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桜沢さんのお嬢さま  作者: 松山みきら
第6章 姉妹と姉妹 -棘科輝羽-
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 ゴールデンウィークの一大イベントが終わった感覚だった。ふみを駅に送り、帰宅してからずっと、窓の外ばかりを見ていた。棘の森は夜の帳が下りるのも早い。日が傾きだせば、春といえどすぐに暗くなる。

「ふみ……」

 会いたい。さっきまで一緒だったのに、もう会いたくて仕方がない。恋人になったふみの存在が私を焦がし続けていた。

 何とか気を散らせようと考えを巡らせるが、いい案が思い浮かばない。宿題はもう終わらせてしまったし、できることといえば読書か予習くらいだ。読書をしようとするとふみを一層強く思い浮かべてしまうので却下。では予習をしてみようか。でも、予習を始めたところで結局集中できなくなるのでは。

「情けない。ふみのためにもしっかりしなくちゃいけないのに」

 私自身、怒りっぽいのはよく理解していたが、そっち方面でも短気だったとは思いもしなかった。

 ふみへ『今日はありがとう』的な内容のメッセージを送ったが、返信はまだ来ない。ふみのことだ、また一生懸命返信の文章を書いてくれているに違いない。後輩や友人ではなく、恋人になった私からの他愛のないメッセージ。ほんのわずかでも彼女の安らぎに繋がってくれるのなら、私も嬉しい。

 桜沢文音を恋人とするなんて、最初は考えもしなかった。少しずつ歩み寄って心を開いてもらい、問題の原因を見つけて解決をする。あくまでも堅実にするつもりだった。それがいつの間にか、助けようと歩み寄っていた心が彼女を欲しがるようになって、挙句、我慢できないと告白して、キスまでしてしまった。本当はあの場所でゆっくり過ごしながら話を聞き出す予定だったのに。問題の解決どころか、ふみが欲しい、ふみが欲しいと、そればかりだった。私は本当に短気で困る。

 返信の来ないスマートフォンを見つめて、深いため息をついた。

 だめだ。やはり予習もできそうにない。

 初めて知った、ふみの唇。

 愛する人に口づけをする幸福と快感。

 忘れられない。石座に横たわる愛する人の姿を。

 見慣れた制服の彼女が、聖地に横たわり、こちらを見上げていた。何を望んでいるのか分かっている、私の望むすべてを受け入れると、潤んだ瞳が語っていた。

 会いたい。声が聴きたい。触れたい。

 ふみが抱えている問題の解決よりも、欲望ばかりが優先されていく。

 愛する人の笑顔を見るために、可能性を探さなくてはいけないのに。

「……そう、可能性。可能性を探すんだ。しっかりしろ、輝羽」

 言い聞かせ、スマートフォンを強く握りしめた。

 愛し合うことはいい。想い合うことはいい。

 だが、まだ愛に溺れるときじゃない。

 深呼吸を一回。

 欲望にまどろみかけた意識が戻ってきたとき、部屋の扉が控えめに叩かれた。

「輝羽? お姉ちゃんだけど」

「はぁい、どうぞ」

 返事をしたら遠慮しがちに扉が開いた。全部開き切らないまま、背の高い姉が入り口に立つ。どうしたのか、部屋の中には入ってこなかった。

「あ、ごめんなさいね。少し聞きたいことがあって……」

 いつもなら部屋の中に入ってきてソファーに座るのに。苦笑いを浮かべていて、目を合わせずに腕組み。指先も忙しなくトントントンと動いている。妙に遠慮している姉を不思議に思いながら、自分から近づいて顔を見上げた。

「聞きたいことって?」

「その……」

 やはり目を合わせない。視線がふらふらと落ち着いていなかった。

 らしくない。棘科家当主で棘科グループ代表である姉が言葉に窮している。いつも堂々と振る舞っていて、憧れすら覚えるほどなのに、こんなところは見たことがない。

「らしくないじゃない、紅羽。どうしたの?」

「その、ほら。輝羽って、ふみさんとすごく仲良しでしょう? ふみさんみたいな感じの先輩に憧れるみたいだし。だからね、お姉ちゃん、ちょっと」

「ちょっと?」

 答えを促すように聞き返す。

 紅羽が何を聞こうとしているのかおおよその見当はついていた。恐らく、私とふみが近い関係にあるのではないか、先輩や後輩、親友といった関係よりももっと深い関係にあるのではないか、確かめたいのだろうと思った。紅羽は大勢の人材を抱える組織のトップに立つ人物なのだから、当然、人を見抜く『目』は持っている。それが誰よりも近しい妹であれば、変化に気づくのも容易いのかもしれない。

 やれやれ。もう、お見通しか。

 未だ、言葉に窮する姉に苦笑いを返して、私は腹をくくった。

「分かったよ、白状する。本日、お付き合いを始めました。私から告白したの」

 直球の解答に、紅羽が目を見開く。腕を叩き続けていた人差し指がピンと上を向いた。

「ああっ、やっぱり! 私の妹に、妹にっ、ついに恋人が……!」

 言葉を詰まらせながら、頭を抱えて絨毯に崩れ落ちる。てっきり全力で猛反対されるかと思ったが、紅羽は妹に恋人ができたことを気にしているだけで、否定や反対は一切しなかった。

 ああ、考えてみれば。

 紅羽も私と同じだ。

 彼女の愛する人も、女性だった。

「反対されるかと思ったんだけど、意外」

「反対するわけないでしょう! 輝羽がふみさんを本気で愛してるのなら、姉として応援したいもの! でも、でもっ! ああっ、このジレンマ! ジェラシーが止まらない! だって私の妹よ!? こんなに、こんなに可愛い妹なのよ!? 娘をお嫁に出す親の心境ってこんな感じなのかしら!」

 普段の紅羽からは想像もつかないほど声を荒げて本音を叫んでいる。

 ちょっと可愛かった。

「もう。ほら、棘科家当主! しっかりしなさいっ」

 崩れ落ちたままの姉を抱き寄せて、よしよし、と慰める。改めて、筋金入りなのだと苦笑いしてしまった。

「うぅ……。付き合うんだったらちゃんと大切にするのよ。あ、あと困ったことがあったらすぐにお姉ちゃんに相談してね? いい?」

 紅羽はあやめと一緒に、幼い頃から私を導いてくれた。間違いがあれば教え、叱り、よいことは褒めて、共に喜んでくれた。そして今も、私がふみを恋人として愛しているのなら応援すると言ってくれる。姉のそれは溺愛とよく言われるが、家族として想われ、大切にされているのは心から感謝できることだった。

「うん。ありがとう」

「でもジェラシーしちゃうのー!」

「あは、重症だこれ……」

 紅羽との話が済んで少し経った後、あやめを探して教室二つ分以上の大きさがある大広間へ来た。この大広間は洋館の建築を提案した妖狐の趣味が受け継がれているのか、西洋の装飾が多い。二階まで吹き抜けになっている空間、壁に取り付けられたチューリップのような暖色のランプ、彫りこまれた悪魔や天使たち、穏やかな炎を揺らす、大きな口を広げた暖炉。この暖炉はいつもあやめが調節してくれているが、上手く調節しないとキャンプファイヤーかと思うほどの勢いになる。

 あやめは優しい暖炉の光を受けながら、腕を組んで壁を見上げていた。視線の先には私が五歳の頃に三人で撮った写真が飾られている。老舗のスタジオで撮影した、思い出の写真だった。穏やかな表情で佇む紅羽、その左側に、腰に手を当てて笑顔を浮かべるあやめ、二人の間に幼い私。紅羽とあやめの顔は昔から変わらない。それには深い理由があるが、写真を眺めるあやめの横顔は明るかった。

 私が近づくと、あやめはこちらに気づいてすぐ振り向いた。

 今はキャンディーを咥えていなかった。

「よう。調子はどうだ、お嬢様」

「落ち着かない。ふみのことばっかり、考えちゃう」

 紅色の絨毯を歩いて、暖炉の近くにある一人がけのソファーに腰を下ろした。五月とはいえ、深い森の中に建つ館で日が暮れたら冷えてくる。暖炉の中で燃える橙色の炎と温もりは、私の中に燃えていたふみへの情熱を穏やかにしてくれた。

「ああ、なるほどな。さっき紅羽に聞いたよ。恋人ができりゃそんなもんだ、おめでとさん」

「……ありがと」

 ふみと聖地で結ばれたことはあやめにも伝えられたらしい。あやめは写真に視線を戻しながら穏やかに笑っていた。

「巫女と妖狐も女同士だ。棘科らしくていい。最高だ」

「言われてみれば」

「だろ。好きならそれでいい。同性でも異性でも、人間でも妖怪でも、な」

 そうだ。だから、紅羽とあやめもすごく仲良しなんだった。

「どうする、まだ早いけど夕飯食うか? すぐ作ってやるぞ」

「あ、うん。でもその前に頼みたいことがあるの」

「執事さんの出番か。言ってみろ」

 あやめがジーパンから一本、棒つきキャンディーを取り出して包みを破いた。何味なのだろうか、口に入れたときに少し酸っぱそうに顔をしかめていた。

「ふみが過去に、何かの作品や大会でもらった賞があるのか、調べて」

「ふみちゃんの受賞歴か」

「そんな感じ。そこからふみの可能性を探して、自信を取り戻させたい。物語を書くこと以外にも武器を見つけて実を結べば、ご両親たちも見返せる」

「いいアイディアだな。でも、何ももらってなかったらどうする?」

 もちろん、その可能性も十分にある。でも私は、ふみの過去に栄光の原石が隠れていると確信していた。確信の根拠は曖昧でもあり、力強くもある。

「絶対受賞してるよ。私が選んだ人だもん」

 腕組みして私を見下ろすあやめに、笑顔で返した。

「ハ、言うじゃないか。よし、調べてやるから火に当たってろ」

「うん、ありがと」

 私の頭を乱暴に撫でてから、あやめが大広間を出て行った。

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