貞操の危機回避に身体を鍛えよう
公達くんは身体を鍛えるようです。
絶賛引きこもり期間継続中の俺だけど、欲望を隠そうとすらしない銀花さんに対し、俺は子供の振りして、光源氏とか側室なんて判らない風を装いつつ、毎日にじり寄ってくる危機と戦っていた。
俺の髪に触れたり、俺を母親の抱擁とか言いつつ抱き締める時の銀花さんは、頬が判り易く紅潮していて、瞳もハッキリと潤んでいる残念っぷり。吐息も明らかに熱が篭っているし、耳元で艶のあるため息を付いたり、『我慢しなくてもいいのよ、いつでも受け止めてあげるわ……』とか、露骨に誘惑してくる変態である。残念人妻美人ここに極まれり。
学を教わる時とか、誰か人目があれば完璧な淑女を演じきってみせるし、隠遁したとはいえ、来訪するかつての仕事仲間にも惜しみなく知恵を貸すし、旦那さん……義父との仲も変わらず良好なので、俺に感けてない時は、実に堂々たる荀家の長を務めているのだ。
普段の彼女は尊敬してるし、孤児の俺に並々ならぬ愛情を注いでくれているし、感謝こそすれ、嫌う事はない。今はあまりに非日常すぎて、妻に二度と会えない寂しさを思い出す時間も、結果的に少なくなっているから、変に落ち込む時も少ない。どん底のあの感覚は、体感時間としてもう10年も経つというのに、妻という介助杖を手放した状態の俺に、未だに隙あらば覆い被さろうとしてくる。
だから、俺は銀花さんを拒否はしないんだけども……。
「だって、夏蘭に完全に堕ちて、貴方だけの雌豚になったら、貴方は私を軽蔑するでしょう?」
別の意味でも淑女過ぎるわっ! 勝手に心の呟きを覗くなっ! たかだか五・六歳のガキんちょにそんな言葉を使うなぁあああああああ! 俺は間男なんかになる気は無いんだっ!
……ぜーはーぜーはー。
「ふふふ、興奮した夏蘭も可愛いわ……ほんと食べてしまいたい」
「ほんとに義母上、真っ当に生きて下さいよぉ……。桂花がもう少し大きくなって、今の義母様の状態を理解すれば、私は彼女に憎まれかねません」
「あら、夏蘭は親子ど……」
「望んでませんっ! どうしてそんな発想になるんですかっ!」
この外史の女性に漏れず、銀花さんも細身の身体に恐ろしい筋力を秘める。子供の身体の俺ごときがいくら暴れようと、容赦なくロックされたままの状態で。文官のこの人でこれだから、武官連中なんぞ想像もつかん。
うん、今も銀花さんの膝の上だよ。両腕にがっちり捕まってますとも、ええ。
桂花に因んでなのか、母たる彼女は金木犀に似た、何ともいい匂いがする。ほんとはこの香りに安堵して眠ってみたいと思うこともあるが、さすがの俺も、このガキの年での腹上死フラグは全力で回避する。
翌日。
俺は義父の元に密かに足を運び、鉄扇と今の背丈に合う模擬刀を用意してもらうようにお願いした。義父は複雑な表情をしながら、一両日中に手配を終えてくれていた。
「銀花を受け入れてくれていいんだよ? 彼女は狭量じゃないから、公達に溺れたとしても、私への愛情はまた別にしっかり育むことが出来る女性だ」
いやいや、義父上。むしろそこは全力で止めて頂きたいのですが。堂々たる浮気ですよ、これは!
「だって、銀花は君の居室に通うようになって、また一段と綺麗になったもの。桂花を産んだとはとても信じられないほどに。僕としても嬉しいんだけどなぁ。僕への愛情も変わらないし、いいことだと思うんだ」
理解力ありすぎですぅううううううう!!!!
俺は部屋の中での素振りと、読書時にも鉄扇を持ち、常に腕を鍛えるように心がける日々を始めるのだった……。さすがに命の危機を感じると、前世でやったことのない鍛錬って奴も、自然に続くもんなんだよ! いや、必死さって大事なんだねハハハ……。
「夏蘭が筋肉むきむきになるなんて、私は許しませんよっ!」
「嫌いになりますよ、義母上」
「うわーん! 夏蘭に嫌われちゃうっ~!」
マジ泣きである。20歳以上のはずなのに、なんでこうも少女のように泣くのが似合うんですか、義母上……。引くことには変わりないけどなー。
「大丈夫、最低限自分の身を守りたいと思うだけだから。だから、安心して。『銀花』」
こんな時は真名呼びと、頭を優しく撫で回しの連携攻撃と、対処方法が決まっている。どうしても機嫌を損ねてしまった時に、真名を呼び捨てないと許さないとまで言われ、それ以来、こんな感じで。
「え、えへへ……夏蘭が真名を呼んで、頭撫でてくれてる……」
うん、確かに可愛いと思うんだけどさ。
外面が子供でも、俺の中身は立派な三十代のおっさんなわけでさ。保護欲も沸くってもんなんだけど。五・六歳の子供が大人の女性を、真名を呼び捨てながら、頭を撫で続ける情景って、うん、ありえんわ……。
人間追い詰められると、今まで出来もしなかった事が、急に出来る様になることがあるのです。