晩酌でちょいと調子に乗って、頭痛薬と胃薬をもらいに来ただけとはいえ──警備のお主ら何もしなさすぎではないかキン?」
「──弱すぎる相手に手加減は難しいもの。ゴキブリや毛虫をうっかり潰すにも似た不快なことは他人にさせるに限るでゴワライト」
「つまらぬ弱者の相手は体力の衰えた御老体に丸投げするくらいでちょうどよろしいかとゴワレフト」
「ふん、媚びを売られるより面白いこっちゃのう──もっともお主らの場合、己への無知ではなく、己の力を知るからこそなのじゃがキン」
三人が放つただならぬ雰囲気に、待合室の暗黒デスセレブや警備力士達は息を呑んでいた。
老人は暗黒デス相撲協会の大幹部であるゼナルド・キーンマン、警備の二人も暗黒デス相撲番付でいえば暗黒デス横綱相当の超実力者なのである。その正体を知らされる立場ではない、暗黒デスセレブの中では下っ端クラスの者でさえ、触れれば切れる刃のような、手出し無用の気配は感じ取れるのだった。
暗黒デスセレブ・金たちの警備力士も、雇用主を助けに来なかったのは、なまじ死線を潜った経験があるゆえに、ゼナルドに詰め寄る赤・緑に対して暗黒デス横綱級力士二人が一瞬放った値踏みの視線の凶悪さが理解できてしまい、心底恐怖し、尻餅をついたまま、雇用主に先駆けておしっこをちびっていたからなのであった。
「アンタハンら困ってるねぇ──手術室でならその固まった服も切れるけど、50万デスドルでどうゼニーシャ?」
銭十字ジェン子が暗黒デスセレブ・金たちにウキウキと語りかける声だけが、その場の静寂を破っていた。