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溢るる雨水

作者: 加部宮

 しとしとと空より雨は降り注ぎ、石畳の地面は黒に染められていく。夕方の雨はまた少し趣があって、その僧の好みな雰囲気でもあった。

 僧の居る寺は比較的大きく、ここら一帯の葬式などは大体がこの寺が受け持つ。檀家の数も多いおかげか立派な寺院が建っていた。

 雨が降っていては外の掃除も難しい。ひとまず雨の様子を確認しようと、僧は縁側から外を覗き見た。

 見れば、入り口の門のところに人影がある。不思議に思い、僧は傘を取り出してそちらへ向かおうと下駄を履く。

「ちょいと、お兄さん」僧は門の下で雨宿りをしていた男性に声をかけた。男性は酷く濡れていて、このままでは凍え死んでしまうのではないかと思われるほど冷たかった。

「そのままでは風邪をひくでしょう、こちらへお上がんなさいな」僧が促すと、男性は無言で頷き僧の傘に入って付いてきた。


 ひとまず男性を着替えさせ、濡れた服は囲炉裏の側に竿を使って干させた。寺の浴衣を纏う男性は僧の隣で暖かい日本茶を啜っていた。

「どうもすみません」男性が申し訳なさそうに謝ると「いえいえ、人々を笑顔にしていくのが我ら僧侶の仕事内容ですから」と僧は笑いかける。

「しかしいったいどうして雨の日なんかに門の下にいたんです」

「少し、外に出て雨を浴びたくなる気分だったもので。いやはや、気分だけで風邪をひくところを助けていただき本当にすみません」

 僧は男性の茶が切れると遠慮する男性も構わず茶碗に注ぎ入れた。男性はその度に申し訳なさそうな顔をするのだが、身体を温めるためやはり口へと運ぶのだった。

「何か、悩みがおありですね」僧は男性の横顔を見ながらつとめて冷静に語りかける。そして男性の返事を待たずに重ねて言う。

「中庭に行きましょうか。濡れないところから見る雨は美しいですよ」


 寺の中庭には立派な枯山水の石庭があった。京の有名なそれよりも小さいが、それでも立派と呼べる貫禄は伝わってくる。

 中庭を囲むように作られた縁側に僧は腰掛け、男性もそれに続く。雨粒たちが岩を濡らし黒々と光らせる。

「実は恋愛沙汰で色々ありまして」男性は多少気恥ずかしそうに話し出した。「恋人の彼女なんですがね、少し熱すぎるというか。僕を愛してくれているのは嬉しいんだけど、度が過ぎた感じがして疲れるんです」

「たとえばどんな」

「友人と飲んだりして夜に予定を入れると怒り出したり。他にも一緒にいる時間も異様にくっついているので邪魔だったりするんです。もちろん彼女のことは好きですが、少し距離を取りたいんですよ」

「それでここに来たのですか」

「理由の一つです。実はお昼頃に彼女に今のことを伝えたらですね、泣きつかれたんですよ。その顔を守りたいのに少し嫌悪感を感じてしまって、どこか罪悪感のようなものがあったんですね」

「なるほど、それで雨に洗い流してもらおうとしていたらここに来ていたと」

 男性は語り終えると、また少し茶碗を口に運んだ。僧の促す茶菓子もひとつまみすると茶に続いて口に入っていく。

 男性はしばらく黙って枯山水を見つめていた。地面に敷き詰められ、乾いた流水を表したその景色はなんとも言えない悲壮な感情にも取れる。水無くして水面を表すはずの枯山水は、この天気によってか染み込まなかった雨水が本当の水面のように溢れている。なんとも皮肉な情景がまた、男性の心を冷たくさせた。

「冷たくったって、良いじゃないですか」僧はまるで心を読んだかのように告げる。

「時に熱くなった心を冷やすのもまた趣があると思いませんか。枯山水だって普段は乾いた石の流れなのに、今日はこうして雨で冷やしている。一度その彼女を冷やしてあげたら良いんじゃないですか」

 僧の言葉の意味が通らなかったのか、男性は小首を傾げた。

「それはつまり、彼女と距離を置けということですか」

「いえいえそういう意味ではありません。彼女との関係を冷やす必要は無いんですよ。その熱くなってしまった彼女自身を、あなたが冷やしてあげるんです」

 僧は茶碗に残った茶を飲み干し、そっと男性に傍に置いた。


ひたひたと

悲哀あふるる枯山水

熱き思ひを雨で冷やせば


「いい歌ですね」男性は即答した。男性が感じていたのは、その歌が僧ではなく目の前の枯山水から聞こえたような気がしていた。だからその返事も僧ではなく石庭に向かって言っていた。

「あなたしか、その彼女さんに当たれる人はいないんですよ。近頃の若者のように遊びのような恋愛ではないのでしょう、時に真剣にぶつかることも大事ですよ」

「歌の意味は理解できなかったんですが、そんな僕にも響くいい歌でした。彼女と話してみます。そして僕が冷やしてあげよう」

「また冷えたくなったら、雨の日に門の下へおいでなさい。濡れた枯山水を見てまた話しましょう」

 男性は何か思い立ったのか突然立ち上がる。僧が囲炉裏の方へ案内すると、男性の服はすっかり乾いていた。

「濡れた枯山水も、いつしかこの服のように乾く時が来るんですね」

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