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4.こうなるのはウノハ・ウツギロインのはずだった。

 窓の外は抜けるような青空。まぶしさに目を細めながら、ラカリスは身支度をするべくベッドから降りた。

 ウノハとラカリスの体が入れ替わって、初めての休日を迎えていた。



「よう、どこか行くのか」



 ラカリスが出かける支度を済ませて廊下を歩いていると、捕まった。ラカリスの行く手に立ちふさがったのはネブドロだ。白衣のポケットに両手をつっこんで相変わらずニヤニヤしていて、ラカリスがじろりとその顔を睨み付けても上がった口角はぴくりともしない。



「……悪い?」

「はは、悪かねえよ、窮屈に生活する必要ないって言ったろ」



 望んだ答えのはずなのだが、大仰な仕草で「大いに出かけるといいさ」と言われるとイラッとするのだからこのネブドロという男はやはり鼻持ちならないのである。それでもラカリスは心の中で舌打ちするだけにとどめて、そんならいいけどという言葉だけを口から出した。



「でもまあ念のため、どこに行くかだけ聞いておくとするかな」

「別に、ちょっとコーヒー屋に行くだけ」

「ほう、カフェじゃなくてコーヒー屋。豆を売ってる店ってことか」



 ネブドロはそう言うと、ニヤついた口元をさらににんまりとさせて


「俺にも買ってきてくれよ」


 と言う。想像通りのセリフを吐いたネブドロに、ラカリスは思い切り顔をしかめた。



「心配すんなって、金は出すし、つりはいらねえからさ」

「そういうことじゃ……」

「渋るんなら一人で外出の話も無しにしてやってもいいんだぜ?」




 ネブドロが笑って言った脅しの言葉に、ラカリスはため息をつくと手のひらを上へ向けてネブドロへ突き出した。だったらさっさと金を寄越せ、という行動だったのだが、ネブドロはその手に自分の手を重ねてくる。思わず目を丸くして驚くラカリスに、ネブドロは重ねた手をぎゅっと握ると「財布は保健室だ」と告げてそのまま歩き出す。

 そうして数歩歩いたところではっと我に返ったラカリスが握られた手を振り払うと、ネブドロはラカリスの方を振り返っておかしそうに笑うのだった。











 ようやく出てきた街はとても開放的で、ラカリスはこの体になってから初めて深呼吸ができた心地がした。

 石畳の続くこの道にはラカリスをじろじろと見る人間はいないし、あざとい笑顔を張り付けた腹黒もいなければいけすかない悪趣味野郎もいないのだ。……うさんくさいニヤニヤ野郎に面倒な使いを頼まれはしたが、まあ自分の目的のついでだ、つりもいらないと言われたからもらえるものは遠慮なくもらっておいてやろう。ラカリスは歩きながらそう気持ちを切り替え、目当てのコーヒー屋に着くころにはすっかり気分は上向いていた。あるいは店の外まで漂う豆の香りが、ラカリスを癒したのかもしれなかった。

 学園から少し離れた通りの路地にひっそりとたたずむこのコーヒー豆を売る店は、ラカリスが高等部に上がってから見つけたお気に入りの店である。香りにつられて購入した豆は味も格別で、その特別な一杯はラカリスの毎日の癒しになっていた。この数日間断っていたその香りをかぐだけで、ラカリスは疲れが取れていく心地がした。これを部屋で――自分の部屋ではないがまあそれはこの際仕方がない――味わったならどれだけ癒しの時間になることだろう。

 豆を購入して店を出たラカリスが近づいてくる影に気が付くことが出来なかったのは、そう考えて浮かれていたせいだったかもしれない。


 どん、と肩に衝撃が走る。

 それほど強いものではなく、でもはっきり当たったと分かる程度の衝撃にラカリスは「失礼」と言いながら振り返り、思わず顔をしかめた。



「失礼じゃ済まねえよなあ、お嬢ちゃん」

「そうそう、大分痛かったし、それなりの誠意が無いとさあ」



 振り返った先に居たのは、絵に描いたようなチンピラが二人。ニタニタと気持ちの悪い笑みでこちらを見ている。ラカリスが浮かれたりしておらず、前方に気を向けていれば避けられたはずだった。なぜならこの二人は明らかにラカリス目がけてぶつかってきたからである。ラカリスは二人の表情からそれを察し、心の中で舌打ちをする。それは、浮かれていた自分自身にも向けた舌打ちだった。

 ラカリスが黙っている間にも目の前のチンピラはしきりに言葉をくり出していちゃもんをつける。「あーこれ折れてるわあ」とはこういう人間の常套句であるがその典型的なチンピラ具合に関心さえしつつ、ラカリスはどうするか考えていた。

 元の体だったならこんなチンピラ二人、殴り飛ばしてはいサヨナラだがこの体ではそうはいかない。それどころか走って逃げることさえできるかどうか怪しい。ならばどうするべきか。



「なあ嬢ちゃん、黙ってないでなんとか言えよ!」



 迷っていると、チンピラの手がラカリスに伸びる。ラカリスはそれに気づいたが、避けることはできなかった。紙袋を抱えていた方の腕を強く掴まれて、激しい痛みが走る。ラカリスの口からは思わず痛みを訴える声が漏れ、紙袋が音を立てて地面に落ちた。



「なに、しやがるっ……!」



 これには短気なラカリスが耐えられるはずも無く、ラカリスは足を振り上げるとチンピラのすねを狙って思い切り蹴り飛ばした。非力なウノハの体とはいえ、痛みに弱い場所を固いローファーの靴底で攻撃されてはチンピラもたまらない。チンピラはぎゃっと悲鳴を上げるとラカリスの腕をぱっと離し、己のすねを抱えるようにうずくまってしまった。

 しかし相棒のそんな姿を見て黙っていないのがもう一方のチンピラである。



「このっ、ガキ! 調子乗りやがって!」



 もう一方を庇うように前に出てきたチンピラは拳を大きく振り上げると、ラカリスに向って振り下ろす。ラカリスは冷静にその拳の動きを見切ると、さっと体を動かしてその拳を避ける。慣れない体は思いのほかスムーズに動いた。最小限の動きでその雑な拳を避けると同時にラカリスは己の手をぐっと握って拳を作り、チンピラの顎目がけて思い切り突き出した。

 拳がチンピラの顎に命中してバキと鈍い音を鳴らす。チンピラの口から「がっ」と声が出たのでそれなりのダメージは与えられたようだ。しかしその一方で殴ったラカリスの手にもダメージは著しく、ラカリスは痛みに思わず顔を歪ませる。二発目は無理だろう。

 そう思っている間にチンピラがダメージから回復したようで、もう一度大きく拳を振り上げるのが見えた。手の痛みに気を取られつつもそれに気づいたラカリスが身構えた、その時。


 ラカリスとチンピラの間に黒い影が割って入ったと思うと、その影は振り下ろされたチンピラの拳をがしりと受け止めた。えっと驚くチンピラを、影がぎろりと睨む。その鋭さはチンピラがさあっと顔を青くして、ひっとひきつった声を出すほどだ。



「まだ、やるか」

「ひっ……」



 止めとばかりに影がそう言うと、チンピラは素早く拳を引っ込め、まだすねを抱えていた相棒をせっついてすたこらと逃げ去るのだった。


 ラカリスは、茫然として目の前の背中を見つめていた。突如として現れたその影は、どうやらラカリスをチンピラの攻撃から庇い、更にはそれを追い払ってくれたようだった。つまり自分はこの男に助けられたのだと理解したその時、影がこちらを振り返る。

 振り返ったその顔に、ラカリスは小さく息をのんだ。

 こちらを見下ろす墨色の瞳。その鋭さや濃灰色の髪に至るまで全てが、ルグレイと同じものだった。

 しかしルグレイと違ってその瞳にわずかながらも温度が宿って見えるのは、この男に助けられたばかりだからだろうか。



「バカか、お前」

「……は?」



 だがルグレイによく似た男がその顔よりも衝撃的な事を言ったので、顔の事はひとまず隅へ追いやられてしまう。ラカリスが思わず声を出して不平をあらわにすると、男は呆れたようにため息をついた。



「そんな細腕で殴るなんて、バカじゃなきゃ何だって言うんだ」



 言われて、ラカリスの手が途端に痛み出す。忘れていた痛みが再び襲ってきたのだった。ラカリスが思わず痛みに呻くと、男は呆れた様子を見せつつも上着のポケットからハンカチを取り出した。次いで懐からペンを取り出す。ラカリスはそれが何か知っていた。黒の生徒が魔法を書くのに使うペンだ。

 それで何をするつもりかとラカリスが見ていると、男はペンでハンカチにさっと何か書いた。



「手、出せ」



 そしてラカリスに向って高圧的に言う。その言い方にラカリスが素直に手を出せないでいると、男はラカリスの腕を掴んでぐいと引き寄せた。腕を掴む力はその乱暴な仕草に反して強くは無く、ラカリスはひとまず反抗はせずにただ黙って男のすることを見ていた。

 男が赤くなっているラカリスの手に、ハンカチを当てる。ひやりとする感触にラカリスが思わず肩を竦めるが男はそれには構わずにハンカチを固定するようにきゅっと結ぶと、ラカリスの手を離した。



「とりあえず、冷やしておいた方がいいだろ」



 その言葉にラカリスは男の行動の意味を理解して、途端にこみあげてきた何とも言えない恥ずかしさに襲われる。

 助けてもらった上に、怪我の心配までされてしまったのだ。非常に慣れないその事実は、開口一番バカかお前と言われたことや殴り飛ばすところから見てたのかよという文句を差し引いても、なんというか、恥ずかしい。どうしていいか、わからない。そう思って目を伏せたラカリスの態度をどう思ったのか、ルグレイに似た男は小さく息をついた。



「言っておくが、俺はルグレイじゃないぞ」


 だからそう怯えるな、と言ったその声にラカリスは顔を上げた。墨色の瞳が、真っ直ぐこちらを見ている。



「ウキズミ・チャコール、あれの双子の兄だ。まあ……お前が知らないのも無理はない、見ての通り、俺は黒だからな」



 そう言って制服の襟をつまんで見せるウキズミの表情は、ラカリスにとって見覚えがあるものだった。彼の双子の弟であるルグレイの顔ではない。そんな表面的なものではなくて、その表情が醸し出すニュアンスに覚えがあるのだ。

 双子の弟と間違えられて苦々しい気持ちを一応隠そうとはしているのだが、隠しきれていない、そんな表情。それは幼い頃のラカリスが、窓ガラスの中に見たものだった。

 ああ、こいつも・・・・双子の弟の事が嫌いなんだ。

 そう理解したラカリスはそれ以上その表情を見ていたくない気がして、また目を伏せた。



「あっ」


 そこでラカリスはようやく、大事なことを忘れていたことに気が付いた。そういえば、チンピラに腕を掴まれた時にコーヒー豆の入った紙袋を落としてしまったのだ。

 ウキズミの足元に見えた紙袋を拾い上げると、慌てた様子でその中を覗き込む。ラカリスの口から、安堵のため息は出なかった。出たのは微妙な「ああ」というつぶやき。

 紙袋の中には挽いたコーヒー豆の入った袋が二つ。一つは無事で、一つは底が少し破れて中身が出ていた。ラカリスの微妙な「ああ」の理由は、破けたのがネブドロに渡す方の袋だったからである。

 チンピラのせいで袋が破けたのは非常に腹立たしいことだ。しかし、破けたのはあのうさんくさいニヤニヤ野郎に渡す方だ……。湧き上がったのは憤怒とも安堵ともつかない、微妙な感情だった。

 数秒間の葛藤の末、まああいつのだからいいか、と結論を出したラカリスにウキズミが言葉をかける。



「で、もう街に用は無いのか」



 顔を上げたラカリスが質問の意図が理解できずえっと言うと、ウキズミはラカリスを見下ろしながら


「お前とろそうだからな、また絡まれないうちにさっさと帰った方がいいんじゃないか」


 と言う。その口の悪さにラカリスは一瞬「ああ」と凄みそうになるが、すんでのところで思いとどまる。言葉は悪いが、注意を喚起しているのだと気付いたからだった。そう思いなおすことができたのはやはり、この男に助けられたという事実があるからだったかもしれない。

 それでもラカリスが小さい声で言った「もう帰ることにします」には、若干の苦々しさが混じっていた。それに気付かないか、あるいは気付いたが無視したのか、ウキズミは表情を変えずに「そうした方がいい」と返した。



「じゃあ、学園まで送ってやる」


 言われた言葉にラカリスがえっと言うと、ウキズミはわずかに眉をひそめて「迷惑なら遠慮するが」と言う。それに対してラカリスは控えめに驚いただけでと言い訳をして


「……お願い、します」


 と、ウキズミには視線を合わせずに言うのだった。











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