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2-2

 ルグレイが学園長室でウノハを紹介された時に思ったことは、面倒なのを押し付けられたな、ということだった。


 学園長に呼び出されて訪れた学園長室で、ウノハは学園長と向かい合ったネブドロの座るソファの後ろに立っていた。その大きな山吹色の瞳を怯えたように揺らしたウノハは保護者らしいネブドロを見てばかりで、同じように学園長の後ろに立つルグレイには目を合わせようともしない。

 それがルグレイとウノハの初対面である。

 いざ生徒会に迎え入れたウノハは、まあ仕事はそこそこ出来るがやはりその怯えた瞳は健在で、こちらの機嫌をうかがうように見てくるその目が、ルグレイは不快だった。――ウノハがこれまで送ってきた生活に鑑みればそうした態度は当然と言えるものなのだが、ルグレイはウノハのことを何も知らないし知るつもりもなかった――

 とはいえ学園長直々の命令とあってはぞんざいに扱うことも出来ず、持て余していたというのが正直なところだった。


 しかし、やがてルグレイはあることに気が付くのである。

 こちらの機嫌をうかがうような目はじろりと睨んでみると多少変わるということに、だ。オオカミに食われる寸前の、ヒツジのような目。そしてそれは、ルグレイにとってそれほど不快ではなかった。むしろ心がざわつき、ある種の高揚感を得る……。

 それに気が付いたとき、ルグレイはあることを自覚したのだった。


――ああ、自分に、こんな加虐趣味があったとは知らなかった


 そう自覚してからルグレイは時々ウノハを睨んだり、嫌味を言ってみたりしてウノハの怯えた目を楽しんだ。例えば放課後に生徒会室で仕事をしている時。それから寮の食堂でウノハの姿を見かけた時。声をかければびくりと肩を跳ねあげ、オオカミに食われる寸前のヒツジのような目でちらりとこちらを見てからさっと目をそらす。

 しばらくの間はそんな反応を楽しんでいたが、次第にじわじわとルグレイをむしばむ感情があった。何かが、物足りないのだ。心の隅にぽつりと生まれたそれがルグレイの中で無視できないほどに大きくなると、楽しいと思っていたウノハの反応も前ほど面白くない。それに加えて具体的に何が物足りないのかと言えないことがもどかしく、ウノハに構う気も無くしてしまった。そうしてまたウノハを持て余すという、加虐趣味を自覚する以前の状態に戻ってしまったのだ。

 ウノハが階段から落ちて意識を失っている、という知らせが届いたのはそんな時である。

 しかも意識を取り戻したと思えば、人格が入れ替わったというではないか。どこまでも面倒事を持ち込む奴、と、ルグレイはそう思った。


 そうして今ウノハの体にいるという黒の女子生徒――ラカリス・バレーヌといったか……。見覚えのある顔だと思ったらグラアスの双子の姉だという――はこちらの機嫌をうかがうような目はしないものの、ぎろりとこちらを睨みつけて愛想のひとつもない。始めこそウノハに似合わないそれに戸惑ったルグレイだが、すぐにそれが自分にとって不快なものだと気付くとやけに腹が立った。それに加えて口も悪い。年上で、更には生徒会長であるルグレイをあんた呼ばわりした挙句敬語のひとつも使おうとしないのだ。思い出すだけでルグレイの胸には不快感が渦巻く。

 今朝ラカリスと話をしたというハクジによれば「ルグレイみたいで僕は好きだよ」という評価。俺はあんなに無愛想か……と年下の幼馴染に不平をもらしつつ、ルグレイはなるほどと思う。

 この不快感は恐らく、同族嫌悪というやつだ、と。






 その姿が現れると、放課後になって間もない教室は途端に色めき立った。

 甲高い、きゃあという悲鳴があちらこちらから聞こえる。悲鳴といっても恐怖から出たものではないのは、それをあげた女子生徒たちの淡く紅に染まった頬を見れば明らかである。

 その視線の先にはルグレイがいた。教室の入口で扉に手をかけ教室内を見渡す姿は、ただそれだけだというのに目が離せないほどに魅力的だ。願わくばその墨色の瞳が射止めるのは自分であって欲しい……と今彼を見つめる女子生徒の誰もが思っていることだろう。

 そうして目的の何かを見つけたらしいルグレイが歩き出すと、教室に残っていた女子生徒は総じてそれを熱っぽい視線で追い……そして表情を一変することになる。




――またあの女か



 と、先ほどまで熱っぽく生徒会長を見つめていた目を一瞬で鋭くした彼女たちの視線の先には、生徒会長と対峙するウノハ・ウツギロイン――中身はラカリスである――がいた。

 それというのもウノハ・ウツギロインというのは今年入ってきた編入生なのにもかかわらず、白の生徒会長から指名を受けて生徒会のメンバーになった何とも妬ましい存在なのだ。加えて常におどおどとした態度。どうしてあんな女が……と激しい嫉妬の目に晒されるのは当然とも言えるべきことであった。


 しかし彼女たちが今激しい嫉妬の目を向けているのは、ウノハであってウノハではない。外見は確かにウノハでも、その中身はラカリスなのである。ついにはっきりと敵意の込められたその視線に、ラカリスはいよいよ不快感を隠しきれずに顔を歪ませた。幸いにもラカリスを睨む女子生徒たちは遠巻きに睨んでいるため、あるいは激しい嫉妬で目が曇っているせいか、その表情の変化には気が付かない。――それが幸いと言えるかどうかはさておき――

 だがラカリスを目の前で見下ろすルグレイにはその表情の変化がはっきりと見て取れる。ルグレイが忠告するように「おい」と声をかければラカリスはその顔のまま声のした方へ顔を向けた。そのじろりと睨むような表情に負けず劣らず、ラカリスを見下ろすルグレイの瞳も鋭い。


「行くぞ」


 それだけ言って歩き出そうとするルグレイに、ラカリスは反射的に「はあ?」と反抗しかけて……やめた。かろうじてここがまだ人目のある教室だということを思い出したのだ。

 ルグレイが良い判断だなと言いたげにこちらを見たのがまたイラッとくるが、なんとか黙って睨み付けるだけにとどめてラカリスはルグレイの後について歩き始めるのだった。









 その部屋に一歩足を踏み入れると、ふかふかと踏んだ心地の良い絨毯が出迎えた。白い装飾で統一された室内はその視覚効果も有り余るほどに広々としていて、中央には上等なテーブルとソファが鎮座する。部屋の両側には天井まである本棚がそびえ立ち、その全てが埋まっている様は圧巻だ。

 ルグレイがラカリスを連れてきたこの場所は、白の生徒会室だった。

 広々とした部屋はまるで生徒に与えられたものとは思えないもので、まるで応接間か偉い人の書斎のようである。それでも上等なテーブルの上に乱雑に広げられた書類が、確かにここが生徒会室であることを物語っていた。――一部テーブルに乗りきらずに零れ落ちているものもあるそれは、ついでにこの部屋の主の性格をも物語っているようだ――




「放課後はここで生徒会の仕事を手伝ってもらう、いいな」

「……要するに、ここで監視下に置くってわけ」

「ああ、本当にあれとは違って理解が早くて助かるな」



 ルグレイの皮肉に、ラカリスは返事の代わりにふんと鼻を鳴らして答えてやった。ウノハの体に似合わないそんな態度に、ルグレイはもう目を丸くすることはない。むしろ癇に障るとばかりに眉をひそめると、気の強いその瞳をじろりと睨み返した。




「それにしても、黙っていればそれなりに見えるかと思っていたんだがな」




 そう言って改めて見据えたその姿は、全身からウノハ・ウツギロインの見た目にあるまじき気の強さというものがにじみ出ている。現にこの瞬間もルグレイの皮肉に対して片手を軽く腰に当て、下の方からこちらを気の強い瞳で睨み付けると



「褒め言葉だと受け取っとこうか」



 などと言うのである。

 たまりかねてルグレイが「少しはウノハらしくしたらどうなんだ」と忠告するが、ラカリスは「あいつは窮屈に生活する必要無いって言ったからね、そうしてるだけ」と言って返すとふいと顔を背けてしまう。ルグレイはそう言った保険医のツラを思い出して、心の中で舌打ちをした。余計な事を言ってくれたものだ……とは思うが、厳重に注意されていたとしてもこの態度は変わらないだろう。そう思い直すとルグレイはその気の強い瞳に、余計に腹が立つ気がした。



「まあその立ち姿にも言いたいことはあるが、一番の問題は……その目か」



 そう呟き、ルグレイは標的を定めるようにすうと目を細める。手荒な真似は趣味ではないが、こうなれば実力行使だ。そのツラ、ウノハの姿に似合いの表情にしてやる……。

 ルグレイはラカリスに手を伸ばすと、ぐいと胸倉を掴み上げた。顔を背けていたラカリスは反応が遅れ、抵抗が出来ない。そのまま強い力で引き寄せられたと思うと次いで強く胸元を押され、ラカリスの体が扉に叩きつけられる。背中に受けた鋭い衝撃にラカリスの口から思わず「だっ」と声が漏れ、反射的にぎゅっと目を閉じた。

 その目をもう一度開いたとき、ラカリスの目に映るのは己の体を押さえ付け、こちらを冷やかに見くだすルグレイの顔だった。



「こうでもすれば、少しはウノハらしい怯えた顔ができるのか?」



 その表情から放たれた言葉はまるで冷水のように降りかかり、たちまちにラカリスの体温を奪う……



「……ああ?」


 ことはなく。

 大きな舌打ちの後に、小鳥のさえずりに精一杯ドスをきかせた威嚇の声。墨色の瞳をぎろりと睨み返す山吹色の瞳の奥には怒りの炎が燃えているのが見えるかのようで、降りかかった冷水はその熱に負けて蒸発してしまったらしい。更にはラカリスの内側に渦巻く不快感が水滴すら残さず気化させる。

 この野郎、力を見せつければこちらがひるむとでも思っているのか。だいたいその人を見くだすような目、初めから気に食わなかったんだ。大人しくしてると思って、なめんじゃねえぞ……。

 心の中でそう呟き、標的を定めるとラカリスはがしりとルグレイの胸倉を掴んだ。

 ルグレイが一瞬驚いたように目を見開くのとほぼ同時にぐいと引き寄せられる。そしてラカリスはひゅっと息を吸うとその顎めがけて思い切り、頭部を突き上げた。



「だっ……!」

「うがっ!」



 ごちん!と固いものと固いものがぶつかり合う音が響いて、両者の体が弾け飛んだようにぱっと離れる。脳天まで突き抜けたその衝撃にたまらずお互いにお互いの胸倉から手を離し、その手で自らの患部を押さえながら痛みに呻く。そんな中、先に口を開いたのは自らの頭を両手で押さえたラカリスだった。



「いっつ……て、てんめえ、そういうやり方で、こっちが言いなりになると思ってんじゃねえぞ……あいたた……」



 自分から仕掛けておきながら思った以上に痛かったのか、上目にルグレイを睨み付けるラカリスの目にはじわりと涙がにじむ。そればかりではなく啖呵の前後にも思わず痛みを訴える声が漏れるあたり、相当痛かったらしい。

 それを見下ろすルグレイは自らの顎を押さえながら痛みを耐えるように歯を食いしばり、忌々しげにラカリスを睨み付ける。こちらを睨む気の強い瞳の中に、じわりとにじんだ涙がほのかに揺れるのが見えた。その瞬間ルグレイは自分の中で何かがざわりとしたのを自覚し、そして、その正体を確信するとふっと息がもれる。自然と口角が上がり、くつくつと笑う声が止められない。



「……く、くく……ははっ」

「な、なに笑ってんだよ」



 突然肩を震わせて笑い出したルグレイはラカリスにとっては当然不審で、再度じろりと睨み付け文句を言うのだがくつくつと癇に障る笑いは止まる様子が無い。その様子にいっそもう一度頭突きをかましてやろうか……とラカリスが未だ痛む頭を顧みないことを思っていると、ルグレイがはあと息をついてようやく笑い声が止んだ。と思うとラカリスの耳のあたりをひゅっと風が過ぎて、バンと扉を叩く音が鳴る。

 ラカリスは冷静に音の鳴った方を一瞥し、顔の横に手が突かれたことを確認するとその手の主……ルグレイを上目に睨んだ。何のつもりだ、と視線に込めて。しかしルグレイは怯むことなく、尚も意味ありげに笑った顔のままでラカリスを見下ろすと、その口を開いた。



「あいつじゃあ何か物足りないと思ってたが……なるほど。こういう方が、俺の性に合ってるみたいだ」



 そう言ったルグレイにラカリスが、こういう方がってなんだよ、と言いかけたのをつぐんだのは、その体勢のままルグレイがぐいと顔を近づけてきたからだった。

 互いの潜めた息さえ当たる距離で、ルグレイの墨色の瞳がラカリスの――正確に言えばウノハのものなのだが――山吹色の瞳をまっすぐに捉える。それは獰猛な光を放っていて、少し気を抜けば一瞬で取って食われてしまいそうな色。




「覚悟しとけよ」



 何をだよとルグレイの瞳を睨み付けるラカリスも、それに応戦するように睨み返すルグレイも、ラカリスの腰のあたりでドアノブがガチャガチャと鳴る音には気付いていない。

 と、その時。


「とりゃあ!」


 と気合いの入ったかけ声が聞こえたと思うと扉が勢いよく開かれ、ラカリスの背中がどんと押された。思いがけないその衝撃に抵抗する術なく、ラカリスの体がルグレイの方へ倒れこむ。ルグレイが「うおっ」と声をあげてラカリスの体を受け止め……ようとして、再びラカリスの頭とルグレイの顎がごちん!と音を立ててぶつかり合った。


 直後、開いた扉からハクジがぴょこんと顔を出すときょろきょろと視線をさまよわせ、最後に下を見るとにんまり笑った。



「あれれ、もしかしてお取込み中だった~?」



 それからわざとらしく「お邪魔しました~」と言うと、重なり合って倒れ込んだままそれぞれの患部を押さえて痛みに呻く二人を残して、ぱたんと扉を閉めるのだった。






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