盲目
主人公の偏愛ぶりが一気に表面化します。
「紗耶の匂いだ……姿形は変わっていても、うん、間違いない……」
「うぅ、ひーちゃん。さ、さすがに恥ずかしいよ……。
それに、私、まともな自己紹介も出来ていないのに……」
「外野なんぞどうでもいい。邪魔する奴は全て潰せばいいんだ」
椅子に腰かけた自分の膝上に、紗耶を座らせ、
後ろから強く抱きしめることで、ピタリと密着して、
思い切り鼻をくんかくんかし、顔をこすりつけるように彼女の髪に埋める。
嗚呼……! なんと心が潤い、満ち足りていくことか!
魂が叫ぶ。外見が短髪春蘭さんモドキであろうと、この女性は俺の妻、紗耶であると。
八年あまり、恋い焦がれ続けた、俺の半身と言える……いや、半身である存在の紗耶を、どんな形であれ再会出来た今、片時も離すつもりは無い。
しかし、今の紗耶は、周りで騒いでいる銀花さんとかの会話の内容から、どうやら『曹純』と周りに認識されているらしい。二人きりで暮らすためには、曹家、夏候家はやはり消すべきか?
この世界の曹操は親族や夏候姉妹が自分に絶対の忠誠を誓っていることを、疑いもしないだろうし、そうしない彼女たちを認めようともしないだろう。
今ならまだ六歳かそこらといったところか。消すなら今だな、くくっ……。
「う、うわぁ……あたしが斗詩を愛でる時よりも激しい変態っぷりだぜ……。あたいでもここまで公然と出来るかどうか……っ!」
「こんなところで変態発言しないでよ、文ちゃん。ところで、口元がすごく歪んでるし、とても悪い顔してるよぉ……。本当にこの人が噂に聞く荀公達さんなんでしょうか……」
「……わたしの、わたしのからんがぁぁ……! 曹子和ちゃんにとられたぁああああああ」
「荀都尉!? しっかりされよ、荀都尉! 気をお確かに!」
外野が煩いな。……消すか。この世界だと社会的にではなくて、直接手を下しても構わんのだろう?
「か……らん?」
「!?」
「く、くそっ」
「ひっ!?」
何を貴様らは蛇に睨まれた蛙のような表情をしてる。俺と紗耶の時間を邪魔したのはお前らだ。
「ひーちゃん、駄目だよ。相変わらず、私が絡むとすぐに変になるんだから……。ほら、皆固まっちゃってるよ?」
「む。紗耶との時間を邪魔する奴らは滅ぶべきだろ」
いや、消すつもりだったから、硬直してくれるのはむしろありがたいんだが。顔良なんぞ失禁してるから、小便臭いし、止めを刺してやるのはむしろ優しさだ。
「久しぶりに出会えたからって、周りが見えなさ過ぎだよ。前の世界でもいつも周りの人が凍り付いていたのに、今は鍛えてるから余計に、どう見ても危ない人だよ……。
でも、ひーちゃんってそうだったよね。ふふっ、何十年ぶりの感覚だけど、安心しちゃう私もダメ人間だな。私の為に怒ってくれるひーちゃんが嬉しくてしょうがないよ」
「紗耶がダメ人間なら、他の奴らは塵じゃないか」
紗耶ほど優しい心を持つ奴など簡単にいるものか。
「しゃ、紗蘭、なぜこの狂気と殺気が濃厚な状況で、普通に話せるんだ……。華琳様とて、これ程の覇気は……」
「だま……」
「ひーちゃん、悪いけどちょっと黙っててね。なでなで」
紗耶に頭を撫でられ、制止されたからには仕方ない。大人しく黙る。
再び髪に鼻を埋め、ささくれ立った心を癒してもらう。……紗耶はやっぱりいい匂いだ。殺してやると思っていた怒れる気持ちも、スっと解けていく。
「秋蘭、大丈夫?」
「な、なんとかな……。ただ、顔清臣は気を失ったし、荀都尉に至っては完全に呆けてしまった。会食は延期するしかないか」
「それと、私はしばらく帰れないから、華琳様と春蘭にうまく伝えてほしいな」
「な、なぜだ?」
「事情は後日説明するから。明日もこちらに来てくれると助かるよ。荀都尉は私とひーちゃん、じゃ分からないか……。ねぇ、ひーちゃん。他の人にはどう呼んでもらったらいいの?」
「他の人に呼んでもらう必要はないよぉ~」
他人なんざどうでもいいし、今はこの香りを堪能したいんだって。
「私は少なくともしばらくひーちゃんの傍を離れないし、ずっと離れない為にやることがあるでしょ?
聞いていたと思うけど、私は曹純になっているわけだし」
「むー」
面倒くさい。憂鬱になる。
「むー、じゃないでしょ。ほら、秋蘭も困り果ててるよ。私を今まで守ってきてくれた、この世界の家族の一員だよ?」
!……確かにそれはいかん。俺に再会するまで紗耶を守ってくれた人には礼を尽くすべきだな。
「これは失礼した、夏候妙才殿。ご挨拶が遅れて申し訳ない。
私は、荀攸。字を公達と申します。妻をずっと守り続けてくれたことを深く感謝致します。
私ごときで出来ることがあれば、何でも言いつけて下さいませ。
あ、但し、紗耶と離れろとか、紗耶絡みのことは受け付けませんので」
「しっかり挨拶するのはいいけど、私は膝の上のままなんだね、ひーちゃん。
らしいけど、あまりにかっこつかないよ~? あ、秋蘭。『紗耶』っていうのは、私のことね。
後日まとめて説明するから、今はそういうものだと飲み込んでおいてね」
「わかった、紗蘭。ただ、公達殿……妻というのは」
「紗耶の言う通り、『そういうもの』です。
あ、紗耶と私を引きはがすようなことをすれば、貴女たちのみならず末代まで呪い殺しますので、そのつもりでお願いしますよ」
ニッコリ営業用の笑顔を見せた俺に、妙才殿は壊れた人形のように、首をかくかく縦に振るばかりだった。理解頂けて何よりだなぁ。
こんな彼を当たり前のように受け入れる妻も、ある意味、ね。
修正:このタイミングで、秋蘭に真名を預けるわけがないので、その記述を削除