二ッ!
ゼニォォォォン──
文字で記すならばそうとしか書きようのない、異様な圧迫感が轟いていた。
ここ──かつて港区のお台場と呼ばれていた地域は、暗黒デス相撲協会が牛耳る暗黒デス時代を迎え、暗黒デス港区の暗黒デスお台場となった今、景観が変わり果てていた。
暗黒デス荒川や暗黒デス隅田川、暗黒デス江戸川といった河川流域の下町が暗黒デススラム化したことによる水質悪化が進み、不気味に黒く汚れた暗黒デス東京湾。その上に、かつてレインボーブリッジと呼ばれていた連絡橋──暗黒デスレインボーブリッジが、悪魔をイメージした漆黒に塗られあちこちから無駄にトゲトゲを生やした暗黒デス建築様式の邪悪な姿を誇示していた。
そして暗黒デスレインボーブリッジの終点、旧時代には有明と呼ばれていた暗黒デス有明地区。その埠頭の端から、旧時代には存在しなかった建造物が伸びていた。
巨大なアーチを宙に描き、暗黒デス中央防波堤埋立て地をまたいで更なる洋上へと続く、キッチュな黄金色に輝くレトロな和風デザインの橋──
下々の者どもを見下ろし踏みつけ、欲深く際限なく富を求め続ける暗黒デスセレブの精神を象徴する橋、その名も──ゼニンボーブリッジ!
その先は、海中から突き出した、海抜300メートルを超える黄金色の防護壁の向こうへと繋がっている。
黄金防護壁は暗黒デス東京湾の一部を直径数キロの円形に区切っており、その中央に浮かぶ人工島には、300メートルの防護壁よりも更に300メートル高く空へ伸びる、上空から見て十字形をした黄金色の巨大なビルがそびえ立っていた。
そして、十字の交点、巨大ビル中央部の上には、全高300メートルはあろうかという、黄金色の巨大な彫像が据え付けられている。
その彫像は──獣の姿をしている。
富への果てなき欲望に溢れた暗黒デスセレブの精神を象徴するかのような、その魔獣は──
巨大黄金ビルの上にうずくまり、前屈みになりながら、ゼニンボーブリッジの向こう、本土の方向を半円形の眼でギラリと見据え、右前肢を蛇の鎌首のように突き出している。
左前肢は楕円形の物体を地に抑え付ける形をしており、その楕円形には──
「千客万来」の文字がレリーフとして刻まれている──
そう、これは──招き猫!
この人工島が暗黒デスセレブの巣窟であることを、巨大な招き猫が象徴しているのだ!
ゼニォォォォォン──
湾岸からもよく見えるその姿に込められた暗黒デスセレブの精神が、負のオーラの威圧感となって、暗黒デス有明の地に轟いているのだ。並大抵の悪の強者が放つ威圧感なら「ドォォォォォン」とでもなるところが、暗黒デスセレブの持つ強烈な銭への欲望が色濃く混じったために、「ゼニォォォォォン」という異様すぎる音として感じられるのだ──ッ!
なんと浅ましい響きであることか! 心ある者ならば嘆かずにはいられまい!
だが、それを嘆くことのできる心を持ちながら、気丈にも心穏やかでいられる精神の強さを持つ者が、今、この暗黒デス有明には立っていた!
「止まれドスコーイ」
低く思い声が辺りに轟いた。
ゼニンボーブリッジの入り口には、かつて浅草に存在した雷門に酷似した和風デザインのゲートが設置されていた。
通路を挟む左右の基部の中に、大銀杏を結った髑髏の顔面を持つ暗黒デス力士像が風神・雷神像の代わりに設置され、中央からぶら下がる巨大提灯には相撲書体で「セレブ」と書かれ、それら全てがキッチュな黄金色に輝く雷門もどき──その名も「銭鳴門」!!
その前に二人の警備兵力士が立ち、接近する者を威圧していた。
黒い防弾ベストに身を包み、下半身には黒いマワシを締め巨木のごとくたくましい脚を剥き出しにした警備兵は、数十メートル先から軽やかな足取りで歩いてくる人物に向け、揃って張り手の構えを取った。
武器は一切携帯していない。彼らは暗黒デス相撲番付でいえば暗黒デス関脇クラスの実力者なのだ。
相撲研究機関による検証実験において、体重2トンの凶暴な雄牛を暗黒デス力士と対決させたところ、暗黒デス力士は高速摺り足によって瞬時に10メートルほどの距離を詰め、戦艦の砲弾のごとき張り手を喰らわせ、あっという間に牛をバラバラ粉々の肉片と化し、牛の無残な死骸は実験スタッフがおいしくいただいたと伝えられている。その暗黒デス力士の番付は暗黒デス十両であったという。
彼らに武器は不要! 相撲力の低い一般人にとって、暗黒デス力士の張り手を向けられることはミサイルをロックオンされるに等しい。常人ならば向けられた殺気だけでおしっこちびるであろう、恐怖の殺害予告なのだ──ッ!
だが、接近してくる人影は、その殺気を全く意に介さず、軽やかなスキップでゆったりと距離を詰めてくる!
その人物とは、白いドレスにたくましい身を包む力士──エレガント山だ!
「止まれドスコーイ、と言ったでドスコーイ」
「ごきげんよう、どすこいあそばせ」
警備力士兵の10メートル手前──暗黒デス張り手の充分な有効射程内で、エレガント山はスキップを止め、一回転からの一礼を優雅に決めた。
「その姿──貴様、噂のエレガント山だな。何の用ドスコーイ。この先には暗黒デスセレブの立ち入り許可が必要ドスコーイ」
「えぇ、重々承知いたしてゴワシますわ。お確かめあそばせ」
エレガント山がドレスの胸元から取り出し前方へかざした黒いカードを見て、二人の警備力士兵の間に緊張が走った。顔面に装着した多機能ゴーグルの望遠モードが、すぐ目の前で見たのと変わらないディテールを二人に伝える。
黒地に金色で刻印された識別番号、本来ならば右下隅に力士髑髏マークが印刷されているところに赤い薔薇のシールが貼られたそれは──
暗黒デスセレブフリーパス!
超高級サロン、超高級百貨店、超高級寿司屋、超高級タクシー、超高級公衆トイレ──一般の下級国民が足を踏み入れれば最悪死刑もありうる、数々の暗黒デスセレブ専用施設やサービスの利用許可証だ! 発行には暗黒デスセレブの許可が必要! それが、まぎれもなく本物であることを、カードの発する識別信号を捉えた多機能ゴーグルのチャイム音が伝える!
「むう──わかったドスコーイ」
「ご苦労様でゴワシますわ」
ジャキィィィン、ガシャァァーンッ!
通路の両脇へ退いた二人へ一礼し、優雅に門を潜り抜けようとしたエレガント山の眼前へ、巨大なものが現れ、行く手を塞いだ!
「チョーッチンチンチィィーン!」
提灯だ──
銭鳴門の金色巨大提灯から機械の腕と脚が一対ずつ飛び出し、巨体を吊り下げていたワイヤーが外れ、地響きを立てて着地! 上端中央から般若の面に似たいかつい顔の頭部がせり上がり、全高五メートル程度の人型ロボットに変化したのだ! ロボットはボディビルダーが力瘤を作るようなポーズで、野獣のごとき雄叫びを上げ威嚇する!
「あら、これは何でゴワシますかしら?」
「ククク、こいつは自律型機械力士・提灯ロボ丸でドスコーイ」
「あのヘルマシーン乃海と大体同じくらいのパワーがあるでドスコーイ」
優雅なポーズで立ち止まるエレガント山の背後に、二人の警備兵が回り込んで張り手の構えを取っていた。
「そのカードをうまいこと奪い取って改竄すれば悪用し放題ゆえ引く手あまた、売り払えば二人で山分けしても一生遊んで暮らせるドスコーイ」
「普通の暗黒デスセレブ相手にそんなことをすれば粛清対象になってしまうが、幸い貴様は暗黒デス相撲協会の敵。やってしまっても問題なかろうでドスコーイ」
「確かに貴様はヘルマシーン乃海をはたき込みで下した噂のエレガント」
「だが二人と一匹がかりならどうかなでドスコーイ」
「ククク、前門の力士、後門の力士!」
「貴様はもう袋の力士でドスコーイ!」
警備力士二人が代わる代わる説明するのは、親切心の類ではない。声に意識を向けさせ気を散らすことで、攻撃の隙を引き出そうという邪悪な意図なのだ! 提灯ロボ丸を向いたままのエレガント山の背後へじりじりとにじり寄り、一撃必殺のベスト張り手ポジションを探る!
だが──!
「それはどうもありがとうゴワシますわ」
「は? ドスコーイ」
「気でも触れたか? ドスコーイ」
「チョーッチンチンチィィーン!」
落ち着き払った意外な反応に、二人と一体がすっとんきょうな声を上げる。戸惑う彼らの目前で、エレガント山はスッと右手を高く掲げ、パキィィン──と指を鳴らした!
その時、不思議なことが起こった!
辺り一面が瞬時にして、花咲き乱れ、鳥歌い飛ぶ、春の野原の風景へと変化したのだ! そしてどこからともなく聞こえてくるピアノの旋律! このメロディは──ショパンの「華麗なる大円舞曲」ッ!!
エレガントだ──エレガント山が解き放った高濃度エレガント力が、エレガント幻影を見せているのだ!
突如現れた穏やかな空間の中で、エレガント山をボディビルのポーズで威嚇していた提灯ロボ丸は、いつしか構えを解き、エレガント山の横を通り抜け、無邪気な少女のように駆け出し、くるくると踊り始めた! その横に並び、エレガント山も軽やかに舞う!
「お礼も言いますわよ、こんな素敵なダンスパートナーをご用意していただいたのでゴワシますもの」
「ド、ドスコーイッ!?!?!?」
呆気に取られる警備兵二人の前で、しばし提灯ロボ丸と優雅なダンスを繰り広げた後、エレガント山が再び指を鳴らすと、野原は消え去り、元の暗黒デスお台場の風景へと転じた。
「チョー・チン・チン! チョー・チン・チン!」
にもかかわらず、提灯ロボ丸はワルツのリズムを口ずさみながら、暗黒デスお台場のおどろおどろしい景色の中を、いつまでもくるくると軽やかに踊り続けている!
「どういうことだドスコーイッ!」
「エレガント空間から流れ込むエレガント力の過負荷によって、自律型思考回路が不可逆なまでにエレガント化したのでゴワシますわ。いくらヘルマシーン乃海様と同様の力をお持ちとはいえ、ヘルマシーン乃海様と同様の力士魂はお持ちでなかったのでゴワシますわね。悪のプログラムをただなぞるだけの中途半端な悪の美学では、エレガントに宿る愛と正義の力には抗えないのでゴワシましょう」
「くそッ! 奴は優美と踊っちまったのかドスコーイ!」
たじろぐ警備兵二人は、張り手の構えのまま、次の行動を決めかね固まっていた。暗黒デス横綱と張り合うレベルの力士相手に、提灯ロボ丸を欠いた戦力では分が悪い。そこへエレガント山が不意に口を開いた。
「ところで──このカードは銭十字ジェン子様からのいただき物なのでゴワシますが──攻撃の構えを解いてくださらないのは、あの方へお伝えしてもよろしいことでゴワシますかしら?」
「げぇっドスコーイ!?」
「銭十字ジェン子──ドスコーイ!?」
その人物──高名な暗黒デスセレブの名を聞いた二人は、脊髄が氷に置き換わったような悪寒に襲われた。そのような人物の認可を受けた者の通行を妨害して面子を汚したと発覚すれば、後ろ盾のない一般力士兵など、後でどんな目に遭わされるかわかったものではない。欲に目がくらむあまりの軽率だったのだ。一瞬の迷いもなく、両腕を頭上に上げ、降参の意を示す。
「わ、悪かったでドスコーイ……」
「助けてくれ……でドスコーイ……」
「あら、助かるのはこちらでゴワシましてよ。職務に忠実な方々が相手ならば、事を大げさにするのはエレガントに反するでゴワシますもの。平和が何よりでゴワシますわ。提灯ロボ丸様と踊る前におヌッシャ様がたが何やらおっしゃっていたような記憶もゴワシますが、耳にエレガントが詰まってよく聴こえなかったでゴワシますわ」
ファサリ、とエレガント山が髪をかき上げると、耳の穴が一輪の可憐な雛菊に隠されていた。エレガント力で具現化されたエレガント花だ。これすなわち──エレガントお目こぼし!
「それでは、ごきげんよう」
エレガント山が警備兵たちへ一礼し、軽やかなスキップで銭鳴門をくぐり、ゼニンボーブリッジの上を駈けて行くのを、二人はしばし呆然と見送ったのち、同時にがくりと膝をついた。提灯ロボ丸はそんなことにはお構い無しに、ワルツのリズムで踊り続けていた。
この取組──エレガント山の不戦勝ッ!