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桜沢さんのお嬢さま  作者: 松山みきら
第1章 生意気な後輩 -桜沢文音-
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3


 勝手にしろ、といった類の言葉は厄介なものだ。棘科は私の言葉を忠実に守り、図書館が閉館するまで私の隣を離れなかった。八坂先生との話を終えて戻った雪も、物理的に急接近した私たちを見て「何があったんだ!」と心底驚いていた。それもそのはず、ただ隣の席に座ったわけではない。棘科家のお嬢様が、ひねくれた先輩と肩が触れ合う距離にいるのだ。更に、これだけでは終わらなかった。

「いやいや! あっきーと一緒に帰れるなんて!」

 図書館が閉館した後、私たちは三人揃って下校することになってしまった。私と雪は学校から南の駅に向かい、電車に乗って北東の町に帰る。棘科の家は北西の山側に広がるとげもり。棘科家は北西に広がる森林地帯を所有しており、彼女たちの住む巨大な館も森の中にある。森の一部は森林公園や棘の森温泉街として観光開発され、毎年多くの観光客で賑う場所となっていた。

 観光地なんて、私には遠い世界の話だ。

 雪はニコニコと、ご機嫌な様子で棘科と言葉を交わしていた。

「あっきーは駅前のバスに乗って棘の森に帰るの?」

 そういえば、駅前ロータリーのバス停から棘の森へ向かうバスが定期的に出ていた気がする。使う機会がないから時刻までは覚えていない。

「いえ、執事の送迎です。登校するときも駅まで車で送ってもらって、そこから学校まで歩いています」

 学校と棘の森はかなり距離がある。徒歩で行くとなると、片道一時間半から二時間くらいの道のりだ。当然、妹を溺愛する棘科家当主がそれを許すはずがなく、高校に通う三年間は執事の送迎で登下校するようにしたとか。棘科自身、姉に自転車通学も提案してみたそうだが、心配だからだめだと即却下されたらしい。妹への溺愛ぶりは筋金入りだ。

「学校に来てもらえばいいのに。周りに気を遣ってるつもりなの?」

 嫌味ったらしく言ってやった。

 わざわざ学校を通り過ぎて駅まで行くなんて、面倒なことをする。大富豪のお嬢様らしく、堂々と校門に車を横づけすればいい。変なところで気を遣っているのが無性に腹立たしかった。

 しかし、棘科の方が上手だった。

「はい、気を遣っているつもりです。先生や生徒の目もあるので、送迎の基点は駅にしました。それに、駅を基点にすればこうして先輩たちと話しながら帰ることもできます。一石二鳥でお得だと思いませんか?」

 私の嫌味も何のその。やっぱり口論しても勝てる気はしない。勝てない勝負をするつもりはないから、それ以上何も言わずに黙ることにした。

「まあまあ、二人とも! 帰り道くらい仲良くしようよ!」

 ご機嫌な雪を私と棘科で挟んで、学校前の道路を東へ歩く。片側二車線の広い道路は、夕方の帰宅ラッシュでたくさんの自動車が東へ西へと走っていた。この通りには老舗のパン屋と文房具店が並んでいて、我が校の生徒たちもよく利用している。他にも、青果店や写真屋、普通の民家など、形も高さも建物の年季も、統一感なく建ち並んでいた。

 緩やかな足取りで歩いていたら、会話を弾ませていた雪が思い立ったように声を上げた。

「そうだ! あっきー、連絡先とか交換していい!?」

「あ、はい。構いませんよ」

「やったぁ! 有名人の連絡先ゲットだー!」

「ふふ。そんなに喜ばれるとちょっと照れちゃいますね」

 子供のようにはしゃぐ雪を笑いながら、棘科がブレザーのポケットから黒いケースに覆われたスマートフォンを取り出した。艶のないくすんだ黒で、模様も飾りも何もないシンプルなものだ。二人は今日知り合ったとは思えないほど仲良く連絡先を交換していた。

「よっしゃあ! 今日は最高の日だよ!」

 雪がスマートフォンを両手で持ち、天に掲げた。大喜びだ。

 最高の日とは、ずいぶん調子のいいことを言っている。退部届を出して部長に嫌味を言われたことはすっかり忘れているようだ。しかし、あの部長のことを忘れられるのは幸福なことだと思う。蒸し返さず、黙って夜に染まる街に目をやった。

 空は東から闇が迫ってきていた。往来する車も、街も、夜の闇を裂くようにまばゆい電灯を携えている。西へ暮れゆく陽はその輝きを街の淵に落とし、空にうっすらと橙色を残すのみだった。夕暮れの町並みは私に一日の終わりを告げ、強張っていた心身を優しく解きほぐしてくれる。力が抜けて安心する反対側で、何も変わらないまま一日が終わったことに胸の奥が痛んだ。

 私は、いつまでこうしていられるのだろう。

 周りを疎んだまま、一人で生きていくことができるのだろうか。

「よろしければ、桜沢先輩も連絡先を交換しませんか?」

 結論の出ない不安への痛みを受け止めていたら、白い顔が私を覗き込んでいるのに気がついた。ぼうっとしていたせいで、思わず足を止めてしまった。

「…………」

 交換して何か変わるのか。連絡するような話題も用事も持ち合わせていないのに、何の意味があるのか。私は面倒なことを避けて、嫌なことから逃げ続ける。棘科を面倒だと感じたら、避けて、逃げるだろう。

 でも。

 幻想の世界へ自分を沈め、夢を見続けようとした私を見つけて、目覚めさせたのはこの少女だった。逃げ続ける私を追い、なぜか手を引こうとする。そして、そんな奇妙な少女に、私は嬉しくも寂しい、切ない何かを覚えた。突き放したいくらい面倒なのに、その存在を許してしまう。面倒なのに気にしてしまう何かを、私に与え続ける。

 このまま突き放していいの?

 矛盾する気持ちが、胸の中でそんな葛藤を口にした。

「迷惑だって言ってるでしょ。小賢しくてムカつくんだよ、あんた」

「ちょ、ちょっとふーみん! そこまで言わなくても――」

 まだ話は終わっていない。首を横に振って、雪の言葉を遮った。

「最後まで聞いて。……あんたは私をおかしくする。でも、どうしておかしくなるのか、分からないの」

 小さな後輩は私を真剣な眼差しで私を見上げている。図書館で話したときと同じように、私に正面からぶつかるつもりなのが見て取れた。

「分からないから、知りたい。おかしくなる理由が見つかるなら交換してもいい。ただ、私に関われば嫌な思いをするよ。私、こういう人間だから」

 私は、面倒なのに棘科輝羽が気になる。棘科に感じたあの感覚の正体を知りたい。しかし、桜沢文音という人間に関わっていくなら嫌でも傷つくことになる。私は必要以上の馴れ合いはしたくないと周りを遠ざけ、たった一人の親友である雪にすら思いやりを持てなかったできそこないだ。それでも棘科は、こんな嫌な先輩相手に『勝手にする』ことができるのか。

 さあ、その意志がどこまで本物なのか聞かせてもらおう。面白半分で私に接しているのなら、容赦なく傷つけて突き放してやるよ。

「言いたいこと、分かったもらえた?」

 腕組みして尋ねる。車が何台も横を通り過ぎ、歩道を歩く人は私たちを一瞥して去っていく。動き続ける街の中で私と棘科だけ時が止まっている。隣で慌てている雪も、走り去る車も通り過ぎる人々も、すべてがモノクロになって、私と棘科を置き去りにしていく。図書館で棘科の到着を待っていたときと同じ――唇を真一文字に結んで私を見上げる少女を前に、不可思議な切なさが再び、私の背中をなぞっていった。

 その白い頬に触れてみたい。

 面倒だと思う反対側で、奇妙な欲求が浮かんで消える。

 どうしてあんたは、ここまで私をおかしくさせるんだ。

「面白半分なら消えろ。私には、そう聞こえました」

 澄んだ声が周囲の喧騒を蹴飛ばして私の耳に届く。棘科輝羽は私がオブラートに包んだ言葉の真実を口にした。切り揃えられた長い黒髪が街の風に吹かれて揺れる。白い肌に浮かぶ瞳の宝石は揺らぐことなく私を見つめていた。

「分かってもらえて何より。で、どうすんの?」

 面白半分ならこれ以上関わるつもりはないと、私の考えを理解したはずだ。入学したばかりの少女がどんな答えを出すのか。

 棘科がその細い手に持つ黒いスマートフォンに視線を落とした。

「私と接すると先輩はおかしくなってしまう。その現象を解決するとなれば、私たちは離れるのが一番でしょう。しかし、先輩は理由を突き止めてみたいと思っている。だったら、私は先輩の近くにいなくてはいけませんよね」

 その通りだ。棘科が私に関わらなくなれば、私の中に浮かんだ感情の正体はつかめないまま終わることになる。正体を突き止めるのなら、棘科と関わって向き合っていく必要があった。

 面倒くさいけど。

「突き止めたいことがあるのは私も同じです。私は『桜沢文音』という女性を解き明かしてみたい。そして、先輩を笑顔にしたい」

 黒髪が揺れ、もう一度赤い瞳が持ち上がる。

 ふっ、と少女の白い肌に優しい笑顔が浮かんだ。

「面白半分ではありません。あなたを笑顔にするまで、私はあきらめません。だから、これからもよろしくお願いします」

 心臓が変な音を立てて、裏返った息を吸った。

 そんなことを言われるのは、生まれて初めてだ。

 私よりも年下の、まだ入学したばかりの少女が、まるでプロポーズみたいな台詞を口にする。神秘的な容姿も相まって、口にする言葉の一つ一つが星みたいに輝いていた。棘科と向き合って感じたものは、本の森で意識を沈ませる感覚とは別のもの。まどろみとは違う、喜びと寂しさが隣り合う切ない時間の流れ。ひんやり冷たい寂しさや切なさが、震え上がるほどに嬉しかった。

「……やってみなよ。できるものなら」

 強がりを言って、私もブレザーのポケットからスマートフォンを取り出した。

「くだらないことで笑わせようたって、そう簡単にはいかないよ」

「承知しています。私が先輩に願うのは、本物の笑顔ですから」

 よくもそんな恥ずかしい台詞を言えたものだ。

 思いながら、棘科と連絡先を交換する。これでもう一つ、棘科との間に学校以外でも繋がりを持つことになった。

「え、えっと、二人とも、仲直りした? も、もう話しかけても平気かな……?」

 連絡先を交換し終えてスマートフォンをしまうと、雪が半べそをかきながらそんなことを言った。どうやら私と棘科がケンカしたと思っているらしい。棘科に視線を投げると、彼女も驚いたように何度も瞬きをしていた。

 小さな後輩が涙目の先輩をなだめる様子を眺めながら、日の暮れる帰り道を歩く。まばゆい電灯や電飾が形作る駅前商店街のアーケードは大勢の人々が行き交っていた。私たちと同じ方向に歩いていく人、反対にすれ違っていく人。飲みに、食事に、行きに、帰りに。それぞれ様々な目的や思いを持って人々は流れていく。彼らはどういう思いを持って生きているのだろう。この中にも、つらい現実や悲しい思い出を背負って生きている人もいるはずなのに、どうして堂々と前を見て歩いていられるのだろうか。

 足が重たい。鎖と鉄球でも繋がれたように鈍くなって、並んで歩いていたはずの二人が遠くにいた。

 置いて、いかれる。

 昔、同じ光景を見たことがある。小学校に入学したばかりで、仲良くなった友達二人と私の三人で帰ったときのことだ。友達の一人は足が速くて、どんどんと帰り道を進んでいく。対して、私は足も遅く、背負ったランドセルが重たくてふらついていた。最初は三人並んで話をしながら帰っていたのが、足の速い友達に引きずられるように、もう一人の友達も前へ、前へと進んでいく。足の速い友達も、もう一人も、私には目もくれずに遠くへ歩いて行って、気がつけば二人の後姿は米粒みたいに小さくなっていた。二人に追いつこうと早足で歩いても、二人はそれ以上の速さで歩いていく。

 小学校に上がったばかりで不安な帰り道、心細くなった私は大声で泣いて二人を呼び止めた。二人は振り返っても、声も出さずに去っていく。決して、待ってはくれなかった。

 待つはずがない。置いていかれたのは私のせいなのだから。

 私が、彼らより劣っていたのだから。

「……私が、悪いんだ」

 周囲より劣っている私が学生としていられるのも残り約一年。親に甘えて生活できるのもわずかだ。それなのに、行きたい大学も目指したい職業も、何一つ、私の中には存在しなかった。かつては夢見る未来があったはずなのに、消えてなくなっている。

 残っているのは後ろ向きな望みだけだった。

 誰にも気づかれない場所で、誰にも気にされず、気にせず、静かに眠りたい。

 その願いは、死と等しい恐ろしさを孕んでいるように思えた。

 ふと、前を歩いていた棘科が足を止めて振り返った。テレビのCMで見かける女優のように髪が翻る。

「先輩!」

 人通りの中でも恥ずかしがることなく大声で私を呼ぶ。遅れた私を心配して、眉を寄せてこちらへ駆け戻ってきた。雪も振り返って、距離が離れた私を見て立ち止まる。驚いた様子だったから、私が遅れていたことに気がつかなかったみたいだ。

「もう、わざと遅れたりしないでください。ちゃんと一緒に帰りましょう」

「わざとじゃない。運動音痴だし、私は足が遅いんだ」

「それなら私が引っ張ります。行きますよ」

 そう言って、棘科は笑顔で私の左手を取った。

 冷たくて細い指、でも、柔らかい。

「ちょ、ちょっと」

 笑顔のまま腕組みして仁王立ちする雪の元へ二人で駆け足で戻る。もう一度三人で並んで、今度は私が二人に挟まれる形で歩き出した。左手は、棘科の小さな手にそっと握られたまま。引っ張りますなんて言われたけど、結局私の歩幅に合わせて歩いている。

 大富豪のお嬢様のくせに、本当、余計な気ばっかり遣って。

「二人とも仲良しじゃん! さっきケンカしてたし、心配してたんだよ」

「ケンカなんてしてない」

「はい、ケンカなんてしていません。ほら、仲良しですよ」

 棘科が繋いだ手を振ってみせる。くだらなくて恥ずかしくて、二人をまともに見ることができなかった。目を逸らしてうつむいたら、雪が手を叩いて声を上げた。

「わ、すごい! ふーみんが照れてるよ!」

「やかましいっ」

 手を振りほどいて、二人を置いて歩き出す。重たく感じていた足は軽快にアーケードのアスファルトを踏みしめて進んでいった。

「あ、桜沢先輩! もう、神城先輩のせいですよ! せっかく手を繋げたのにっ」

「うわっちゃ、ごめんっ」

 なだめられていた先輩が、今度は後輩にくどくどと叱られている。からかうからいけないんだ。こってり絞られるといいだろう。

 二人の会話を背中で聞きながら、駅前までやってきた。銀色をした大きな長方形の建物が駅、手前には市街と観光地を循環するバスの停留所やタクシー乗り場、そして、駅を利用する人の送迎用駐車場などが整然と区切られてある。私と雪はここからホームに向かい、北東にある棘丘とげおかと呼ばれる町へ帰る。北に棘丘、南に棘原とげはら、その二つの町に挟まれる形で私たちの学校がある棘森とげもりという町が存在している。棘という文字ばかりあるのは、この土地一帯を守り続けてきた棘科一族と、一族が住まう棘の森が由来となっているからだ。ちなみに、棘森と棘の森は名前こそ似ているが、町の名前と森の名前とそれぞれ別物である。

「では、私はここで解散ですね」

 送迎用駐車場の横を通りかかったとき、棘科が立ち止まった。

「あ、そっか。あっきーは執事さんのお迎えがあるんだもんね」

「ええ、もう来ていました。ほら、あのスポーツカーです」

 指差す先、駐車場をまぶしく照らす水銀灯の下に、丸いヘッドライトをつけた漆黒の自動車が停まっていた。曲線が美しいボディ、後ろに広げた大きな羽。近くに駐車してある他の車よりも妙に存在感が強い。自動車に疎いから、車種やメーカーは分からなかった。執事が迎えに来るというからリムジンみたいな車を想像していたけど、リムジンより小柄な印象の車だった。

 車の隣では、短い金髪の女性が立っている。黒いロングTシャツにタイトなデニムのパンツ、背が高くてスレンダーな印象だった。女性の唇からは白い棒が覗いていて、煙草ではない何かを咥えているようだった。

「車の隣にいる背の高い女性が執事です」

「は、はあ。想像してた執事さんと違うよ」

 目を丸くする雪の言葉を聞いて自然とうなずいていた。私の持つ執事の印象は、タキシードやスーツをパリッと着こなして、モノクルをつけた背の高い老紳士だ。近頃は若くていわゆるイケメンの執事も様々なドラマやアニメでも見かけるようになった。いずれにしても、私たちが目の当たりにしている『執事』と想像の『執事』はあまりにも違いすぎた。

「執事も十人十色じゃないの? 根暗な先輩に絡みたがるお嬢様もいるんだし」

「照れます」

「褒めてない」

 私の嫌味を明るく受け流す小賢しさにまた苛立った。箱入りのお嬢様かと思ったら口も達者で頭も回る。幸い、執事の女性はこちらに気がついていない。頭を下げたり挨拶したりするのも億劫だから、踵を返してさっさと駅に向かうことにした。

「帰る」

「えっ、あ、ちょっとふーみんったら! ご、ごめんね、あっきー、またね!」

「はい、おやすみなさい! また明日!」

 棘科の声を背に受けても振り返らず、駅へまっすぐ歩いていく。少し遅れて、雪がパタパタと追いついて隣に並んだ。私の顔を覗き込んで眉を吊り上げる。一目見て怒っているのが分かった。

「ふーみん! どうしてあんなに冷たくするのさ! かわいそうだよ!」

 歩み寄ってきた後輩をとことん傷つけて突き放そうとする理不尽さ。雪の怒りは至極当然だと思う。しかし、私にも譲れないものがある。足を止め、怒りに燃える雪の瞳を冷ややかに見つめ返した。

「じゃあ、私はどうでもいいの? 棘科に振り回される私はどうでもいいの?」

 親友の喉が動いて、怒りに燃えていた瞳が見開かれ、揺れる。何も言い返さないで、黙ったまま立ち尽くした。雪の瞳が私から外れて、下へ、下へ落ちていく。

 冷酷な態度をとっていればみんな例外なく私を見限って離れてくれた。他人から遠ざかり、他人を遠ざけるのが私の日常だったのに、棘科輝羽だけは向かってくる。出会ってたった一日や二日だけなのに、突き放しても突き放しても、距離は近づく一方だ。そして厄介なことに、私はその棘科に対して妙な感覚を覚えて始めている。彼女に抱いたそれは経験したことのない感覚で、私の中で理解も処理もできていない。

 日常のリズムを崩され、心もかき乱されっぱなしだというのに、その原因を受け入れるなんてできるわけがなかった。

「私がこういうことに慣れてないの、知ってるでしょ」

 うつむいて立ち尽くす雪を置いて歩き出した。

 言い放った後で、我ながら薄情な人間だと思った。

 思いやり、思いやり。心でそう思っても、こうして親友に苛立ちをぶつけている。ぶつけた悪意は形を変え、不運や不幸、面倒ごととなって私に戻ってくる。因果応報は起こりうるのに、どうして私はこうなんだ。

「知ってるよ! だからだよ! 今、ふーみんは変わらなくちゃいけないんだ!」

 親友の悲痛な叫びが背中に突き刺さって足が止まった。駆け寄ってきて、再び私の前に立つ。怒りの眼差しは消え、涙の浮かんだ瞳が必死になって訴えていた。

「あっきーの言葉、聞いたでしょ? ふーみんを解き明かして笑顔にするんだって言ってたじゃん! このままじゃだめだよ、変わってみようよ!」

 変わらなくてはいけない。このまま大人になれば、私は周囲に置いていかれ、世間に認識されないまま堕ちていくだろう。でも、ねじ曲がって固まった私の心は変化を拒んだ。変わりたくても変えたくても、何をしても間違いだと否定され続ければ、否定を恐れて変化を避け、未来を描けない絶望にたどり着く。そして気がつくのだ。自分自身の無力を。

 その瞬間、平凡な『今』が輝く希望になった。

 私の行いがすべて間違いだというのなら、これから歩む未来もすべて間違いだらけになるはずだ。それなら、これ以上自分が傷つかないように、誰かを傷つけないように、どこか遠くへ離れてしまえばいい。決断も選択肢も生まれない場所を自分で創造すればいい。間違いだらけの過去や未来ではなく、今生きているこの刹那を守るために。

 それが、今の私にとって何よりも平穏で幸福。

 将来や未来という夢を失った私の、儚い蜜月なのだ。

「昨日の休み時間に言ったことと矛盾してるじゃん。あんた、自分で無茶ぶりしないって言ったでしょ」

 首を少し傾げて、抑揚のない声で伝える。対する童顔は弱々しく目を伏せてうつむいた。

「言ったよ。親友として、ふーみんが苦しむようなことはしたくない。ケンカもしたけど、昔から今まで一緒に過ごしてきて楽しかったし、これからも同じ場所に身を置きたいって思うから」

 でもさ。

「――ボクたち、いつまでも一緒にはいられないんだよ」

 一言置いて雪が告げた言葉に鳥肌が立った。

 頭のどこかで理解していた、最も避けたい真実。

 私が誰かと親しくなるなんてすぐにできることじゃないと、雪も重々承知している。しかし、親友という絆が私たちを繋いでいたとしても、同じ高校に入学しても、進学するのか就職するのか、社会人への道が少しずつ近づいてくるにつれ、いつか、親友と歩む道が分かれてしまう。家庭の事情があったり、目指す将来が違ったりすれば、今まで同じだった道が分かれるのは必然だ。雪との道が分かれれば、すぐそばで私を支えてくれる存在はいなくなる。

 そんなときだった。この土地を守り続けてきた棘科一族の末裔が、ひねくれた私に歩み寄り、私を解き明かしたいと言ってきた。幼馴染として私を気にかけてくれている雪は、棘科輝羽が歩み寄ったことを大きな転機と見たのかもしれない。だから、ここまで必死に私を叱りつけたのだ。幼馴染として、親友として、頑なに棘科を拒む私を何とかしたい。近い将来、雪が私を支えられなくなったときに、他の誰かが見守ってくれるように。

 たとえそれが、無茶振りだったとしても。

 できそこないの私でも、親しい人から向けられた温情くらいは理解できる。

 昨日の言葉と今日の言葉。矛盾しているように思えても、それぞれが形を変えた雪の思いやり。私への、思いやりなんだ。私はこんなにも嫌なやつなのに、決して見限らず、昔から今まで言葉を交わし、励ましてくれる。そして、否定するのではなく、真剣に私のことを考えて叱ってくれた。

 調子のいい親友は、私以上に大人で、先を見据えていたのだ。

「そこまで、考えてたんだ。あんた」

 ずっと一緒に過ごしてきた親友の思いやりを、今になってようやく理解した。そして、この先に待ち受ける絶望という未来を避けるために変わらなくてはいけないことも。親友を傷つけて、やっと理解するなんて、やっぱり私はできそこないだ。

 笑顔は浮かべられない。代わりに、精一杯優しい声を、穏やかな声を意識した。

 幼い頃、二人で笑っていられた、懐かしいあのときと同じ声を。

「ありがとう、雪。いつも迷惑かけて、ごめんなさい」

 はっと顔を上げて、雪が唸りながらぽろぽろと涙をこぼした。叱られたのは私の方だというのに、涙を流しているのは叱った張本人。どうやら私は、心底雪に怖い思いをさせていたらしい。

「うあああん! ふーみぃぃぃん!」

 可愛らしい顔をくしゃくしゃにして、泣きながら飛びついてきた。

 普段の私なら必死になって雪を引き剥がすだろう。でも、今はただ、泣き続ける親友を黙って受け止めた。礼を告げたとはいえ、雪の思いやりを冷たく切り裂いて泣かせたのは私自身なのだから。

 楽しかった幼い瞬間が過ぎ去ったように、充実していた部活が変わり果てたように、明日、何が起こるのか、何が変わるのかなんて誰にも知ることはできない。それでも、未来を思わなくてはいけないときがある。

 私は変われるだろうか。

 深い森の中で眠ることを望む私は、目覚めて歩き出せるだろうか。

 泣き続ける親友を抱き、自分の胸に問いかけ続けた。

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