5.似た者同士が出会ったら、
「いい加減元に戻る方法とか、見つからないわけ?」
手の包帯を巻きなおすために訪れた保健室でラカリスが詰問するように言うと、ネブドロは薬箱の前に立ったままで「ああ」と気のない返事を返すだけだった。その反応にラカリスが更にきつく「ほんとに探してんの?」と問いただせばネブドロはようやくこちらを向いた。
「考えちゃいるが、どれも空想の域を出ない方法だからなあ、確実性がねえんだよ。そもそも偶然に起きたことを戻すのにあれこれ考えたって仕方ない、戻るにもまた偶然を待たねえと」
得意の人をいらつかせる冗談かと思いきや、腕を組むその顔はいささか真剣味を帯びている。ネブドロだってこのまま元に戻らなくてもいいなどと思っているはずはない。それでもこう言うのなら、本当に今のところ有効な手は無いのだろう。ラカリスはそれ以上は食い下がらなかった。その代りに深いため息をついてみせると、ネブドロは珍しく苦笑するのだった。
さて、面倒だがこれから生徒会室に向わなくてはいけない……というラカリスの前に立ちはだかったのは見覚えのある姿。それでいて決定的な違いを身にまとうその姿は、この白の校舎の廊下におよそ似つかわしくない人物だった。
「よう、これから生徒会室か」
ラカリスを見下ろしたウキズミがそう聞いてくるものの、その言葉に興味関心といったものはまるで感じられない。ただ会話の糸口として仕方なく発した言葉であることがわかりきったものである。それにも係らずウキズミはその後にすぐ言葉をつなげることなく双子の弟によく似た鋭い瞳でじっとラカリスを見下ろしているだけだ。ラカリスもまたウキズミの不審な態度にあえて何も言わずに見上げていると、ウキズミがようやく口を開いた。
「その手、まだ痛むのか」
その問いにラカリスが首を横に振り、上着のポケットから何かを取り出した。「これ」と言ってウキズミに突きだしたそれは、あの日ウキズミがラカリスの手に巻いたハンカチだ。今はすっかりその冷気を失っている。
「やるって言ったろ」
「そう言われても、いらないものは貰えない……です」
「いらないなら捨てろ、俺に返す必要はない」
「でも……」
ラカリスが食い下がろうとすると、それを遮って「いいから捨てろ」と言われてしまう。更には「そんなことより」と話をそらしてしまおうとするウキズミに、ラカリスはついに苛立ちを隠せなかった。
「人から親切でもらったもん捨てられるわけないでしょ! いらないんならあんたが自分で捨てろ!」
ウキズミに詰め寄るとそう怒鳴りつけ胸元へハンカチをどんと押し付けた。ぎろりとその顔を睨めば、ウキズミはわずかに目を見開いてこちらを見下ろしている。しまったとは思わない、どうせこいつはウノハのことなどよく知らないのだ。そうでなくともこの男にはチンピラを殴り飛ばすところを見られている、怒鳴りつけたって今更だろう。
しかしウキズミはそうまでしてもハンカチを受け取る様子がなく、ラカリスがウキズミを睨むその顔に不審の色を浮かべ始めたその時。ウキズミはすうと目を細めると、ラカリスの腕をぱしりと掴んだ。ラカリスは驚いて腕を引こうとするのだが、この体の力ではびくともしない。いや、ぎりぎりと締め付けるこの力には、元の体だったとしても抵抗できないだろう。
「別人とは聞いていたが、まさかチンピラを殴り飛ばすとは思わなかった」
「ちょっと……」
「だが、お前が何者かなんてことはどうでもいい。俺にとって必要なのは、その体が真白の力を持っているという事実だけだ」
その言葉にラカリスは思わず抵抗をやめてウキズミを凝視する。真白の力がさも存在しているかのように、しかもこのウノハの体の中に確かに存在しているかのように言ったウキズミは顔色ひとつ変えず、それどころかそれが事実だと言い切った。その瞳は街で会ったあの時とは全く違って、わずかも温度が感じられない。それどころかその冷たさと言ったらまるで相手を凍りつかせてしまうようではないか。
心臓のあたりがざわりとして、ラカリスは小さく息をのんだ。その感情は、恐怖だったかもしれない。しかしラカリスが無防備にそれを顔に出すはずもなく、その代りに眉間にぐっとしわを寄せるとウキズミを睨み付けた。だがウキズミは尚も冷たい目でラカリスを見下ろしたまま胸元から何かを取り出す。それが紙らしいと気付いた時にはもう遅かった。
魔法を書いたその紙が額に宛がわれると、ラカリスは一瞬の間に意識を失ってしまうのだった。
「えっ、今の……え、あれ、やばい感じ?」
「あいつ、ぐったりしたよね?」
「……誘拐っぽい、感じ?」
静寂が訪れた廊下の隅で、額を突き合わせてひそひそと話し合う三人組がいた。ウノハに――正確に言うならばウノハの体をしたラカリスに――いちゃもんをつけるはずが返り討ちに遭ってしまった三人組だ。今は三者三様に真剣な顔で「いや誘拐とか、まさかあ」「ていうかあの人生徒会長にそっくりじゃなかった?」「いやでも黒の制服着てたし」などと話し合っている。
「……これ、生徒会長に報告するべき?」
「や、でもほら、生徒会を無断で欠席するとか、イメージダウンじゃん?」
「そうだけどさあ、でもあれほんとにやばそうだったよね?」
彼女らは一連の流れを廊下の隅で見ていたのだった。
廊下を歩くラカリスを見つけ咄嗟に姿を隠そうとしたが、このままやられっぱなしで良いのだろうかと自問した結果、彼女らはラカリスの後をつけていた。しかし彼女らが勇気を準備している間に、ターゲットは別の人物に捕まってしまったのだ。今となっては文字通り『捕まって』しまった。額を突き合わせひそひそと話し合う彼女らの中では「ざまあみろ」と「えっこれやばい?」という気持ちがせめぎ合っているのだ。
「うーん……でも、ほら、そうと決まったわけでもないし、大騒ぎしてことを大きくなんてしたら私たちが赤っ恥だし……」
途方もない葛藤の末、常に三人組の中心にいる女生徒がそう言うと他の二人も同じようにうーんと唸り、やがて弱弱しく「そうだよね」と言う。中心の女生徒が「そうだよね」と繰り返し、三人組は互いに額を離すと元来た方へと引き返していくのだった。
「さて、あいつにはああ言ったが……偶然を待つなんて悠長なことも言ってらんねえよなあ。なんかいい方法ねえもんか……」
ラカリスの出ていった保健室で、ネブドロは一人ごちるようにそうつぶやいた。
ウノハとラカリスが入れ替わって一週間ほどが経とうとしている。友達を得たウノハが楽しそうにしているのは喜ばしいことだ。しかしこのままでいいとは思っていない。ウノハを心配しているのももちろんだが、花の咲いたようなあの笑顔を見られないことがネブドロ自身そろそろこたえはじめているのだ。
これが親バカってやつか、と己にため息をつきながらネブドロは机の上に散乱した郵便物を改めるべく椅子に腰を下ろした。そのほとんどは惰性で続けている学会の会報だ。ウノハに必要なものとそうでないものを分けた方がいいと叱られたな、と思い出しながらパラパラとめくっていく。こうしているとたまに興味を引く論文があるのだ。いつかウノハにしたのと同じ言い訳をしつつ、ネブドロは会報を閉じる。
ついでネブドロは一通の封筒を手に取った。
会報の入ったような厚みではない。封筒を裏返して送り主を見ると、思わずおっと声が出る。それはウノハの真白の力を暴走させた張本人の行方を探ると言った友人からだった。三か月音沙汰が無かった相手だからこそ余計に驚きである。
ネブドロはすぐにその封筒を開こうとして……手を止めた。
手紙の内容がもしも、その張本人を見つけたという内容だったなら。もしもウノハとその人物が実は良好な関係で、その人物と会うことがウノハの記憶の引き金になったなら。あれはただの事故で、ウノハが、その人物のもとに帰りたいと思っていたら。自分はその時、笑ってウノハを送り出してやれるのだろうか。
そんな不安が一瞬で頭をよぎり、自分らしくないと自嘲するようにネブドロの口からは乾いた笑いが出る。そうしてネブドロは今度こそ封筒をビリと破って開けるのだった。
手紙の内容は、危惧したようなことではなかった。しかしやはり話題はその人物の事で、ひとまず行方は未だに掴めていないということだった。その一方でわかったこともあり、それは彼の生い立ち。人に聞いた断片的なそれをつなぎ合わせて浮き出たのは、悲しいものであったこと。そんな彼がウノハという真白の力を手に入れてやろうとしていたことは何だったのか。彼の研究資料が白い空間に帰してしまった今となっては解明する術は無いのだが、推測することは出来るかもしれないと友人は手紙につづる。
曰く、同じ研究所に居た頃、一度強引に酒を飲みにつれ出したことがあるそう。その時に彼が酔って話したことは『この世界が憎い』という愚痴だった。研究者によくある愚痴だと思っていたが、今考えてみればそれは本当に言葉の通りだったのかもしれない。だから彼がその後に続けた『こんな世界、リセットしてしまいたい』というのも言葉の通りで、もしかすると彼は、真白の力でそれを実現させようとしたのではないか。
いや、実現させようとしているのではないだろうか。
ネブドロはそこで、手紙の最後に写真が挟まれていることに気が付いた。追伸には、写真が手に入ったから同封すると記されている。写真を手に取り、それを見たネブドロの口から「は?」と声が出た。そしてさっと顔色を変え、手紙を手にしたまま立ちあがる。それから慌ただしく保健室を飛び出すと、そのまま走り出した。
遅いんだよ、と友人についた悪態はネブドロの頭の中で消えていく。
生徒会室では、ルグレイがイライラしていた。
ルグレイが小さく「遅いな」とつぶやいた声を聞きつけたハクジはルグレイの向かいでにんまりとして、書類をめくる手を止めた。
「僕は遅いって思わないけど、ルグレイはそう思うんだ?」
ハクジが何を言わんとしているか察したルグレイは苦々しい思いで息をつくと、目の前の幼馴染に「からかうなよ」と言う。そんなルグレイをよそにハクジはわざとらしく両手で口を覆ってぷくくと笑っている。それに苛立ちを感じはしないが、何か居心地が悪い。長い付き合いだが、ルグレイがハクジにこんな風にからかわれるのは初めての事だった。
驚いたことに不快ではない。かといって愉快かというとそうではなく、やはり居心地が悪いのだ。それでも楽しそうに笑うハクジを見ているとつられて笑ってしまいそうになるのだから、この幼馴染は不思議だ。そう思ってルグレイがふっと笑みをもらそうとしたその時。
「おい! あいつここに来てるか!?」
勢いよく扉を開いたネブドロが叫び声と共に入ってきて
「生徒会長大変なんです! う、ウノハ・ウツギロインが大変なんですううう!」
その後ろから女子生徒三人組がけたたましく叫びながら生徒会室に飛び込んできた。
ルグレイとハクジはその光景に目を丸くしたのも束の間、ネブドロが後ろの三人組を振り返ると「ウノハが大変ってどういうことだ!」と肩を強く掴んで問いただし始めたので慌ててネブドロを止めに入るべく立ち上がる。
「おい落ち着けネブドロ! ウノハに何があったって?」
両者の間に割って入ったルグレイは片手でネブドロを制しつつ三人組をじっと見据えて問いただした。ルグレイの墨色の瞳にじっと見つめられて三人組は思わず頬を赤らめて息をのむが、一応そんな場合ではないということはわかっているようですぐに中心の女生徒が口を開く。
「あ、あの、ウノハ・ウツギロインが、えっと、生徒会長にそっくりな黒の制服を着た人と話してたら、急にぐったりして、連れて行かれて」
「兄さんが?」
ルグレイの言葉に三人組がえっと驚くが、ルグレイは気づかず眉根を寄せて考え込む。あの兄が、いったい何の目的でウノハを……ウノハの体をしたラカリスを連れて行くのだろうか。それに急にぐったりしたとは。まさか魔法を使ってまで連れ去ろうとしたというのか、何のために。
考えていると、ネブドロが「もしかすると」と言ったのが聞こえた。その言葉にその場の全員がネブドロを見ると、ネブドロは思いがけず真剣な顔をしていた。いつものにやついた表情も、ひょうひょうとした態度も無い。
「こいつがお前の『兄さん』を使って、ウノハを連れ去ったのかもな」
そう言ってネブドロが見せた写真の男に、そこにいた全員が大きく息をのんだ。




