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執事に持ってきてもらった屋台メシが全然手につかない。病室のテレビから聞こえる大歓声、鳴り止まない拍手。貧相なスピーカーじゃ伝えきれない観客の熱を、握りしめる両手の中で感じていた。
「よくやった、フミネ……!」
二人で作り上げた決戦用の楽曲『私たちの物語』だけでなく、観客のアンコールに応えて私の『光』まで完璧に歌い切った。二つの歌はいずれも複雑な緩急と高音を要求される難易度の高い曲だ。しかし、それを連続して歌い切り、両方の歌で見事に物語を描いてみせた。言葉一つ一つが持つ温度、感触、匂い、色――フミネは天性の歌声で、それらを表現する力を持っている。観客たちは彼女の歌声から、歌詞に込められた物語を視たに違いない。
私の弟子は、とんでもないダイヤの原石だった。
「ったくぅ、律儀に来てくれちゃってぇ」
「ふふ。ごめんなさい、どうしても直接お礼を言いたくて」
晴れ舞台の翌日、その午後にフミネと執事がお見舞いに来てくれた。病棟の中にある談話室で冷たい飲み物を片手に、真っ白な円卓を囲む。心身の調子はここしばらくの休養と昨日の超絶最強な歌でずいぶんよくなって、私も暇を持て余すようになった。正直、こうやって人が訪ねてくれると退屈しないからありがたい。
今日のフミネは淡いブルーのシャツとベージュのスカートを着ていた。昨日のキラキラしたドレス姿が嘘みたいで、今日は大人しい、文学少女というイメージだ。
ん? 何よ、執事の服装も言った方がいいの?
黒シャツに白いスキニーパンツ。スレンダーだね。以上。
「あ~、なんだ。どこかでひどい差別を受けた気がするんだが」
「あはは、気のせいでしょ。忙しすぎて疲れちゃったんじゃなぁい?」
苦笑いする執事を軽く流して、フミネとの会話に意識を戻す。
「流々さんのおかげで、笑顔も思い出して、歌う楽しさも思い出しました。小さい頃だけじゃなくて、今もこうして私に希望をくれた……。流々さんは、今も昔も私の希望です。本当に、ありがとうございました」
ぺこりと丁寧に頭を下げて、身体を戻す。フミネの顔には、気持ちのいい笑顔が浮かんでいた。初めて会ったときの控えめな印象も残しつつ、柔らかな明るさが前に出てきている。癒し系、という言葉がしっくりきそう。
「流々からもお礼を言わせてよ。フミネの歌でホント、元気もらった。電気ショック喰らった感じっていうの? 気怠い感覚がスパーンとね、ぶっ飛んだんだわ」
私からも笑顔でお礼を伝える。
都会の街から引きずっていた悲しい出来事が、悲観的な考えや想いが、今回のプロデュースを通して灰色に霞んでいった。倒れたアヤネの顔を思い出しても、フミネの歌が倒れそうになる心を支えてくれる。
『悲しいばかりじゃ、なかったでしょう?』
フミネは、歌を通して私の心に寄り添い、語りかけた。
アヤネの死は悲しかった。怖くて、つらかった。
でも、アヤネとの青春やRayとの思い出は、悲しみや恐怖ばかりじゃない。
アヤネと初めて出会った日、Rayを結成した日。すごくワクワクした。これからが楽しみで、早く歌を作ってみたいって、毎日がキラキラしていた。部活が終わったら、コンビニの前で五人並んでカップラーメン食べたり、楽器屋を巡るために学校をサボったり。文化祭のライブが大ウケして、先生たちにも褒められて超嬉しかった。その文化祭が終わった夜、アヤネの家に泊まって、結ばれた。大好きなアヤネに初めて抱かれて、幸せだった。
私が幸せだと感じた思い出、楽しかった青春は確かにあった。青春だけじゃなくて、メジャーデビューした後だって幸せや楽しさはたくさんあった。大きなドームでライブを成功させた。大晦日のカウントダウンライブでファンのみんなと年を越した。ファンレターの一つ一つが嬉しくて、五人で涙した。思い返せば、いくらでも出てくる。悲しみや苦しみに負けない、光り輝いた日々があった。
桜沢文音という新たな歌姫が、それを思い出させてくれた。
もう一度、許されるのなら音楽の中に身を置きたい。歌だけじゃなくて、フミネのような誰かに歌や音楽を提供して、私が感じた光り輝く幸せを歌い手、聞き手、すべての人々に届けてみたい。そうすることで、私自身の失いたくない『歌』や、アヤネたちとの思い出が、生き続けるような気がする。
Rayで培ってきた音楽を蘇らせて、日本中の、世界中のみんなを希望の光で照らしてやるんだ。そして、天国のアヤネに「Rayはみんなの心に生きてる」って、伝えなくちゃ。
ありがとよ、最高の弟子。
あんたのおかげで、音楽への熱い魂が戻ってきた!
「退院したらマジで復活を宣言してやる。フミネのおかげだ、本当にありがとう」
「……えへ。ちょっと、照れちゃいますね」
今まで笑顔を見せなかったクールな可愛い子が「えへ」だって!
この照れ笑い殺傷力高くない?
フミネLOVEなお嬢様が喰らったら即死でしょ。
「紅羽と輝羽もお前さんに感謝してる。二人とも忙しくて正式な礼は後日になるが、ひとまず紅羽から手紙を預かってきた。報酬の内容も書いてあるから、目を通してくれるか」
執事が穏やかな笑顔で白くて細長い封筒を差し出してきた。作曲中の生活や入院の面倒も見てくれたのに、報酬の約束も果たしてくれるわけか。棘科家はやっぱり大バカ野郎だ。利用も詐欺も何にもない、ただ本当に、私もフミネも『救済』してみせた。
「悪いね。たくさん迷惑かけちゃったのに」
「ハッ、何を今更。楽しかったぜ、お前と音楽やるの」
「へへへ。流々もだよ」
笑いながら封筒を受け取って中身を出したら、薄桃色の便せんが三つ折りになっていた。紙を広げると、整然としたきれいな文字が書かれていた。
姫川流々さんへ
この度は妹の無茶を聞いてくださってどうもありがとう。
ふみさんの歌を聴いて音楽への情熱は取り戻せたかしら?
もしも取り戻せていたら、妹の企みは大成功よ。
今回の晴れ舞台は、あなたの救済も含まれているのだから。
さて。それでは簡単に報酬の内容をお伝えします。
一つ、作曲環境として提供していた別荘を、正式にあなたのスタジオ兼住居として譲渡したいと思います。あの別荘、温泉引っ張ってるから温泉利用権とか金銭的にいろいろあるのだけれど、そこは追って相談していきましょう。あなたの才能ならすぐにその程度の収入は得られるはずでしょう?
二つ、再就職先を探す約束があったわね。きっと音楽の中に身を置きたいはずでしょうから、棘科グループ傘下の芸能事務所に所属してみるのはどうかしら。先方にあなたの話をしたら、光の歌姫に所属してもらえるなんて光栄だと大歓迎だったわよ。歌手としてでも、音楽プロデューサーとしてでもいいから、所属を提案するわ。こちらも後日、時間を作って煮詰めていきましょう。
三つ、仕事が安定するまで当面の生活費を支給します。飲み歩かれては困るから、あまり高い金額ではないけれど。その代わり、ぜひ棘科グループに協力していただけると嬉しいわ。光の歌姫を他の企業に渡したくないもの。
こんなところかしらね。不満があったら遠慮なく言ってちょうだい。
それから、ふみさんのプロデューサーであるあなたに相談があります。
ふみさん、学業のかたわらで歌手活動をしていきたいそうなの。あなたと同じ、失いたくないものを見つけたみたい。私や妹も、彼女の前向きな姿勢は応援したいところなのだけれど、どうかしら。先に話した芸能事務所に二人で所属して、今後も彼女のプロデュースを続けてみない?
あなたもふみさんも、棘科グループ代表として欲する人材よ。
前向きな回答を期待しているわ。
それでは、ごきげんよう。
棘科紅羽
「かぁーっ! すごいねぇ、当主ちゃん。ド直球、超ストレート。気に入った!」
太っ腹な報酬も最高だけど、それよりも遠慮会釈ない物言いに好感が持てた。私やフミネの才能を認めて、棘科グループに協力してほしいとはっきり言う。私は昔から、そういうはっきり言葉にする人が好きだった。Rayがメジャーデビューするまで引っ張ってくれたアヤネがそうだったから。
「この内容で了承するよ。事務所への所属も、退院したら話を進めてもらえる?」
「おっ、やる気じゃねぇか! 了解だ、紅羽にもしっかり伝えとくぜ」
ご機嫌になった執事が棒つきキャンディーを取り出して口に咥えた。こいつはいっつもキャンディーを食べている。私よりも病気になりそうだけど、キャンディーとお酒を比べれば、やっぱりお酒の方がダメージは大きいのか。
そんなことを思いながらフミネの可愛い顔を見た。
「手紙に書いてあったよ。あんた、歌手、やってみたいんだって?」
あっ、と声を上げて、顔を伏せる。
申し訳なさそうな、それでいて、嬉しそうな。
「……はい。歌手として芸能活動をすれば、流々さんが味わったような洗礼を受けることになるのは承知しています。それでも、歌ってみたくて」
フミネの歌に対する想いをじっくり、じっくりと聞いた。
幼い頃、姉にいじめられたり、両親に助けてもらえなかったりして、苦痛を受け続ける中で見出した彼女自身の救済方法。それが歌だった。合唱部に所属し、当時栄光の中にあったRayや私の背中を、幻影を追い、ただひたすらに歌い続け、歌声を磨いた。そして、発表する舞台で知らない人々が自分の歌を聴いて笑顔になり、喝采をくれた瞬間を経験する。彼女はその瞬間、苦痛を上書きできる「生への喜び」を知った。
『私は生きていてもいい。必要とされている』のだと。
当時のフミネは小学生、まだまだ幼かった。
幼い女の子が抱くとは思えない、悲しい喜びだった。
「当時の私が抱いた動機は悲しいもの。では、現在の私が抱いている動機も同じものなのか。自問自答したら、まったく違う形になっていたと、気がつきました」
「どう変わってたの?」
頬杖をついて、微笑みながら聞き返す。顔を上げて、フミネも微笑んだ。
「希望を伝え、同じように苦しむ人を救うために歌いたい。そんな形になっていました」
Rayと私、そしてお嬢様たちに支えられ、フミネは生き続けるための武器として『歌』を手にした。そして、その武器を通して希望の存在を伝え、自分のような人々を増やさないために歌い、人々を救いたい。
救済される側だった自分が救済する側へ。
歌で、人々を救いたいと。
「私は、もう二度と生きることをあきらめません。これからは歌を通して希望を伝え、人々の心へ光を注ぐために生きたいのです」
自分をいじめた連中、傷つけた連中など、もう引きずっていない。蘇った自分の武器を救済のために振るおうとしている。フミネも棘科家と同じ、とびっきりの甘ちゃんで、優しすぎる大バカ者だった。私が知ってる連中は、金を稼ぎたい、ちやほやされたい、弱者を笑いたい、そんな連中が多かった。もちろん、そういう動機が強い意志に繋がるのは否定しない。でも、私は連中とは正反対の意志で歩きたかった。
だって、『Ray』の名は希望の光になろうって、決めたものだったから。
フミネの意志は、Rayの意志と同じ志。私とフミネは仲間なんだ。
「いいじゃん、フミネ。熱くて気に入った、やっぱ最高だよあんた!」
可愛い弟子を、危ない連中がいる芸能界にほっぽりだすにはいかないよね。
新たな歌姫が希望の光になりたいと願うのなら、先達として導かなくちゃ。
「流々とフミネで、希望の光になってやろ!」
今できる全力の笑顔と一緒に、右拳をフミネの前に突き出した。フミネの瞳がぱあっと見開かれて、キラキラと喜びの光が溢れる。可愛い弟子も深くうなずいて、破壊力抜群の笑顔で返事をした。
「はいっ!」
こつん。
遠慮しがちに、フミネの右拳が私の右拳にぶつかる。
元気いっぱいの返事なのに拳の勢いはなくて、ギャップに思わず吹き出してしまった。
「ぶはは! そんなんじゃだめだよ、もっとバシッと! 思い切り!」
「こ、こうですねっ」
ぐうっと腕を引き、真剣な眼差しで鋭く拳を突き出す。
今度はガツンと。強い衝撃が弾け、右拳に心地いい痛みが走り抜けた。
「きゃっ、いたた……」
フミネが苦笑いをしながら右手を引っ込めて、労わるようにさする。可愛らしくておかしくて、執事と一緒に大笑いした。
最愛の人と大切な仲間たちを失った先で、私はもう一度、志を同じくする人々と出会った。陰に消えた私を信じ続けた、可愛い可愛い、私の弟子。その弟子を支え続けたたくさんの協力者たち。私は彼女たちから差し伸べられた手を取り、もう一度、光の舞台に上がろう。
今度こそ、見失わない。失くさない。
私たちの歌を。
私たちの意志を。
希望の光を。




