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地鎮演技(仮題)  作者: -
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序章

やっと投稿と相成りました、明暗の一次創作小説でございます。


相変わらずの長ったらしい上に堅苦しい駄文ですが、どうか継続してお読みいただけたら、そして楽しんでいただけたらと思います。




前書きは苦手だったりするので、さっさと始めましょうか。




――それでは、スタートです!

 "胡蝶の夢"、という故事がある。


 出展は荘周という道教の大家が著した、古代中国の書物――『荘子』。その中に収められた、一説の短い物語だ。

 掻い摘んで説明すれば、こういった話である。


  ある男が夢を見た。

  夢の中で、彼は一頭の胡蝶であった。


  彼は胡蝶としての生き方を愉しんだ。

  愉しんで、胡蝶として生き続けた。


  そして、夢は醒めた。

  彼は、眠る前と同じ人間であった。

  胡蝶の夢を視た、只の人間であった。


  だが――男は思った。

  疑問に思った。


  果たして、どちらが現実か、と。

  真の現実は、自らが胡蝶であった、

  あの夢の方ではないのか、と。


  ならば――


  人間として生きてきた、

  現実だと思っていた、

  此方の方が、

  胡蝶の見ている、夢ではないのか。


  だが、いくら考えようと、

  果たしてどちらが現実であるか、

  証明する方法は、無かった――



 一般的には、人の世の儚さについて伝えるための故事である。現実など、夢と区別がつくようなものではない、長いように感じる人生も、終わってしまえば眠る間に見る夢と同じ様に一瞬の出来事に過ぎないのだと。かの豊臣秀吉もまた、辞世の句として同様の意を込めた短歌を遺している。



 だが、この故事にはこの様な解釈が存在する余地があるのではないか?




 ふと考えを及ばせただけで――

 ふと違いに思いを向けただけで――


 夢というものは、いとも簡単に現実と区別ができなくなってしまうものである、という解釈が。


 今、現在進行形で夢を見ている者にとっては、夢の中で起きる様々な出来事は其の全てが現実と変わりない程の重みと現実感を持っているのだと。

 誰にだって経験はあるはずだ。恐ろしい夢を見て、もしくは幸せな夢を見て……そして目を覚まして初めて、それが現実でなかったことに気がついた経験が。実際に夢を見ているときには、その世界観が如何に非現実的かつ荒唐無稽であったとしても、何故か自分は盲目的にそれが現実であると信じ込む傾向にある。夢の中で今見ているものが夢だと認識し、例えばそれが悪夢ならば「醒めろ」と自分に言い聞かせる――そんなことが出来る人間が果たしてどのくらい存在するだろうか。少なくとも大半の人間は目が覚めたことで先程まで見ていたものが悪夢であったと認識し、胸を撫で下ろして安堵するのが関の山であろう。"胡蝶の夢"で言えば、胡蝶として生きている間は、まさか自分が夢を見ている人間であるとは――それこそ、ゆめ思いはしないだろう。

 夢というものは元来、それを視ている者にとっては間違いなく、紛れもない確かな現実なのである。



 さて話は変わるが、創作物が描く世界は、当然ながら非現実である。

 それがどこまで繊細な人間の感情を表現していようと、現実と見分けのつかないほど精密なヴァーチャル・リアリティであったとしても、たとえその世界に存在する人間が、一人残らず現実の感情を抱いている生身の人間が操作するキャラクターであっても、だ。


 だが、それを理由にするのならば、本当の意味での現実ですら、非現実的な世界であるともいえよう。

 この世界の認識に、人間は無数の自己解釈、独り善がりな考え方を介入させる。真の意味で現実をそのまま捉えられる人間などいない。


 果たして自分が認識している世界は、本当に自分という個体の眼前に存在しているのだろうか。語感が皆同じ系統の錯覚を抱いている可能性は?それが実は夢の中の出来事である可能性は?それこそ"胡蝶の夢"のように、今現実だと思いこんでいる世界こそが、自分の見ている夢である可能性は?


 それを明確な根拠を以て否定することはまず不可能であることに、すぐに気がつくはずだ。



 当然ながら、それを考えることは実に無意味で非生産的な徒労にすぎない。我々は、今現実だと思っていることを現実であると断言して生きてゆくしかない。


 先程まで"夢"というものの認識について述べてきたが、最終的に辿り着こうとしていた結論はここにある。




 たとえ彼の住んだ世界が、彼女の住んだ世界が、一人の少年の視た夢であったとしても。一人の少年が頭の中で作り上げた、物語という名の虚構であったとしても。


 彼がその夢を見ている間は、彼がその物語に没頭している間は、




 その出来事は、間違いなく彼にとっての現実であったのだと。




 即ち、一人の少年が初夏の一時に経験した荒唐無稽な殺し合いが、


 如何に彼の生きる現実に即していなかったとしても――


 そんなことが起こった証拠が、何一つ残されていなくとも――




 彼の記憶の中に、現実として確かに存在するのならば、




 その出来事はきっと、本当に彼が経験した物語なのだろう。




 それがなければ、



 彼は、きっと――






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