ダンジョンアタック
「ほら、君も食べろ。遠慮することはないぞ。」
「いや~……遠慮してるわけじゃなんだけどねぇ…」
暗い夜を照らす焚火を囲うエルカとクライン。彼らは現在、ウントロイ湖の湖畔の町セシーからさらに西の道を進んでいる最中だ。
結局彼らはセシーの町に滞在することなく、ひたすら二人の故国から離れるように西に進む。一応ここはユックル領内なので大規模な追っ手が来ることは考えにくいが、クラインとしてはとっとと安全地帯に避難したいのが心情である。セシーの町からユックルを西に抜けるルートがいくつかあり、一つ目は北に向かって大街道に抜ける道…二つ目に川を下ってハインケルを経由してコルプラント領内を西に進む道…そして三つ目が間道を通ってユックルの首都ユンガイナへ直行する道である。
北方の大街道ルートは最大安全策であるが、かなり迂回しなければならない。ハインケル経由は、再びセスカティエ国境に接近するため論外である。よって彼らは、間道から首都へ抜けるコースを選んだのだ。
「熊の肉は栄養価も高いし、こうやって軽く燻すだけで日持ちする。おまけに一頭からこんなにたくさん獲れるんだ。優秀な食糧だと思わないか?将来国を作ったら、熊を家畜にしてもいいかもしれないな。」
「あはは…ナイスジョーク。猛獣使い部隊でも編成するなら別だけどさ。」
「ふむ、やはり飼料と安全の問題があるな。……どうした、なぜ食わない?熊に何か特別な思い入れでもあるのか?」
「すっごく獣臭いんだよこのお肉!いや、それ以前に魔獣食べて大丈夫なの!?」
「贅沢をいうな元王子。魔獣の肉を食って死んだ人間は私の知っている記録上ほとんどいない。」
首都へ抜けるコースは、ユックル国内でもかなり危険度が高い道である。険峻な山道を貫くわずかに拓けた間道は、その昔冒険者が開拓し、近道として利用されてきた。しかしながら、岸壁を這うように降りる道や、足場が安定しない湿地帯を踏破せねばならず、そのうえ魔獣にも対処しなければならない。この近辺に住む魔獣たちにとって、この道を通る人間たちは格好のえさであり、進路上で待ち伏せされていることも多い。
エルカとクラインもこの道を進む危険性は十分に承知していた。汚れてもいいような頑丈な衣類を身にまとい、念のため解毒薬も多めに所持している。ところがクラインが思っていたほどこの道を通過するのには苦労しなかった。なぜならきつい道はすべてエルカがクラインを抱えて進んでくれたからだ。おまけに数々の難所を突破し、疲弊した人間を仕留めようと出現した巨大な熊の魔獣を例によって一撃で粉砕してしまう。クラインは改めて彼女の化物じみた身体能力を思い知ることとなった。
「とはいえ………明日はいよいよアレか。体力はつけておかなくちゃ。」
クラインは、よく焼かれた熊の肉を鼻息を止めて頬張った。一応岩塩で軽く味付けしてあるが、味はあまり上質とは言えず、おまけに生臭い。つい先ほどまで生きていた魔獣からとったモノなので、いくばか体臭や血液の名残があるのだろう。しかしこれが熊だったからまだよかったが、狼などになるともはや食用に適さない。携行食料の消費を抑えるためにも、食べられるときにしっかり食べておかなくてはならない。
そう、これからそんな余裕すらない場所に足を踏み入れるつもりなのだから。
…
次の日の正午過ぎ頃だろうか。
二人は、岩壁にポカンと開いている、洞窟の入り口の前に来ていた。
「町の住民たちが言っていた『ウルスドアの抜け穴』ってこれのこと?」
「おそらくな。」
今進んでいる道は首都とウントロイ湖を結ぶ最短ルートであるにもかかわらず、進もうとする人はほとんどいない。それは道が険しいからというのもあるが、その最たる理由が二人の前で口を開いて待つ『ウルスドアの抜け穴』の存在だという。地下水の流れが変わり、干上がった部分が天然のトンネルを形成しているこの洞窟は、自然が作り出した暗闇の迷宮。見通しが悪く、魔獣も出没する危険地帯でもあるが、何より厄介なのは、慣れた冒険者でも踏破に最低3日以上かかるという内部構造だ。一度入り込むと、当分太陽の光を拝むことはできないだろう。
「よーし、さっそく人生初のダンジョンアタックと洒落込むかな……。と、なにしているんだクライン。そんなところで石なんか拾って。」
「この石にちょこっと紅を塗って目印に使おうかなと思ってさ。」
「それも何かの本の受け売りか?」
「受け売りって……未踏破地域の探索は、迷った時に備えて目印を置いてくのが斥候の常識だって。」
「確かにそれも一理あるかもしれないが…そんな大量の石を抱えて歩くより、壁に傷をつけていった方が効率的ではないのか?」
「念のためだよ念のため。迷わなければそれに越したことはないけど、失敗した時のことを考えて対策しておかないと不安だからね。」
「……なるほどな。まあ好きにするといい。」
こうして、二人の人生初の洞窟探検がはじまった。
まずは術道具に明かりをともす。
クラインが道具袋から、直方体の赤い木の板を取り出すと、それに火打ち石で火をつける。少し炙ると赤い木の板は徐々に発光し始め、しばらくすると周囲に熱をまき散らしながら十分な明るさを持つ光源となった。そしてそれを、火傷しないように小さな鉄製の籠の中に入れて持ち運ぶ。この木の板は火山帯に生育する特殊な樹木を使いやすいように術を施して加工したもので、火で熱することで約半日間発光する。明かりとなる術道具は数多く存在するが、この道具は比較的安価で量産も可能なため、冒険者や軍隊から重宝されている。原産地がユックル国内なのもポイントだ。
「ね、ねぇ……もうちょっと慎重に進んだ方がいいんじゃないかな…。」
「そうか?まかりなりにもここは時々人が通る場所だ、足元がやや不安定なこと以外はこれといった障害はなさそうだ。」
クラインはしきりにあたりを警戒しながら進んでいるが、対するエルカは、まるで観光にでも来たかのような余裕の足取りだ。
――いや、実際にそう見えるだけであって、彼女も警戒は怠っていないのだが…
エルカほどの達人になると、危険察知を日常的に行っているため、一々気にしていないだけなのだ。
「む、分かれ道。」
歩いて暫くして初めての分岐点にたどり着いたところで、二人はいったん足を止めた。見た感じ左右どちらもやや下ってカーブしているため、先の方に何があるのか分からない。
「じゃあ、いったんここに石を置いて……」
「壁に何か文字が彫ってあるな。
何々―――『ヒダリ ハ イキドマリ ナリ』…とな。」
「あぁ~……そういえばここって一応国の人も使う道なんだっけ。」
もしかしてこのダンジョンは思ったより相当簡単なのでは?
壁に掘られた文字を見た二人は、若干呆れてしまった。
「楽に行くならそれに越したことはない。先人の案内に感謝しよう。」
「そうだね。誰だか知らないけれど、親切にありがとうございますっと。」
二人はさらに奥に進む。途中またしても魔獣グラムロックに遭遇したが、これを瞬殺。やや開けた空間に、人が休憩した跡があったためそこでいったん休息する。くらい岩山の洞窟…暗闇の中の無音は人間の精神を徐々にむしばむという。だが、二人はお互いの存在があるからこそ、不安とは無縁でいられた。エルカは一人でも大丈夫かもしれないが、それでもクラインがいるといないとでは精神の負担はかなり違うだろう。癒しと言っても過言ではない。
「ほら、君も一杯どうだ。」
「え…遠慮しておくよ。僕未成年だし…。」
そして現在二日目の夜ぐらい。洞窟に入っていると時間が分からないが、
身体の疲労的にたぶん今夜ぐらいだろうとエルカが判断していた。
「君は未成年だからという理由で酒を断るのか。それが許されるのは君の国くらいだろうな。」
「未成年だからっていうより僕はお酒嫌いなんだよ。歴史上、お酒で失敗した人だって大勢いるしね。」
「ま、次はもっと上手い言い訳を考えておくんだな。」
「エルカもその辺にしておいたら?」
エルカが飲んでいるのは傭兵たちが持っていた物資と一緒にかっぱらった安物の酒だ。彼女としては景気付けのつもりなのだろうが、自身の安全をエルカに依存しているクラインとしては気が気でない。いざというときに酔っぱらって困るのはエルカだけではなく自分もなのだ。ただ、エルカの名誉のために言っておくと、酔いつぶれない程度の酒類の摂取は気分を高揚させ、技能値 (※MPのようなステータス)を回復させるるため、結果として継戦能力の向上につながるという面もある。
酒は百薬の長とはよく言ったものである。
「さ、今日はもう寝るぞ。」
「そうだね……、あぁ…もう……今日は熊肉臭いうえにお酒臭いなぁ。」
「口臭くらい我慢しろ。」
「女の人がそんなこと言ってて大丈夫なんだろうか…。」
二人は野営の際、安全上の理由によりエルカがクラインを抱えるようにして寝ることになっている。一応彼女は清め術をかけているのだが、さすがに口臭はどうにもならないらしく、苦手な生臭い肉とアルコールの匂いが若干鼻につく。クラインは思わず顔をしかめた。
「……………クライン、そんなに私の身体は嫌か?」
「エルカの身体が嫌ってわけじゃないんだけど…やっぱりエルカは鎧を着てるから、硬くて冷たいんだよね。だからやっぱり寝心地はあまりよくないかなとは思うんだけど。まあ……兵士みたいに地面でごろ寝するよりかは十分恵まれてるんだけどね。」
「そうか…そう言われてみればそうか。」
普通男性は、異性に抱き着かれるだけでうれしいはずなのだが、クラインからはそのような反応があまり見られない。そのことを少し前から怪訝に思っていたエルカだが、今の一言でようやく納得がいったようだ。
「だったら鎧を脱げばいいんだな。」
「ちょっ…!襲撃に備えるためにずっと着たままだったんじゃないの!?」
「よくよく考えたらこんな場所に私が鎧を着てまで戦う相手など存在するわけがない。だったら別に寝る時ぐらいは鎧を外しても問題あるまい。私だって着ながらは寝心地悪いしな。」
「わかった、わかったから!贅沢言った僕が悪かったよ!何があるかわからないからこんなところで鎧脱がないで、お願い!」
「なんなんだ君は…寝心地が悪いのは嫌じゃないのか?」
「そんなの命の危険に比べればどうってことないって!あーそれにしても鎧を着てるエルカさんはカッコよくて頼りになるなー!」
「クライン、お前……まあいい。なら今までどおりでいいんだな。」
「いいとも!」
エルカが鎧を脱ごうとしたところ、なぜかクラインに止められた。よくよく考えてみればこのあたりの魔物の攻撃などエルカにとって大したことはないし、むしろ鎧のせいで体力を無駄に消耗している気がした。だがクラインがあまりにも必死に止めるため、仕方なく彼女は着たまま過ごすことにした。
「………本当に私の身体が嫌いじゃないんだな?」
「本当だってば。僕だってエルカの匂い好きだし―――」
「ほう。」
「え!?あ、いや…その!ふ、深い意味は…!」
「そうかそうか、ならば安心した。ユンガイナに着いたらその時改めて鎧なしで抱き合って眠るとしよう。」
「なんで抱き合って眠ることにこだわるの……。」
「なんとなく負けた気がするからだ。私は負けるのが大嫌いなんだ。」
「それって理由になっていないと思うんだけど。」
(変なところで面倒な人だなぁ…)
改めて、自分のパートナーの扱いにくさを思い知ったクラインであった。
…
結論から言うと、二人は三日目の昼には出口に到達した。
「う~ん……太陽の光がまぶし~!生きてるって実感するな~」
「本当に大したことなかったなこの洞窟は。
初体験は決まって痛い目に合うと相場が決まっているのに拍子抜けだ。」
クラインは久々に浴びた太陽の光を感じて、気持ちよさそうに伸びをし、
エルカは何事もなく踏破してしまったせいかやや物足りなそうな顔をしていた。
『ウルスドアの抜け穴』は、確かに距離が長く道が入り組んでいて面倒ではあったが、すでに道として扱われている関係で迷うことは殆どなく、アクシデントもなかった。これがもしRPGのダンジョンだったら間違いなくクソゲー確定だろう。
現実というのは世知辛いものである。
「いくらなんでも暴れ足りんぞクライン。どっかに適当な血祭りにあげられそうな悪党の集団とかいないのか。」
「物騒なこと言わないの。僕としては争いごとなんてまっぴらごめんだよ。
それに将来本当に建国するんだったら、嫌でも血を見ることになるだろうし。」
「仕方ないな。……ああ、そういえばユンガイナには確か闘技場があったな。路銀を稼ぎがてら寄っていこう。」
「却下。」
「冗談だ。そう渋い顔をするな、可愛い顔が台無しだぞ。」
「男が可愛いなんて言われても嬉しくないですよーだ。」
(とはいえ、もう少し実りある経験したかったな。せっかく最強の用心棒がいるんだし。)
どうも二人は、あっさりダンジョンをクリアしたことが返って消化不良だったらしい。魔獣は結局一匹しか出なかったし、分かれ道ごとに律儀に道案内が彫ってあったせいで、クラインの事前努力も無用の長物と化した。とは言っても今更戻って枝分かれした未知の探索をするわけにもいかない。今回は苦労せずに済んだと納得させつつ、首都への道を歩むことにする。
ウントロイ湖側の道と違い、ユンガイナへ続く道は思っていたより平坦だった。
恐らく首都勝ち改正で整備が行き届いているのだろう。何気に洞窟から少し離れたところにご丁寧にも『この先ウルスドアの抜け穴』と書かれた看板が立っていたところを見ると、本来は首都側から通行することを想定しているのかもしれない。
「エルカ、そろそろ陽が暮れそうだよ。この辺で野営の準備をしない?」
洞窟を出てから歩くこと四時間ほど経過した。
陽はすでに大分傾き、空もやや赤みがかってきている。
「いや、もしかしたらこのあたりに村があるかもしれない。」
「そんなことわかるの?地図もないのに?」
「足跡がある、それも大勢の人間のな。しかも時間はまだそれほど経過していない。」
「………言われてみれば。」
見れば、地面が窪んでいるところや若干湿っているところなどに、最近できたばかりとみられる不規則な足跡を発見した。エルカは普段からこんなところまで見ているのかと驚くと同時に、クラインの知識を総動員して検証した結果、足跡の集団は5人以上いることが判明した。
だが、若干気がかりなこともある。
「でもさ、これって本当に村の人の足跡かな?」
「分からん。とにかく追ってみるしかない。」
二人は意を決して足跡をたどってみることにした。
すると、しばらくしないうちに足跡は雑木林の方に入っていくのが確認できる。
「明らかにハズレ……だよね、これ。」
「いや、むしろ大当たりかも知れないな。行くぞ。」
「あ…ちょっと、本当に行くの?」
雑木林の中を草が掻き分けられたあとがくっきりと残っている。二人がその後を辿るのは訳ない事であった。
あたりがすっかり暗くなりはじめたとき、前方にかすかな光が見えてきた。
その上、やや遠いが人の声が聞こえてきている。
「クライン、姿勢を低くしろ。私の後にぴったりとついてこい。」
「了解…。」
やがてその前方には、木製の砦のような施設が見えてきた。間違いない。ここは山賊の活動拠点だ。自分たちが追ってきた足跡も、ここにいる賊の一味の物だろう。
「………どうする?」
「丁度いい。今夜の寝床を提供してもらおう。クライン、私の傍を離れるなよ。」
エルカは屈めていた体を起こすと、長柄斧をしっかりと握りしめた。
どうやら神様はエルカのためにボーナスステージを用意してくれたのだろう。
クラインにとってはいい迷惑だろうが……。