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西に傾いた日の光が会議室を郷愁的な色に染めている。かつて私の姉が『守護者』として戦った場所へ自らの役割を持って立ち入ること。大げさながらも感慨深いものを感じていた。姉も私も、土地の守護者として在るべき場所に在るよう、導かれているようだ。
毎週末の放課後には生徒会定例会議が行われる。この定例会議は各委員会の正副委員長も出席し、迫る行事や総会の計画、各委員会での活動、校内で発生した諸問題など、様々な議題について意見交換をする場となっている。生徒会長や副会長、各委員会の委員長たちは三年生が担っているが、一部の執行部役員には一年生や二年生の姿もあった。書記や会計、庶務などがそうだ。その中で私も執行部顧問として在籍している。一歩退いた場所から生徒会の全体を見渡せるのはいい経験になるだろう。
「――各委員長は議案書の作成に遅れが出ないようお願いします。生徒総会と議案書について意見や質問がないようであれば、次の議題に移ります」
長机がコの字に並べられた会議室。ホワイトボードの前に座る生徒会長、高瀬泉実先輩は、栗色の髪を揺らしながら各委員長たちの様子を伺った。彼女は吹奏楽部のフルート奏者で部長も務めている。生徒会長と部長を両立させ、更には学業もおろそかにしない。人当たりもよく、友人も多い彼女は生徒たちから絶大な信頼を得て生徒会長に推薦され、選挙に立候補したとか。
異議がないことを認め、生徒会長がうなずいた。隣に座るポニーテールの副会長が次の議題を読み上げる。
「では、本日最後の議題に移ります。放送委員会の現状について、顧問の八坂先生からお話があります。八坂先生、お願いします」
「うむ」
副委員長の言葉を聞いて、ホワイトボードの隣に立っていた女性教師がうなずいた。生徒会顧問兼生徒指導の教師である八坂麻子先生だ。現在は文芸部の顧問も務め、暴虐非道な部長と戦っているそうだ。真っ白なジャージは夕日を受けて燃えていた。
「見ても分かる通り、昨年度末の引継ぎ以降、放送委員会の副委員長が定例会議に出席していない。一斉委員会を行う際にも委員会進行の書類もまとめず、行事での放送機材準備も委員長一人で行っているのが現状だ」
廊下側の席に座る三年生の男子生徒を見る。眉の太い、男らしい顔つきをした印象の先輩だった。机の上で両手を組み、申し訳なさそうにうつむいている。
「放送機材は基本的に放送部の所有物となっていて、使用をする際には放送部に申請を出さなくてはならない。嫌なことを思い出させるようだが、昨年は吹奏楽部の楽器が壊される事件が起きた。放送部でも機材の取り扱いには敏感になっていて、申請の手続きにも時間を要している」
生徒会長の表情がわずかに曇った。
「委員会進行や機材準備など、放送委員長の負担が大きくなっているのは明白だ。改善案を検討するため、議題として上げさせてもらった」
ふと、腕組みをして、末席に座る私に視線を投げてきた。
「意見交換をする前にまず、生徒側の顧問である棘科に意見を聞いてみたい。棘科も放送委員会の現状は目の当たりにしているはずだ。何か、考えていることはないだろうか」
各委員長たちの視線も先生につられるようにしてこちらを向く。執行部顧問として役員たちと仕事をする中で、放送委員長がいつも一人で仕事を間に合わせている現状は把握していた。生徒会長や八坂先生とも放送委員長について意見を交わすこともあったから、ちょうどいい機会だろう。
「棘科さん、大丈夫ですか?」
生徒会長が心配そうに私を見ている。気を遣わせてしまったようだ。普段通りの返事をして、席から立ち上がる。短く息を吸って、先輩方の硬い表情を見回した。
「一年生の私が生徒側の顧問などとは恐れ多いことですが、任せてくださった信頼を裏切らないよう、考えを述べさせていただきます」
まずは副委員長へ、改めて委員会活動への協力を促すこと。委員長個人から話すと新しいトラブルになる可能性もあるから、放送委員会顧問の先生、もしくは八坂先生が同席した上で話をする。それでも副委員長の姿勢が変わらないようであれば、任期途中ではあっても任を解き、新しい副委員長を委員会内で選出するか、生徒会側から指名して新体制を作るべきだ。
八坂先生は腕組みをしたまま、黙って私の話に耳を傾けていた。着席する一部の委員長の頭が賛同するようにうなずいているのもちらほらと見える。肯定的に受け止めてもらえているのならよかった。
「もう一つ。放送委員長は放送部の部長と同じクラスで親しいと伺いました。恐らく、今まで委員長一人で間に合わせることができたのは、放送部部長の協力もあったからだと思います。いかがですか?」
「その通りです」
放送委員長が明るい顔でうなずいた。
先日行われた新入生歓迎会においては、ステージ横の音響室で放送委員長と放送部の部長が協力し合って作業をしていた。本来であれば副委員長が手伝うべき位置に部長がいたのだ、二人の関係は良好だと考えられるだろう。
「公私混同はせず、その繋がりを活かして、円滑な使用申請ができるように手続きを確立していくのがいいでしょう。また、文化祭等の大きな行事では機材の使用機会が一段と増えることになります。各委員長や部長は、何を何に使用するのか明確にまとめた上で、早めに放送委員長へ届け出てください」
これは他の先輩から聞いた話だが、過去の文化祭では使用申請がブッキングしてマイクの本数が足りなくなったり、申請が遅れて機材の調整が間に合わなかったりと、様々なトラブルがあったらしい。今年の放送委員長はほとんど一人で仕事をしている状態だ。そんな中で過去の文化祭で起きたようなトラブルが発生してしまえば、大きな負担になってしまう。各委員長や部長には、使用申請を迅速に、明確にしてもらわなくてはならない。
「最後に。放送委員会顧問の先生にも、現状を理解していただく必要があります。我々生徒が協力し合って解決を目指すことは、精神的な成長を促す意味で素晴らしいことでしょう。しかし、厳格と無責任はまったくの別物です。八坂先生が生徒会顧問である理由を考えれば、ご理解いただけると思います」
放送委員会は新年度開始からつまづいている。副委員長の協力も得られず、委員長は一人で奔走しているというのに、顧問の先生は現状を放置したままだ。こういう場合、私は厳格ではなく、無責任だと判断する。
しかし、八坂先生は違う。去年まで生徒指導のみを担当していたが、去年起きた吹奏楽部の事件を通して、厳しいながらも生徒に寄り添って問題を解決しようとする姿勢が教員や生徒たち、果ては保護者からも評価され、生徒会顧問も任されるようになった。
これこそ、厳格と無責任の違いだと思う。
生徒会長が穏やかな微笑みを私に向けた。
「八坂先生は厳しいけど、私たちと向き合って、一緒に問題を解決しようとしてくれた。吹奏楽部の川口先生も同じ。厳しいときはあっても、心に響く音楽を目指す意志は私たちと一緒だった。厳格と無責任は、確かに違う。私も、そう思います」
生徒会長――泉実先輩は、去年吹奏楽部で起きた事件の当事者だ。あの事件を解決するにあたって八坂先生とも言葉を交わしたのだから、身を持って知っているはず。私も泉実先輩に微笑み返した。
「ありがとうございます。……私の意見は以上です」
頭を下げて、静かに着席する。座ったのを確認して、八坂先生が口を開いた。
「持ち上げたところで優遇はせんぞ。私は教職員としての責務を全うしただけだ」
ぎろり、と鋭利な視線が辛辣な言葉と共に突き刺さる。八坂先生がこんな反応するとは意外だったが、この程度で棘科一族の末裔が怯むわけがない。桜沢先輩が投げる言葉のナイフに比べればこんなもの、マッサージにもならない。先生がはっきり言うのであれば、私もはっきり伝えておこう。
「媚びたわけではありません。そもそも私が執行部顧問に推薦されたことで、既に生徒たちから優遇を疑われていると思います。先生はどうお考えでしょうか」
向けられた鋭い眼差しを真っ向から見つめ返す。八坂先生は呆れたように首を横に振った。
「厳格な指導の一環として与えた課題にすぎん。執行部顧問の席をうらやむ生徒がいるのであれば、その生徒にも顧問を任せようではないか。生徒会は一筋縄ではいかぬものだと思い知るだろう」
生徒会執行部に顧問として在籍すること。それは、一年生から三年生、教員たちにも幅広く視野を向けて、生徒会の運営に協力していきなさいという責任重大な課題なのだ。執行部顧問の席は、決して生易しいものではない。
「話を放送委員会に戻すぞ。棘科の意見に異議や質問、あるいは他の提案がある者はいるだろうか」
質問も反対意見も上がらなかった。内心、私のことを生意気だと思っている先輩もいそうで不安ではある。しかし、それでも胸を張らなくては。
私はこの土地の守護者、棘科一族の末裔。
決して驕らず、誇りを持って、胸を張るんだ。
しばらく意見を待ったが、結局他の委員長たちが挙手をすることはなかった。
「では、放送委員会の現状については棘科の意見に賛成と判断する。放送機材の使用については各自が用途を明確にし、速やかに届け出ること。副委員長については近日中に話をして、続投か選出かを決め、顧問の先生にも協力を働きかけていこう。以上だ、副会長」
――こうして、今週の生徒会定例会議がお開きとなった。
生徒会の資料が綴じられたファイルや筆記用具をまとめていたら、隣に座っていた女子生徒、文化祭実行委員長が「さすがだね、棘科さん」と笑顔で声をかけてくれた。先輩にこうして褒められるのは嬉しいものだ。言葉にして伝えてくれることは、私を信頼してくれている何よりの証だと思う。委員長にお礼を言って、頭を下げて見送った。
「あきちゃん、あきちゃん」
今度は定例会議のまとめを済ませた泉実先輩がやってきた。泉実先輩とは、去年の事件をきっかけに、蓮華先輩を通して親しくなった。彼女が私をあきちゃんと呼ぶのはそのせいだ。
「泉実先輩! お疲れさまでした」
「お疲れさま! 八坂先生の無茶ぶりに答えて意見しちゃうなんて、すごいよぅ」
分厚いグレーのファイルを胸に抱えてにっこり。柔和で優しいこの笑顔を見せる先輩は、一部の生徒から『天使』と呼ばれているとか。確かに、泉実先輩が見せる笑顔は不思議な魅力がある。
「やっぱり、あきちゃんは頼りになるなぁ。生徒会の仕事は大変なことが多いけど、あきちゃんが顧問としていてくれるから、みんなも頑張れるんだよ」
「ありがとうございます。棘科一族としても、私個人としても嬉しいことです」
笑顔で返した。
執行部顧問として生徒を指名するのはこの学校でも初めての試みだという。先生方が私を指名したのも、棘科一族として信頼を確立してきた姉の努力の賜物だ。一部の生徒たちが私の特別扱いに不平や不満を感じているのでは、と心配するときももちろんあるが、今のところそういった噂や、直接的な批判を受けることはない。このまま信頼され続けるような生活態度を心がけるようにしよう。
会議室を二人で出て昇降口へ向かう。
隣を歩く泉実先輩は夕陽の光を受けるとますますその魅力を増す。漂う雰囲気と彼女の振りまく優しさと併せれば、天使と呼ばれる理由も納得だ。
「泉実先輩はこの後部活ですか?」
「うん。今年は去年以上にたくさん演奏する機会があるから、頑張らないと」
泉実先輩にとっては高校最後の部活動になる。去年の成果が著しかったのか、今年は多方面から吹奏楽部への演奏依頼や地方大会、コンクールなどの打診が来ているそうだ。生徒会の仕事や受験勉強もあるというのに、一切疲れた顔や弱気な素振りを見せない。本当に、素晴らしい先輩だと思う。
「一番近い演奏は来月で、その後は六月にもあるの。ほら、棘科神社の例大祭で」
棘科神社。棘の森温泉街の中にある神社で、棘科家の祖である初代『棘の巫女』が神として祀られている。棘科神社最大の祭事である例大祭は、伝承に基づいて毎年六月の半ばに行われている。それに合わせて温泉街でも様々なイベントが開催されるが、その中に地域の人がダンスや演奏を披露するというものがあった。泉実先輩率いる吹奏楽部もそのイベントに参加する予定だ。
「例大祭まではまだ期間がありますから、根を詰めないようにしてくださいね」
オレンジ色に満たされた昇降口前へたどり着いた。泉実先輩はここから北校舎へ行き、音楽室で吹奏楽部の練習に合流する。私は西の渡り廊下から図書館へ向かい、桜沢先輩と会わなくてはいけない。
「ありがとう。何だか、妹が心配してくれてるみたいで、嬉しいな」
ゆっくりと泉実先輩の手が私の頭を撫でる。
頭を撫でられるのは嫌いじゃない。むしろ、親しい先輩からされるのは幸せだ。
「それじゃあ、そろそろ部活行くね。あきちゃんも図書館、行くんだよね」
私を撫でていた手が離れて、泉実先輩が表情を硬くした。
「今の文芸部のことは、私も知ってる。部長さんがすごく恐くて、毎週の土日も返上、休みなく作品を作らせてるって」
「……はい。文芸部の狂気は学校でも有名なほどです。図書館で知り合った先輩たちも、文芸部のことにはあまり触れないように濁していました」
桜沢文音という人を見たとき、彼女の言動から何か問題を抱えている予感はした。その後、彼女の幼馴染だという神城雪と知り合い、二人とも文芸部に所属していた過去を知った。不自然に文芸部のことを濁す神城先輩と、文芸部の話になるとつらそうにする桜沢先輩。文芸部の過激な活動と部長の存在が、退部した今も二人を苦しめ続けているのは間違いない。
文芸部、そして桜沢先輩の家族。学校生活と家庭環境、両面を注視しなくては。
「あきちゃん、助けてあげて。棘科家――ううん、棘の巫女様の力が必要なの」
泉実先輩も変貌した文芸部のことは知っている。去年起きた事件の当事者である以上、無関心でいられるはずがない。責任感も強く、優しい彼女ならなおさらだ。
「任せてください。助けてみせます、必ず」
力強く返事をして、悲しげに潤む先輩の瞳を見つめ返した。