黒騎士エルカ
―――《視点:その他の人物》――――
ミラーフェンが侵略される数日前、セスカティエ王国首都グリザリスにて。
「諸君、時は満ちた! グランフォード中部の属国どもはすでに我が国の恩を忘れ、西部ではシエナが国民を蔑にし東部ではコルプラントがその統治能力を失いつつある。このままではグランフォードは衰退の一途をたどるのみである。そうなる前に、優秀なる我が国がこの大陸を統一し、平和を築きあげねばならない!」
「グランフォード一のならず者国家」セスカティエの国王シギンは、出兵の準備が整った軍団に向けて、威勢よく演説する。
セスカティエの侵略志向は今に始まったことではないが、今回の遠征は今までの王国の歴史の集大成ともいうべき本格的なものだった。
先代国王の時代から軍の拡張と進化を絶え間なく押し進め、この日この時のために民需を犠牲にしてまで作り上げたのだ。
「セスカティエの強兵たちよ! 今こそ歴史を作るのだ!」
「国王陛下万歳! セスカティエに栄光あれ!」
『万歳! 万歳! 万歳!』
シギン国王の演説と共に、そばに控えていた宰相が万歳三唱を促す。宮殿前の広場にいた兵士たちの士気は、天をも揺るがすほどだったという。
「ゼクト将軍、そなたに軍の総指揮権を預ける! かの地を平定せよ!」
「お任せください。全身全霊を以て、任にあたります」
セスカティエの戦略は、最高司令官ゼクトの手によってかなり前から決められていた。
まず隣国のミラーフェンとそのさらに北にあるベリサルダを電撃的に併合する。ミラーフェンは生産、資源ともに乏しいものの、各国の貴族が定期的に落とす金が金庫に唸っており、決して損することはないだろう。
なにより軍がほとんどいないため、結局は通り道程度の扱いでしかない。
北方の大森林地帯を臨むベリサルダは、この地域における食糧生産の要の一つである。ここの土地を収奪することで物資に余裕を持たせておく。
戦略第一段階の閉めはミラーフェンとベリサルダ両国の西側に隣接するユックル王国。
ユックルは国土こそ広いものの、大半が山岳地帯であり、領土に比して人口が少ない。この国は鉱物資源の一大生産地であると同時に飛竜(竜族とは全く別物の動物的ドラゴン)の産地でもある。
食糧生産の大半を隣国のベリサルダからの輸入に頼るこの国は、おそらくベリサルダ攻略の時点で援軍として駆けつけてくるだろう。だが、それこそセスカティエにとって好都合であり足場の悪いユックル本国で戦うよりも平地が広がるベリサルダで戦うほうが圧倒的に楽になる。
しかしこの後ユックル本国へは積極的に攻め込まないでおく。そう、来たる戦略第二段階に向けて……
…
王都で出陣式があってから15日……ミラーフェン王国領に入ってから8日目。この日ゼクトは、マンハイム城の司令部で憂鬱に浸っていた。
「ふーむ、まいったな。まさかここまで被害が出るとは……」
「如何なされました司令官殿。いつも自信満々なあなたらしくありませんよ」
「フーシェか……」
難しい顔でため息をつくゼクスに声をかけたのは、セスカティエ王国の若き軍師フーシェ。
透き通るような水色の長髪を後ろで束ね、きりっとした目をしたイケメンであるが、それ以上に特徴的なのは耳の先端が尖っていること……。そう、彼は人類の中でも主に森林地帯に勢力を持つ森人族なのだ。
森人族はいわゆる普通の人類(人間とも)とはあまりかかわりを持たないものだが、ほかの亜人族よりは友好的であり、普通に人間社会に溶け込んでいる個体も多い。
なお森人は人間より知能や魔力、身軽さといった面で優れているが、体力や腕力が人間より劣る。そのため人間のコミュニティーで生きる森人はフーシェのように知恵を生かした職業につくことがほとんどである。
そんなフーシェに声をかけられた総司令官ゼクトは、何をバカなことをと言った顔でため息を吐く。
「何の責任もない奴は気楽で羨ましい。……相手を平和ボケした国家だと侮ったのは間違いであった。戦死者はすでに200…重軽傷者は800人近くにもなる。おまけにこれだけ苦労したにもかかわらず、首都の金庫は空っぽ、北部住人の大半に逃げられる始末。陛下にどのように顔向けしたらよいのやら」
「何を仰いますか司令官。多少のアクシデントがあったとはいえ攻略期間はおおむね予定通り、王族の確保もできましたし、南部に残されていたたくわえは収奪できました。それに……まさかミラーフェンが『本当に』竜と通じていたとは思いませんでしたからね」
この時代、戦争を始めるのにはある程度の大義が必要であり、何の理由もなく宣戦布告することは戦の神への冒涜だと言われ、非難されることになる。
もっとも、ならず者国家としてすでに悪名高いセスカティエが今更大義を掲げたところでどうなるものでないにしろ、形式上はやっておかなければならないところはわきまえている。
で、今回の戦争の大義は「ミラーフェンが竜と内通し、グランフォード大陸を混乱させようとしている」というものである。
これは数か月前ミラーフェンの王女が元々セスカティエの第三王子レンツェン嫁いでくる予定だったのが、その王女が竜にさらわれて行方不明になってしまったらしい。ミラーフェンは教皇庁に討伐を依頼するも結局は失敗し、姫は帰ってこなかった。焦った彼らは、そのことを必死になって謝りに来ていたが、その時はセスカティエ国王も特段怒らず、仕方がないといった対応をした(レンツェン王子は怒り狂っていたが…)。
ところがその事件を数か月後になって蒸し返すというのだからタチが悪い。
まあ要するに「竜と通じていた」というのは単なる大義という名の宣戦名目にすぎず、セスカティエもミラーフェンが本気で竜族と通じているとは微塵も思っていなかった。
そしてまさか、本当に竜を相手にすることになったのは、完全に予想外だったわけで……。幸い竜たちは、ミラーフェン北部の住人を、根こそぎどこかに攫って行くだけで、こちらには大した被害がなかったのがせめてもの救いか。
「本当に世の中上手くいきませんねぇ。ま、司令官は国王陛下の信任厚くあらせられますからちょっと失敗した程度で解任されることはありますまい。なにしろ司令官を解任してしまえばこの戦争自体が上手くいかなくなりますし」
「ふむ…そうだな。陰険な貴族どもの揚げ足取りだけには注意しておくか」
「お察しいたします」
自分たちは安全なところで見ているだけのくせに、いざ戦いが終わるとあれこれ難癖をつけて、せっかく稼いだ戦功を台無しにしてくれる貴族たち……。彼らの顔を思い浮かべたゼクトはまたしても渋い顔をする。
そしてフーシェさえも、心の底から同情した。
「………話は変わりますが、ミラーフェン王子の身柄は?」
「ああ、奴だけは厳重に監禁しておる。見張りにはあの『黒騎士』がついておるから逃げられはせんだろう。他の王族は竜どものせいで取り逃がしたがなにやら利用価値が大いにあるそうだな」
「ふっふっふ……申し訳ありませんが、われわれ呪術師団は秘密主義ですからね。何に使うかは言えませんが、成功すれば王国の戦力王幅増強間違いなしです。そう、きたるべき戦略第二段階に向けて……」
「相変わらず怪しい連中だな。まあよい、どうせ生贄にでもするのじゃろう。くれぐれも神官どもには悟られぬようにな」
何やらフーシェは、クラインに利用価値を見出しているようだが、果たして……
―――《視点:クライン》――――
「――――っ、ここは…………」
見覚えのある部屋で目がさめた。さりげなく複雑な意匠が施された、空色の天井が視界一面に映る。あたりを見回した直後、自分の記憶が間違っているのかと思ったが、改めて認識をし直す。
「ここは、母上の部屋か……。まいったな、調度品がぜんぜんないから違うのかと思った」
今、僕がいるのは「妃の部屋」…………つまり母上の寝室だ。
しかし、部屋の中にあるのは僕が寝かしつけられているベットだけで、元々あったカルディア聖王国の貴族にも負けない豪勢な調度品の数々は、ここにはない。きっと、すべて略奪されてしまったのだろう。
あたり狭しと並んでいた調度品がなくなると、ただでさえ広い部屋が余計に広く見えて、なんだかアンバランスとさえ思えてくる。
「僕は……負けたのか。ま、分かりきっていたことだけど……。母上も父上も兄上も…みんな捕まったのだろうか。」
僕が最後に記憶していたのは、ビルカッハ峡谷での戦闘……それも、ものすごく強い女性に一網打尽にされてしまったこと。きっと僕は、そのまま捕まってここに連れてこられたのだろう。
ガチャッ――
「おはよう、やっとお目覚めかな王子様」
「!!」
すると、黒ずくめの鎧を着た女性が一人、ノックもせずに入ってきた。
その姿を見た瞬間、僕は全身をこわばらせた。
間違いない、彼女はたった一人で、僕が手塩にかけて育てた私兵を粉砕し、挙句の果てに、僕を気絶させた危険人物だ。
僕はまるで全身の毛を逆立てた猫のように、警戒態勢を取る。
「安心しろ、別にこれ以上痛めつけに来たわけでもなければ、取って食いに来たわけでもない。」
「……………!」
安心するなんて無理なこった。仲間を殺した人間と、一秒でも同じ部屋にいられるか! …………とは思うんだけど、やっぱり逆らったら命はなさそうなので、なるべくおとなしくしているしかない。
「ほら、お茶でも飲んでリラックスするんだな。お前以外の王族は残念ながら行方不明だが、まあ捕まったとしても私が面倒を見てやるよ、フフフ………」
「ふんだ、そんなこと言っても殺すのは最後にしてやらないからな」
「面白い奴だな。よっと……」
黒ずくめの鎧を着た女騎士は遠慮なしに僕の横に腰掛ける。
ここで僕は、ちょっとした違和感を感じたが、今は黙っておく。
「そうだ、まだ私のことを話していなかったな。私はエルカ・レン・クラウ・ビュゼーン。世間では『黒騎士』と呼ばれている。」
「……黒騎士エルカ!? まさか貴女が……! 道理で強いわけだ!」
…………僕は、彼女の名前を聞いて愕然とした。なるほど、今回の戦いはそもそも相手が悪かったとしか言いようがない。
『黒騎士』エルカ――――
全身黒一色の鎧で身を固め、髪の毛も黒一色なことからそう渾名されている、セスカティエ最強の……いや、グランフォード最強の女性騎士。
その名は隣国ミラーフェンどころか、大陸中の強者にはその名を知らぬ者はいないと言われるほどの怪物だ。
強いと言われながら、その強さを具体的に語れる人はほとんどいない。
なぜなら、彼女は武闘会や闘技場などにはほとんど出場せず、もっぱら名声は戦場で稼いでいるからだ。けれど、恐ろしいことに相対した敵は誰一人として生き残っておらず、打ち合う前に逃げ出した兵からようやくその恐ろしさが伝わる程度。
噂によると、その真偽を確かめるべく無数の挑戦者が現れたが、彼女はまかりなりにも貴族の一人、つまらぬ争いはしたくないと、かたくなに挑戦者を断り続けたらしい。
それでも引き下がらなかった者は……彼女の屋敷に入って以来二度と出てきた者はいなかったとか。
底知れぬ強さ……そして底知れぬ恐怖。黒騎士エルカの恐れられる所以だ。
「黒騎士……か」
「本物を見るのは初めてだろう? 感想はどうだ?」
けど、不思議と僕は、隣に座ったこの女性への恐怖が消えつつあった。
殺気立ってもいないし、こちらに敵対的な様子もない。
それに……
「そうだったんだ、貴女が噂のエルカさんだったんだね。改めてよろしく」
「ほう……落ち着いたのか? 私が怖くないのか?」
「……なんというか、何か特別な香水使ってるの?」
「香水?」
「だって貴女から、なんかいい香りがするから。」
「…………」
確かに、戦場ではものすごく怖かったけど、話しているうちにちょっと年上のお姉さんのように思えてくる。
その原因は、おそらくエルカさんの体からかすかに漂ってくる、ちょっと甘い香りだろう。きっと、臭い消しやリラックスのために、香水を使ってるんだろう。そう考えると、なんだか年相応の女性っていう感じがする。
が、なぜかエルカさんは頬をちょっと赤くして、ふいと視線を逸らす。
「別に香水は使ってない」
「ありゃ、そうなのか。てっきり鎧の匂い落しのハーブの匂いかと」
「だいたい私は清め術(※水系統の初歩的な魔術)を覚えているからそんなのいらん」
「さいですか」
これはまた意外だな。
特にエルカは前線で戦い、返り血を大量に浴びているはずだから、血糊や死肉の匂いを落とすための香草や香水を使っていてもおかしくはないはずだ。
ということは、この香りはエルカの体臭ということになる。
……そう考えてしまうと、なぜか余計に親近感がわいた。
人間殺戮兵器みたいなエルカでも、きちんと生身だとわかったからだろうか?
「で、これから僕はどうなるんでしょうかね。拷問?それとも処刑?どーせロクなことはなさそうだなぁ」
「君が大人しくしていれば当分何もしないさ。宝物庫の宝や国庫もほとんど持ち去られてたし、これ以上拷問しても何も出てきそうにないからな」
「え? 宝や国庫が持ち去られてる?」
「それが兵士たちの竜族が首都の住人を丸ごと連れ去ったそうだ。お前の両親も含めてな。」
「なんだって!?」
ここで、エルカの口から聞き捨てならない言葉を聞いた。
竜がこの国の人々を連れ去っただって?
「シズナ姉だけじゃなくて父上や母上、兄上も!?」
「私たちが来たときには首都はすでにもぬけの殻だった。今や手に入れたのは君の身柄だけってわけ」
「そんな…………」
一度はシズナ姉が連れ去られて、僕をはじめ王族たちはかなりのショックを受けたのに、今度は僕以外の家族全員と…………国民までも!
「君たちミラーフェン人は本当に竜と何か密約してはいないだろうな?」
「とんでもない! むしろ僕は、何とかしてシズナ姉を取り戻すことが出来ないかって考えてたのに! だけどせっかくカルディアから来てくれた勇者さんたちにたっぷり援助したにもかかわらず一人残らず全滅しちゃったみたいだし……」
「私がその場にいれば、竜なんて逆に一匹残らず叩きのめしてやったところだが。惜しいことをした」
「竜を叩きのめすなんて堂々と言える人がこの世にいるとは……」
この人が言うと、冗談に聞こえないのがまた怖いところだ。
正直、別の意味で家族の安否が気になったけど、今の僕にはどうすることもできない。人間相手すらこのざまなのに、ましてや竜の相手なんか……。
「ま、お前の両親はそのうち私が取り戻してやるから安心しろ」
「期待しないで待ってるよ」
「それよりもだ!」
「!?」
エルカの顔がグイッと接近する。
僕は驚いて、無意識にベットの上で後ずさりしてしまう。
「先の戦いにおける君の戦い、非常に興味深かった。あのまま私が来なければ、
わが軍の被害はさらに増えていただろう」
「あー……うん、褒めてくれてありがとう」
突然何を言い出すんだこの人は?
負けたせいで、今更褒められても、うれしくもなんともない。
「坂道に横たわる兵士や騎士たちの亡骸を見て我ながらぞっとしたよ。劣悪な装備の弱小国の兵がわが軍にあれほどまでの被害を出させるとは。もし同数の兵士を率いていたら、我々は負けていたかもしれない、そう思った。」
「買いかぶり過ぎだよ。貴女の国にも優秀な軍師様は掃いて捨てるほどいるでしょ?」
買いかぶりすぎだというのは本心だ。正直、僕の力量じゃ今の手製を指揮するだけで手いっぱい。それこそセスカティエ規模の軍隊を操れだなんて、無茶にもほどがある。兵士は単純に多ければ多いほどいいってもんじゃないんだ。
それに比べて、セスカティエの将軍たちは、大軍を動かすノウハウを持っている。例え僕がちょっと頭がよかろうと、結局うまく使えないうちに蹂躙されて終わりさ。
「それはどうかな? 確かに頭がいいと言われている軍師はたくさんいる。それこそ今この軍の軍師をしているフーシェ殿を筆頭にな。だが君は……まだ子供だ。それなのに兵を率いてあのような見事な作戦を指揮した。一体どこで習ったんだ?」
「僕はね…幼いころシエナ王国に人質になっていたんだ。でもその間に、戦術の先生から実戦形式でいろいろ教えてもらったから。」
僕は人質時代のことをエルカに語る。
僕は物心がつくころから、どうして自分が祖国に帰れないのか疑問に思っていた。そして答えは、自分の国が弱いから。
だったら僕が国に戻ったらどこの国にも負けないくらい強くする。そう心に誓い、図書館で戦術書を読み漁っていたところで、シエナ軍の将軍から戦術の手引きを教わった。将軍のことを師と仰ぎ、勉学に励んでいたが、途中で将軍は無実の罪で投獄されてしまう。
直後帰国の許可が下りたから、師から教わったことを無駄にしないためにも、独学で戦術の研究を続けてきた。
あとはもう少し時間に余裕があればなと思う。
「なるほどな。確かに今の時代は弱肉強食の時代に突入しつつある。いくら意志が強くても、正義があろうと、暴力の前にはなすすべもない。」
「僕には力がなかった。だから結局誰も守りきれなかった。僕が今まで培ってきたあれもこれも、全部無駄だったってことさ。」
僕は、そう自嘲気味につぶやく。
所詮小国の生まれの自分が何をしても無駄だったのだ。
むしろ、自分の努力が不必要な死を作り出したのかもしれない。
「だったら、力さえあれば君の頭脳は輝けた、違うか?」
「そんなものかな。でも、今更力があったところで、囚われの身になってしまってはどうにもならないよね」
「そんなことはない。その気になれば…………君は10000人の兵士に匹敵する力を得ることが出来る」
「冗談。その10000人の兵士に匹敵する力なんてどこにある?」
本当にこの人は変なことばかり言う。そもそも僕が、今10000人の兵士を持ったところでやれることはたかが知れてる。
けれども、エルカは自信満々な顔で自分を指差した。
「目の前にいる」
「は?」
「王子クライン、私の頭脳になる気はないか?」
黒騎士エルカの突拍子もない言葉に、僕はただ目を白黒させるしかなかった。