02.未知との遭遇
「ベル団長〜マジでここで野宿するんですか〜?」
無造作にセットされた赤毛の青年はウンザリした表情で上司に嘆願する。
野宿する程の旅をしたことがない青年は、例え仕事であろうともしたくなかったし、ましてやこんな人気どころか魔獣の気配すらしない森で野営なんてもってのほかだった。
「グズグズ言ってないで働け」
「あ、ユーリ君そこの器とってもらえますか」
「ユーリ、グズグズ言ってて良いからこれよそうのやってくれ」
ユーリと呼ばれ三者三様に話しかけられた赤毛の青年は、重い腰をあげ言われた通り働いた。
この【カルネの森】で一晩越す前の夕飯の支度は、四人がかりでこなす。この中は上下関係がはっきりと別れていたが、全員がちゃんと手を動かしてくれる優しい人たちだからこそ、一番下っ端のユーリもノビノビと文句が言えるのであった。
「はぁーグズグズ」
「ほんとにグズグズ言う奴があるか」
ベル団長と呼ばれた黒髪の男、ベルンハルトは部下を肘で嗜める。痛ッと言いながらユーリはヘラヘラ笑うと、ベルンハルトに一瞥もくれることなくスープを注ぐのに集中した。
たき火で焼いていた肉を切り分ける残りの二人は、対面のやりとりを見てクスクス笑った。
「ベルにそんなん言えるのお前だけだよな」
「ユーリ君たら森が怖いってウソじゃないんですか」
笑う二人を見るとユーリは眉をひそませる。
「怖いですよ。ボクは皆みたいに強くないから、もしものことがあったことを考えてるんです〜」
みてくださいこの防御力と攻撃力の無さを!と己の服を主張する。国から支給された錬金術師用の制服を、ひらひらと見せつけるように引っ張った。
肉を切った包丁を拭うティーダは、自分の胸に手を当て鼻で笑う。掌の先には同じく国から支給された、軽装鎧がその大柄な体を包んでいた。
「だ〜からオメーも鎧着てこいって言ったじゃねえか」
「貧弱なボクが鎧着たら、一歩も歩けなくなりますよ」
「ふ、でも守護の腕輪付けてますよね?」
ティーダと同じ装いの騎士であるフリッツは、眉を下げ困ったようにクスリと笑う。肩に垂れ下がる長髪を耳にかけながら、反対の手でユーリの手首をゆび指し問いかけた。
「そうですけど〜、でもこれボクが作ったからあんま信用できないっていうか」
「おい」
「だって職場の持ってくるわけにはいかないから、自分で作るしかないじゃないですか。でもボク守護系苦手じゃないですか。仕方ないです」
「仕方なくない。だから前から練習しとけと。事前にやっておくことが大事だといつもいっているだろうが。だいたいお前は机の整理もできなきゃスープすらもきれいによそえなくて」
「……はい……はい」
余計なことを言ってしまった……。この小言は長くなる。
ベルンハルトは口調は乱暴なのに、なにかにつけて細かい。大雑把でゆるいユーリはいつも怒られていたが、まさかこんな森に来てまでとは。
助けてくれないかな〜と視線をティーダに促すと、それを感じ取ってくれたのか助け舟をだした。
「部下の説教は後にしてくれ。さっさと飯食おうぜ」
この場で、というか職場全体でベルンハルトを嗜められる数少ない恩人に、ユーリは苦笑いを浮かべ首だけで会釈する。
叱り足りない表情の上司の向こうには、フリッツが困ったように笑っていた。
(あ、やべ)
いつの間にか地面にしいた布の上に夕飯が配膳されていた。
本当にグズグズ言ってて全然働かなくて、いやちょっとは働いたけど、自分の立場から考えられないほど何もしなかった。本当に悪いことしたとユーリは反省し、片付けは一人でやろうと心に決めた。
(だいたい皆偉い立場なのに、ちゃんと働くからボクが甘やかされて……)
偉い立場の上司達に責任転嫁をし、よそうだけしたスープに舌鼓を打っていると他の三人の動きが止まっていることに気づいた。
森のとある一方を凝視する三人に不安を覚えたユーリは、恐る恐る声をかける。
「あの…」
「シッ、奴のお出ましだ」
「やっとか……」
ユーリを制するように手をかざすティーダと、こぼれるように待ちわびた気持ちを吐くベルンハルト。
『奴』が現れたことより、なぜ三人はその気配が分かるんだろう。やっぱりすごいな……という感想が一番にきた。
「おいおいマジかよ……なんだこの魔力」
しかしその数十秒後だろうか、自分にもその気配が感じとれるとユーリの全身が粟立った。
「この者を相手に、我々が渡り合えるんでしょうか……」
蒼白したフリッツは独り言のように呟くと、それに返事をするティーダ。
「渡り合えたら御の字だろうよ」
「そこまで!?」
二人の騎士のやりとりに、思わずユーリが反応してしまった。
武力国家ではないし魔術国家でもないが、バランスよく戦力を持った【シャルドン王国】はその力を誇示するかのような大国だ。
過去の英雄達が得た領地を増やす貪欲さはないが、減らすことなく保ち続けるだけの力はある。
その国の第一騎士団団長のティーダと副団長のフリッツが、怯むほどの相手がこの奥にいるというのか。
そして騎士団団長に勝るとも劣らない力を持つ、自分の上司である錬金術師団団長のベルンハルトを横目で確認すると、過去に見たことも無い程青い顔をしていた。
(ウソでしょ……)
◇ ◇ ◇
この四人がここへくることになった理由の始まりは、15日前の出来事だった。
討伐部隊と呼ばれる第三騎士団が、この【カルネの森】と呼ばれる場所の魔獣駆除をしていると、普段の倍以上の魔獣が森の浅瀬に溢れていることが分かった。
さらにその5日後、過去に類をみない異常事態の森の上空を翔た騎獣隊が、とてつもない魔力を感じたと報告した。
それを受けた国は、カルネの森の奥に強力な『何か』が現れ、普段森の中央に住まう魔獣達がその力に怯え、森の出口付近まで来てしまったんだろうと結論づけた。
その『何か』を調べようとも、行く先々で普段の倍現れる魔物に阻まれ全く奥にたどり着けず、騎獣部隊が行こうとしてもその騎獣が怯えて下に降りようとしなかった。
そして問題がおきてから、第三騎士団だけではどうにもならないと判断した国は、よりすぐりの精鋭が揃う第一騎士団に赴くよう指示した。
奥地へ様子見の偵察を目的とした、少数人の部隊編成で指示を受けたのは団長ティーダ。だが彼は本当に少数で自分と副団長のフリッツだけで行こうとした。もちろん偵察だからと仕事にやる気がない訳ではなく、カルネの森にいる魔獣程度なら二人だけで十分だと判断したからだ。
とはいえ「もう少し多い人数で行ってください、せめてあと二人でいいから」と部下に懇願されたが、邪魔だと一蹴りした。
そんなやりとりの横を通りがかったのが、錬金術師団団長のベルンハルトとその部下ユーリだった。
「じゃあ俺も行こう」
「おう来い来い」
まるで近場に飲みにいくかのような軽さで決められた偵察隊の編成。それに驚く周りの様子に、なんのことかも分かってないユーリは嫌な予感を察知し、じりじりとその場から逃げようとした。
「ユーリ、お前も来い」
「なんで!? というかどこに行くんですか!?」
「カルネの森だ。最近あの森で採掘ができなくて、魔術具の制作に支障がでてる」
「え!? 自分たちで採りにいくんすか!?」
「ちょうどいいじゃねえか、ついでに偵察も手伝ってくれよ」
「ついで!? ついでに偵察!?」
部下の意思など無いも同然の命令に、ユーリはもう許容量をオーバーしオウム返しでしかつっこむことができなかった。口を挟むティーダはまるで他人事のように誘ってくる。
一抹の望みをかけ、この場で唯一の常識人であるフリッツをみても、普段の穏やかな表情のまま何も言わない。
味方はどこにもいない。こんな四面楚歌ってあるんだとユーリの意識が少し遠くなる。
周りを囲む騎士団の部下達は、ベルンハルトがいるなら……と安心したように何も言わなくなった。小心者のユーリは、さっきまでの威勢はどこだよ!と目線でしか突っ込めず。
「ちょちょちょ、仕事はどうするんすか!? 納品もうすぐですよね!?」
「別に俺たちが二日いなくたってどうとでもなるだろう」
「泊まりがけ!?」
フリッツがにっこり笑いながらユーリに近づき補足する。
「野営用の準備はこちらでしたのでご安心ください」
「野宿!?」
よし行くぞと先頭を意気揚々と歩くティーダ、その後ろを軽い足取りで続くフリッツ。そしてベルンハルトと、その右手には襟首を掴まれたユーリが引きずられるのであった。
ユーリを除く三人は、一人一人が兵器のような戦闘力を持つ。
森の浅瀬をうろつく魔獣たちをバッサバッサとなぎ倒し奥へ進んだはいいが、魔獣が少なくなって来た深部に到着しても目的の『何か』には出会えず、この場で一晩こすことを決めたのだった。
改めて感じた三人の頼もしさに、その『何か』が現れたって案外余裕なんじゃないかと思ってた頃の自分を殴りたいユーリ。拳を握るかわりに自身の震える体を抱きしめた。
(騎士団からも信頼を得る、そのベル団長もすらも青くなる相手……)
戦闘能力のないユーリを守るよう、団長たちが横並びに前に立つ。
気がつくと剣を構える三人に倣い、自分も魔術銃を構えた。もはやこれが通用するような相手じゃないと分かっているが、それでも無手でいるほど強い心もなかった。
迫り来る恐怖は、徐々にその存在を露わにする。
ついに『何か』の影がみえた。
魔獣にしては小さい。魔人か? いやそれよりも小さい。まるで子供か小柄な女性のようだ。しかしあの唸るような鳴き声はなんだ。色々な魔獣と戦ってきたが、あんな地響きのような声は聞いたことない。
ユーリだけじゃなく未知との遭遇に緊張する者達は、その歴戦の経験からも割り出せない。
あと5M。その姿がはっきりと分かる距離。信じられないように「えっ」と絞りでた掠れ声が全員からもれる。
この開けた場所に『何か』が出てくるまで、あと1M。
ガサリと草をかき分けて出てくると、たき火の光で照らされる。
「何者だ……」
その小さな体から漏れ出る魔力に圧倒され、口を開くのもやっとだ。震える指先が伝わって剣先が揺れる。
(大型魔獣とタイマンしたときだって、こんな恐怖味わったことねえぞ……)
姿が見えても正体不明な存在に指先は震えようとも、自発的にはぴくりとも動けないティーダ。過去を振り返るが、苦笑いしか浮かばない。
ベルンハルトは震える剣先を抑え、冷静に勤めようと対峙先を観察した。
(黒髪……まさか同種……いやでも……)
ぼさぼさの長髪で顔は見えない。黒髪であれば自分と同じ種族のはずだ。しかしその同種の証がない。漏れ出る魔力も周りが暗くて、色が分からないせいで属性が分からないが……。
視覚認識できるのは細い手足の至る所から出血があり、ここにくるまで足を引きずっていたことぐらいだ。ただなぜ両手を組んで胸の前にかざしているか分からない。
なにか魔術を展開するための動作か? 過去にみたことない作法で、不可解さがさらに際立つ。
そしてむき出しの腹部から、胃がからっぽで肋骨が浮き出ているのが分かった。
まるでこの森の遭難者のようだ……。
魔力感知から分かるのは、彼女——といっていいのかわからないが、この小柄な人物が人間族じゃないということだ。姿形は人間でも、こんな華奢な体でそんな力を持つものを見たことがない。
いや、いるにはいるが、国に一人二人いるかの大魔術師くらいだ。そんな膨大な力をもつ者が遭難なぞするはずがない。
ただその枯れることの無い魔力を持つ術師とも、毛色の違う威圧感がある。逆らってはいけない、眼前の相手は絶対的強者だとベルンハルトの本能が訴える。
今すぐ剣を下し膝を折らねばならぬと種族の血が騒ぎ出すが、見たことも体験したこともない状況に、思考がまとまるはずがなかった。
声をかけてから何秒すぎただろうか、この緊張でたったの十数秒が永遠に感じる。
ふらりと先に動き出したのは謎の人物。四人はびくりと反応し、戦闘開始を覚悟したが———
「は?」
『何か』はおぼつかない足下が崩れるようにドサリと倒れこむと、ユーリから間の抜けた声が思わず漏れた。