村人の能力
いくつかの興味ある対策案と幾人かの協力者を得た。実験はダムの湖底で行われるから最悪でも大量の放射線が外界に漏れる心配はないはずだ。
実験による対策の安全性が確かめられるのはいつになるかわからない。それまで、一族の総力でこのダムを死守する必要があった。
ヌレは「目途はたっていませんが、必ずや光が見えるものと信じています。それまではここを現状のままで維持しなくてはなりません」と長老に報告していた。
日本政府からの調査員が、このダムの状態を探ろうとしていた。だが、湖底までは調べる術がないようだ。危険を冒してまでダムの調査が必要だとは思っていないかのようだ。
政府の公式発表では「ダムの周りの放射線量は日増しに少しずつ上がっているようです」とされていた。だが、良識のある国外の有識者たちが組織する調査隊によれば「ダムの周りの放射線量は自然界とほぼ同値です」とされている。
世の人々は混乱していた。
「どちらが正しいのだろうか?」
一族は「政府の調査は全くのデマだ」と認識していた。その証拠に農作物や水産物の放射線汚染の報告は減りこそすれ増えることはなかった。ここまで政府もデマを流す勇気はなさそうだった。
ヌレはこれ以上の対応は現状ではもう無いとみて、四方にも休暇を与えた。
「四方さん、村に行ってみませんか」
「一度行ってみたかったのです」
ヌレは四方と共に村に跳んだ。もちろん、連れて行ったのはサンバだ。四方を見た長老は驚いた。しかし、避難めいたことは言わなかった。
そもそもこの村に個の上下関係はない。誰かが誰かに命令することはない。長老はただ纏め役に過ぎなかった。法律もない。誰かが誰かを裁くこともない。裁くのは己だけだ。
一族に「責任」や「義務」という概念はなかった。過ちを犯したとき、それに報いを受けさせるのは己だけだ。他の者に「責任を取れ」などと言われることはない。
ヌレに村の掟を少し説明されたとき、四方にはそれで村が成り立っていくのか、よくわからなかった。
ヌレに案内された場所に十数人の子供たちがいた。子供たちのそれぞれはそれぞれの想う行為をしていた。日本でお馴染みの座禅をくみ瞑想する者、ひたすら腕立て伏せを繰り返す者、ぶつぶつと独り言を叫んでいる者等など。
子供たちは2つの宿題を与えられていた。第1段階は、精神の力で己の肉体に変化を起こさせること。第2段階は精神の力で遺伝子の書き換えができることだ。
宿題の判定を行う能力者が村には数人いた。子供の肉体に触れただけで合否の判定ができた。これに合格すると、子供達は半生体となった。
半生体になると村人と同じ生活ができる。半生体がどのような過ちを犯しても生体たる村人は叱りもしない。本人が気付き、それを修正することをただひたすらに願う。半生体が生体として認められるのは、村人全員が認めたときだ。
半生体には1つ学ぶことがある。肉体の細胞分裂を2段階で行うことだ。第1段階の細胞分裂の1つの細胞は娘幹細胞として、1つは娘活性細胞として分裂する。第2段階は娘活性細胞が2つに分裂して増殖していく。
このことは後世の研究者によって説明されるのだが、現在の村人たちは誰も知らない。従って、村人が半生体に教えるのは「こんなイメージだよ」くらいだ。
村人の長寿の秘密はここら辺にあるらしいが、確かなことはわからない。
生体となった者の中に、さらに己の能力を高めようとする者がいる。遺伝子に新しい記述を付け加えるのだ。その記述内容によって特殊能力の質が決まる。役に立たない記述をする者もいるようで、現在総勢800人くらいの村人のうち特殊能力者と認められているのは100人くらいだ。
ヌレは四方の能力が自分たちの機序と同一のものなのかを知りたい。




