プロローグ
この物語を語る前に、まず、この世界について語らせてほしい。
今から40年程前、世界の常識は空から黒人が降って来たことによって変わった。
世界を変えた彼の名前はネイサン・ブラウン、フロリダの高校に通うごく普通の高校生だった。ネイサンはある日突然インドネシア・ジャカルタ上空に出現し、パワーストーンのネックレスもなかったから、そのまま落下死した。インドネシア警察とアメリカ警察は共同で入国履歴もないアメリカ人が何故、遠く異国にて投身自殺を図ったのか調査したが原因を見つけることが出来なかった。ただ、当時のアメリカ警察はフロリダの高校にて体育の時間中にダンクを決めようとした瞬間にネイサンが消えたという証言のみ記録している。この時はまだネイサン・ブラウンの名前はゴシップ誌にUFOの記事と共に載るのみで世界を変えるに至らなかった。
ネイサンを有名にしたのは落下死から2か月後に起きたロシアでの老女失踪事件だった。老人性痴呆を患うベリヤ・アントニャは自宅トイレに入ったきり、忽然と消え去った。ロシア警察は当初、彼女と同居する息子夫婦をアントニャ殺害の疑いで起訴したが、すぐに取り下げた。彼女がエジプトにて無事に保護されたためだ。彼女は殺到するマスメディアにこう話した。
”気付いたら、砂漠に居た!!”
このアントニャの発言により、アメリカの黒人少年は人類初のテレポーターとして教科書に載ることになる。
人類がテレポテーションの存在に気付いたのを皮切りに、世界各地で様々な失踪事件が発生した。唐突にテレポーターとして進化した人類が無自覚なテレポーテーションを行ったためであると言われている。この事件はテレポートパンデミックと呼ばれ、テレポーテーションの研究が始まった大きな要因の一つと言われている。テレポートが研究されるとすぐに二つの事が分かった。まず一つが全ての人類がテレポート能力を持ったわけではないということ、そして、もう一つが何故バラバラの場所にテレポートしてしまうのかということだ。
テレポート能力は老若男女様々な人間に発現したが、発現率は30%程に留まった。その後の調査で新生児においても30%程の割合でテレポート能力が発現することが分かった。テレポート能力を持つ人類は跳躍者《 ジャンパー》と呼ばれ、国家により厳重に監視されることになる。
何故、バラバラの場所にテレポートしてしまうのかは少し難しい物理の話をすることになる。まず、当たり前の話だが地球は自転している。そしてその地球は太陽の周りをぐるぐる回っていて、太陽系も銀河をぐるぐる回っていて、銀河系も何かの周りを回っているかもしれない。まあ、要するに僕らは常に高速で移動していて周りが同じスピードで移動してるから、それを感じないだけなのである。僕らは世界を”相対座標”によって認識している。この”相対座標”でテレポートしようとすると失敗する。テレポートに必要なのは世界における”絶対的な座標”なのである。自分の行きたい場所がこの宇宙において何処にあるのかを正確に知ることが出来ないと確実なテレポートは実現しないのだ。
多くの数学者、物理学者がテレポートの実用化について研究した。有名な例ではアメリカの物理学者、ダニエル・ウィルソンだろう。彼は自身が跳躍者《 ジャンパー》であることを明かし、全世界のマスメディアの前で月面へのテレポートに挑戦した。宇宙服に身を包んだダニエルは長年の宇宙観測とスーパーコンピュータが夢を実現すると豪語したが、結局、彼が月面で観測されることはなかった。原因は絶対座標を特定するアルゴリズムの不具合と呼ばれている。ダニエルが宇宙の藻屑となって、今の科学力ではテレポートは実現不可能と多くの学者は諦めたらしい。
暗いテレポート学会に光が差し込んだのはダニエルの実験から5年後のことだった。ベトナムの人文学者、トゥイ・グウェン女史が彼女の息子と共に行ったテレポート実験は世界を大きく震撼させることとなった。グウェン女史は自分の息子を観測者《 オブザーバー》と呼び、息子と共にテレポートすることで僅か50センチ程ではあるが完全なテレポーテーションに成功した。彼女はこの功績を称えられ、後にノーベル賞を貰うことになる。
観測者《 オブザーバー》とは跳躍者《 ジャンパー》の陰に隠れて現れた新たな能力者だ。全人類の5%程に発現し、個人差はあるが自身の周囲を完全に把握することできる能力を持っている。跳躍者《 ジャンパー》は共にテレポートする観測者《 オブザーバー》の”観測範囲”であれば”絶対座標”を持たなくてもテレポートが可能であると証明された。
テレポートが実用化されると、当然それを悪用する人間が現れる。メキシコ系アメリカ人の跳躍者《 ジャンパー》サミュエル・ガルシアは周囲5mの観測者《 オブザーバー》であるトーマス・アンダーソンと組み銀行強盗を行った。彼らの手口は巧妙であったが、サミュエル・ガルシアが麻薬を買いに出た隙を突き、別々に逮捕することで解決した。ちなみにサミュエルは護送中に単独でのテレポートを行い、後日東京タワーにぶっ刺さっている所を発見された。跳躍者《 ジャンパー》らしい最期と言える。
当然、世界各国はテレポートについて法的な締め付けを強くした。特に単体でほぼ無害な跳躍者《 ジャンパー》よりも優秀な観測者《 オブザーバー》が悪の道に進むことを懸念し、観測者《 オブザーバー》の登録義務化や教育の差別化が図られた。また、優秀な観測者《 オブザーバー》は政府のあらゆる機関で重用された。国際的なテレポート犯罪に対抗して組織されたITPC(インターナショナルテレポートクリミナルポリス)等はテロ組織によるテレポートを使った爆破テロを未然に防ぐなど非常に高い成果を挙げている。
世界はテレポートを得て大きく変わった。親たちは生まれた我が子が観測者《 オブザーバー》であることを望み、それが叶わなければ跳躍者《 ジャンパー》であることを望んだ。ただ、人類の65%を占める無能力者や無能力に毛が生えたような連中はテレポートとは無縁の生活を送っている。観測者《 オブザーバー》や跳躍者《 ジャンパー》たちは世界の先に進み、僕のような無能力者崩れは好きな子のケツを追っかけまわして生きてる。これはそんな世界での物語だ。