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4-2

 ウキズミは学園の門に着くなりラカリスを振り返ると、「じゃあな」と一言を言って早々に立ち去ろうとする。ラカリスは思わずその背中に声をかけて呼び止めていた。

 もう一度振り返って「何だ」と問うウキズミに、ラカリスはハンカチの巻かれた手を突き出す。


「これ……」

「ああ。やる、返す必要はない」


 ラカリスの言わんとすることを理解したウキズミは、事も無げにそう言ってのけた。それでもラカリスは「でも」と食い下がるのだが、ウキズミは今度は聞く耳すら持たずに踵を返すと何も言わずに歩いて行ってしまった。

 その背中をただ見送りながらラカリスはしばらくの間立ち尽くしていたが、やがて大きくため息をつくと、校舎の方へと歩き出すのだった。





 廊下を歩きながら未だ冷気を放つハンカチが巻かれた手を見つつネブドロにどう言い訳するかと考えていると、背後から奇襲を受けた。



「ミス・ウツギロイン」



 ラカリスは一瞬でそれが自分を呼んでいることを理解して、振り返る。……本当は振り返りたくなかったが、その気持ちはなんとか押込めた。押込められている、はずだ。

 やはりそこにいたのは、丸メガネの男性教師だった。相変わらずよれたジャケットを着た彼はラカリスの腕の中にある紙袋を見て、「どこか出掛けていたのかい」と親しげに語りかけてくる。ラカリスがそれに小さい声で「ちょっと街に」と答えると、なぜか教師の表情がぱっと変わった。



「その手、どうしたんだい?」

「あ、これは……えっと、ちょっと、転んで」



 どうやら彼はラカリスのハンカチが巻かれた手を見つけたらしい。心配そうに眉を下げて聞いてきた教師に、ラカリスは咄嗟にそう言い訳をしてしまう。ラカリスがこの言い訳が失敗だったと気付いたのは、教師の顔色がぱっと変わった瞬間だった。しかし時すでに遅し、教師はいよいよ心配そうな表情でラカリスに詰め寄ってくる。



「怪我をしたのか!? それは、大変だ、ええっと、そうだ、手当てをするから僕の部屋に」

「いや、あの」



 その勢いに圧倒されそうになるラカリスだが、なんとかふんばった。ラカリスが大声で「あの!」と呼びかけると、教師がぴたりと止まる。



「保健室に、行くので、大丈夫です」



 ラカリスがきっぱりそう言い切ると、教師は数秒間ぽかんとした後、恥ずかしそうに「あ、ああ、そうか、そうだよね」と言って数歩下がった。これで解放される、と思ったのも束の間。ふうと息をついた教師がにこりと笑いかけて


「じゃあ、保健室まで送るよ」


 と言う。

 ラカリスはげっと言いかけて、なんとか心の中で言うだけにとどめた。もちろん今のラカリスがその親切を断れるはずも無く、さあと促されるままに歩きはじめることしか出来ないのだった。








「ったく、ウノハの体なんだからな、大事にしろよ」

「……わかってる」



 ネブドロに手を預けながらそう言ったラカリスの表情は到底「わかった」ものには見えず、ネブドロはこっそり呆れたように笑った。当然それはすぐにばれてラカリスにじろりと睨まれたが、やはりダメージはゼロである。ラカリスはそんなネブドロに対して忌々しげに眉根を寄せるが、すぐに視線をそらしてため息をついた。

 ラカリスが視線をそらしている間に処置を終えたらしいネブドロが「ほれ」と言って、手を離す。



「利き手だから動かすなとは言わんが、そうだな、必要な時以外は安静にしとけよ」



 包帯の巻かれた手を眺めながら、ラカリスは返事の代わりにふんと鼻を鳴らした。それを見たネブドロは何がおかしいのか、ははと笑う。その笑い声が癇に障ったが、ラカリスは顔をあげてじろりと睨むことはしなかった。

  一応、この体に怪我をさせたという負い目はあるのだ。しかも無謀にもチンピラに殴り掛かった末の怪我。ちなみにネブドロに対しても人に衝突されたはずみで転んでけがをしたという言い訳をしてある。幸いネブドロはそれ以上追及してくることは無かった。腹の中ではどう思っているか知らないが……。



「で、これも転んだ時に敗れたってか」



 現に、そう言って紙袋の中を覗き込むその言い方には何か含みがある。ラカリスはその顔を見てはいないが、何を考えているかわからないような胡散臭い笑みを浮かべているに違いない。そう思うと益々その顔を見たくなくて、ラカリスはやはり薬棚の方を見つめ続けた。



「まあ、ウノハの体が無事なら破れたコーヒー豆の袋なんざ些細な問題だな」

「……随分大切にしてんじゃん」

「三か月でも育ての親ってのをやってみるとな、情が移るもんなんだよ」

「育ての親?」



 ネブドロの口から出たことを疑いたくなるその言葉に、ラカリスはちらりとネブドロを見やった。やはり笑っているが、その笑みはどこかいつもと違う。かといってやはり真意を測れるものでもなく、不審が募るだけだった。そんなラカリスの心境を知ってか知らずか、ネブドロは静かに語りだした。



「こいつは俺が拾ったんだ」



 告げられた事実に、ラカリスは小さく息をのんだ。

 ネブドロが語ったことは、こうだ。


 友人から紹介したい奴がいると言われたネブドロは、友人と共にその人物がいるという地方の研究所を訪ねた。街から離れたところの森を進んだ先にあるというその場所に行ったのだが、ネブドロはそこで目を疑うような光景を目の当たりにしたという。


 研究所があるべき場所には、何も無かったのである。


 ただ建物が無いというだけではない。文字通り、何も無い・・・・のだ。

 そこにあるはずだった建物も、草も、生い茂る樹も全てが存在せず、ただ白い空間が広がっているだけ。ネブドロはしばらくその光景に圧倒されていたが、やがて目の前に広がる白い空間の中に何かを見つけたという。



「それが、ウノハだ」



 恐る恐る白い空間に足を踏み入れたネブドロは何事も起きないことが分かると、横たわるウノハのもとへと歩み寄った。その傍にかがんでみると小さな呼吸音が聞こえる。意識を失ってはいるが、生きているらしい。

 ネブドロがその体を抱えて友人のもとへ戻ると真剣な顔で白い空間を見つめていた。そしてネブドロに向ってこう言う。

 『真白の力が、暴走したのかもしれない』と。

 曰く、紹介しようとしていた人物は真白の力を研究していて、ウノハは恐らく真白の力を秘めた存在なのだろうということだった。ネブドロは真白の力が存在すると信じていたわけではないが、目の前に広がる白い空間と、その白い空間でウノハだけが存在していたことが友人の仮説を後押しする。


「で、結局騒動の張本人は全く姿が見えねえから、俺がウノハを引き取ることになった。ツレは騒動の張本人の行方を探るんだと、曰く、暴走に巻き込まれるなんてヘマをする奴じゃない、とさ」



 そうして引き取ることになったウノハだが、目を覚ました途端驚くべき事実が発覚する。



「ウノハには、記憶が無かったんだな」



 名前だけはかろうじて思い出すことが出来たものの、その他の事は一切覚えていないというのだった。



「そりゃあ不安で仕方ないって、全てに怯えた顔をしても仕方ないよなあ。それが一緒に過ごすうちに、俺にだけは安心した顔を見せるんだ。そしたら情が移るってもんだろ?」



 な?と同意を求められるが、ラカリスは答えなかった。かといってつまり惚気であるそれをけっと一蹴するでもなく黙っていたが、やがて静かに口を開く。



「……悪かったな、そんな大事な体に、こんなのが入って」



 ラカリスが自嘲気味にそう吐き捨てるが、空気を読まないネブドロは相変わらずの態度でははっと笑い飛ばした。



「まあ心配してないと言ったら嘘にはなるが、俺もこの状況を楽しんでるんだ。お前が気にする必要ねーよ」

「別に、気にしたわけじゃ……」

「ウノハもお前の友だちと仲良くなって楽しんでるみたいだし、むしろ喜ばしいとすら思ってる」



 学園生活のスパイスだと思えって言ったろ?と言って笑うネブドロに、ラカリスは呆れたようにため息をついた。この男の話を真面目に聞いた自分がバカだった。それに、どうせこの男が真意を話すことなんて無い、それこそ、本物のウノハにしか話すことは無いだろう。だったらこちらだってまっすぐ向き合う必要なんてないのだ。

 そう思っていると、ぽんと頭に何か乗せられた。それがネブドロの手であることはすぐに理解出来て、ラカリスはネブドロを睨むと自分の頭を撫でるその手をぐいと押しのける。しかしネブドロが執拗に頭をわしゃわしゃとするように撫でてくるので、ラカリスはそのうち諦めて抵抗をやめてしまった。ラカリスがはあと息をつけばネブドロがははっと笑う。



「落ち込めばウノハの顔になるもんだなあ」



 ラカリスは「落ち込んでない」と言い返したが、その言葉にいつものような勢いは無かった。








 寮の部屋に戻ったラカリスは買ってきたばかりのコーヒーを淹れ、その香りに癒されていた。

 これでコーヒーによく合う甘いものでもあれば最高なのだが、あいにくと甘味の用意は無い。突然の事故とも言える出来事で、甘味を買う暇も無く宿舎に戻るハメになってしまったのだ。まあこの際贅沢は言うまいと思う反面で、ラカリスの脳裏にお気に入りのチョコレートケーキがよぎった、その時。



「先輩、いる~?」


 という間延びした声と共に扉が開かれ、銀色の毛玉が入ってきた。

 ハクジはラカリスがいることを確認するとぱっと笑顔を見せて「お願いがあるんだけど」と言う。ラカリスがそれに「聞かねえよ帰れ」と言ったのは完全に無視して、ハクジは”お願い”の内容を話し始めた。



「お家に顔見せに行ったらさ~またお土産いっぱい持たされちゃったんだよね。僕一人じゃ食べきれないから、先輩手伝ってよお、この箱一杯のケーキ食べるの」



 言葉の最後に聞こえた単語に、ラカリスは言おうとした「帰れっつってんだろ」を飲み込んでしまう。それから数秒間、唇をぎゅっと巻き込んだり手で口元を覆うなどの葛藤を巡らせた後、ラカリスは小さく息をつくと


「……自分の座る椅子は、自分で持って来い」


 とハクジに告げるのだった。

 その意図を理解したハクジが嬉しそうに返事をしていったん部屋を出ていくのを見送って、ラカリスは深いため息をついた。あのあざとい存在ハクジに慣れてしまいつつある自分がいる……と。


 戻ってきたハクジは椅子ばかりでなく、どこから調達してきたのか可愛らしい柄のテーブルクロスまで持ってきた。それを備え付けの勉強机に広げ、その上に色とりどりのケーキを並べていく。並べられたケーキはそのどれもが見た目に趣向を凝らした逸品であり、それらとハクジが同じ画角に収まる様はまさに”可愛い”と言える光景だ。

 もっともラカリスがそれを”可愛い”と思うことは無く、ハクジには目もくれず並べられたケーキを一瞥すると、チョコレートケーキを手繰り寄せてフォークで突き刺した。一方でハクジは部屋を訪れた際にコーヒーの香りを嗅ぎつけたらしく、ちゃっかり持参したマグカップに強請って淹れてもらったコーヒーを嬉しそうにすする。そうして「おいしいね」とこちらを見ないラカリスに言い、足をぶらぶらさせると小さく口を開いた。




「僕ね、正直言うとウノハちゃんと先輩が入れ替わって良かったかも~って思ってるんだ」



 その言葉に、ラカリスはようやくハクジに目を向けた。てめえ何言ってやがるとばかりに睨み付けるが、ハクジは相変わらず怯むことは無く穏やかな笑みを浮かべている。



「ルグレイね、前は笑っててもちょっと無理して笑ってるって感じだったんだ。でも先輩といると本当に楽しそうに笑ってるのがわかるの。ルグレイのあんな顔、すごい久しぶりに見たかも」



 嬉しそうに語るハクジの一方で、ラカリスはルグレイのにやついた笑いを思い出して心の中で舌打ちをした。あれが楽しくて笑っている顔なのだとしたら、相当に悪趣味な男である。なにせ人を怒らせて笑っているのだ。ああ、それを言うなら目の前のこいつも同じか……と考えつつラカリスはチーズケーキを手繰り寄せるついでにハクジをちらりと見やる。

 ふふと笑うその顔に、ラカリスの頭には先ほどのネブドロの顔がよぎった。ウノハもお前の友だちと仲良くなって楽しんでるみたいだし、むしろ喜ばしいとすら思ってると言ったネブドロの顔を思い出し、ラカリスは小さく息をついた。



「……割食ってんのはわたしだけってことかよ」



 ラカリスが思わずこぼしたそれはハクジの耳にも入り、ハクジは一瞬きょとんとしてからすぐにあははと笑った。



「先輩もなんか良かったことあるんじゃない? ほら例えば、ネブドロに優しくしてもらえるとか」

「は?」

「だってあの人、ウノハちゃんだけにはめちゃくちゃ甘いんだもん。何かあれば頭撫でてあげちゃってさあ」



 その言葉にラカリスがモンブランを手繰り寄せる手が一瞬止まり、直後には何事も無かったかのように再び手繰り寄せた。



「まあウノハちゃんって卑屈でどんくさいけど、守ってあげたい~みたいな見た目はしてるもんね。僕は思わないけど」



 手繰り寄せたモンブランにも手をつけず、ハクジの言葉に何も言わないラカリスはその実何も言えないのだった。頭に優しく触れられた感覚がよみがえってくるような気がして頭にやった手は、軽く髪の先を触るだけに終わる。

 分かっている、そんなことは、分かっているのだ。頭を撫でられたのも、チンピラに絡まれているのを助けられたのも、小さな怪我を酷く心配されたのだってすべて、この見た目だからだ。可憐で、儚げで、小さくて、そして弱弱しい。自分とはまるで正反対の存在。この見た目が羨ましいなどと思うわけではないが、それによって得た親切や優しさは、本来の自分ならば絶対に得られないものだっただろう。



「先輩そういうのされたこと無さそうだから、案外嬉しいんじゃないの~?」



 からかうようなハクジの言葉に、ラカリスは呆れたようにため息をついて「うるせえ」とこぼすのが精一杯だった。








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