兄弟の決別
造られた意味を、
存在する意義を、
自分の魂の異端さを、
俺は知らなかった。
知らなかったんだ…。
*** ***
数十年前
逆東京
黒い帽子に黒い外套の少年くらいの背丈の人物が、桑田の家を訪れた。
その家の縁側では、赤ん坊を膝の上に寝かせて、のどかな時間を過ごす青年の、桑田宗明がいた。
「よぉ、元気そうだな」
「あ、シュウ君。久し振りだね」
「そのさ…シュウ君ってのやめね?」
「えー。だって実際、俺の方が若干、年上だし」
神が現世に降りて間もない頃に、宗明は既に生まれていたのだ。その頃、シュウは未だ生まれて間もなかった。
「……フン。で、問題は?」
「今のところは、順調に育っています。名前は、俺の“宗”の字を取って、“宗助”と名付けました」
そう言って、宗明は膝の上でぐっすりと眠る宗明を愛おしそうにその頭を撫でた。
「…お前、どれくらいの寿命を持っていかれた?」
「…そうだな。約十年くらいかな?」
「…そうか。元気そうだし、俺はもう帰るぜ。もう老体なんだかンな。無理すンなよ」
「はいはい」
シュウは幸せそうな宗明の顔を見て、安堵したのか、そこを静かに立ち去った。
*** ***
目を覚ました時、そこは見慣れた天井。本の山、整理のされていない、自分の寝室。
宗明のいつも通りの朝が、訪れたのだ。
宗明は洗面台で顔を洗うと、リビングに向かう。
そこには、朝食の準備をする宗助の姿があった。
「…おはよう、兄さん」
仄華が火葬されてから約十数年経った。あんなに小さかった宗助は今や、宗明を追い越し、顔立ちも“少年”から“青年”に変わっていた。
一方の宗明は、外見はさほど変化はないが、やはり衰えがきたのか、最近はあまり元気がなかった。それはきっと、彼女がいなくなったことも関係があった。
けど、宗助にはどうすることも出来ない。
“彼女に会わせない限り”……。
宗助は、勉強という名目であの日に生まれた現世の子どものリストを探した。寝る間も惜しんで。
そして、見つけたのだ。顔立ちが似ていて、火葬の日に丁度生まれた女性。 名前は、葉月耀子。
宗助はそれをさり気なく宗明の書類の山の中に入れ、見るように仕組んだ。
案の定。宗明はぼーっと書類を見ていたかと思ったら、突然立ち上がり、一枚の書類を凝視していた。それは確かに、宗助が混ぜておいた女性のリスト。
宗助は陰でほっとした。
が、しかし。 同時にあることが頭を過ぎる。
自分はこのまま、宗明に置いていかれるのではないか、と。
宗明はこれで現世に下りて、仄華さんと一緒に暮らすのかもしれない。そしたら、自分は独りぼっちになる。
そう、思った…。
*** ***
そんな予想は見事的中した。
宗明はある日、宗助に管理者の資格を譲る、と言ってきた。そう宗助に告げた宗明の手には、まとめられた荷物。
「宗助。お前に、管理者の座と、“正義感”の感情を譲る。こんなダメな俺の代わりに、逆東京を守ってくれ」
「……兄貴、戻ってこないつもりか?」
「っ!」
宗助の問いに宗明は口を噤む。これで、宗明の答えが読み取れた。だから、宗助は何も問わなかったかのように微笑んで、いってらっしゃい、と言って手を振った。
黙って背を向ける兄の姿に、宗助は今までせき止めていた全ての涙を流すように、ポロポロと涙を静かに零した。
その気配に宗明は気付き、咄嗟に振り返り、宗助を抱き締めた。
「宗助! こんな兄貴でごめん、ごめんな!! 独りが嫌なのは、俺一人じゃない! わかってるっ、でもっ! 行かなくちゃいけないんだ!!」
宗明は腕の中で泣く弟に言い聞かせるように、むしろ自分にも言い聞かせるように言った。
やがて、宗明は宗助の顔に両手を添えると、自分の顔と真正面から向き合わせ、額同士を重ねた。
「宗助。俺は以前、自分の生かされた意味がわからないって、言ったよな? それが今、ようやくわかったよ。お前を、宗助という一人の人間を作り、育むためだったんだ…。
宗助…。生まれてきてくれて、俺のもとに来てくれて…
ありがとう。
お前は、俺の、自慢の息子だ…」
生まれてきた意味。そんなもの、ずっと前から、最初から、ここにあったんだ…。
兄貴に…、いや。父さんに会うために、僕は生まれてきたんだ…。
「元気でな、宗助」
そう言った宗明の背中は、とても大きく、誇らしかった。
――――――――――さようなら、『父さん』――――――――――
*次回予告
兄さんは、愛する人のもとに行くため、現世へと下りた。
そして、残ったのは、僕と、
兄さんの使っていた伊達メガネだけ。
僕は、兄さんに、とても大きなものを、譲り受けたのだ…。
これを背負って、僕は、『桑田宗助』になる。
次回『エピローグ』