其れは 玩具を壊す子供の純粋さにも 似て
穢れを知らぬものが汚れていく。己の力に依って。
侮蔑と苦痛に歪む深紅の瞳。しかし強さを失わぬきつい眼差しは、己に対する怒り憎しみを宿し。
己が胴体に囚われ宙づりにされた、其の足下には根元からもぎ落とされた翼一枚。
さらりと音すら立てる様な黒髪は、鮮血を含み更に重い深みを、得て。同様に、毟られ滑る光を反射する羽根が、舞う。
陰り無い筈の彼の其の漆黒が、血の赤に染まって汚く歪む様はとても心地良い。
「お姫様自慢の六翼も、そーなってしまえば台無しですねぇ」
酷く歪んだ笑みを浮かべ、シャズラーズは囁く。くつくつと、器用に喉を鳴らしながら。
愉しい。愉し過ぎる。己に向けられる視線が怒り憎しみが、こんなにも。
己より強い存在で在った筈の、彼の美しき生き物を見下す事が、こんなにも。
「でも貴方が悪いんですよ。私のお願いをちっとも聞いてくれないから。私だって、本当はこんな事はしたくないんです……ねぇ、今からでも遅くはありません。今までの事も全て水に流しましょう?私と、仲良くしませんか?――――――あんな、貴方の事を知りもしない馬鹿で無知で愚かな人間などに肩入れするよりも」
其の方が絶対得ですよ、と。愉悦と、優越とを言葉の端々に滲ませて。
しかし捉えた彼の者は、凍て付いた眼で蛇を見据え、ふん、と鼻でせせら嗤う。
「…………誰、が、雑魚の言いなり、になど」
「あれぇ?まだそんな事を言える元気が残ってたんですか」
「雑魚は、雑魚だろ、う?……盾を取らねば、私に敵わ、ぬ事を、己でも、良く判って、いる」
不適な笑み。蔑む様な視線。言葉。其れ等を正面から受け止めて、蛇の赤い眼が細くなる。今迄の愉悦を綺麗に払拭させて。
「………………矢張り、貴女も………………」
声と、同時に。
「愚か、ですね」
二枚目の翼が、毟り落とされた。
***
流れる、朱の髪。太陽光に照らされ、赤銅の様に煌めく。
輝く、翡翠の瞳。本物の宝石の如く、時折其の色の深みを変える。
伸びやかな、四肢。肌の、桜色。すべらかに、柔らかに。命の脈動と美しさを、内に秘め。
灰色の肌も髪も瞳も無い。其れは、その色彩は全くの別人。
しかし其の容姿だけは、全く変わらぬあの女のもので。
何故だか異様に見えた。其の所業よりも、存在其のものが。綺麗な綺麗なパーツを集めて、組み立てた。意図的に取り繕われた人形の様な。
「どう?綺麗でしょう……みんなみんな、わたしの新しい姿よ」
うっとりと囁く女に、背筋が凍る。狂っているだなどと、そんな生易しいものではない。
此は。此の、女は。
既に。
(………………カインッッ!!)
人を棄てた。人では無くなった。邪悪な闇に呑み込まれた、魔物其のものだ。
そして。其れだけの力を。人間一人に分け与える事の出来る、魔獣が。
近くに、いる。
片翼の名を心中で叫び。元は人間で在った筈の女を背にシインは。
躊躇い無く、走り出す。
***
走る。立ち並ぶ建物を縫う様に。只ひたすら。
目指すは一際大きい、暗い気配。其処に、己が求める彼もいる筈。
右腕の痛みは直ぐ様収まった。しかし本当に傷を受けたもう一人は未だ其の痛みを抱え敵対するものと対峙しているのだ。
何だか嫌な予感がする。早く。彼の元へ急がなくては。早く。
願うは、己が片翼の無事。
「シイン…………ッッッ」
零れるのは、焦りと苛立たしさに満ちた、声。
走る、薄暗く細い道を。此の先に、気配の源が、いる。
走る。もうすぐ。道を抜ける。視界が開ける。彼の元へ辿り着く。手遅れになど成らない――――――させない。
「シ…………――――――ッッッ!?!?」
広場と成った其処へ出ると同時に叫ぼうとする。最愛の、半身の名を。
しかし其の声は、最後まで綴られる事無く喉の奥に呑み込まれた。
見開いた藍の瞳に、映ったもの。其れは。
小さな遊具。白い雲が映える、蒼い空。風に揺れる、植木の葉。
そして、整えられた芝生の上に悠然と存在する、黒く長く不気味に光るモノと。
――――――舞い散る、黒と紅。
其の黒を。漆黒の羽根を、己は知っている。
其の紅を。流れ出る鮮血の意味を、知っている。
「………………レイ、ル………………?」
呆然と。無意識の内に己の声が紡いだ其の名に。
カインの時が、一瞬。
止まった。
***
若きランカーの背に追い付いた若者は、息を整えながら顔を上げ――――――そして、息を呑む。
其の若者だけでなく。其の光景を見た人々誰もが、騒然とした。
目の前には、鈍く光を反射する不気味な魔獣。蛇の様な頭と長い胴と三本の尾を持った、緑石蛇。
そして、其れに捕らえられ背に生えた黒い翼を一枚、又一枚ともがれていく美しい角持つ人型。
どうして、人成らぬ生き物がこんな処に二匹いるのか。
森に住むのは、魔物では無かったのか。なのに何故、魔獣がいるのか。
そして何故、其の内一体が嬲られているのか。同じ、歪んだ魔の生き物同士なのに。其れは見るからに一方的な虐使。
みしり、と嫌な音を立てて、翼が、又、もがれ。本来其処に在るべきものの実に半分を失ってしまった小さな背中は、紅く。黒よりも深く。
毟られた翼がぼとり、と一本の尾から落ち。そして他の尾が、人型の背の傷を抉る。
人型の背が、弓なりに反った様に見えた。想像を絶する痛みだろうに、しかし人型は悲鳴一つ上げず。
其れを見て嗤う蛇は、邪悪其のもの。
「………………ば……化け物………………!!」
上がった一声に、人々の硬直状態が解ける。
「この………………魔物めぇ!!」
一目で素人と分かる男達は剣を、斧を、女達は弓を、短剣を。己の手に持てる武器をそれぞれ構え。
「っ!?やめっっ…………!!」
カインの制止が飛ぶより早く。つがえられた数本の弓矢が、放たれた。
しかし其れは、蛇の躰に到達するよりも早く其の長い尾に依って叩き落とされ。
――――――払いきれなかった三本は。
「!!?」
「……なんて……なんてヤツだ!!」
カインの、人々の顔が青ざめる…………蛇は、捕らえた人型を、盾にしたのだ。
深々と、背と残された翼に刺さった矢に、矢張り人型は声を上げず。
ずる……と。蛇の胴が巻き付き戒めていた、地から浮いた細い体躯が、落ちる。もがれ打ち捨てられた、己が翼の残骸の上へ。
倒れ伏した躰はぴくりとも動かない。もう、死んでいるのかも知れない。
そして、黒い魔物は。
「………………あーあ。折角お姫様に遊んでもらっている最中だったのに。でも、まあいいか。新しい玩具が、向こうからやって来てくれた事だし」
くつくつ、と。残虐な愉悦に笑みを浮かべながら、たじろぐ人間達に視線を向ける。
地を這う蛇独特の音が、響き。その巨体が、ずるりと動く。
人々は、逃げなかった。否、逃げられなかった。恐怖と、嫌悪に躰を支配されて。
黒光りする其の身に、血に汚れた羽根を張り付かせ。身を竦ませた人々の輪の中へ。其の身を近付けさせる。
しかし其の時。三本在る尾の一本に、己を引き留める力を感じた。
見下ろした其処には、血に濡れた白い、指。
「………………人間、に………………手、を、出すな」
上体を起こし、黒い魔物を睨み上げながら。途切れ途切れに紡がれる言葉は、絶対口調。
蛇は、あからさまに気分を害した様に眼を眇めた。
「――――――不愉快、ですねぇ」
尾を掴む力無い手を振り払い、其の鋭い先で、彼の人型の肩を、刺し貫く。
「――――――――――――っっっ!!?」
衝撃に目を見開く人型の耳に、魔物の次の声はとても低く、怒りすら含んでいる様に聞こえた。
「………………どうして貴方は、そんなになってまで守ろうとするんですか?――――――あんな低俗な、人間などを」