二ッ!
ゼーニー、ゼーニー……
赤い五つの一文銭が描かれた、金色に輝く車体──銭十字病院救急車のサイレンが、夜の暗黒デス首都高に響く。
聞き取りやすく、人々に不快感を与えないようにと作られた、旧時代にはお馴染みであったピーポーという音ではない。悪が世にのさばる暗黒デス相撲時代にふさわしく、銭もうけ第一主義を恥ずかしげもなく隠そうともしない、ゼーニーという音である! これが今時の救急車なのだ! 心ある者ならば嘆かずにはいられまい……!
だが幸いというべきか、その下卑たサイレンは、防音加工の完璧な車内には聞こえないのだった。とても救急車の内部とは思えない豪華なヴィクトリアン風内装の部屋の中で、ゆったりとしたソファーに腰かけたエレガント山は、優雅な手つきで高級ティーカップを取り、高級茶葉のストレートティーで、ツッと口を潤した。
「の、飲んで大丈夫なんスか……?」
白いクロスのかけられたテーブルに置かれた自分のカップと、向かいに座ったエレガント山を交互におどおどと見ながら龍角が言う。その隣で和厳親方も腕組みして口を結んでいる。
「これは暗黒デス相撲協会の幹部の方々もお使いになる車。銭十字病院は守銭奴集団でいらっしゃるからこそ、お得意様に疑心暗鬼を抱かせるような裏切りを、金払いのよいお客に仕掛けることはないのでゴワシますわ。ゆえに、毒殺や盗聴のご心配はご無用との算段でゴワシます」
セレブ仕様救急車は幅も奥行きも大きいが、なんと傷病者の処置のためのスペースはない。ちょっとしたプレハブ小屋くらいのサイズのコンテナに大病院の手術室並みの医療設備を搭載したユニットを後部に連結し、処置はその中で行われる仕組みになっている。今は二両のコンテナが牽引され、それぞれ超能侍の手術とヘルマシーン乃海の修理が行われている。
救急車本体は三分の二ほどのスペースがセレブ付添人用のセレブ客室で占められ、残りが運転室、そして給湯室兼アテンダント控室となっている。先ほど紅茶とクッキーを用意した、給仕服に白衣のアテンダントは防音扉の向こうに控え、卓上の呼び出しブザーを押さなければ入ってくることはない。語らうにはうってつけの状況であり、暗黒デス港区の銭十字病院へ着くまでの間に情報の整理を、とエレガント山が提案したのだ。
「ならばワシもいただくとするかの」
和厳親方は紅茶を一口すすって語り始めた。
「……お主が旅に出た直後だったのう。十二年前の力士暴行隠蔽事件。あの時ワシは事件を告発した江戸乃華親方と共に、協会の改革を目指した。じゃが協会のバックに付いた悪の組織の妨害により運動は頓挫──江戸乃華親方を始め、改革派のメンバーは次々と失踪を遂げた。……ワシの妻と息子もな」
少し声を淀ませた和厳親方は、そこで一旦紅茶を含んだ。
「最後に独り残されたワシにはもう何の力もない──ゆえにわざわざ始末もされなんだのであろうな。こうして無事におることだけが取り柄の身じゃ。ならばその身軽さは暗黒デス相撲協会に立ち向かう正義力士を集めることに利用させてもらうわい──と意気込んで全国の猛者達を探し回った。じゃが彼らはみな暗黒デス相撲を恐れ、あるいは既に暗黒デス相撲に染まり、協力は得られなんだ。絶望的じゃった。そこへ今になってようやく、長年の修行を終えた超能侍と再会できたのじゃ」
「超能侍先輩はスゴイッスよ」
ぬいぐるみのクマを思わせる小さな目を輝かせた龍角が口を挟んだ。
「俺、ガタイいいのが地元で噂になりすぎて、暗黒デス相撲協会に目を付けられたンス。ある日あのグリーン・マワシっていう軍人力士が大勢やってきて、暗黒デス力士にしてやるってムリヤリ拉致られそうになったところを、超能侍先輩と親方が通りかかってバッタバッタとやっつけてくれたンス。スッゲーカッコイー、と思ってついていこうと決めたンス」
「最近になってそのような拉致事件が増えておるらしいのじゃ。暗黒デス相撲協会が洗脳や改造手術で手駒をどんどん増やそうとしておるのじゃろう。まだ見ぬ猛者達、以前スカウトしようとした者達もいずれ無事では済むまい。一刻も早く、衆人環視の中、暗黒デス力士に反逆する姿を見せつけ、決起を促さねばと試合を申し込んだのじゃが──結果はこの通り。焦りは禁物、準備不足と認めねばならぬ。お主が乱入せねばワシらは全滅しておったであろうな。──すまぬ」
「先輩を助けてくれてありがとうッス」
和厳親方と龍角は深々と頭を下げた。
「いえ、ワッタクシもそのことを偉そうに言えるものではゴワシませんわ。ワッタクシも本日、暗黒デス相撲協会への反逆者がデビューなさるとの噂を耳にして、何かお力になれればと駆けつけたのでゴワシますが──暗黒デスドーム施設への単独潜入調査を試み、ちょっとしたトラップに囚われかけたでゴワシますの」
「トラップ?」
「空間を歪めることで、侵入者に延々と同じ場所を歩かせ、いずれ過労死させる──そんな罠が、あの会場の地下に仕掛けられていたのでゴワシます。ワッタクシは一旦それに囚われゴワシましたの」
「はぁ──なんかすごそうッスね」
「奴らそこまでの超科学技術を持っておるのか」
「いえ──あれはおそらく科学技術ではゴワシませんわ。少し話が飛ぶようでゴワシますが、昔は土俵の上に屋根が吊り下げられてゴワシましたわね?」
「あぁ──あの国技館、なつかしいものじゃのう」
「あの屋根の四方に付いていた四色の房。あれは青龍・白虎・朱雀・玄武──東西南北を守護する神々のシンボル──つまりは相撲が神へ捧げられる神事であることが示されてゴワシました」
「今となっては見る影もないがな……」
「そう、相撲は暗黒デス相撲へと変わり果てゴワシました。あの屋根のような、神のシンボルを取り除き、代わりに邪悪の力を国技館に満たすことによって。ワッタクシを捕らえたトラップも、おそらくはその邪悪の力によるもの。それが超能侍様のお撒きになった清めの塩で一時的に弱められ、ワッタクシは易々と脱出できた次第にゴワシます」
「邪悪の──力──じゃと──」
「相撲とは力士達が鍛え抜かれた心技体をぶつけ合い、その中で弾ける相撲力の輝きを神々へ捧げるものでゴワシます。ならばそのネガティブな鏡像としての暗黒デス相撲──悪意、嘲笑、絶望など負の思念、それと共に流される血、弾け飛ぶ肉片、そして死──そういったものが捧げられる相手、それらを所望する者──それは──!」
「ま、まさか──ッッ!!!」
エレガント山の結論に、和厳親方と龍角は息を呑んだ──ッ!