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桜沢さんのお嬢さま  作者: 松山みきら
第13章 転生の日 -桜沢文音-
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「わあ、とてもきれいな衣装でお越しいただきました! 本日は初参加でフェスティバルフィナーレということですが、どうでしょう、今の気持ちは」

 グレーのマイクが私の口元近くへ向けられる。

 舞台への緊張と観客への驚き。お腹に力を入れて震えそうになる声を抑え込んだ。観客にばかり気を取られないように、司会の人へもきちんと意識を向けた。

「……ええと。とても光栄で嬉しい反面、緊張も強く感じます。その、一人で舞台に立って歌うのは、初めてですから」

 意識を向ければ言葉もするりと出てきた。昔の私だったらこんなに話せなかっただろう。あきちゃんと過ごした変化の日々は、しっかり私の身になっていた。司会の人も私の緊張を察してくれたのか、二度、三度うなずきながら、親身になって聞いてくれた。フレンドリーな印象のおかげで、彼女から質問を受けると緊張に乱れる心の波が少しずつ穏やかになっていく。司会は進行だけでなく、出演者たちが全力を出せるようにサポートする役割も持っているのかもしれない。

「初めて尽くしであれば緊張も強いですよね。フェスティバルへの参加を決めたきっかけはありますか?」

「はい。いろいろあって、昔から私は暗くて嫌な子供だったのですが、その過去を払拭したくて悩んでいたら、学校の図書館で棘科輝羽さんと出会ったのです」

 舞台袖で見守るあきちゃんに視線を向けたら、笑顔で手を振ってくれた。司会の人も舞台袖のあきちゃんも見つけたら、笑いながらこちらへ顔を戻した。

「お嬢様、舞台袖で見守ってくださっていますね。なるほど、お嬢様と出会ったのがきっかけで、こういった機会への参加を決意されたと」

「そうですね。お嬢様と出会わなければ、ステージに立つこともなく――」

 話をしていたら、客席の方から「せーの」と小さな掛け声が聞こえた。

 そして。

「ふーーーみーーーん!! 頑張ってぇぇぇ!!」

 何人もの声が重なった絶叫、もとい、応援が思い切りぶつけられた。

 私も司会の人も驚いて客席を見る。扇状に広がった客席の右側辺り。こちらに向かって両手を振る十人くらいの騒がしい団体がいた。私を『ふーみん』と呼ぶ人物と、耳を貫くこの絶叫。そして、遠くでも見間違うことのない姿。

 親友、雪を筆頭としたクラスメイトたちが客席から応援していた。

「み、みんな……」

 胸と喉の奥が詰まる。

 また涙がにじみそうになって、慌ててまばたきをした。

「ちょっと桜沢さん、ちゃんとファンがいるじゃないですか! もう過去のイメージを払拭できてるかもしれませんよ!」

 観客席からどっと笑い声が上がる。観客たちの和やかな雰囲気に、心がますます穏やかになっていくのが分かった。この心持ちなら、しっかり歌い上げられる気がする。

「さてさて、盛り上がってきたところでそろそろ歌の方に行きたいと思います。今回歌う曲、作詞は桜沢さん。そして何と、作曲したのがあの姫川流々! Rayの元ボーカルで、『光』で大賞を受賞した、光の歌姫ですよ!」

 笑い声に溢れていた観客席から悲鳴に近い喝采が上がる。時が経ち、流々さんが陰に消えて彷徨っていても、その栄光は色褪せていなかったみたいだ。

「光の歌姫と知り合ったきっかけや現在の様子とか、簡単に教えていただいてもいいでしょうか」

「はい。そうですね……」

 知り合うきっかけは話せるけど、流々さんの現状については話していいかどうか、しっかり確認していなかった。せめて観客を心配させないように、言葉を選んで伝えてみよう。

「流々さんと出会わせてくれたのもお嬢様でした。私がRayや流々さんのファンであると知って、このフェスティバルへ向けて一緒に曲を作ろうと提案してくれたのです。流々さんも長らく表舞台から離れていたのですが、隠れて生きるのはもうやめようって、私の背中を押してくれました」

「ファンとしてはすごく嬉しい提案じゃないですか! 今日はフェスティバルに来ていないみたいですが、流々さんはどうしていらっしゃいますか?」

「ええと、今は……」

 流々さんの現在。

 ストレスと過労で心身共に調子を崩して入院している。

 しかし、私にはその事実を正直に話せなかった。姫川流々の存在を希望と見ているファンは今も必ずいるはず。光の歌姫には今も希望の光でいてもらわなくては。

「流々さんは今、体調を少し崩してしまいまして、療養しています。睡眠不足や疲労といった具合で、きちんと寝てご飯を食べればよくなると聞いています」

「で、では、体調が戻ったらもう一度表舞台に戻りますか……?」

「はい。必ず戻るとおっしゃっていました」

「おおっ! 朗報ですね~!」

 司会の声に合わせて観客たちも声を上げる。

 流々さんは元気になったらもう一度表舞台に立ってやると確かに話していた。本当はきっと、この舞台で復活を宣言したかったくらいだと思う。舞台に立てない流々さんのためにも、今日は絶対に成功させなくちゃ。

「これから歌う曲は流々さんがプロデュースしたもの。私の過去を払拭するきっかけであり、彼女の活動再開を意味する曲でもあります。精一杯歌いますので、どうか、最後まで聴いていただけると嬉しいです」

 よし、きれいに流々さんの状況を話せた。不安や余計な心配をさせないまま、希望や期待を伝えられて一安心した。放送を見ている病室の流々さんも、納得してくれているといいのだけど。

「もちろん、最後まで聴きますとも! それでは桜沢さん、お願いします!」

「……はいっ」

 私は中央のマイクスタンドへ向かい、司会の人は舞台袖の薄暗い陰へと消えた。マイクの角度、高さ、共に問題ない。スイッチもきちんと入っている。マイクの確認を終えたら、もう一度観客席を見回した。見渡す限りの人、人、人。彼ら全員が、目を逸らさずに私を見ている。今まで突き放してきた人々が、深い森から日差しの下へ舞い戻った私を見上げている。

 心臓が身体を揺らす。痛いほどに胸を叩く。

 両手を胸に手を当て、深呼吸を一回、二回、そして、三回。

 空気を吸うたびに、冷たい緊張も、痛い鼓動も大切にしようと思った。

 舞台に立つ、それはそういうことなんだ。不安や緊張を感じるのは当然で、それを含めて歌い上げ、その先へたどり着いたときにこそ、本当に見える世界がある。私の知らない広い、広い世界が。

 評価ではなく、ただ否定し続けた部長。

 恐怖と狂気で理不尽に私を虐げ続けた姉。

 彼らが振りかざした負の感情など消し飛ぶくらいの、色鮮やかな美しい世界があるはずなんだ。

 歌おう。

 不安でいい。緊張していい。

 それも含めてすべてが、私の愛しい『歌』になるはずだから。

 マイクに唇を寄せて、しんと静まり返る客席へ想いを投げかけた。

「人はみんな、一人一人が輝く光になれる。どれだけつらいことがあろうとも、どれだけ悲しいことがあろうとも、誰かがあなたを愛して、信じています。どうかそれを、忘れないで。聴いてください。『私たちの物語』――!」

 私が曲名を告げた瞬間、森林ステージ全体のスピーカーからあやめさんの叩いたドラムの音が響き渡る。続いて、流々さんが一人で重ねたキーボードと、前向きな世界を予感させるギターの鳴き声が舞い上がった。これから歌う歌詞は寂しげだけど、メロディやリズムは明るめな曲だ。音楽プレーヤーのイヤホンで聴いたときとは違い、吹奏楽部の演奏以上に重なる音圧が私の身体を包み込んで、歌い出しまで待つ私の心を昂らせてくれた。

 ギターの音色が落ち着いた。

 次だ、私の声が、次の音色だ。




堕ちた森から見上げる空は

遠くて 遠くて

聴こえた声も つかめた色も

どこへ消えたの




 声が震えない。音程も歌詞も練習以上の力を感じる。

 歌い出したその瞬間、力強い手ごたえがあった。

 胸の前で両手をぐっと握りしめて、手ごたえを失わないように包み込んだ。




伸ばした手が求めたものは?

探して 探して

惑わす霧から 見つけ出そうと

いばらを駆けた



肌裂くいばらが私のゆりかご

囚われ ゆられ いつしか私は

花も咲かせぬ痛みになった




 私の過ごした約十年。棘の中で、何も知らず、ただ与えられる恐怖に怯えて、人を信じることをせずに生き続けてきた。私は傷つくことを恐れて、その代わりに手を差し伸べてきた人々を傷つけた。

 まさに、私自身が棘だった。




いつか光が見えるって 霧をかき分けた

痛みでなんかいたくない 青に浮かぶ光になりたい

見えない声で歌った 誰かに届け、ずっと

傷つき傷つけ泣いた森で あなたを見つけた




 誰かを突き放しながらも、誰かを傷つける自分が嫌だった。誰かの光になれる自分になりたかった。幼い頃に憧れた、光の歌姫のように。

 苦しみ、悩み抜いた先にたどり着いた、小さな学校の図書館。

 高い本棚に囲まれた瘴気に満ちる森で、私は棘科輝羽と出会った――。


 前半を歌い終え、短い間奏に入った。観客席から弾ける拍手と大きな歓声が上がり、スピーカーから流れる明るいメロディと共に私を貫いた。初めて出会った見知らぬ人々が、私の歌声を聴いて笑顔になっている。私の歌声を聴いて壊れるほどに手を叩いてくれる。

 懐かしい感覚が、どんどん色鮮やかに、鋭く浮かび上がってくる。

 ぐうっと、胸の奥底から、私の身体を空に押し上げるくらい強い喜びだった。




悲しみ拭う優しいあなた

近くて 見えない

澄みゆく声が 囁き続けた

初めての愛




 棘科輝羽と知り合って、彼女に不思議な何かを感じた。初めて知る、私の中で処理できない感覚、感情。その正体を知らなかった私は、彼女のせいで自分自身が崩れていくと思った。ひどく悲しい言葉で傷つけて、突き放したこともあった。

 私を苛み、乱した感情の正体。

 それは、愛。




あなたが私に伸ばした手は

甘くて 切ない

錆びたいばらに 染まった私の

手を引き 言った



君を連れ出す 朝日の下へ

はばたけ 飛んで 愛を歌おう

君も輝く光になれる




 彼女はどんなときも私の手を引いてくれた。あれだけ突き放して傷つけたのに、私を愛して、幸せの形を教えてくれた。私に残された唯一最後の武器である歌で、私も希望の光になれると教えてくれた。

 私の家族が教えてくれなかった、愛情や絆。

 棘の巫女の、祝福だった。




私、光になれるんだ 祝福を聞いた

痛みだった私なのに 物語を奏でられるんだ

確かな声を歌った あなたに届け、もっと

優しいあなたと飛んだ空で 光を見つけた




 曲の中ほどまで歌い切って、キーボードとギターが際立つ長い間奏に入った。喉がかすれる感覚もなく、息も続いて歌詞も出てくる。自分でも信じられないほど、絶好調だった。

「ふーみん! ふーみん!」

 リズミカルなドラムに合わせて、観客席からかけ声と手拍子が聞こえてきた。観客席の右手にいる雪たちが、空へ飛んでいきそうな勢いで盛り上がっている。彼女たちの盛り上がりにつられて、他の観客たちも真似してかけ声と手拍子をやり始めた。それは瞬く間に全体へ広がり、割れんばかりの「ふーみん」コールと手拍子になった。喝采を目の当たりにして、大きな喜びと小さな恥ずかしさが浮かぶ。

 口元がふっと、緩みそうになった。

 間奏が終わり、ギターの音色が消える。

 静かなキーボードの音と、私の声だけで終わりに向かう歌を紡いだ。




手を引くあなたの背中にきらり

輝く羽が 勇気をくれた 

みんなのために 歌う勇気を




 あきちゃん。

 あなたのおかげです。あなたが私をここまで導いてくれた。

 歌を蘇らせ、その歌を届ける勇気をくれた。

 この歌は、愛するあなたへ捧げる歌でもあるのです。

 もう一度あやめさんのドラムが力強く蘇る。ギターが静寂を切り裂いて高く鳴く。私の歌声と流々さんのコーラスも演奏に交じり合って、歌っている自分自身が心地よく感じるほどのハーモニーを描き出していた。

 流々さん、私とあなたのハーモニーが聴こえますか?

 テレビ越しでも届くように、あなたが教えてくれた通りに、私の過去と歌詞を重ねて物語を描いてみせます――!




みんな、光になれるんだ 祝福を声に

痛みだった昨日を捨て 取り戻した未来へと歩く

痛みでなんかいたくない 青に浮かぶ光になりたい

救いの声を歌った すべてに届け、ずっと




 最後のサビ。マイクスタンドを両手で握りしめて、全身に力を込めた。

 誰もがみんな光になれると、流々さんのコーラスと共に訴える。

 私の歌が、光の祝福となるように。救いの声となるように。

 悩み、苦しみ、それでもなお、生き続けようと歩き続けるすべての人へ。

 想いを、奏でる歌声に乗せた。




私たちの物語を歌うよ




 私の高音を全力で乗せて、棘の森と青空へ舞い上がらせた。

 これは私だけの物語じゃない。私が生きる世界には、他にも大勢の人々が生きて、形は違っても、悩んで、苦しんで、毎日を歩いている。この歌は、人生の深い森へ迷い込んだ人たちへ向けた希望の灯火。誰かがあなたへ手を差し伸べてくれる、独りじゃないよって、伝えたかった。

 かつて泥に落とされた私の手を取ってくれた雪がいたように。

 信じることを忘れた私を信じてくれたあきちゃんがいたように。

 みんな、独りじゃないんだ。

 私と流々さんの歌声が森林ステージから温泉街の青い空へと吸い込まれて消える。それに合わせてギターの音色も高く響いて、フェードアウトしていく。


 歌い、切った――。


 次の瞬間、大地を震わせるほどの大喝采が森林ステージに響き渡った。

 人々が席から立ち上がり、絶叫みたいな歓声と大きな拍手を私に送ってくれる。みんな笑顔で、私を認めて、私と流々さんの歌を褒めてくれた。歌い切った達成感と、大喝采で称賛してくれたことが嬉しくて、胸がいっぱいになった。

 そうだ。この、この瞬間だった。

 私にできる何かで人々が沸き立ち、喜び、認められたその瞬間。

 この瞬間こそ、合唱部を辞めるまで、私が大切にしていた喜びだった。

 かつての私が、生きる希望としていた喜びだった。

「ありがとう、ございました……!」

 マイクから一歩後ろに下がり、腰を折って深く頭を下げた。割れんばかりの喝采がもう一度勢いを増して私の身体を揺らして包み込んでいく。みんなを突き放してきたのに、歌を通して受け入れてもらえた。私の本当の想いが伝わったのだと思って、涙がこぼれて止まらなかった。ああ、いけない。涙を流したまま顔を上げたら、せっかくのメイクが崩れてとんでもない顔になってしまう。お化けみたいな顔にならないように、涙を拭かなくちゃ。

 溢れる涙を指先で何度も何度も拭い、押し込んで、ようやく身体を起こした。

 もう一度見ても、観客席の様子は変わらない。席から立ち、声を上げ、笑顔で拍手を送る人々の姿がそこにある。

 訪れる夏の陽気を空へ打ち返す、人の熱気、活力。

 嬉しくて嬉しくて、自然と声が漏れた。

「――ふふ」

 思い出した。

 喜びと共に、その表情の浮かべ方を。

 頬に感じる優しい力。

 喜びや嬉しさ、楽しさを伝える表情。

 それは、笑顔と呼ばれるものだった。

「ふみーーーっ!」

 大声で呼ばれて、舞台袖を振り向く。大好きな恋人が涙を流しながら両手を広げて走り出していた。長い袴につまづきそうになりながら、私に飛び込んでくる。

「あきちゃん!」

 飛び込んできた小さな巫女を受け止めて、優しく頭を撫でてあげた。大勢の人が見ているけど、もういいや。嬉しいのだから、笑顔を浮かべたって、ハグをしたって、別に構わないでしょう。初めて会ったときから変わらない甘い匂いと、小さな身体の柔らかさを全身に感じた。

 あきちゃんはすぐに胸から離れると、赤い瞳を涙で潤ませながら見つめてきた。焼きつけてやるとばかりに、まばたきをせずに、じっと。

「やっと、やっと……! やっと、笑ってくれたね!」

「はい。この通りです」

 柔らかく微笑んで首を傾げて見せる。

 あきちゃんも負けじと、満面も笑みでうなずいた。

 約十年、心の奥底、冷たい墨汁の海に封印していた鉄の塊。武骨な鉄の塊を縛っていた、最後の鎖が、まぶしい火花と共に弾けて消えた。鉄の塊は崩れ落ち、中から朝陽のような温かい光が顔を出した。冷え冷えとしていた心の海に陽が昇る。胸の奥に、忘れていた最後の温もりを感じた。




――あなたを笑顔にするまで、私はあきらめません。




 棘科輝羽は、英雄の末裔として戦い、恋人として寄り添い、そしてついに桜沢文音の笑顔を取り戻した。その言葉通り、自身の誓いをあきらめることなく、叶えてみせた。こんなにも小さくて華奢な彼女が、たった一人、私のために悩み、怒って、泣いて、笑って、笑顔を取り戻すために奔走してくれた。

 ありがとう、あきちゃん。

 あなたのおかげで、大切な温もりを取り戻せた気がします。

「アンコール! アンコール!」

 ステージの上であきちゃんと見つめ合っていたら、大喝采が形を変えて、アンコールの大斉唱となって森林ステージを揺らしていた。手拍子つきで、しかも、観客だけでなく舞台袖にいるスタッフや司会の人まで、みんなが声を合わせてアンコールを求めていた。

 私が流々さんから預かっている曲は『私たちの物語』だけだ。まさかアンコールを求められるなんて予想しておらず、そもそもが一曲だけのつもりだったから何の用意もしていなかった。これほどまでに求められるのなら、ぜひもう一曲歌って応えてあげたいところだけど、どうしたらいいのだろう。

「ど、どうしましょう、あきちゃん。アンコール用の曲なんて……!」

「大丈夫! もう一曲、毎日練習して完璧に歌える歌があるよ!」

「毎日練習した……? あっ!」

 毎日練習して、歌詞も見ずに歌い上げることができる歌。それは、流々さんを歌姫にした『光』だった。あの歌だったら私にも歌える。大好きで、得意な歌だ。

「そ、そうだ! 『光』がありました! あきちゃん、お願いします!」

「任せて! 『光』の音源は今日の歌と一緒にあやめが持ってるはずだ。すぐに準備させるよ!」

 すっかり笑顔になったお嬢様がまた舞台袖へ駆けて行く。音響室に飛び込んで数秒、あやめさんがガラス窓からこっちを見て、不敵な笑顔と共に親指を立てた。ぬかりはないぜ、と聞こえた気がした。私もうなずいて返すと、もう一度マイクスタンドに近づいた。

 思い出した優しい笑顔をみんなに向けて。

「ありがとうございます。みなさんのご声援にお応えして、もう一曲だけ歌わせていただきます」

 アンコールの声が止み、わあっと大歓声に戻った。雪たちのふーみんコールも絶叫のごとく続き、ステージに立つ私をもっともっと鼓舞してくれた。それだけ、私の歌が心の響いたのだと思いたい。

「私が憧れる歌姫の名曲、『光』です。一生懸命、歌います!」

 歓声の中で、静かで厳かな音色がスピーカーから流れ始める。

 笑顔を取り戻した私にはもう、緊張も不安も、残っていなかった。

 あるのはただ、光り輝く喜びと幸せ。

 私はついに、生まれ変われたのだった。

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