母さん、事件です
早めにヒロイン登場させてしまいました。
「疲~れた~! 夏蘭、肩揉んで~」
義母上と俺は現在、本家を離れ、後漢の都での職務を粛々と務めていた。潁川太守代行に近い立場と権限を持って、洛陽での折衝を担当しているのだ。
……義母上はいつの間にまた官職に復帰していたんだろうか。俺の見聞と人脈は確かに広がりつつあり、義母上には感謝することしきりなのだが。
「はい、義母上」
「次は腰揉んで~」
「はい、義母上」
「次は胸揉んで~」
おいこら。流れのどさくさで何を言うんだか。
「却下です、義母上」
「ぶ~ぶ~。ここは流れに乗って、私の慎ましい胸を大きくすることに協力するところでしょう?」
「……二人になった途端、本当に平常運転ですね。と言いますか、義母上。実は、気にしていらしたんですか。確かに一般的には小さいかもしれませんが、大小問わない男性はいますからね。義父上のように」
紗耶に比べると小さいとは思うが、それだけの話。
俺にとっては彼女が、女性の水準であり指標であり、かつ絶対的なものに過ぎない。思い出す度に喉が、肌が、心が乾いていく。彼女がいない世界で俺は一体何を……。
「えいっ!」
ぽかっ。そんな可愛い音が俺の頭から鳴る。義母上お手製の小型ハリセンが炸裂したのだ。ん? スパーン、じゃなくて、ぽかっ、てどういうことなの……?
「失礼なことを言った挙句、他の女の事考えてる~。そんな情感の篭った目なんて、私には絶対向けてくれないもの!」
義母上の頭の上に、『ぷんぷんっ!』と吹き出しが浮かんで……いる!?
いや、幻覚だ、幻覚に決まっている。さっきのハリセンの音といい、この義母上がいくら想像の斜め上を行くとはいえ、そんな漫画のようなことがあるはずがないではないか!
夏蘭……貴方、折衝ごとの後で疲れているのよ……。吹き出しが未だに見えて、おまけに『ぷんすかっ!』という言葉に変わっているなど、俺は決して認めてはならないっ!
「さて、戻った?」
「……はい、義母上。『いつも』ありがとうございます」
頻繁に絶望に覆われかける俺を、毎回こうして引き上げるのは、いつもこの人だった。
「じゃあ、腰の続きをお願い。晩には袁家と曹家のご息女との会食が控えてるのよ」
へ? そんな話は聞いてませんよ!?
「あ~、気持ちいい。夏蘭は上手よねぇ、按摩」
と、そこで義母上は一度言葉を切り、真面目な声色で話し出す。
「私と表に出る時点で、貴方の才が隠し切れないのは当たり前でしょう。従者の振りをしていても、見るべき者はしっかりと見ているわ」
いや、私は従者ですから。第一、交渉事の時に、俺は一切発言していないじゃないですか。
「……荀家の懐刀、そんな識者達の評価がついているわ。多分、私に知恵を出しているのが貴方と気づいているのでしょうね」
その洞察眼の方がこえぇよ! 第一、俺の未来人たる視点の突拍子さをうまく噛み砕いて、この時代でも使える提案として仕上げているのは、義母上の才だというのに。
「で、早いうちから自分の家の娘に仕えさせたい、そんな意図なのではなくて?」
「よし、義母上。急用と称して、家にすぐ帰りましょう。今すぐ帰りましょう」
いくら幼いとはいえ、覇王様に会うのなんて真っ平である。おーっほっほですら嫌だというのに。
「……諦めなさい。既にお迎えが来たようよ?」
「仲和様、袁本初様と曹孟徳様からのお迎えが参られました」
侍女の声がかかるや否や、部屋の入口の扉が勢い良く開かれる。
「お邪魔しまーす。文醜、字を長騫っす。姫の命令でお迎えに上がりましたー」
「あうぅ、文ちゃん……親しい友達を迎えに行くような感覚で……本当に申し訳ありません。私は袁本初の使い、顔良、字を清臣と申します」
勢い良く部屋の中に入ってきたのが、真名が猪々子という、この世界での文醜。小柄ながらも、勝気な瞳に淡い緑色の髪を見れば、彼女とハッキリわかる。
そして、ぺこぺこ頭を下げながら遅れて入ってきたのが、真名を斗詩、この世界での顔良。既に苦労人の雰囲気を醸し出す彼女は、綺麗な黒髪を揺らしながら、涙目ながらも、しっかりと挨拶をしながら頭を下げ続けていた。
さらに扉から続けて部屋に入ってくる少女がいる。あの青髪が見えたということは……。
「失礼致します。私は夏侯淵、字を妙才。曹孟徳の使者として参りました。ほら、姉者も入ってくれ」
「いや、私はいいよ……偉い人に会うのって苦手なんだよ……」
ビンゴでした。秋蘭さんだね。この世界の夏侯妙才。が、あれ、春蘭さんが一緒じゃないのか。それに、この声。忘れるはずのない、胸が締め付けられる、懐かしい声。だけど、なぜこの世界で。
「し、失礼しま……って、ひーちゃん!? ひーちゃんだよね!?」
息が止まる。この呼び方で俺を呼ぶ女性はたった一人。
「幼い頃の写真のひーちゃんにそっくり! 鍛えてるのかな? 写真よりも凛々しく見えるよ!」
姿形は恋姫の春蘭さんの少女時代というべき風貌。トレードカラーの赤を基調にした服装。
ただ、一目流し見して違うと感じるのは、髪型がショートボブであることと、目の形が垂れ目がちで、瞳が春蘭さんのようにぎらぎらとしておらず、どこか自信無さげにしている辺りか。
だが、やや幼いとはいえ……この声を、無邪気なこの仕草を、忘れぬはずもない。
駆け寄ってきた彼女を俺の身体が、初対面の相手に何の警戒もなく躊躇いなく動き、抱き止めたこと自体、俺の身体が間違いないと叫んでいる。
顔つきが違えど、彼女を誤認することなど有り得ない。夢に見て、その度に目覚めて涙を流し、現実に壁を殴り続けては拳に血を滲ませ、義母上や桂花に止められる毎日を伊達に八年以上送ってきたわけではない。
「紗耶……なのか……?」
「うん! ひーちゃん、本当に会えたっ!」
飛び込んできた彼女を本能的に抱きしめる。理由とかはどうだっていい。妻が、紗耶が俺の腕の中にいる。匂いまで一緒だ。
「会えた、ひーちゃんに会えたよぉ……」
未だ混乱する頭の中、俺はただただ最愛の妻を抱き締めるしか出来なかった。
銀花さんの喜びと悲しみが入り混じった視線や、秋蘭さんたちの困惑した表情など気づくはずも無かったのだ……。
嫁さんを出すところまで一気に持っていきました。
あとは依存ぶりをどう書くかですね……!
文ちゃんと苦労人さんの字は同じ姓の有名人付近から拝借させて頂いています。
諱で呼ぶのは真名同様にやばいとしか思えないので…あばばばばば。