第一話 ②
午後の授業というのは得てして眠くなるものだ。特に火曜の午後の「テレポート学Ⅰ」は酷い。ほんの5年ほど前に新しく必修科目となったテレポート学は僕等のような無能力者には何の役にも立たない知識である上、担当の村井が変に間延びした声で解説するのでクラスの8割にとって睡眠学習の時間となっている。
「えー、つまりはー、一般人と<観測者>の違いはー、”点”と”円”の違いに等しいのでありますなー」
村井の教科書を丸読みしているだけの講義を右から左に聞き流しながら、僕は彼女に意識を集中させた。彼女も授業を受けているのか、同じ所に留まっている。彼女が今受けているのが「テレポート学Ⅰ」なら僕らは疑似クラスメイトと言ってもいいじゃないだろうか?
僕は何故か彼女が何処にいるのかを常に感じることが出来る。でも透視や千里眼を持ってるわけではないので何をしてるのかまで知ることは出来ない。最近の密かな楽しみはGaagleマップを開いて彼女の位置が何処に当たるのかを調べ、彼女が何をしてるのか予想することだ。
これが意外に面白い。例えば、彼女が中学の頃から土曜日に決まって2時間ほど立ち寄る場所があったので調べてみたらテニスクラブだった。僕は得てして彼女の趣味がテニスであるという事実を知ることが出来たのである。あまりに有益な情報を得られたもんだから康太に自慢したら、物凄い軽蔑された上、病院の受診や休学を真剣に進められた。それ以来、この密かな楽しみは誰にも話していない。
「えー、人類がー絶対座標を得るにはーこの宇宙空間でー二点の絶対位置を知る必要がありー、それは不可能なのでーテレポートには<観測者>が必要なのであーる。」
村井がなんだかよく分からない絞めの言葉を言った所で終了のチャイムがなった。部活動の時間が始まる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
春の西日が照り付ける中、体育館ではボールの跳ねる音が響き、野球場では野球部が大声で掛け声を挙げていた。うちのような能力者の少ない普通科の高校は未だに旧時代のスポーツに力を入れていて生徒のほとんどが運動系の部活に所属している。
かくいう僕も陸上部に所属し、スポーツの中では化石と呼ばれるようになった短距離走をしている。
今日も校庭にある200mトラックを全力で走る。僅か200m、テレポートなら0秒でたどり着く距離も無能力な僕では全力で走って24秒以上かかる。世界に置いて行かれたくないから走って、走るたびに世界に置いて行かれるのを感じる。
「彼女は僕の何秒先を生きてるんだろう」
200mを走りきって息も絶え絶えで校庭に寝転がりながら思わず呟いた。
「いや、能力者も先輩と同じ時間を生きてますって」
陸上部のマネージャー、鈴木芽愛は笑いながらタオルを差し出した。陸上部は僕とマネージャーの彼女しか所属していない。
「わたしー、<跳躍者>ですけど、先輩は普通に足速いなって思いますよ。」
「いや、10㎝くらいしかテレポートできないお前と世の中の能力者さん達を一緒にするなよ」
「なんですか!慰めてあげたのにその言い草は!!」
プンプンという擬音が聞こえてくるみたいに鈴木は頬を膨らませながら怒った。
「あれですね、先輩の大好きな坂口アイリと比べたんですね!!先輩の妄想野郎!!脳内ストーカー!!」
「あー、鈴木まで康太と同じようなこと言うなよ・・・。」
やめろよ、軽く傷つくから・・・。
「だって先輩、口を開けば彼女彼女彼女・・・・。変ですよ、実際に会ったこともないのに。」
普通に変態ですよ、と鈴木は笑った。
「うるさいなぁ。そんなことより、今の200はいくつだった?」
「24秒56です。二本目は30分後ですよー」
了解っと鈴木に答えて僕はまた校庭に寝転がった。二本目まで目を閉じて彼女を感じていようとしたが、鈴木が邪魔をしてくる。
「先輩って本当にストーカー気質ですよね・・・。坂口アイリが好きなんだったら会いに行けばいいんですよ。」
走ってポエムってるよりよっぽど建設的ですよ、と呆れた様子で鈴木は言った。
「そう簡単じゃないんだよ。彼女は有名人、僕は一般人だ。第一、彼女は東京の高校に通ってる。神奈川県から突然男が訪ねてきたら普通に怖いだろ。」
まぁ、それは確かに怖いですねぇ、と鈴木はコロコロ笑った。
「でも、人はみんな最初は他人同士ですよ。有名なアナウンサーだって一般会社員の男性と結婚することがあるのが世の中です。先輩は勇気を持つべきです」
無責任な後輩の無責任な意見に何も反論できない情けない僕がいる。
「調子乗んな、馬鹿たれ。おら、二本目行くぞ。」
怒ったように言い払うことで返事をごまかしつつ、起き上がってスタートラインに着く。まだ15分ほどしか休んでないがこのまま鈴木にからかわれ続けるよりマシだ。はーい、と鈴木は笑いながらストップウォッチを用意した。
「じゃあ、先輩!今日も坂口アイリとの距離じゃなく時間を縮めてやってください!ハイ!レディーゴー!!」
鈴木のふざけたスタート合図に文句も言わず走り出す。実際、鈴木の言うことは間違っていない。僕が短距離走るのは彼女との時間を縮たいからだ。彼女との距離は常に把握してる、それでも彼女と僕が交わらないのは彼女と僕の生きてる時間が違うからだ。僕はただそれを縮めたくて今日も吐く勢いでトラックを走るのだ。