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桜沢さんのお嬢さま  作者: 松山みきら
第2章 笑わない先輩 -棘科輝羽-
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 休日の朝、自室のソファーで執事の差し入れた紅茶を飲みながら、一冊のファイルを読んでいた。桃色のリングファイルに閉じられたそれには執事に調べさせた情報がまとめられている。レースカーテンから注ぐ柔らかな陽光がファイルに載せられた先輩の写真を輝かせる。眠たげに細められた眼差しと膨らんだ唇。ブラウンの長髪は首の後ろで白いリボンに結ばれ、彼女の背に流れていた。

 二年三組、桜沢文音。

 元文芸部員で、図書委員会所属。家族構成は両親と、姉が一人。先輩は次女だ。姉は実家を離れ、現在は交際相手の男性と都会で同棲中。先輩とは対照的に社交的で友人も多いが、昔から生活態度や人間関係で衝突が多く、家庭内でも問題を起こしていた。先輩があのような気難しい性格になったのは、家庭の事情も絡んでいそうだ。

 そして、現在の文芸部が持つ問題について。

 去年、文芸部に所属していた当時二年生の部員が、逆恨みで吹奏楽部員の楽器を壊すという事件が起こった。その事件以降、文芸部は校内での信用を失い、現在の部長に引き継がれてから狂気に堕ちる。

 公募やコンテストで結果を出し、校内での信用を取り戻すと目標を掲げた部長は、休日返上、学業に支障をきたすほど膨大なノルマを部員に課した。更に、叱咤激励ではなく、罵詈雑言で部員たちを心身共に追い詰め、顧問教師とも衝突し続けたという。

「当時在籍していた多くの部員が退部、残る部員はわずか。生徒指導担当の教師と話し合うも平行線……。部長はこの男か」

 クリップで知らない男の写真が留められていた。部長の顔写真らしい。面長、はっきりと正面を向く眼差し、黒いセルフレームの眼鏡をかけた鼻の高い男だった。

明町あけまち優樹ゆうき、三年三組」

 写真だけ見れば誠実そうな印象を受ける。さて、お前は桜沢先輩に何をした……?

 今回、執事に用意させた情報はあくまでも簡単なもので、踏み込んだところまでは調べさせていない。助けるなら、もう少し先輩の口から話を聞いて行動したい。先輩の意志も伴わなければ、守護者としての協力もただのお節介になる。『迷惑だ』と、いつもの先輩の声と表情が浮かんで、苦笑いがこぼれた。

 ファイルを開いたままテーブルに置くと同時に、部屋の扉が叩かれた。ティーカップも机に戻して返事をしたら、姉の声が聞こえてきた。

「お姉ちゃんだけど~」

「開いてるよ」

 かちゃっ、と扉が開いて、背の高い人影が入ってきた。赤く見える茶髪と、くっきりした目元の美女。我が棘科家の当主で、数多くの企業を抱える棘科グループの代表。私の姉、棘科紅羽だ。今日は丸一日お休みらしく、赤いロングスカートに薄手のブラウスと、楽な格好をしていた。

「いいタイミング。あやめが紅茶を淹れてくれたから、紅羽もどうぞ」

 あやめとは執事の名前だ。姉が私の部屋に来ることを知っていたのか、用意されたティーセットにはカップがもう一つあった。開かれたままだった桃色のファイルを閉じて、もう一つのカップに紅茶を淹れる。紅羽は穏やかに微笑んだまま、私の右隣に座った。

「はあ~あ。このソファーに座るのも久しぶりな気がするわ」

「忙しかったもんね。はい」

 紅茶の入ったカップとソーサーを渡す。ありがとう、と受け取って一口。ほっとため息をついてカップを机に戻すと、近くに置いてあった桃色のファイルを手に取った。

「さてと。私の妹が見つけた救うべき人はどんな人かしら」

「やっぱり。ファイル見に来たんだね」

「輝羽をぎゅーってするのも目的なのよ」

 そう言って、紅羽が左腕で私を抱き寄せてきた。アロマサロンで買っている香水の匂いがふわっと香ってほっとする。膝の上でファイルを開き、写真と書類に素早く目を通すと、小さくうなずいた。

「さすが私の妹ね。入学早々『棘』を見つけるなんて」

 棘科一族は土地の守護者であるがゆえか、何か深刻な問題を抱えている人を見つけてしまう節があった。姉はそれを『棘』と呼んでいる。問題の『棘』を抜いて解決できた人の一部は、棘科家とグループを支える協力者として、グループ傘下の企業や組織に所属している。私たちの固い結束力はそうやって築かれてきた。

 去年も一つ、姉が見つけた『棘』があった。

 私の通う高校に在籍している、ある女子生徒が抱えていた苦悩。彼女は紅羽の協力を得て自分の過去と向き合い、悲しい事件を乗り越え、想い人の心を支え続けた。このときの悲しい事件こそが、吹奏楽部員の楽器が壊された事件だ。当時中学生だった私も、解決に至る手順の一つとしてあの事件に関わっている。文芸部が狂気に堕ちたことは、私にとっても他人事ではない。

 守護者の末裔としてしっかりしなくては。

 資料を眺めていた紅羽が低い声でつぶやいた。眉をひそめ、目を鋭く細める。

「……これが文芸部の現状ですって?」

「うん、残念なことだよ。紅羽が解決した後、別の棘が出てきてしまった」

 私が見つけた、桜沢先輩に刺さった棘。執事からもらった簡単な資料、先輩と過ごした数日を元に推測すると、その棘は家族と文芸部に関係しているものだと予想できる。しかし、文芸部の情報量は多いが、先輩の家族についての情報は少ない。はっきりさせるためにも、もっと先輩に歩み寄って情報を探る必要がありそうだ。

「先輩に刺さった棘――その原因の一つが文芸部なのは間違いない。去年の事件が解決した後に部長が変わり、それをきっかけに、桜沢先輩と神城先輩は部活を辞めている。今の部長さんと何かトラブルがあったんだ」

 単純に過酷なノルマが苦痛だっただけかもしれないし、部長と大きな衝突をしてしまったのかもしれない。いずれにせよ、部長が変わってから始まったという過激な活動の中で、桜沢先輩の心を深く傷つけ、疲弊させる何かが起こったのは間違いない。

「ふむ……。この、先輩のお姉さんについてはどう思う?」

「関係ありそうだよ。文芸部の問題だけであそこまで他人を突き放すとは思えないもの」

「……家庭内についても詳しく調べなくちゃいけないか」

 リングファイルを静かに閉じて、ティーカップを取り、もう一口。

 紅羽が主に動いて解決した去年の事件。楽器を壊した本人は事件を機に退部したというが、文芸部に残った傷跡からもう一つの悪しき『棘』が顔を出してしまった。紅羽は嘆くように、美しい目元を曇らせていた。

「文芸部のその後を見落としていたのは私のミスだわ。この問題は姉妹で解決しましょう。彼女から迷惑だと言われても食い下がるのよ」

 ティーカップを手に持ったまま、白い光が差す窓に目を向ける。紅羽の瞳が光に照らされて紅に輝いた。頼もしい姉の横顔を見上げてうなずく。

 幼い頃からずっと姉と執事に見守られ、時には叱られ、育てられてきた。彼女たちが注いでくれた愛情、叱咤激励は私の血肉になっている。今の私がこうしていられるのは紛れもなく二人のおかげだ。私が正しければ素直に認めてくれて、間違っていれば手を引き、何が間違っていたのか教えてくれた。私には心から信じる家族がいる。心から誇りに思う名がある。家族の存在と棘科の名は、つらいとき、くじけそうなとき、いつでも私に強い力を与えてくれた。

 桜沢先輩からいくら突き放されようとも、棘科一族としての使命を果たすために、必ず先輩を救い、心からの笑顔を咲かせてみせる。

「そうだ輝羽。ちょっと、話変わるんだけど」

 空になったティーカップをテーブルに戻して、もう一度リングファイルを開く。開いたファイルのページには桜沢先輩の写真が覗いていた。不愛想な先輩の写真を指差して、紅羽が首をかしげる。

「輝羽って、ちょっと冷たい感じの先輩に憧れちゃったりする? 桜沢先輩、きれいよね」

 さっきまでの痛ましい表情はどこへ行ったのか、紅羽は私を見下ろしてニヤニヤしていた。姉がこういうときに浮かべる不敵な笑みはいたずら心を含んだものだ。去年、紅羽が助けた例の先輩にも憧れてしまったから、大方、今回も私が桜沢先輩に憧れているのでは、と思っているのだろう。

「どうしたの、いきなり」

「姉としてジェラシーしてるの」

「もう。この間知り合ったばかりで『迷惑なんだ』って突き放されてるのに?」

 笑ってしまった。

 桜沢先輩の外見をありきたりな表現で言えば、きれいな人だ。清潔にしていて、ひんやりと冷たい雰囲気が女性的な美しさを更に際立たせていた。背が低くて平べったい身体の私に比べたら、桜沢先輩はずっと大人で素敵な女性だった。

「……素直になってくれたらもっと素敵なのに、とは思ってるけど」

 紅羽が開いたファイルを見る。写真の先輩は相変わらず眠たそうにしていた。

 素直になって周囲に打ち解けられれば、きっと楽しい学校生活を送れるはず。でも、先輩はそれを望まない。誰かと馴れ合うことを避け、徹底的に自分を孤立させようとしていた。先輩の行動は、自身が抱えている苦悩からきているのだと思う。不愛想に接して私を突き放そうとするのも間違いなく苦悩が原因だろう。

「いきなり日差しの下に連れ出したらお姫様も困っちゃうわ。少しずつね」

「そうだね。少しずつ、打ち解けてもらえるように頑張るよ」

 姉妹揃って窓の外へ視線を投げる。

 窓から差し込む柔らかな陽光は優しく、白い輝きに満ちていた。この白い輝きへ桜沢先輩を連れ出すことが彼女にとって幸福だとは限らない。高校生活も、先輩との関係も、まだまだ始まったばかりだ。これから彼女との時間を紡ぎ、先輩の笑顔を引き出せる幸せの形を探していこう。

「でも私の可愛い妹を突き放すのはちょっぴり不満でーす。ぷー」

 せっかくきれいにまとまったと思ったら、隣に座る姉が膨れていた。

 台無し、と思わず笑いがこぼれた。


 正午過ぎ、棘の森温泉街にあるホテルのレストランへ親しい友人を誘い、ランチをとっていた。白くて厚いテーブルクロスの敷かれた円卓が広めの間隔で並べられており、大きなガラス張りの窓からは外の景色がよく見えた。湯煙がのぼり、瓦葺の建物が連なる温泉街。姉から預けられた、私が守る小さな街だ。

「いつ来ても素敵な温泉街だね」

 正面に座る黒髪ショートカットの少女が、窓の向こうを眺めながら冷水の入ったグラスを傾けた。私もテーブルナプキンで口元を拭い、冷水を一口喉に流した。

「ありがとうございます。蓮華れんげ先輩に褒めていただけるなんて、光栄です」

「お、大げさだってば」

 片手をひらひらと振って苦笑いを浮かべる彼女は、はり蓮華れんげ先輩。同じ高校に通う三年生だ。彼女こそ、去年の秋に紅羽が見つけた『棘』の持ち主。吹奏楽部員の楽器が壊された事件を通して知り合った、憧れの先輩。先輩は紅羽との進路相談を経て、棘科グループ中枢企業への就職を前提とした大学進学を進路に決めたとか。もちろん、グループのバックアップつきだ。

「高校はどう? 友達、できた?」

 グラスを置いてふっと微笑む。一見クールな蓮華先輩が表情を崩すと、急に同い年か、年下のような親近感を覚える。初めて出会ったときに見た陰のある美しさも好きだったが、今見せる光ある美しさの方が蓮華先輩によく似合う気がした。

『輝羽って、ちょっと冷たい感じの先輩に憧れちゃったりする?』

 紅羽の言葉は正解だ。姉にはしっかり見抜かれていた。

「はい。休み時間によく声をかけに来てくれる子たちがいます。昼食もその子たちと食べるようになりました」

「お、いいね。あきちゃんって人当たりもいいし、余計な心配だったかなぁ」

「いえ。気にかけていただけるのは嬉しいですよ」

 紅羽やあやめも蓮華先輩と同じことを聞いてくる。『棘科』の名は時として周囲を萎縮させることがあるからだ。実際、入学した直後は多くのクラスメイトが私と距離を置いたのをこの身で感じた。しかし、彼らは『棘科』を拒絶しているわけではない。守護者の一族が同じクラスになって、どう接すればいいのか分からず、不安だったのだ。

 私からもよく声をかけたりして、何名かの女子と親しく話すようになってから、他のクラスメイトたちもだんだんと声をかけてくれるようになった。今では、親しい女子たちと休み時間に集まって談笑することも多い。『棘科』の名が余計な気を遣わせてしまうこともあるだろうが、それでも歩み寄ってくれたクラスメイトたちには深く感謝をしている。

「実は、そんな優しい先輩に相談したいことがあるんです」

「えっ? ……今日のランチって、ひょっとしてそれのことで?」

「はい。秘密の相談です」

 去年、蓮華先輩が問題を解決しようと棘科邸を訪れ、最初に話を聞いたのが私だった。お互い初対面で、過ごした時間もわずかだったのに、あの日だけで気心知れた古い友人同士のように近い距離になっていた。蓮華先輩が私を信頼してくれていること、そして私の蓮華先輩に対する憧れが、互いの距離を急速に縮めるきっかけになったのだと思う。

 そんな近い距離にいる彼女をランチに誘ったのは、相談したいことがあったからだった。

「少し感情的な相談になるかもしれませんが、聞いていただけますか?」

「もち! あきちゃんからの相談なら何でも聞くし、誰にも言わないって」

 感情的な話題は親しい人でも嫌われる場合がある。蓮華先輩が心の広い人でよかった。

「ありがとうございます。実は――」

 桜沢文音。暗い闇を抱える、冷たくも美しい人の存在。

 最近はずっと、桜沢先輩のことばかり考えている。

 棘科一族として、幼い頃から様々な問題を見つけては、紅羽と一緒に解決してきた。解決までの過程で悩むことはあったが、こんなに気を取られることはなかった。胸に引っかかる感じ。視界の中に入れておかないと、手の届くところにいないと落ち着かない。意味の分からない焦燥感が出てくる。

 どうして、こんなに気になるのか。

 問題の解決以上に桜沢先輩に何かを見ている。

 空になったお皿にフォークとナイフを並べて置いたら、ウェイターがすぐに来て下げてくれた。残るはデザートだけだ。

「文音ちゃんかぁ」

「ご存知ですか?」

「ん、一応ね」

 蓮華先輩が親し()()()人との関係で、自身も文芸部を訪ねる機会があったとか。そのときに、部室の中で桜沢先輩を見かけたことがあるらしい。窓際の席で黙々と本を読んでいるか、物語を書いていることが多かった。部員とは短い言葉を交わす程度で、笑う姿は見たことがない。蓮華先輩も彼女を遠くから見るくらいで、実際に話したことはないそうだ。

「可愛い子だったなぁ。清潔感もあったし」

「清潔感」

「思った?」

「思いました」

 だよねー、と蓮華先輩。

 紅羽と話したときも言ったが、心を開いて素直になってくれたら、どれだけ素敵なことか。

「今まで様々な問題と向き合ってきましたが、桜沢先輩はいつも以上に気取られるというか、落ち着かないというか……。自分で自分が分からなかったので、蓮華先輩に相談してみました」

「へへ。そっかそっか」

 小さく、可愛らしい笑い声が飛んでくる。同時に、デザートが運ばれてきた。バニラのアイスクリームと、色とりどりのフルーツがグラスに上品に盛り付けられていて食欲をそそる。

「むー。何ですか、その意味深な笑い」

 スプーンを取って、アイスクリームとイチゴを半分ずつ乗せて口に運ぶ。

 甘くて、酸っぱい。美味しかった。

「何となくあきちゃんの気持ちが分かるからさ」

「教えてくださいよ」

「だめ」

 また、「へへ」と小さく笑う。

 蓮華先輩には私の抱く焦燥感の正体が分かっているらしい。

「あきちゃん的にさ、文音ちゃんの印象はどんな感じなの?」

「そうですね……。外見の印象はきれいな人だな、と。私みたいに薄っぺらじゃなくて、うらやましいとも思いました」

「薄っぺら?」

 首を傾げる。先輩のスプーンには黄桃がのっていた。

「こういうところが」

 自分の胸を指差した。

 蓮華先輩も、自分自身を確認する。先輩のそれは私よりも断然大きい。私と、自分を何度か交互に見て、蓮華先輩が咳ばらいをした。

「な、なるほど。ナイスバデーな印象を受けたのね」

「はい。とても女性らしくて魅力的だと思います」

「あたしもナイスバデーになりたいなぁ」

「大きいくせに」

「むぐっ」

 少しの間沈黙して、二人でデザートを食べ進めた。

 生意気な言い方かもしれないが、桜沢先輩は女性として魅力のある人だ。素っ気なくて冷たく振る舞っていても、身だしなみはいつも清潔に整えていて印象はいい。また、図書委員として仕事も果たしていて、司書の先生からの信頼も得ていた。人間関係は良好とは言えないものの、生徒としてやるべきことはしているし、何がよくて何が悪いのかという判断はできていそうな気はする。周囲を疎んで突き放すのは、判断した上で、分かった上での行動なのだろう。

「じゃあ、内面の印象は?」

 沈黙を破って尋ねられた。

 桜沢先輩の性格。最初の印象は、深く考えるまでもなかった。

「内面の印象は、少しだけ、怖い人だと感じました。桜沢先輩は大勢の人を突き放してきたそうですし、私もずいぶん拒絶されましたから。ああいや、されている、ですね。現在進行形です」

「棘科一族まで拒絶するかぁ……」

「ええ。家柄や個人の印象で突き放す基準を決めているわけではなさそうでした」

「全体的か」

「見境ないですね。先輩自身も『こういう人間だから私と関わると嫌な思いをする』って言うくらいなんですが、幼馴染には情が残っているように見えました」

 大勢の人を突き放して人間関係を深めようとしない。悩みがあるのは明白なのに、口にはせず、相談もせず、自分を孤立させていく。では、桜沢先輩は歪んだ性格の持ち主なのかといえばそうでもない。唯一の親友、幼馴染の神城先輩だけには心を許し、友としての情を注いでいた。その注がれている友情が、本来桜沢先輩が持っている優しさの欠片なのだと、私は考えている。

「親友を思いやる判断ができるなら、本来の桜沢先輩は優しい人だと思うんです。彼女は決して人を傷つけることを楽しんではいない。あくまでも遠ざけたいだけのように見えました」

「遠ざけたい、か……。突き放す理由は見つかりそう?」

「まだまだ先になりそうです。彼女の口からも聞けるかどうか……」

 突き放す行為に至ってしまった理由。棘科グループの力を使って、ある程度まで調査をすることはできる。しかし、グループの調査で調べきれないものもある。それは当事者の心の内だ。去年、紅羽が救った蓮華先輩の過去についても、ある程度の調査はしたものの、彼女が秘めていた真実は本人の口から直接聞いて知ることになった。

 真実を見るためには、桜沢先輩の本当の姿を見るためには、もっと歩み寄って、心を開いてもらわなくてはならない。

 頬杖をつく横顔を思い出したら、また焦りが出てきた。

 今、桜沢先輩はどこで何をしているのか。

 デザートに視線を落とす。

 味が急に、薄く感じられた。

「ふふ。文音ちゃんのこと、気になって落ち着かない?」

 驚いて顔を上げたら、蓮華先輩の柔らかい微笑みが正面にあった。

「顔に出ていましたか?」

「少しね。そういう顔する人を見たことがあるんだ」

「誰ですか?」

「あたし」

 微笑んだまま、窓の外を見る。つられて私も外へ目をやった。青空の下、湯煙が上る郷愁的な町並み。いつか、桜沢先輩と小さな古都を歩くことができたら、と思った。

「去年の暮れ、あたしもそんな顔ばっかりしてたんだ。お風呂入るときも、お化粧するときも、スマホ見てるときも、気になる人のことばっかり考えてたから」

「気になる人……」

「そ。あきちゃんなら分かるでしょ」

 蓮華先輩の気になる人。いや、当時気になっていた人。それには見当がつく。去年の事件で親しい関係になったという吹奏楽部員。蓮華先輩がずっとそばで支え続けた人。蓮華先輩の大切な人になった、ある女子生徒だ。

「あたしがその気持ちを言葉にして教えるのは簡単なことだよ。でも、誰かに言われたから気がついた、誰かに言われたからそう思った、っていうのはだめ。あきちゃんのその気持ちは、自分で気がついて、認めなくちゃだめなことなんだ」

 蓮華先輩は微笑んでいる。窓の外に広がる私の町を眺める眼差しも優しくて、紅羽とは別の、姉のような頼もしさを感じた。

「だからあたしは言わないし、教えない。でも、その気持ちに気がついて、不安になったり怖くなったりしたら、そのときはいつでも相談に乗るよ。嫌になるくらい助言しちゃう」

 自分で気がついて、自分で認めなくてはならない気持ち。蓮華先輩は、かつての自分が同じ気持ちを抱き、私と同じ顔をしていたと話してくれた。先輩が言葉にしてくれなくても、言葉から推測することはいくらでもできる。でも、言葉からの推測はしない。してはいけない。あくまでも自分の気持ちと向き合って、正体を見定めなくてはいけないのだ。

 問題の解決とは別にもう一つ、解き明かさなくてはいけないことが増えた。

「分かりました。焦らないで自分と向き合うことにします。不安になったら、また相談させてください」

「いつでもおいで。あたしたちの仲じゃない」

「ふふ」

 二人で笑い合って、デザートの残りを食べることにした。

 そう。棘科一族はこうやって支えられている。

 心を交わし、絆を育んだ信じる人と。

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