長い旅の始まりでゴワシましたわ
その引退は衝撃だった。
十二年前のことである。
史上最年少入幕、と同時の全勝優勝。
わずか十六歳の力士が偉業を達成した。
相撲界の新ヒーロー誕生は当時の社会を大いに賑わせた。「新惑星発見」「超古代遺跡発掘」といったロマン溢れる同時期のニュースと相まって、世の中は新たに動き出す時代への期待感に満ちた。
ある一人の少年も、自分とそう歳の違わない若き俊英の快挙に憧れ、胸を震わせた。
その祝賀の席上で、だが新たな英雄は突如告げたのだ。
「ワッシには足りないものがあるでゴワス……ワッシは土俵を降りるでゴワス。ヌッシャら、さらばでゴワス」
その日から英雄は行方をくらませた。
社会が、今度は驚きと嘆きに震えた。
少年の震える胸も凍てつき、しかしまたふつふつと煮えはじめた。
なぜ──頂点に立ちながら。
なぜ──それ以上の何を求めて。
行ってしまったというのだろう。
僕が憧れた君の強さは、君にとってはつまらないものだったというのか。ただの踏み台を見上げる僕など置き去りにして、まだ足りないと──そう言うのか。
まだ、そこから更に、強く……なるのか……!
憧憬は怒りへ、怒りは更なる憧憬へと転じた。
やがて少年は、密かに決意した。
「僕も……力士になってやる」
あの若き天才の見た頂点、そして更なる高み。それを今から追いかけるのだ。そう自らに宣言すると、青空の果てへと続く、風がどこまでも駆け抜ける道が、自分の前に伸びた気がした。
そして、少年に宿った志は、十二年の時を経て、確かに果たされることとなった。
そこまでには、少しの──回り道があった。