魔物 とは 一体何を指して使われるべき言葉か
斬り付ける様な声音に。しかし言い返す者は命知らずも良い処ではないか、と思う。
「…………守ってくれと頼んだ覚えは無い!!それに魔物の考える事だ。絶対何か裏が在るに決まって…………っっ!!?」
言葉は唐突に途切れる。
其の目の前には、何時の間に動いていたのか。カインが。
「――――――レイルをそこらの下等なヤツらと一緒にしないでくれる?ハッキリ言って、胸くそ悪いんだよね」
其の、言葉の主にちきり、と。先程黒き魔物を屠った其の剣の先を、彼の喉元に突き付けていた。
冷たい其の感触に、突き付けられた相手は声も出ない。
カインのいきなりの行動に、其の場にいた街人全員に、緊張が奔った。
――――――否。一人。状況を呑み込みながらも其の緊張に捕らわれなかった者が、一人。
兄の腕の中で意識を取り戻していたイサは。ぼんやりと視線を巡らせた。
そして、血に濡れた黒い翼を認めると、ぱっと自分を抱いていた腕から抜け出し。
少し立ち眩みがして、何だか躰が怠かったが、我慢出来ない程度ではない。痛みも無い。
だから一直線に其の翼の元へと――――――人型の元へと、走り寄る。
「………………あ?おいっ、イサ!!?」
慌てた様なルイの声。しかし其れを無視して。
近付いた人型の腰に、腕を巻き付けてぎゅうっとしがみついた。
「………………………………イサ………………」
呆然と、囁く様な、声。綺麗な、とても綺麗な。もう一度聞く事が出来て、純粋に嬉しいと思う。
だから、しがみついた腕に更に力を込めて。
「イサ!!お前、判ってんのか!?そいつは魔物だ!!何考えてんのか判らないんだぞ!!ソレから離れろ!!」
「魔物じゃない!!」
兄の声に、子供は自分の持てる限りの力を使って、叫び返した。
其の声の強さに、人々をそして己が兄を睨み据える瞳の強さに。誰もが思わず息を呑む。
「確かにヒトじゃないけど!!このヒトは、そんな悪いイキモノなんかじゃない!!だって僕を助けてくれた!!ココにいるみんなだって、守ってくれた!!」
「だからっ、それだって何か裏があるにきまって…………!!」
「じゃあみんなはどうなんだよ!!?」
イサの言葉に反論しかけた誰かの言葉は、更なる大きな声音に阻まれた。
「知らなかったなんて言わせないんだから。ココがあんまり魔物に襲われない村だって、他の町とか村より安全だって、僕だって知ってた。判ってる人は判ってたんでしょ。それがこのヒトのおかげだって!?」
只の子供。未だ十余年程しか生きてはいない、幼子。
しかし子供で在るが故に純粋で。無垢で。
其れは感性の高い心が生み出す、人の心に痛い言葉。
「…………なのに。みんなみんな、薄々感づいてるハズなのに気付かない振りして。利用するだけして、そして悪い事が起こると全部このヒトの所為だって決め付けて。都合の悪い事、全部押し付けるんだ。僕には…………僕には、そんな勝手な人間の方がよっぽど魔物に見えるよ!!」
「よっく言ってくれたボーズ!!」
子供の言葉に、カインは喜び、シインは苦笑じみた笑みを浮かべて。
人型は、只。呆然と己にしがみつく子供を見下ろす。
良い年をした大人達は何も言い返せない。
確かに此の村は他に比べ平和であった。誰もが、人成らぬ力が作用している事を漠然と感じ取っていた。
しかし其れが普通だと。魔物に守られた街。そんな噂が立ってしまうのを恐れて、けれど守られるのは至極当然であると、暮らしてきた。
こんな子供ですら、現実を現実として受け止めているのに。其の理由と成り得るものを一度は考え――――――何時も否定して。
沈黙した村人。其の中から、進み出たのは一人の若者。子供の兄。
「弟を助けてくれた事には感謝する。…………けど何で、アンタはイサを…………俺達を助けてくれたんだ?約定がどうとか言ってたけど…………そもそも何で、そんな約束をしたんだ?アンタにしてみれば、得になるどころか、不利以外の何でもない様な…………そんな約束」
理解し難い。人を喰らい、人を玩具だと言い切る魔獣がいると同時に。
こうして、人を喰らわず、逆に守護してきたという魔物が、いる。
ルイの其の言葉に、しかし人型は、答えず。
しかし代わりに傭兵達がふっ、と表情を和らげた。苦笑では在ったが、其れは確かに此の美しき異形を想った、柔らかな笑み。
「レイルは、優しいから」
「優しすぎる、ってのも難だけどな」
だが、其の穏やかな時間も束の間。
何の前触れもなく。突如ぐらりと傾いだ人型の躰に。顔色を変え、二人は駆け寄った。
***
「えっっ!!?だ、大丈夫!!?」
「っ、レイル!!」
慌てたイサの声に。幼子一人では支え切れぬ其の細い体躯を、咄嗟にシインが奪い抱き支える。
「ふ、れるな…………!」
怒りにも似た声を出し、人型は其の腕を振り払おうとする素振りを見せたが、其れすらも弱々しく。
元々白い肌は、更に其の白さを際立たせ。逆に流れる鮮血は忌々しい程鮮やか。
こんな状態で、良く今迄保っていたものだと、二人は思う。
人とは全く異なった構造で出来ているとはいえ、確かに痛覚は在る筈なのだ。
「待ってろ、今精属の回復かけてやっから!」
焦れた様に呪の詠唱に入るシインに、しかし人型は尚も二人から離れようと足掻き続ける。
「要らん……お前達から……施しを受ける理由もつもりも無い……」
「そんなコト言ってる場合じゃないだろ!全く、変なトコで意地っ張りなのは、全然変わってないんだから!!」
呆れた様に、喚くカインの言葉に。人型は激しく困惑する。己の事を知っている、そんな素振りに。
お前達は本当に、お前達なのかと聞きたくなる。
けれどそんな筈は無い。だって、生きている筈が無いのだ。彼の二人は。
人間は、高々百年程しか生きられぬ。魔法を駆使しても、三倍程度。
其れ以前に、彼の二人が息絶える瞬間を己は此の目で見ているのだ。
痛みは既に麻痺し、指一本動かす力すら今は無い。言葉一つ紡ぐのも億劫だ。思考が白濁とし、眠気が襲う。
魔の眷属としての自己保存能力が働き出したのだろう。計算外だ。こんな処で。
しかしあれだけ派手に羽根を毟られ血を流したのだから、当然と言えば当然だろうが。
けれど其れ等全てを無視して。荒げた言葉に魔力が宿る。
「――――――要らぬと言っている………………!!」
「………………っ、レイ、ル………………?」
パシン、と小さく弾ける音がして。突如腕を襲った軽い痺れに、思わず人型から身を放し。
二人のランカーは、警戒も露わに自分達を見据える色違いの瞳を、呆然と見つめた。
其れは明らかな、拒絶。
ゆっくりと、引きずる様に脚を動かしながら。自分達から身を離し距離を開けようとする彼の異形を、二人は信じられない思いで見つめていた。
「…………な、に……どーしたんだよ、レイル…………?」
其れでも、無理に笑って手を差し伸べる。
すると又、青白い小さな閃光と共にパシリと空間が鳴って、感じた痛みにシインは驚いて其の手を引いた。
目の前に在るのは深い緋の、吸い込まれる様に美しい――――――しかし敵意が浮かぶ程に強い、眼差し。
「………………ね、ねぇレイル。俺達の事、判る……よね?さっき、俺の名前呼んでくれたもんね?覚えてるよね?」
そう。先程此のヒトは自分の名を呼んだ。信じられないと。そういった風体で。けれど確かに呼んでくれたのだ。
しかし、其れに対する答えは。
「――――――判らんな。お前達は、一体――――――何だ?」
其の台詞に、二人は愕然とした。
『誰だ』、では無く『何だ』、と。何の感情も無く、逆に聞き返してくる声音の低さ。逸らされる事の無い視線が、痛い。
「何処の手の者かは知らんが、わざわざ其の二人の姿を借りて私の前に現れるとは……悪趣味としか言い様が無いわ」
苛立つ様に吐き捨て。視界の前に落ちる髪を掻き上げ腕を組む。
本気、なのだろうか。本気で、此の目の前のヒトは自分達の事が判らないと…………否、存在を疑っていると?
ずっとずっと。長い間探し続けていた。只一人。此の世に二人といない希有な存在。
其の色彩を、嘗て見たのは一度だけだった。
人間という殻を破り、人成らぬ、美しき生き物へと羽化して。自分達の目の前から彼の人が飛び去ってしまった彼の日――――――彼の時、たった一度きりだったけれど。
忘れる筈が無い。忘れて堪るものか。其の色彩を。
雪白の肌も長髪の黒も。漆黒の翼も角の白乳色も。瞳の沈み行く太陽の様な深い紅色も。
何もかも全て。此の眼に脳裏にそして心に。鮮明に焼き付けて。別れてしまってから、自分達はずっと探していたのに。ずっと、只一人だけを心に思い描いて歩いてきたのに。
なのに、其のヒトは。漸く見付け出した、其の存在は。
――――――判らないというのか。自分達が。
時に親子の様に、兄弟の様に。友の様に……そして又在る時には恋人の様に。かなりの長い時間を、共に過ごしてきた自分達が。
胃の辺りがむかむかする。頭ががんがんしてきて、耳鳴りが煩い。恐らく怒りで頭に血が上っているのだろう。
「………………レイル――――――」
「………………其の名を何処から聞いたのかは知らんが、其れで私を縛る事は出来んぞ」
「レイル!!」
「そう連呼するな。気分が悪くなる。仮初めとはいえ其れも又私の名に変わりは無いのだからな」
忌々しげに舌を打ちながら面倒臭そうに言い募る相手に、とうとう二人の何処かが、ぷちんと切れた。
「仮初めって何だよ仮初めって!!折角俺がつけてやった名前だろ!!レイルだって喜んでたじゃんか!!そんなさも仕方なく使ってますみたいな嫌そーな言い方すんなよ!!」
「しかも聞いてたら何だよその言い種!!まるで俺達が偽物みたいに!!こんな男前な顔がそこらにそーぽこぽこあるワケねーだろ!?何の証拠があってそこまでキパッと言い切れんだ!?ああ!?」
小さな衝撃の奔る青白い壁も何の其の。
痛みも何も全く気にするでも無く、ずんずんと大股で詰め寄りながら喚く二人に、人型は不覚にも一瞬、怯んだが。
「彼の二人は死んだ!!」
負けず劣らずの大声で、怒鳴り返した。
其れは悲鳴にも似ていて。驚いて口を噤んでしまったカイルとシンクの耳に、今度は震えた声が届く。
「俺が殺したんだ!!此の手で!!………………今でも未だ覚えてる。動かなくなった躰も、止まってしまった息も………………赤い、血の色も!!」
震えているのは声だけでは無かった。見開かれた瞳も。其の華奢な躰も。薄く色付いた唇も。組んでいた筈の腕で己が身を強く抱き締めて。
体温が急激に下がる。視界がぶれる。傷を癒し回復を測る為に躰と意識の休息を望む本能を、止められない。こんな処で、意識を失う訳にはいかないのに。魔の本能は意志を無視して強制的に視界をぼかし眠りの淵へと誘う。
行かなければ。何処でも良い。ここでは無い処へ。彼等がいない場所へ。何も考えないで済む場所へ――――――あの、己が住処と定めた深い森へ。
人型は無け無しの理性を掻き集め、無我夢中で其の魔術を――――――転移、の魔術を発動させた。
「っ、レイル!?」
「何っ、馬鹿やって!!」
瀕死とも呼べる状況で其の魔術を、次元を歪める魔術を使うのは、狂気の沙汰。
シインとカインが、其れに気付き手を伸ばした時には、既に遅く。
時空が歪む。其の中で人型は。
己の名を呼ぶ声を、懐かしい二人の声を、又。
聞いた様な気がした。